書店をたずねて三千里

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学会で接触場面ですが……

2014 年 3 月 17 日 月曜日

年度末の落ち着かない時期ですが、週末の神田外語大学で「社会言語科学会」春季大会がありました。3月半ばですが、2日間にわたり熱心な研究発表とシンポがなされた。大会参加は2日間で250人ぐらい。30本の研究発表で、対人コミュニケーションでの接触場面での発話・身振り・視線などから、方言接触の有無、談話における「掛け合い」などがそれぞれの時間軸でなされていた。やはり、対人接触場面での「なんで」「よね」「さ」なども研究対象になり、「マイノリティー言語」も取り上げられていた。参加者が少なく、展示販売もさえなかったのですが、初日のシンポの後での懇親会は賑やか、だったようです。これを目当てに来る先生もいらっしゃるとか。今回展示の『日本語文字・表記のむずかしさとおもしろさ』の関係者と「接触」、感想やご指示を頂きましたが、何人かの方から現在の研究テーマ、これからの物もお聞きできました。底冷えのするロビーでの販売でしたが、この学会でも女性の研究者や留学生が多く目立ちました。「日本語文字・表記」7冊、「少女マンガジェンダー」2冊、「Jポップの日本語」2冊、「井原西鶴」1冊など10点18冊の展示販売と未刊本1冊予約と、振るいませんでした。(力丸@)

書店のデジタル化で失われたもの

2014 年 3 月 10 日 月曜日

私は若い頃、書店員でした。

初めて書店員になったのは、自分でも「もうそんな昔のことだったのか!」と驚きますが、もうかれこれ、20年以上も昔の話です。

初めて働いた書店、それは創業が明治2年の、当時創業120周年になったという本当に歴史のある老舗大手書店、丸善の本店、日本橋丸善でした(当時丸善で働いていた人は「丸善日本橋本店」とは言わず、「日本橋丸善」と言っていました。歴史の重み、誇りを持ってそう言っていた人もいたように記憶しています)。

まだ当時私は20歳に満たない若造で、シンガーソングライターを目指して、様々なアルバイトを掛け持ちしつつ、夜はライブハウスで歌っている日々でしたが、当時20ヶ所近くバイトをしたなかで、一番しっくり自分に馴染んだのが、この丸善の書店員の仕事でした。

まあ、当時はフリーターとかプータローとか、いろんな言われ方をしていましたが、親元にいてフリーターをしていたわけでもなく、18歳の時に家を出て練馬で一人暮らしをしつつアルバイトで生計を立てていたので、フリーターといっても毎日朝から晩まで仕事をする日々でした。丸善も、早番か遅番かというシフトに入らず、「フル番」ということにしてもらって、開店から閉店まで、それこそ正社員より長時間、毎日働いていました。

まあ今から思えば、正社員より長時間働いているなら、正社員になってしまえば給料ももっと上がるのだから、そうすればよかったのかもしれませんが、当時はシンガーソングライターを本気で目指していたので、「正社員になったらサラリーマン、夢を諦めることになる」と、馬鹿みたいに自分に言い聞かせていたこともあって、「正社員にならないの?」という誘いも断っていました(今では丸善はじめ大手書店でアルバイトから正社員になるのは至難のわざだと思いますが、当時はまだ景気が今よりもずっと良くて、なろうと思えばなれた時代でした。実際、丸善のあといくつかアルバイトを点々として行き着いた文教堂書店では店長推薦で正社員になることができましたし)。

当時はまだPOSレジもなく、さらにバーコード読み込みすらできなかったので、お客さんが本を複数抱えてレジに来られた場合は、「明細お願いします」といって、レジ係に向かって大きな声でジャンル名と定価を読み上げて、それをレジ係が打ち込んでいくというシステムでした。「1200(円)ビジネス、680実用、680文庫、780新書」てな具合だったと思います。新人だと微妙で分かりづらいジャンルの本が来ると、なんでも「実用」にしてしまったり、日経文庫が来ると混乱したりして(日経文庫は「文庫」と言っても判型は「新書」の大きさで、ジャンルは「ビジネス」という、「どれが正しいんじゃ!」とレジに言うときにとても混乱させるシリーズでした)、そういうわけで、当時はかなりいい加減なレジ打でジャンル別の売り上げデータだったような気がします。

在庫検索も、今の書店のように、探している本の陳列してある棚の位置まで表示されるような検索機は当時は置いてなくて、「在庫有」か「在庫無」ぐらいしか出てきませんでした。しかもそれもバーコードが無い本が当時はまだかなりあって、そういう本はタイトルや著者がちゃんと在庫データ化されてなくて、かなり信頼性のない在庫データだったので、とにかくお客さんに「ナニナニという本探してるんだけど、ある?」と聞かれたら、とにかく棚に在庫があるかどうか、探しに行かなくてはなりませんでした。
とにかく新人の頃は大変でした。棚に探しに行くと言っても、タイトルとか著者だけ言われても、どのジャンルの棚に探しに行ったらいいかすら分からない本ばかりでしたから。当時は日本橋丸善には、本当にたくさんのお客さんが来て、毎日の売上も全国トップクラスで凄まじいレジの込み合いでしたし(忙しい日は開店から閉店までレジに行列ができない時間がほとんど無いこともあった。これマジです)、社員の人数も今の時代に比べれば多かったのですが、それでも何もかもアナログだったので、いろんなことに手間がかかって忙しすぎて、他のメンバーに本を探すことまで振ってしまうことも憚れかれたので、とにかく必死でお客さんに「ちょっといつまで探してんだよ!」と時にはイラつかれつつ、散々待たせて結局見つからないこともよくあって、本当に毎日汗をかきかき、あらゆるジャンルの本のタイトルや著者名と、それがどのジャンルの何処の場所に置かれているのかを、体を使って頭に叩き込んで覚え込んでいきました。
毎日毎日、そういう努力をしているうちに、一年もすると、7割ぐらいの本は、お客さんに場所を聞かれると、どのジャンルの棚のどこらへんに置いてあるのか、だいたい見当がつくようになってきました。
お客さんから「ダレダレの書いたナニナニの本を探してるんだけど」と聞かれると、「こちらです!」と検索機も使わず、その本がある棚まで、まっすぐに歩いていって、「お探しの本はこちらの本ですね?」と、まっすぐその本に手をのばし、棚から取ってお客様に手渡すと、何人かに一人は、「さすがだね!よく棚の細かい位置まで把握してるね!さすがプロだ」と褒めたり喜んだりしてくれて、それが嬉しくて書店員をしていたようなもんでした。

あれから20年以上の月日が流れ、今ではほとんどの大型書店ではデジタルで在庫が管理され、棚位置まで表示される時代になりました。
でもそれによって、必死で探して本のある場所を覚えることは少なくなり、当然必死で探すと強く記憶に残り自分の中に蓄積されますが、データでは、即在庫の有る無し、棚位置も分かりますが、その本の印象は記憶には残りにくく蓄積されず、もしかしたら、しばらくすればその本のことすら忘れてしまう時代になってしまったのではないかと、私は思ってしまいます。それはやはり進化によって失われた弊害なのかもしれません。

デジタル化によって失われたものは、書店員の本に対する記憶だけでなく、お客様と書店員の交流も減ってきているのではないだろうか、などとオジさん化した私は思ってしまうのです。20年前は確かに本を探すのは大変で不便だったかもしれませんが、本を探すことで、よく聞かれる本は強く記憶に残りましたし、お客さんから感謝されることで接客の仕事の喜びも覚えました。本をお客様に手渡した後に、見つけてもらった喜びのお礼の言葉だけで終わらずに、その本をなぜ探していたのかを書店員の私に語ってくれるお客様もいました。その話に感銘を受けて、そのあと自分でもその本を買ってしまったこともあったぐらいです。

デジタル化で失われたもののなかには、失う必要のない本当に大事なものがあったのではないかと思う、42歳腰痛持ち版元営業でした。

【文責 春日俊一】

 

 

 

血の通った本造り!

2014 年 3 月 6 日 木曜日

またまた懐古談。地方の書店は、それこそ「文化」の発信源だった。
その地域の老舗書店主は時に相談役として地域の問題を解決し処理する要だった。世の動きに地方が翻弄される時も的確に方針を出す「旦那」の役目を担っていた。

このころ、地域の本を企画出版するとき、この「旦那」店主に相談して造ることが、必須だった。
ほとんど違わずに、書き手を指名し、資料の良し悪しにもすすんで見解を示し、それに沿う形で進めていくと、実際の販売にも確実に成果をあげてくれた。
郷土史家との打合せ、取材・撮影にもアドバイスを頂くこともあった。そこには「商売」を超えた、本を造る喜びを共有する「間柄」があった。

いま、そうした書店主には出会わない。郷土史家もいない。あの血の通った本造りは、過去のものとなってしまった。
地域が空洞化し、機能性や時間的短縮が優先され、「技術」が優先される。何かおかしい、と思う。

SNS的「文化」がしたり顔でまかり通る風潮に、恐れを覚える。まだ、間に合うと思いながらの時間に幻惑されず、だ。

(力丸@)

2月の八重洲本店、精神医療を問うた講演の件

2014 年 3 月 3 日 月曜日

この間、八重洲BC本店講演会ということで、当初は人が集まるか心配でしたが、

既に予約で定員を超え当日客含め 70名も集まる結果となり、も「持っている人が

来るから」と難しいかなと思っていたら20冊ほど売れたようで少しでも売れてよかった

と思います。買っていただいた方、有難う御座います。 (続きを読む…)

本と出合う場所は様々…

2014 年 2 月 28 日 金曜日

2/20~2/26までアイデムフォトギャラリー「シリウス」にて開催された、池田伸哉写真展「CCCP 1986 ソビエト社会主義共和国連邦の冬」が無事、大盛況にて終了いたしました。ご来場いただいた多くの方々に深く御礼申し上げます。

新宿御苑近くのギャラリーさんでしたが、流石に平日昼間などは、いっぺんにたくさんの人が来場するということはなかったのですが、通りがかりの人がぶらっと入ってきたり、どこかで宣伝を見て来られた方、写真に興味がある若者、写真を趣味にしている老人などなど、5分おきぐらいに一人ずつ入場してくる状態で、思った以上にこの写真展は人目を惹くものがあったのではと思いました(しかも写真を見終わったあと、受付の私にほぼ90%の人が「ありがとうございました」と言って出て行かれました。そんなにありがたい、徳のある写真なんでしょうか…礼儀正しい人ばかりが見に来られていたのか…不思議でした)。

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かつて郷土書が売れた!

2014 年 2 月 25 日 火曜日

懐古的な話になる。「日本列島改造論」が大きな力を持って、政治・経済が動いていた時期があった。その70年代は中央集権的な体制が主流ながら、地方の活性化が取沙汰され、金や人やモノがそれなりに輝いていた。その頃以降になるのだが、郷土意識が顕在化し地誌、郡誌、市町村市が復刻されたり新版が編まれたりしていた。競い合うように出されるこれら「郷土史」は、山川出版の「県史シリーズ」、角川書店、平凡社の県別「地名事典」、市別の「ふるさとの思い出写真集」などに引き継がれ、大挙して郷土史ブームを形成した。その時期に出版に関わったものからすると、いまは、郷土の本が力をなくしている。そう思える。郷土史を担う若手の人材が、少ない。郷土に根ざした書店が壊滅状態だ。ふるさとに思いを寄せることが少なくなった。これで、仕舞になってしまうのか。だが、何か腑に落ちない、「おかしい」と思うことがある。それを、ひとつ一つ解いて行きたいと思う。

まだまだ、出版への淡いロマンの火が消えないうちに、だ。(力丸@)

奴隷なのか媒介なのか?

2014 年 2 月 22 日 土曜日

昨日がブログ当番なのですが、少し次の日に過ぎてしまいました。

前の時のように音楽でごまかそうと企み・・書店に関係性なき関係デッチアゲで・・・

プーチン批判のライオットガールズバンドが「鞭で打たれて」と時代錯誤の中に見える

可能性=一瞬の閃光=反復している内に一瞬だから反復に見えない創造というのが

しかして多形倒錯で生まれ、それを無意識に原抑圧して、時折、自身の根本的欲望

=倒錯に対する関係への刷新昇華=構造言語化=主体の現れという

(自我という妄想と距離を取った確固たる位置=一に地を占める)こともありうるのかも

という、書店もそういった「出会えないことが出会えること」に鳴り得る、その原因を握る、

主人とは奴隷の奴隷である・・・つまり主人では無く、媒介=対象の役割は侮れない

という媒介的可能性の書店=舞台=劇場=音楽=文学を探して見たかったのですが

鞭との換喩=倒錯で小社新刊「奴隷祭」しか思い浮かびませんので、今回どんな音楽で

いいのか、早く帰りたくなったので、これ、催眠=倒錯でごまかし・・・(玉崎)

 

 

何故か顔は忘れない…

2014 年 2 月 18 日 火曜日

子供の頃の私は、体は大きかったのですが、性格は大人しくて引っ込み思案で、恥ずかしがり屋で、絶対に営業マンなんていう仕事をするなんて夢にも思わなかった人間だったのですが、出版社で営業マンという仕事に就いて、気が付けば14年ほどの月日が流れ、まあ本当に…自分でも驚きです。

今では営業が天職だったと思う瞬間もあるほどです(といっても基本的に今も根本は変わらず、恥ずかしがり屋で不器用な営業ですが…)。
そんな自分の特技というか、唯一人より勝っていると感じた特性を、営業マンになって初めて見つけることができました。

それは…「人の顔を覚える力が他より秀でている」ということでした。

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出版は文化事業か?

2014 年 2 月 13 日 木曜日

古い話になる。

まだ信濃路の高速道路も無い時だった。甲州街道をひた走り、甲斐の国から八ヶ岳を右手に認める辺りから中信に入る。
その書店は、諏訪湖に近い国道より一本裏手の街道に古書店と見間違うほどの本屋さん、だったと思う。いささか記憶に揺らぎがあるが、なぜそんな古ぼけた書店を訪ねたのか。店主は、東京の出版社で本造りをしていたが、親元の事情で帰郷して本屋をやっている。チョッと癖のある親父だが、との話を小耳に挟み、顔を出してみたいと思ったのだろう。
「出版は文化事業と思って、図に乗っていたら大間違」「そんな、大したもんじゃないよ」、キツイことばで立て続けにいわれたことが、記憶の闇から聞こえてくる。

いま、「いい本、本当に読みたい、読んでもらい本」を、この手で、この小さな出版社で1冊でも、造り続けていくことが、これに応えることなのだと、思う。

こちらも、気づけば、あの親父さんと同じ年ごろに、なっていた。

(力丸@)

今から直納というところです。

2014 年 2 月 12 日 水曜日

またも当番制となり、最近は、ほとんど書店に出てないので、この枠上、書けるかどうか

冷や冷やしていましたが、新刊でサイン本を直納する本があったので、書くネタが

できてホッとしています。

その本のために見本日前日に伺ったK書店横浜店のSさんにチラシ見せたら

「お…御社、こんな本出されるんですね!?」

という対応で、やはりライトノベル(軽々しくて謎めいて魅力ある新文学!?)は、

ずーっと連合赤軍当事者の証言の社のイメージが強かった当社から出るとは

とても思えないようなジャンルのようです。

題して『桜坂恵理朱と13番目の魔女』(読み方は〈さくらざかえりす〉)・・・

「・・・僕はふたたびELISの端末を身につけ、さっき送られてきたメッセージに

目を走らせた。「王女の体」というのは、立川北駅で殺された、桜坂恵理朱という

少女のことだろう。とすると、「白き金剛石の剣」というのは、彼女の胸に刺さっていた

鍼のことだろうか。問題は、そのあとである・・・」などと中身検索してみましたが、

ライトノベル棚がある書店では、店の売上の柱にすらなっているというお話も

横浜近辺でお聞きし、小社では珍しい「リアル書店で本が動く可能性ある商品」

のようでした。という訳で、今から直納行ってまいります。(玉崎)