書店をたずねて三千里

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焼き鳥のかしわ、じゃなくて仕事の為になる 歌詞は!?

図書新聞の2014年7月12日(3166)号柏書房の冨澤凡子社長の記事が載っていて

(出版社と図書館をつなぐシリーズで海老名市の図書館での講演)、記憶が自分に残りました。

概要を書いてしまうと、業界には編集で入ったがある社に6年、またある社に6年ときて、

「物足りなかったのが、営業の力。面白ければ売れる、内容が良ければ売れると営業は

言うが、大切なのは「売れる」ではなくて「売る」ことなのではないか。そこで一人でも

多くの人に本が行き渡るダイナミズム(・・・ネット辞書で・・・dynamism1 そのものがもつ力強さ。

迫力。2 機械や人間などの力強い動きを表現しようとする芸術上の主義。未来派によって主張された。

引用者付加)に身を投じたいと考え・・・ゲーム攻略本のアスペクト、医学書と絵本の西村書店、

啓蒙書・ビジネス書の三五館、著者との共同出版の文芸社・・・(を営業職で渡り歩き、

当時の柏の会長からウチでそれをやってくれと)柏書房に」戻って、「今、社長という立場に

あって、ようやくどんな本をつくっていかなくてはいけないのかというのが見えてきた気がする。・・・」

という導入から、現在行っている「古文書学習講座開催」による、地域の歴史=その土地の人という

テキスト(学習欲に沸く定年後の高齢者という存在≒文化の高まり)、と図書館、書店、出版社が

どう関係性を再構築し、「売れる」ではなく「売る」か・・・という大雑把な内容でしたが、営業が、

「内容が良い=売れる」認識から、「内容ではなく空虚=売る」にどう達するか、空虚という構造を

支配する認識が、いかに営業≒社長に必要か?と言っているのか、と、そんな認識で受け止めましたが、

確かに、白夜書房の名物営業の方、「内容より売行きデータ(数)のみ」と著書でおっしゃっていた気が

しますし、やはり「売る」というのは、一切の無意味の引き受けと、当然無意味なのだから、いつ給料

でなくなっても文句言えない、だって努力も根性も初発の前提として「無意味なのだから」と、

その無意味(「無」といっても、無を無として「意味づける」無という有意味でしかなく、「完全な無」に

達することはおそらく人間に不可能なのでしょうが)をどう位置づけるかが、売る=プロテスタントの精神

??ということを実現するために身に着けなくてはならない技術考察だ、ということのようです。先に書いた

「空虚」の身に付け(躾)という語≒誤?は、小社が広告を出した青土社の「ユリイカ 2014.07号

特集 ガルシア=マルケス―『百年の孤独』は語りつづける」のP60にこんな記述があったからです

(・・・結局、いくら資本主義を激しく批判しても、最終的な結末は、資本主義の勝利に終わるのである。

その理由は、何度も書いたが、実に簡単明瞭な話である。資本主義とは、ただの空虚だからである。

・・・呆れるほどの空虚に対して勝てる者など、この世の中にいるはずがない。・・・)というわけで、

「売れる」と「売る」の区別、職務上身につけなければならないわけですが、まるで身についてない

ので、難しいですが、もしその空虚を持てないなら、「あの世=彼岸=異相夜??=無?」において

眼差すしかないのでしょうが、今日はそんなところに、仮初至るかもと想像できる曲(夜だから太陽輝く

って無い・・・の横滑りであっても、ちゃんと蠢くもの自分のものにしようという雰囲気は若干あるかもしれない、

そんな曲???)(玉崎)