書店をたずねて三千里

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さて、何を書きませう

帰りたくなったところで、当番ですので、何か書かねばなりません。

今日は、どんな曲がいいか探しているところです。

来週の月曜日が、三島由紀夫評論 の見本出しですので、その紹介

でもして、かつてアメリカとの距離と関係性で懊悩し、20年後には、

むしろアメリカよりアメリカらしくなった日本を逆輸入して、

強迫核=ハードコア バンドで、やりきれなく息切れしていた

幼少時に耐え難い性虐待を受け、やり過ごすために、スクール

時代は、薬で心を麻痺させて生きてきたというの紹介をして見ましょう。

両者とも『「男道」を貫いた』と、見る人の都合=科学に合わせて、

デッチアゲ認識を、感動(ロマン)とともに、構造的前提としての

誤認に、もっとも崇高な正認を見る「男派閥=共同体」を

作らさせれてしまったお二人という感じです。

この「男」=「女々しさ」と同義であるところを、音楽=文学雑誌の1992?の

皆さんは「男の中の男」などど、自分だけが信じたいのに、他の人も

そうだ、と断定=でっちあげ人生を生き、もっともロリンズさんの方が、

時代が進んだ分、より「実質=現実」に近い認識に進んだ気がしますが、

結局、誠実にしかしやはり不誠実にならざる得ない、苦しさ=逃げを

感じる、痛ましいところですが、小社新刊から引用してみます。

「・・・そこで重一郎は、「人間どもの想像力」を利用して、「水爆戦争後

地球」を眺めさせ、「おそろしい無機的な恒久平和」を、「現在の心の

瞬間的な陶酔の裡に味ははせてや」ろうとする。こうした重一郎の

行為は、アメリカのように具体的な「平和」のイメージを生活上で

もたない「日本」においては、「人類の滅亡」というヴィジョンに対する

想像力のみが、「平和」に繋がる唯一な道であるという確信の上で

成り立っているのである・・・」という、より醒めた認識に至りたければ、

故意に、最悪の状況に自らを置き、その一切と対峙しなければならぬ、

という方法なのか、いずれにしても、またまた帰りたくなってきたので、

引用も不適切な文との関係になっておりますが、今日はこの辺で・・・

いや、もう一言、上記の音楽雑誌では、ブルースラパポートだが

なんだかの欧米人だけが、「男バイアス」無く、ヘンリー・ロリンズの詩

が、とても現実を見据えていてクールで素晴らしい、と、日本の

評論家がサウンド評価だけだったところ、歌い手の内面まで評価

していたのが、印象に残っていたもので、いつか採り上げようとは

思っていて、今回、不十分にも取り上げたわけでした。

では、その曲で・・・(玉崎)