書評・広告掲載本

最新の記事5件

このコーナー内を検索

月別一覧

『100年の残影【西部の写真家・松浦 栄】』が「早稲田学報」(12.2月号)にて紹介、「日本経済新聞」(11.11.10付)にて著者とともに大きく紹介、「公明新聞」(11.10.30付)にて大きく紹介、「COMMERCIAL PHOTO」(11.10月号)、「週刊カメラタイムズ」(11.9.6・13号)、「北海道新聞」(11.8.21付)、「週刊朝日」(11.9.2号)、「毎日新聞」(11.7.17付)、「アサヒカメラ」(11.7月号)にて紹介されました!!

978_4_7791_1636_0.jpg

よみがえる100年前のアメリカ西部の姿!
“フランク ”と呼ばれた稀有の写真家の足跡を追ったフォトドキュメンタリィ。
収録写真290葉(内松浦栄の100年前の写真96点)

「ワセダが首相を輩出するという以上にぼくが誇るのは、栗原達男という硬骨の写真家を同窓に持ちえたことだ。一個の人格が、ことの大小や貴賎を問わず、人間としての役割を、それぞれ誠実に果たしながら生きている姿を、激しく、静かに追う栗原―。そのおおいなる達成のひとつこそが、アメリカの辺境に悠々と生きた、明治生まれの写真家・松浦栄を写真と文で描いた、この作品である。」(「早稲田学報」12.2月号より)

「オカノガンはもう20回以上訪れている。松浦の被写体になった人物にも会うことができた。行くたびに、彼がいかに町の人々に愛されているかを教えられる。カメラをぶら下げて歩いていれば、「フランク!」と声がかかることがある。ボランティアの手で、町のあちこちに防水加工した大きな写真が14枚飾られている。もちろん、松浦が写したものだ。彼は人々の心の中にしっかり染み込んでいる。」(「日本経済新聞」11.11.10付より)

「出版不況の現在、何度もあきらめようと思った。しかし、オカノガンへ行く度に、人種を超えて、開拓地の末裔の人達がフランクの写真、そして人間性に対する思いを募らせているのを肌身で感じて思い直した。写真集の帯に作家の半藤一利氏が、松浦栄と私、そしてご自身の3人が偶然にも向島生まれの同郷であることに触れておられる。来年5月、向島の地に東京スカイツリーが開業するが、松浦はこの地から単身米国へ渡った。2013年6月はフランク・マツーラの没後100周年だ。“小さな日本人写真家”の評価がワシントン州に留まらず、合衆国で年々高まる一方だ。」(「公明新聞」11.10.30付より)

「1901年、27歳で単身渡米し、開拓地の人々やインディアンの写真を残した松浦栄。39歳で客死した、松浦の人生と写真に魅せられた写真家・栗原達男。本書は、栗原が29年かけて追った松浦の痕跡をまとめた写真集だ。」(「COMMERCIAL PHOTO」11.10月号より)

「栄はカナダ国境に近いオカノガンに写真館を開き、白人、先住民の隔てなく写真にした。明治の日本人写真師の貴重な記録である。」(「週刊カメラタイムズ」11.9.6・13号)

「松浦は1873年(明治6年)、没落した旗本与力の家に生まれた。27歳で単身渡米。開拓地やインディアン居留地などに出入りし、数多くの生活風景を撮影した。39歳で客死。ユーモアあふれる誠実な人柄だったといい、「フランク(素直で裏表のない)・マツーラ」として、今なお地元の人に愛されている。」(「北海道新聞」11.8.21付より)

「栄は1873年、東京・向島に生まれた。明治維新で没落したが、旗本与力の家系である。1901年、27歳で単身渡米し、シアトル、そして山奥のオカノガンへ。写真スタジオを開いた彼は、カウボーイや駅馬車、競馬、自動車など、開拓地の息吹を感じさせる写真を撮り続けていった。」(「週刊朝日」11.9.2号)

「開拓地の人々が集う日曜学校やピクニック、草野球の情景。あるいは背広姿の誇り高きインディアン青年。そしてリラックスした小柄な「自写像」。三十九歳の若さで客死した松浦の写真集をいつか世に出す夢が、ようやく結実した。」(「毎日新聞」11.7.17付より)

「松浦の写真には、先住民とヨーロッパ人やアジア人が結婚したり、テントから「家」に定住したりしてゆく過程が写っている。馬と車が、先住民とカウボーイが街角を行き交う。まさにアメリカ西部の近代化の交差点である。西部開拓の余韻がまだまだ残っていたことを、写真特有の具体的な記録性によって体感することができるのだ。」(「アサヒカメラ」11.7月号より)