あてにならないおはなし 識字・語り・場所・いのち

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あてにならないおはなし 第7回

2020 年 5 月 15 日 金曜日

第7回 「故郷のことばを手繰りよせて」

阿部寛

 

寿識字学校で人生の岐路(分かれ道)に立ちながら、行く方向を探しあぐねていたとき、わたしの背中をぐっと押してくれる出来事があった。毎週金曜夜に識字学校に通い、何とか上手に文章を書こうとばかり努めたものの、書き出されることばは、からだの奥深くにある実感とはかけ離れた、よそよそしいものばかりだった。

識字学校に通って半年も経ったころだろうか、主宰の大沢敏郎さんから「阿部さん、ふるさとのことばで書いてみないか」と助言をもらい、戸惑いながら書いてみた。

なにせ、学校教育の中でふるさとのことばで書くということは、体験がないし、タブーでもあった。

ふるさと山形県新庄市のことば・新庄弁は、わたしを育ててくれた原初のことばだ。だが、それは話しことばとしては使い続けてきたものの、書きことばとして活用してきたことはないのだ。さあ書こうと思い立っても、ことばが出てこない。さらに、新庄弁の発音を正確に復元する文字表記がないのだ。例えば、O(お)とWO(を)とWHO(うぉ)の間には微妙な発音の違いがある。E(え)とYE(ゑ)とWE(うぇ)も同様だ。それ以外にもドイツ語のウムラウト(¨)ような発音もある。また、「し」は「す」で、静音が濁音になることもしばしばである。 (続きを読む…)

あてにならないおはなし 第6回

2020 年 4 月 15 日 水曜日

第6回 「愛すべき伝説の男」

阿部寛

 

人生は、出会いの縦糸と別れの横糸が織りなす織物だ。どれ一つとして同じ色柄はない。私の織りの基調は、20歳代後半、ある男との出会いによって劇的に変化した。

 

遠方から大きく手を振って近づいてくる男がいる。赤のベレー帽に紫のダボシャツを着て、首には大きな望遠鏡をぶら下げている。

 

「どっから来たと? 何しに来たと?」

 

何とかこれだけは聞き取れた。奇妙ないでたちだが、ニコニコした笑顔と愛嬌のある瞳から、悪い男ではなさそうだ。

この男の名前は、中西清明。寿町を初めて訪問した日、最初に声をかけてきたのがこの人だ。寿町への来訪者を監視するのが役割でもあるかのように、愛用の望遠鏡で新参者を見極め、わたしに声をかけてきたのだ。 (続きを読む…)

あてにならないおはなし 第5回

2020 年 3 月 15 日 日曜日

第5回 「寿町に咲くムグンファ(天の花)」

 

阿部寛

 

金孟任(キムメンニム)さんは在日一世。18歳で日本に来た。本当は勉強したかったが、両親からは「旦那さんを神様だと思って暮らせ」と言われ、勉強をあきらめた。以来50数年、寝る間も惜しんで働き、子どもを3人育て上げた。いまは、寿町でドヤを経営し、食料品店を商っている。そして、幼い頃からの夢だった勉強を寿識字学校で叶えた。 (続きを読む…)

あてにならないおはなし 第4回

2020 年 2 月 15 日 土曜日

第4回 「自分のことばが欲しい」

阿部寛

 

日本の3大ドヤ街(日雇労働者の簡易宿泊所街)の一つ、横浜・寿町にある寿識字学校に初めて参加したのは、1984年春だった。毎週金曜の午後6時から9時までの3時間、寿生活館2階の部屋で開校されていた。「寿識字学校」という手書きのボードが下がるドアをノックすると、識字学校の主宰者・大沢敏郎さんが床をモップがけし、机とイスをていねいに布巾で拭いていた。簡単なあいさつをし、掃除の手伝いをした。

午後六時を回ると、寿町で暮らす日雇労働者や障害者、寿地区外から出かけて来る大学生や市民などが、ぽつりぽつりと集まってきた。大沢さんは、学習者一人ひとりに声をかけ、温かいお茶を振る舞いながら、用意したたくさんの詩の中からそれぞれの学習者に応じた一篇の詩を選び出し、手づくりの原稿用紙(縦罫線の稿用紙)を差し出していく。学校教育では、詩の意味を読解し、感想を書くのが一般的な学習方法だが、識字学校では詩から呼び覚まされた日々の暮らしや人生の具体的出来事を綴り、自身の生き直しをめざしていく。つまり、「識字」とは文字を獲得することにとどまらず、世界を取り戻していく営みなのだ。 (続きを読む…)

あてにならないおはなし 第3回

2020 年 1 月 15 日 水曜日

第3回 「野宿者襲撃事件と寿識字学校との出会い」

阿部寛

今回は、わが人生のライフヒストリーを28歳まで先送りして、本連載の副題にもなっている「識字」との出会いについてふれたい。
横浜市役所や横浜スタジアムのすぐそばに寄せ場(日雇労働者の就労斡旋と簡易宿泊所街)「寿町」がある。東京・山谷、大阪・釜ヶ崎とともに、日本の高経済成長を支えてきた、日雇労働者の街だ。
1982年から1983年にかけてこの街の周辺で野宿生活を強いられていた人々が、十代半ばの少年たちによって襲撃され、3人が殺害され、多数の人々が重軽傷者を負う殺傷事件が続いていた。

 

実は、かなり以前から野宿者に対する暴力や襲撃は日常的に繰り返されていたが、警察の捜査も遅々として進まず、マスコミの報道もなかった。 (続きを読む…)

あてにならないおはなし 第2回

2019 年 12 月 15 日 日曜日

第2回 揺るぎない信頼は恐ろしい

阿部寛

連載第1回の文章に対してうれしい反響があった。その一つを紹介しよう。
神奈川県厚木市で25年間続けられている地域人権学習会ぼちぼちのみなさんからのメールだ。被差別部落でくらす小学生2人、中学生1人とわたしの4人で始まった学習会は、その後不登校経験者、台湾にルーツを持つ若者、精神障害者、ヴェトナム難民、ブラジル移民、発達障害者も加わり、識字・ミーティング・人権学習を3つの柱とする学習会となった。
現在は、かつて小中学生だった創設メンバーが、30歳代半ばとなり、「ぼちぼち」を牽引している。そして、先日の勉強会で私の第1回目の文章を読み合わせ、「幼稚園のときの私」をテーマに綴り、語り合ったという。識字やミーティングが、生活習慣となっている彼らの学びに心底感動し、励まされた。 (続きを読む…)

あてにならないおはなし 第1回

2019 年 11 月 15 日 金曜日

第1回 口上 〜滞ることば、苦い記憶〜

阿部寛

 

ことばは、多様な顔立ちをもつ魔物だ。幼い頃のことばの記憶は、かなりにがい。色あせた写真の中のわたしは、口を半開きにしてぼーっとしていて、なんだか頼りない。人見知りで、他人(ひと)前ではほとんどしゃべらなかった。

「不登校」という現象が研究され始めたのは1950年代末かららしいが、その当時は「学校嫌い」「登校拒否」と表現されていた。それに倣えば、わたしは「不登園」「幼稚園嫌い」ということになる。

幼稚園の担任が、毎朝自宅までお迎えに来て、おんぶされながら泣き泣き登園した。しかし、担任の努力の甲斐なく昼間には「下園?」する始末だ。なぜそれほどまでに嫌うのか。いじめられていたのか。虚弱体質だったのか。いろいろ考えてみるが、わからない。
つい最近、長年の謎に有力な答えを見つけた。 (続きを読む…)