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第8回 著書を出版することの難しさ
──さかぐちとおる(『ラテンアメリカ鉄道の旅』 )

●サラリーマンを辞めて20代後半でデビュー

 

私は2000年8月に『キューバ音楽紀行』(東京書籍)を出版した。

その約1年半前まで放送局の関連団体で新卒職員として働いていたものの、

業務内容としては一般的な事務職のサラリーマンだった。理想を描いていたジャーナリズムの現場の仕事ではなかったので、

約4年後に退職してしまう。

無職生活の間にバックパックを背負って中南米や南欧を旅して、

自己流ながらインタビューや写真撮影など取材技法を身につけていった。

たまたま2000年という年は映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が日本で上映され、楽団も来日公演。

そんなキューバ音楽の思わぬブームに乗って、自著『キューバ音楽紀行』が出版実現できたのである。

私はこの時は弱冠28歳。若さの勢いでフリーランスの著述家として活動すべく、

出版社や編集プロダクションに売り込んで営業し、多岐に渡って仕事を求めた。

スペイン語、ポルトガル語、英語での取材ができることから、

海外の旅行ガイド誌の業務を中心に請け負うこととなる。

取材記者だけでは短期の仕事だが、編集まで引き受けると短くても3か月、長いと半年くらいの仕事になる。

生計を立てるべく、編集者として仕事を主業として、一方で各雑誌の編集部に売り込んで記事を書いた。

範囲としては欧州ではスペインとポルトガル、そしてスペイン語、ポルトガル語が使われている

ラテンアメリカ諸国へ何度も渡航した。

経費が出る旅行ガイド誌の仕事の一方、自費取材で南米諸国を回った。

題材としては音楽、伝統舞踊、祭りなどに関心を持ち、世界遺産の古都や遺跡も取材。

そして自然景勝地に感動し、野鳥をはじめ動物写真も撮影するようになる。

その一方で、少年時代に興味のあった鉄道の乗車や撮影も欠かさなかった。

 

●12年間も著書が出せなかった30代の不遇

 

こうして旅行ガイド誌の仕事をしつつ、ラテンアメリカ諸国を渡航して各地を取材。

そして自分で売り込んで雑誌に記事を書いたり、写真を提供して掲載してもらったりしたものの、

単行本の企画がなかなか通らない。

話を聞いてくれた編集者が個人的に興味を持っても、営業会議で売れないと判断され企画が没になってしまう。

企画を出版社に出して半年以上待たされた末、最終的に提案が通らなかったということもあった。こうして何年もの年月が過ぎていく。

全20か国近いラテンアメリカ諸国はほとんど踏破し、各地での取材は満足の行くものだったが、

 

その成果を発表できる媒体が雑誌やネット記事に限られ、著書としての作品ができない。

こうして私は30代に著書が出せないという不遇の時期を過ごした。

ある意味で運命の巡り合わせだったのだろうか。ダメもとで出していたメキシコの企画が通って、2012年10月に

『メキシコー世界遺産と音楽舞踊を巡る旅』(柘植書房新社)を出版した。私がちょうど40歳の時だった。

『キューバ音楽紀行』の出版から12年後に、念願の2冊目の著書を世に出すことができたのである。

著書を多数出している友人のカメラマンから「2冊目を出したら、その勢いで3冊目は行けますよ」と励まされた。

その友人が一緒に仕事をしているデザイナーから、彩流社の編集者出口さんを紹介される。そして他社で没になった

『ラテンアメリカ鉄道の旅』の企画書を見せると、出口さんはとても興味を持ってくれた。

『ラテンアメリカ鉄道の旅』の企画は、他社では類書がなく売り上げの判断ができないということで没になった。

しかし出口さんは「類書がないことを強みに企画を進めてみましょう」と尽力してくれた。

当初この企画は、鉄道に特化した単行本を想定していた。しかし出口さんからは「文化的・社会的要素をふんだんに盛り込み、

ご自身の気持ちを読者が共感できるような文芸書にしてください」と助言された。

そして結果的に300ページを超える大作となり、著者の私自身、とても満足の行く作品を書き下ろすことができたと思う。

そして次は4冊目が近い将来に出版できるように、大きな構想を練っている。

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*小さな蒸気機関車が観光列車を牽引する世界最南端の鉄道(アルゼン
チン)
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*曲がりくねった峡谷地帯を走るチワワ太平洋鉄道(メキシコ)

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さかぐちとおる公式サイト

http://www.sakaguchitoru.com/