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第26回  増殖するテクスト
──武田悠一(『フランケンシュタインとは何か──怪物の倫理学』)

 メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』は増殖するテクストだ。200年にわたって増殖し続け、そして今も増殖している。今度出版されたわたしの『フランケンシュタインとは何か──怪物の倫理学』の内容をひと言で要約すれば、こういうことになるだろう。その増殖ぶりについて語っている本書もまた、そうした増殖の一部にほかならない。そうした増殖ぶりを知らない(あるいは気づいていない)人たちのために、こんなのも、あんなのもあるんだと書き綴ったのが本書なのだが、その増殖ぶりを知っている人たちには、あれもこれもあるのに、なぜそれが書かれていないのだ、となるだろう。さまざまな批評を生み出し、舞台から映画、漫画、アニメ、ゲームに至る翻案や二次創作、盗作まがいの流用からパロディ、とんでもないゲテモノまで、ほとんどありとあらゆるテクストを増殖させてきたのが『フランケンシュタイン』であり、その増殖ぶりを網羅することなどとうてい不可能である。本書が示しているのは、その一端にすぎない。

 本書の校正がやっと終わったころ、ある友人からのメールで、バーバラ・ジョンソンがメアリ・シェリーについて書いた本が出版されたことを知り、さっそく取り寄せて読んでみた。

 今から35年前、当時「イェール学派」と呼ばれた批評グループの中心人物4人(ハロルド・ブルーム、ポール・ド・マン、ジェフリー・ハートマン、ヒリス・ミラー)にジャック・デリダを加えた5人が、パーシー・シェリーの詩「生の勝利」をめぐって書いた論考を一冊にまとめて出版した(『ディコンストラクションと批評』)。この本は、アメリカの批評界を席巻することになる脱構築(ディコンストラクション)のマニフェストとして読まれることになるのだが、イェール大学のかつての恩師であり今は同僚として働いている5人の「男性」文学者たちの本の出版を横目で見ながら、バーバラ・ジョンソンは何人かの「女性」文学者たちと、この本の「姉妹版」を出そうと話し合ったという。この姉妹版は、「ディコンストラクションの立場に立ちつつ、女性の側からの異議申し立てと宣言を行なうもので、その際、議論の中心にすえるのは(……)パーシー・ビッシュ・シェリーの「生の勝利」ではなく、メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』であった」(バーバラ・ジョンソン「ジェンダー理論とイェール学派」『差異の世界──脱構築・ディスクール・女性』所収)。結局、この姉妹版、『〈ディコンストラクションと批評〉の花嫁』が書かれることはなかったが、メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』はその後フェミニズム・ジェンダー批評にとって特権的なテクストとなっていく。ジョンソン自身、「わたしの怪物/私の自己」という決定的に重要な『フランケンシュタイン』論を書いて、フランケンシュタイン批評を活性化し、増殖させた。そのジョンソンが2009年8月に亡くなる直前に完成させたのが、出版する予定だった原稿「メアリ・シェリーとその仲間たち」(“Mary Shelley and Her Circle”)であり、これにジョンソンがメアリ・シェリーと『フランケンシュタイン』をめぐって生前に発表した3つの論文を加え、さらにキャシー・カルースの「まえがき」とメアリ・ウィルソン・カーペンターの「イントロダクション」、ジュディス・バトラーとショシャナ・フェルマンの「あとがき」を付けて一冊の本として出版されたのが、_A Life with Mary Shelley_ (Stanford UP, 2014) である。

 バーバラ・ジョンソンの新しい本を、わたしが自分の本を書く前に読んでいたら、当然何らかの形で言及すべきであっただろう。しかし、そんなことを言いだせばきりがない。フランケンシュタイン・テクストは今も増殖中だからである。映画だけに限っても、わたしの本でもふれた『アイ・フランケンシュタイン』(今年の1月全米公開、日本では9月初めに公開された)をはじめとして、ジェイムズ・マカヴォイがハリー・ポッターのダニエル・ラドクリフと共演するフランケンシュタイン映画の公開が予定されており、エル・ファニングとソフィー・ターナーがメアリ・シェリーを演じる二本の映画の製作も決まっているという。じつを言うと、『アイ・フランケンシュタイン』にかんしてネットで見た断片的な情報から、わたしはこの映画が「ゲテモノ」に違いないと決めつけ、公式サイトで「全米でのDVD販売数が『アナと雪の女王』を超えてNo.1」と宣伝されているのを見て、「うそだろう」とつぶやいていたのだが、実際に見てみると意外にちゃんとしたオーソドックスな映画だった。天使と悪魔の闘いという古くさい物語の枠組みで語られているが、逆に言えば、フランケンシュタイン物語は、こうした古くさい枠組みで語られてもアピールする力があるということだ。フランケンシュタイン物語はこれからも増殖し続けるだろう。

 『フランケンシュタインとは何か』という本書のタイトルは、担当編集者の発案である。最初わたしは「怪物の倫理学」をメインタイトルとして考えていた。だが、これでは何の本かわからない、「フランケンシュタイン」をメインタイトルに入れるべきだということになって、わたしは「『フランケンシュタイン』をめぐって」を提案したのだが、これもいまいちということで、最終的に「フランケンシュタインとは何か」に落ち着いた。今ではこのタイトルで良かったと思っている。〈フランケンシュタイン〉は、メアリ・シェリーの小説のタイトルであり、その中で怪物を創造する主人公の名前であり、またフランケンシュタインによって創られた怪物の名前(として間違って流通している)であり、その怪物をめぐって語られる物語のことでもあり、要するに、メアリ・シェリーが書いた小説から増殖してきたテクストの総称だからである。『フランケンシュタインとは何か』は、そういう意味での〈フランケンシュタイン〉について書かれた本のタイトルとしてふさわしいと納得している。

 最後に、本書のカバーについて。カバーに、ウィリアム・モリス工房のジョン・ヘンリー・ダールのデザインを使いたいと言ったのはわたしである。本の内容と関連性があるわけではないが、この「チューリップとネット」は、その色調や雰囲気が本の内容に合っているような気がしたからだ。もちろん、こういう形に仕上げてくださったのは、デザイナーの桐沢裕美さんである。このカバーもわたしはとても気に入っている。

◉『フランケンシュタインとは何か──怪物の倫理学