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第27回  作品は海を越えて台湾の土に…
──鈴木れいこ(『台湾 乳なる祖国──娘たちへの贈り物』)

2014年明けて早々、彩流社から『台湾 乳なる祖国 娘たちへの贈り物』を出して頂いた。

早くも9月、中国語の翻訳本『南風如歌』(蔚藍文化)が、台湾の店頭に並び、邱慎さんの上質な翻訳の力もあって、作者があれよあれよと思っている間に、作品は海を越えてあちらの土に馴染んでくれている。

台湾で販路が広がりつつある背景を一言でくくると、時代の移りぎわの、スポンと抜けていた隙間を、『台湾 乳なる祖国』が埋めた作品だったのではないか、と今にして思っている。

既刊の台湾現代史の研究書や、敗戦までの50年間の日本統治時代の記録などは、多く出版されているが、敗戦から蒋介石軍の進駐をみるまでの、台湾の様子を一人の日本人の少女の目を通してみたのはまれなのだろう。

敗戦とともに、50年の統治を終えた日本が台湾を去り、代わって国民政府軍が大陸からやって来た。日本の統治から解放され、いざ漢民族の同胞を迎えたと狂喜した台湾人は、雨傘を背嚢にさし、天秤棒を担いで進駐をしてきた兵隊たちを見てどれほど失望したことだろう。加えて、彼等の贈賄と汚職が当たり前の末端の行政に、落胆は募っていく。

1895年に日清戦争の終結による下関条約で、清国から割譲された台湾に、日本は痛ましいほどの努力で、インフラを整備し、教育に力を注いで、推測をしてみれば、多分、「われらのユートピア」を目指して、公私ともに努力を続けたことになる。植民地政策ではあったが、社会環境の整備と優れた教育行政の恩恵を受けた人たちに、日本への再評価が高まったのも当然の成り行きだった。ひそかに台湾独立を願う人たちが動き始め、ここに1947年に起こった2.28事件をきっかっけとした36年間に及ぶ戒厳令が始まる。

白色テロは、日本の最高學府で学んだ学者や学生たちを、大変な勢いで殺戮した。当時の台湾人の人口が600万人だったそうだから、約200人に一人の計算で、2万8000人が殺されたときく。

徹底した反日教育をうけ、言論統制や社会の変革に巻き込まれて、当時の祖国の実態を知りたかった人たちが、長じてそのあたりに興味を示してくれたことも、台湾で読まれる理由の一つであろう。台湾で行われた読者の懇談会やサイン会に集まってくれた人たちの、真剣で好意的な明るいまなざしを私は忘れられない。

目を閉じれば私の生きた80年の年月は一瞬のように思われるが、今回台湾を訪れて、改めて私は80年も経つ歴史の流れの隅っこにいた存在なのだ、と気づき、ならばこの作品を書くことを後ろから押してくれた、亡くなった両親、とくに台湾に骨を埋める覚悟で事業を展開した父も連綿と続く時の流れの一コマで、こうして人は命を繋いでいくのだという実感がある。

私は自分の終焉を、西東三鬼の『暗い沖へ手をあげ爪立ち盆踊り』という俳句にひそかに重ねていたけれど、書き終えて、この俳句とは全く対極の明るい終を想うようになっている。

訪れた台湾は、地方に行くと空は澄み稲は波打ち、人は優しく、なんとなく私に再生の

予感を与えてくれている。80歳にして再生とは…。

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左が彩流社刊の原書『台湾 乳なる祖国』。右が台湾で翻訳されて蔚藍文化さんから刊行された『南風如歌』