ほんのヒトコト

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第22回 「世界の人は、皆同じ! 」
──アルバン・コジマ(『加山雄三と音楽の魅力――その独創性の秘密』)

ひと月ほど前に彩流社から出版していただいた『加山雄三と音楽の魅力』は、米国人である私にとって、初めて活字になった日本語の著書です。ペンシルヴァニア大学で25年ほど日本学研究文献情報学の仕事をしていたこともあり、数編の学術雑誌に記事を書いたり仕事のレポートを英文で書いたりしていたものの、日本語で本を出すということは夢以外のなにものでもありませんでした。夢と現実との落差をはっきりわきまえ、現実の生活のみに精神を集中して生きてゆくことは、ある意味においては常識であり、人生の〝美徳〟とさえ考えられる生き方ではないでしょうか。しかし、人生は、夢でしかないとわかっていることでも、目にみえない何かに押されるようにしていつのまにか現実の生活の一要素として作業を始めている、ということはあるものです。そうです——〝目にみえない何かに押されるようにして〟です。そして、それが突然花を咲かせ、自分の人生のうちで最も重要な仕事となることもあるのです。私の日本語の執筆活動も、この例にもれません。それだけに、彩流社から送られてきた航空便を開けて本を手にした時の感動は、一生忘れることのできないものとして私の心に熱く焼きついています。その瞬間は自分の感情を表現すべき言葉が見つかりませんでした。それまで、原稿と校正のゲラしか知らなかったところへ、突然、完成された本が、しかも人目を惹く豪華なカバーに包まれた本が、自分の手の中でひらいている——これは、たいへんなショックでした。どのページからも馴染の文章が目に飛び込んでくるのですが、それでいて不信感のようなものさえ覚えるほどでした。自分の思考が、これほどすばらしい「本」という形に変容され、存在し得ることを身を以て知ったのは、これが初めてのことです。このような尊い体験をする機会を与えてくださった編集者・茂山和也氏をはじめとする彩流社の方々には心から感謝いたします。

今回の本の出版にあたり、もうひとり忘れることのできない人がいます。少々長くなりますが、お世話になったこの方との出逢いについて、お話しいたします。2011年春に日本へ旅行をした頃の私には、「コネ」というものが全くありませんでした。ですから雄三(本ではそう呼びました)に会って話をしたくても、紹介状をいただける人がいませんでした。この旅行の直前にペンシルヴァニア大学図書館で『現代日本人名録』から写しとった「加山プロモーション」の住所と電話番号が、財布の中に三つ折りになっているだけでした。日本に着いた翌日その住所を頼りに銀座を歩き回り、ようやく事務所のある建物をみつけました。しかし、「加山プロモーション」という社名は、外の案内板には載っていませんでした。どうしたものかと思いをめぐらせていると、皺ひとつない灰色の背広を着こなした中年紳士が建物から出てきました。彼に住所をみせて、「加山プロモーション」はこの建物の中にあるはずですが、と訊いてみると、この紳士は「ええ、あのう、1年ほどまえにどこかへ移っていますよ」と快く応じ、一瞬私の顔を見つめてから丁寧に礼をして通りのほうへと去ってゆきました。

少々落胆しましたが、泊まっていた新橋第一ホテル・アネックスへ向かっている途中に、突然、「雄三がCDを多数出しているということは、彼はそのCDを出している音楽会社に所属しているはずだ」、ということが頭をかすめました。ホテルへ帰ってインターネットで検索し、ドリーミュージックが雄三の音楽会社であることをつきとめました。渋谷の住所も知ることができ、すぐに渋谷へむかいました。人になんど道順を訊いたかわかりませんが、ようやくドリーミュージックのビルを見つけることができました。幸いにも、ガッチリした体格の青年がビルへ入るところだったので、その青年にドリーミュージックは何階にあるのかと訊いてみました。彼は、「6階です。ボクも用事でそこへいきますから一緒にどうぞ」、と案内してくれました。エレベーターの近くの部屋では、頭髪をポニーテールにして腰のあたりまで垂らした青年が、長いテーブルにむかって仕事をしていました。「加山雄三についての原稿を書いているので、誰かに会って話をしたいのですが、よろしいでしょうか」と訊くと、この青年はすぐに制作部部長の森光夫さんを紹介してくれました。紹介状も持たず、いきあたりばったりで社に押しかけてきた私を、森さんは快く歓迎してくださり、応接室で1時間以上もお話をしてくださいました。それどころか、森さんはその場で雄三のマネージャーに電話をかけて、スケジュールを確かめてくださいました。雄三は、ちょうどコンサートツアーの最中でしたし、私も10日ほどでアメリカへ帰国しなければならなかったので、その時には雄三に会えませんでした。森さんとの再会は2012年の4月になります。 ドリーミュージックで彼に会いました。そのとき、4月14日の加山雄三コンサートの切符をアメリカからインターネットで購入しようとしたのですが、チケット取次業者からは連絡がなく残念です、と何気なく洩らす私に森さんは、「ホールで会いましょう。あなたのことを加山に話しておきますから」と、顔色一つ変えず、まるでそれが当たり前のことであるかのような語調で言ってくださいました。このような経緯で、神奈川県民ホールでの加山雄三コンサートを聴くことができ、楽屋で英語と日本語を混じえた会話を雄三と共に楽しむことができたわけです。

これは、『加山雄三と音楽の魅力』を完成させるにあたって私の経験した、心温まるアネクドーテです。森光夫氏に逢ったいきさつのすべては、彩流社から出たばかりの本を手にした瞬間と同じほど強烈な印象として、私の記憶のなかに生きつづけるでしょう。一面識もない人々の親切な行為、目立たない支援が、この本を完成させた原動力の一つであるからです。さりげない親切、心のこもった支援に国境はありません。本に描写された雄三の国際性豊かな大きな性格をつうじて伝えたかった、「世界の人は、皆同じ!」というメッセージを、読者の皆様が察していただければ、著者としてこれほどの幸せはありません。

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◉『加山雄三と音楽の魅力 その独創性の秘密 Kayama Yuzo and His Music:A Global Fascination

 

 

ひと月ほど前に彩流社から出版していただいた『加山雄三と音楽の魅力』は、米国人である私にとって、初めて活字になった日本語の著書です。ペンシルヴァニア大学で25年ほど日本学研究文献情報学の仕事をしていたこともあり、数編の学術雑誌に記事を書いたり仕事のレポートを英文で書いたりしていたものの、日本語で本を出すということは夢以外のなにものでもありませんでした。夢と現実との落差をはっきりわきまえ、現実の生活のみに精神を集中して生きてゆくことは、ある意味においては常識であり、人生の〝美徳〟とさえ考えられる生き方ではないでしょうか。しかし、人生は、夢でしかないとわかっていることでも、目にみえない何かに押されるようにしていつのまにか現実の生活の一要素として作業を始めている、ということはあるものです。そうです——〝目にみえない何かに押されるようにして〟です。そして、それが突然花を咲かせ、自分の人生のうちで最も重要な仕事となることもあるのです。私の日本語の執筆活動も、この例にもれません。それだけに、彩流社から送られてきた航空便を開けて本を手にした時の感動は、一生忘れることのできないものとして私の心に熱く焼きついています。その瞬間は自分の感情を表現すべき言葉が見つかりませんでした。それまで、原稿と校正のゲラしか知らなかったところへ、突然、完成された本が、しかも人目を惹く豪華なカバーに包まれた本が、自分の手の中でひらいている——これは、たいへんなショックでした。どのページからも馴染の文章が目に飛び込んでくるのですが、それでいて不信感のようなものさえ覚えるほどでした。自分の思考が、これほどすばらしい「本」という形に変容され、存在し得ることを身を以て知ったのは、これが初めてのことです。このような尊い体験をする機会を与えてくださった編集者・茂山和也氏をはじめとする彩流社の方々には心から感謝いたします。

今回の本の出版にあたり、もうひとり忘れることのできない人がいます。少々長くなりますが、お世話になったこの方との出逢いについて、お話しいたします。2011年春に日本へ旅行をした頃の私には、「コネ」というものが全くありませんでした。ですから雄三(本ではそう呼びました)に会って話をしたくても、紹介状をいただける人がいませんでした。この旅行の直前にペンシルヴァニア大学図書館で『現代日本人名録』から写しとった「加山プロモーション」の住所と電話番号が、財布の中に三つ折りになっているだけでした。日本に着いた翌日その住所を頼りに銀座を歩き回り、ようやく事務所のある建物をみつけました。しかし、「加山プロモーション」という社名は、外の案内板には載っていませんでした。どうしたものかと思いをめぐらせていると、皺ひとつない灰色の背広を着こなした中年紳士が建物から出てきました。彼に住所をみせて、「加山プロモーション」はこの建物の中にあるはずですが、と訊いてみると、この紳士は「ええ、あのう、1年ほどまえにどこかへ移っていますよ」と快く応じ、一瞬私の顔を見つめてから丁寧に礼をして通りのほうへと去ってゆきました。

少々落胆しましたが、泊まっていた新橋第一ホテル・アネックスへ向かっている途中に、突然、「雄三がCDを多数出しているということは、彼はそのCDを出している音楽会社に所属しているはずだ」、ということが頭をかすめました。ホテルへ帰ってインターネットで検索し、ドリーミュージックが雄三の音楽会社であることをつきとめました。渋谷の住所も知ることができ、すぐに渋谷へむかいました。人になんど道順を訊いたかわかりませんが、ようやくドリーミュージックのビルを見つけることができました。幸いにも、ガッチリした体格の青年がビルへ入るところだったので、その青年にドリーミュージックは何階にあるのかと訊いてみました。彼は、「6階です。ボクも用事でそこへいきますから一緒にどうぞ」、と案内してくれました。エレベーターの近くの部屋では、頭髪をポニーテールにして腰のあたりまで垂らした青年が、長いテーブルにむかって仕事をしていました。「加山雄三についての原稿を書いているので、誰かに会って話をしたいのですが、よろしいでしょうか」と訊くと、この青年はすぐに制作部部長の森光夫さんを紹介してくれました。紹介状も持たず、いきあたりばったりで社に押しかけてきた私を、森さんは快く歓迎してくださり、応接室で1時間以上もお話をしてくださいました。それどころか、森さんはその場で雄三のマネージャーに電話をかけて、スケジュールを確かめてくださいました。雄三は、ちょうどコンサートツアーの最中でしたし、私も10日ほどでアメリカへ帰国しなければならなかったので、その時には雄三に会えませんでした。森さんとの再会は2012年の4月になります。 ドリーミュージックで彼に会いました。そのとき、4月14日の加山雄三コンサートの切符をアメリカからインターネットで購入しようとしたのですが、チケット取次業者からは連絡がなく残念です、と何気なく洩らす私に森さんは、「ホールで会いましょう。あなたのことを加山に話しておきますから」と、顔色一つ変えず、まるでそれが当たり前のことであるかのような語調で言ってくださいました。このような経緯で、神奈川県民ホールでの加山雄三コンサートを聴くことができ、楽屋で英語と日本語を混じえた会話を雄三と共に楽しむことができたわけです。

これは、『加山雄三と音楽の魅力』を完成させるにあたって私の経験した、心温まるアネクドーテです。森光夫氏に逢ったいきさつのすべては、彩流社から出たばかりの本を手にした瞬間と同じほど強烈な印象として、私の記憶のなかに生きつづけるでしょう。一面識もない人々の親切な行為、目立たない支援が、この本を完成させた原動力の一つであるからです。さりげない親切、心のこもった支援に国境はありません。本に描写された雄三の国際性豊かな大きな性格をつうじて伝えたかった、「世界の人は、皆同じ!」というメッセージを、読者の皆様が察していただければ、著者としてこれほどの幸せはありません。