1945 年仙台市生まれ。山形大学名誉教授。
1968 年東北大学大学院文学研究科修士課程(英文学専攻)修了。
山形大学教養部、人文学部教授。2004 年退職。
専門は17 世紀英文学(ジョン・ダン研究)。 彩流社 サイリュウシャ 【内容】
(1)「三島事件」は計画変更の結果だった
(2)事件の1年前まで三島は憲法改正を主張して
いなかった
(3)文学作品創作と同じ方法論で行動計画は
練りあげられた
(4)楯の会を作るために祖国防衛隊を構想し
それを壊した
(5)昭和44年10月21日、決起計画は
すべて紙屑になった
(6)挫折を乗り越えて自衛隊乱入
(7)本来の計画は皇居突入だった
(8)皇居突入と絶対者への侵犯
(9)三島由紀夫を相対化するために 「三島事件」は昭和史における大きな謎のひとつである。
この謎を解明するには「檄文」の読解が重要なのである。
兄・鈴木邦男(一水会顧問)の影響で、三島事件への関心を
持ち続けてきたという著者。
「三島」を政治的にではなく文学的に、特に西欧的な知の枠組み
のなかで理解することが必要と考える。
憲法改正を訴えて自決した三島だったが、
その主張は一貫したものではなかった。
昭和44 年10 月21 日、自衛隊の治安出動の可能性が消え、
同時にそれまで彼が築き上げてきた決起計画が
すべて水泡に帰した。
皇居突入計画は、小説「英霊の聲」における昭和天皇への
呪詛と関係する。
当初の計画では、行動の世界のクライマックスは
文学と密接にかかわるはずのものだった。
その皇居突入計画が市ヶ谷の自衛隊乱入へと
切り換えられたため、
行動の世界が彼の文学の世界とは接点を持たないままに
終わってしまったのであった。