呪縛された歴史学古墳が語る古代史の「虚」

古墳が語る古代史の「虚」 呪縛された歴史学

相原 精次 著
四六判 / 340ページ / 並製
定価:2,500円 + 税
ISBN978-4-7791-1914-9 C0021
奥付の初版発行年月:2013年07月 / 書店発売日:2013年07月24日
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内容紹介

「古墳時代」という言葉で隠された墳墓の実態!
 素朴な疑問として、多くの古墳が全国に散在しているのになぜか、
もっと詳しく発掘調査が行われないのだろうか。
「古墳といえば前方後円墳= 奈良」というイメージの強さが、何かを見落とさせている?
その意味では、日本古代史は近代史でもあり、現代の課題である。
 本書は“コロンブスのタマゴ”だ!

前書きなど

はじめに



 どうして「古墳」を今問題にするのか?
 古墳は言うまでもなくその存在自体が古い時代を語っている。つまり、古代を知る上でかけがえのない「証人」なのだ。
 日本にはおびただしい数の古墳が存在している。そして、それらの古墳は千数百年もの長い時を超えて厳然と今日まで「古代を内包して存在してきた」のであって、これはどんな文献をもはるかに凌ぐほどに歴史の真実を語る「証人」なのである。
 にもかかわらず、その実態は半ば放置されたままであると言える。「放置」などというと、そんなはずはない、全国各地に古墳をメインにした公園も多くあり、書店に行けば古墳関係の本は数多く並んでいる。これらは考古学者などによる研究の成果であろう、と。
 しかし、その実態をよくよく確認してみると、その多くで、ある偏った認識のもとにおかれている事実が見えてくる。「偏った認識」とは一体何なのか、そのことを述べるのが、この本の目的である。
 現在の行政単位の都道府県のなかで、「古墳はない」とされている北海道や沖縄県、そして、あるとしても件数があまり多くないいくつかの県を除いて、それぞれに、少なく見ても数千基を超える古墳が存在しているのである。そういう意味で古代史に関して日本は奇跡に近いほどに古代を語る「証」を保有していることになる。
ところがその奇跡に近い「証」を日本の歴史学の場合、十分生かし切るだけの発想をもって見ていないと言える。

 日本人は天孫民族であり、その民族が国土を平定して日本の国を作ったのだという、いわゆる日本神話をそのまま信用していた……。   (『日本国家の起源』井上光貞・一九六〇年刊)

これは明治維新以来、第二次世界大戦が終了するまでの、いわゆる「戦前」の約七十年間の歴史認識に対する状況を端的に述べたものである。ここに見るように国の成り立ちを神話から始めたいとするのが、明治政府発足当時の為政者たちであった。そんな彼らから見ると、古墳は必ずしも有益な存在ではなかったのである。
 古墳を研究することは「日本の国の成り立ちを考える」うえから重要なテーマであることは当時の為政者や研究者の認識にも当然あった。しかし、それだからこそ、なおさらに、畿内にある一部を除いて「古墳」は存在そのものが余計なものでもあった。古墳はあまりにも古代を生々しく「証言」することになり、それでは困るからである。そうした人々にとって幸いというべきか日本最古の文献である『記・紀』は、陵墓についてほとんど関心を向けていない。このため『記・紀』を最大の歴史資料としている間は「古墳文化の実態」と本気で向き合わなくてすむことになり、結果的に古墳は歪められたイメージの中で語られつづけてきたのである。
 これは「古墳」そのものにも、当然『記・紀』という本にも、責任はない。責任はこれらを都合よく扱ってきた「近代」そのもののあり方にあった。私たちは「古墳」の問題を放置していてはならない。この問題解決への方法はある。その方法とは何か、私は以下の二点を提案したい。
 その第一、これまで捨て置かれていた「古墳」の声を聞くこと。
 その第二、かつて『古事記』『日本書紀』を恣意的に読んでいた事実を、冷静に見つめなおすこと。
 私たちは『記・紀』などの資料を予見なく読み、かつ「古墳」自体が訴えかけていることを正しく知り、近代が再構築してしまった「古代史イリュウジョン」と、これら「古代からのメッセージ」(『記・紀』という書物および古墳など)とが、どのように似ていて、どのように似ていないか、その分析をすることが必要なのではないかと思う。
 ところで、明治の早い時期に日本の古墳を精力的に調べてまわったイギリス人ウイリアム・ゴーランドが、つぎのようなことばを残している。

 日本と似たドルメンに出くわすには、アジアを西に通り抜け、カスピ海沿岸まで行かねばならない。もっとよく似たものを見つけるには、さらに遠く西ヨーロッパまで足をのばさなければならない。

 ゴーランドは日本を去ったあとも日本の古墳について研究を続けており、イギリスでその成果を論文としてまとめ、さらに日本での経験を生かし、母国での「ドルメン」を始めとした石造遺跡に関する第一線の研究者となっている。その人物が述べていたことの意味を私たちは改めて考えてみるべきだと思う。
 話はユーラシア大陸に飛ぶ。ユーラシアの歴史を考えるとき、どうしても文化の伝播における時間差の問題を考慮しなければならないだろう。とりわけ極東に位置し、かつ島国という状況にある日本に至るまで、どれほどの時間が必要だったか。ものによっては何世紀かの時間差を見なくてはいけないのだろう。
 ただし、その「伝播に要する時間」という論理を日本列島の内部でも援用しようとする見方があるが、それは正しいとは言えないだろう。「中央の大和に発した文化が東国や東北におよぶまで数百年の時間が必要だった」という見方である。果たしてそうなのだろうか。
 ユーラシアの広さと、日本国内でのものの伝わり方を、同列かのように見るべきではないだろう。日本列島は狭い。日本国内での文化の伝播は思いがけずスピーディなのだ。古墳時代ころであればどこか一ヶ所拠点が定まれば、「ヨーイドン」と始まって、ほとんど日本各地に同時に事は展開できる可能性を持っていた。古墳分布の実態が如実にそのことを示しているのである。
 日本での古墳学の実態について知れば知るほど、現在もなお小さく「国内という壺」の中にこもってしまおうとするような状況が見える。近ごろ「一国史的な古墳時代像ではなく、人類史のなかの古墳時代像、あるいは古墳という遺産の世界史的意義を明らかにすることを目指す態度」との意見も出はじめている。ゴーランドがいち早く指摘していたように、日本の古墳文化についてヨーロッパの古代遺跡との関係のなかで見直されなくてはならないだろう。
「世界歴史のなかでの日本古墳文化論」こうした論理は、じつはすでに戦前から存在し、戦後においても一部では展開されていた。たとえば一九七〇(昭和四五)年の発行になるシンポジウム『古墳時代の考古学』(学生社)では、「古墳学の大和中心論から脱却」、あるいは「世界的視野で」という活発な議論がおこなわれた。しかし、その後、そうした発想については表の論にならず、潜行して行ったのであった。改めて「世界史のなかの日本古墳文化論」といった発想を取り戻す必要があることをつくづく思う

版元から一言

●各章で述べる趣旨

 第一章 見えてこない「古墳時代」のイメージ
 日本には全国に、ほぼ満遍なく古墳は存在している。にもかかわらず、私たち日本人はその実態をほとんど知っていない。どうしてそんなことになってしまったのか。それは、明治維新という近代の始まりのなかに大きな理由があったのではないか。そのようなことを、この章では六つの段に分けて述べた。
 第二章 日本歴史のなかの「古墳」
 日本での「古墳文化」について。『記・紀』の時代以来、近代、そして現代に到るまで、日本人自体が「古墳文化」についてどのように対応してきたかを時代を追って確認した。
 第三章 古墳からの声を聞こう
 古墳のおかれた実態を知ることによって、現行の「日本古代史常識」が次第に疑わしいものに見えてきて、私たちは「古代史の常識」なるものを見直さなければならないことに気づくだろう。
 第四章 ユーラシア大陸と「墳丘墓」
 私たちは日本の古墳文化を狭い視野のなかでのみ、見ようとして来たのではないか。「ユーラシア大陸」という広い視点に立って、古墳を見直してみよう。(以上)


「あとがき」より
 これまで日本歴史の中で「古墳」がどのようにあつかわれていたのか、この本ではそんな問題を各時代をとおして述べてきた。
 とりわけ「戦前」・「戦後」、いうなら、日本の近代・現代の時間の流れの中で「古墳」に重点を置いて確認した。つまり、本書の主要テーマは「近代史」「現代史」の中での「古墳の問題」ということである。
「近代」を語るにあたって明治維新を出発点として、以来、第二次世界大戦敗戦までの約七十年間余を、便宜上「戦前」という言葉で表現した。
 また、「現代」として一九四五年以降今日まで、やはりほぼ七十年になろうとする時間の流れを「戦後」と表現した。
 その作業をとおして見えてきたものは、思いがけず、「古墳」というテーマが、じつは古墳だけの問題ではなかったということで、このテーマは日本における「歴史学のさまざまなひずみ」を浮かび上がらせるものだった。いわば「古墳」は日本の歴史問題の象徴的な存在だった、ということが見えてきたのである。それは、とりもなおさず、既に千数百年前に築造された「古墳」を考えることがじつは「近・現代史」の問題でもある、という思いがけない発見でもあった。このことは「はじめに」の部分でも指摘した。
 この本において、戦前を語る部分では「歴史学上のさまざまなひずみ」について指摘する状況となった。ただ、この中で確認してきたことは、過去の現象をあげつらおうというような思いで述べたものではない。ありのままを正しく確認したいがため、資料をできる限り広く求める作業とともに、そこで知ったマイナス的な部分に関しても、それを隠してしまうということではなく、つぎのステップのために、あったとおり見つめるという意図のもとでの探求であった。
 ところで、その「ひずみ」は戦後になって、改まったと言えるのだろうか。結論から先に述べれば、それは、「戦後」にも持ち越されていたのだった。そして、気づいてみたら既にもう、改めて約七十年という長い時間を過ごしてきてしまっていた、そんな気がするのである。
 戦後を語るにあたっては、自分の体験的に得た認識というものも多くなっている。思えば、「戦後」が始まった頃をふり返ってみると、敗戦というあまりにも悲惨な経験の中、国民全てが貧しかった。でもその中にあっても、どこかに「解放された」という思いにもひたっていた事実があり、それは言葉を変えて言えば「古い上着は脱ぎ捨て得た」という安心感のあらわれでもあった。
 まず世間には「民主主義」ということばがあふれ、学校教育の現場では「自治の光の明け初め」という言葉も使われていた。そして、主要都市の多くが焦土でありながらも、国民はこれを復興させようとの意志のなかで、未来像を描きつつ「希望」へ向かって出発し始めていたのであった。そこには戦前のことを云々するより、新しい時代に向かおうとのエネルギーに満ち、過去にあった「ひずみ」などはもはや払拭されたような勢いだった。
 ところが、思えば維新以来の「戦前」という七十年は良きにつけ、悪しきにつけ、「戦後」にまで強力な根を張って時の流れの中に生きていたのだった。そのことを端的に物語っているのがやはり「古墳」であり、それは今もなお「ひずみ」の象徴として私たちの前に横たわっているのである。

著者プロフィール

相原 精次(アイハラセイジ)

歴史作家・日本ペンクラブ会員。
1942(昭和17)年横浜生まれ。
1965(昭和40)年國學院大学文学部卒業。
同年4月より奈良市にある私立中・高等学校に国語教師として赴任。5年間勤務後、横浜に戻る。
2003(平成15)年4月、神奈川県立高等学校を定年退職。執筆活動に専念。
主要著作
『文覚上人一代記』(青蛙房)
『かながわの滝』(神奈川新聞社)
『みちのく伝承』(彩流社)
『文覚上人の軌跡』(彩流社)
『かながわの酒』(彩流社)
『鎌倉史の謎』(彩流社)
『神奈川の古墳散歩』(彩流社)
『天平の母 天平の子』(彩流社)
『増補改訂版 関東古墳散歩 エリア別徹底ガイド』(彩流社)
『東北古墳探訪』(彩流社)
『平城京への道 天平文化をつくった人々』(彩流社)

目次

はじめに
第一章 見えてこない「古墳時代」のイメージ
 Ⅰ 古墳時代とはどんな時代か
 Ⅱ 明治期の古代史研究
    ──研究が抑制されていた「日本の古代」
 Ⅲ 近代の「日本古墳研究」はw・ゴーランドに始まった
  ・示唆に富むゴーランドの古墳論 ほか
 Ⅳ 見えてこない「古墳時代」
  ・古墳の発生は「大和」でいいのか ・北海道に古墳はない?
 Ⅴ 「ミネルバ論争」と「ひだびと論争」
 Ⅵ 古墳時代のさきがけ「支石墓」と「積石塚」のこと
第二章 日本歴史のなかの「古墳」
 Ⅰ 古文献に見る「古墳」
 Ⅱ 明治維新以前の「古墳」研究
 Ⅲ 「国史」と「古墳」
  ・新政府のめざした国家観 ・明治╱大正╱戦時下の古墳研究
 Ⅳ 戦後の「古墳」研究
  ・文化財保護法と「風土記の丘」構想
  ・高度経済成長期のなかでの「古墳」 ほか
第三章 古墳からの声を聞こう
 Ⅰ 古代史における「国」概念の揺れ
  ・五世紀以前の「倭」 ・七・八世紀の「倭」
  ・「倭の五王」への疑念 ほか
 Ⅱ 「国」概念と「大王」「王」の問題
 Ⅲ 日本「古代史像」の「虚」  
  ・「古墳」をとおして見えてくるもの
  ・日本古代史は砂上の楼閣
第四章 ユーラシア大陸と「墳丘墓」
 Ⅰ 〔戦前〕・世界史的視野での墳丘墓研究
 Ⅱ 〔戦後〕・「日本文化とユーラシア」、新たな視点

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