内容紹介
奴隷制時代から現代まで、人と人の繋がり・絆の変遷の諸相を通して見えてくるもの!?
奴隷制時代の別離や再会という事態に対処しようとした人と人とのつながり(第1章)、
南北戦争後の南部都市で新たな生活を築く人々がコミュニティの人間関係を育む姿
(第2章)、南部出身の「黒人」が多く移住したシカゴでは、一人の実業家のまわりに
様々な人々の輪が幾重にも出来(第3章)、長距離列車のポーターたちは、屈辱的
職場経験を受け入れつつ、それをはね除けるべく連帯を形成し(第4章)、ガーナの
独立からンクルマの政権転覆に至るプロセスにアフリカ系アメリカ人亡命者たちが
見え隠れし(第5章)、ジェイムズ・コーンの神学のように太平洋を越えて川崎市に
おける市民運動とも関わりをもち、さらにアフリカへと心を通わせる人のつながり
を誘う実態(第6章)。そして、21世紀の今日、ニューヨークではさらに多様性を
抱えながら変化している姿を描き(第7章)、様々に変化する絆とコミュニティの
来し方と未来。
前書きなど
まえがき
本書の執筆者は皆、大なり小なり、人間社会の営みを理解する試みとして、「国境」あるいは「ナショナリズム」といった概念的束縛から己を解放したいと願っている。なぜなら人と人とのつながりは、「国境」をはじめとする様々な境界線を越えて個別に形成されることが多く、そのとき「ナショナリズム」などのイデオロギーがそのつながりを規定するとは限らない。そこで、境界線をもたない「コミュニティ」に注目してみようということになった。それゆえ本書は、アメリカ史というものを語るとき、「コミュニティ」からの発信がいかなる新たな課題をうむのか、自ら体験してみたいと考えた実験の書である。
そこで本書に通じる大まかな約束ごとを二つだけ取り上げておきたい。一つは、わたしたちが「コミュニティ」を既成のものとは設定していないということである。それは、地理的に限定されたものでもなく、抽象的に言えば人びとが共感や対立を経験して人と人とのつながりを紡いでいった先にできるものであり、「帰属意識」を共有する時期もあるかもしれないが、固定的な人のつながりとして形を成すとは限らない。むしろ、いかに人と人が日常のなかから関係を結んでいくのか、そこにつくられた仲間がどのような関係の変化や拡大や再編成を経験するのか、そうしたプロセスを少しでも具体的に検証することによって、人と人とのつながりという動態を、流動する「コミュニティ」として謙虚に捉えなおしてみたいとわたしたちは考えた。
第二に、過去につくられてきた差別用語をいかに使うべきか、使わざるべきかという問題である。とりわけ本書で注目するのが「黒人」コミュニティであるから、なおさらである。本書で言う「黒人」とは、アメリカ合衆国の建国前から始まる奴隷制時代にアフリカ、とりわけ西アフリカの港から奴隷船で強制的に連れて来られたアフリカ生まれの人びと、およびその子孫であり、「黒人」と分類されてきた人びとのことを指す。その人たちは肌の色も個性も多様であるが、一九六〇年代以前のアメリカ合衆国ではその人たちを指す用語として「ニグロ」「カラード」が一般的に使われ、日本語では頻繁に「黒人」と訳されてきた。一九六〇年代半ば以降は、ニグロが社会的に劣位にあるという差別意識を認識させる用語であるという理由から「ブラック」が使われるようになる。最近では歴史的な差別の要因となった肌の色を示す言葉ではなく、先祖の出自を表すアフリカを用いた「アフリカ系アメリカ人」という呼び方が使われることも多い。本書では、アフリカ系アメリカ人という用語も使う一方で、黒人という用語がそうした差別意識を内包して使われてきたことを理解したうえで、その過去の経験を重視する視点に立つ場合には、原則としてアフリカ系アメリカ人を黒人と呼ぶことにする。
こうした過去に使われてきた用語について歴史研究者が再考するようになったのは、最近のことである。たとえば、本書の第一章では、「奴隷」という種類の人間がいたわけではないという反省から、従来のように単に「奴隷」と表記するのではなく「奴隷とされた人々」といった表現も使われている。そこには、歴史のなかで頻繁に使われてきた言葉にどのような意味合いが加味されてきたかを改めて考える必要性を認識する、今日的姿勢がある。
本書で共有されるそうした今日的姿勢を示すために「 」付きで「黒人」と表記したいところではあるが、「 」付きの言葉が多用されるのは煩雑でもあるので、特に読み手の注意を喚起したい場合にのみ「 」を付けることとする。
このように今日では、多くの呼称が、差別意識を込めた過去の分類枠に依拠すると見なされるゆえに、それらを使用すること自体が「差別」再生産の結果をうむとして批判の対象となっている。つまり、わたしたちはそうした批判の針のむしろの上に常に立たされながら、言い換えれば、自己吟味と自己批判を重ねながら、過去を掘り起こす作業をしているわけである。
ここで本書を概観してみると、それぞれの章に叙述される物語はすべて異なる。
第一章(ヘザー・A・ウィリアムズ担当)では、奴隷制時代に奴隷とされた人々が強制的に経験した別離の物語や、別れたままになっていた人々が南北戦争直後において再会しようとする物語のなかに人と人とのつながりの果たす役割が語られる。
第二章(佐々木孝弘担当)では、南北戦争後から二〇世紀初頭にかけてノースキャロライナ州ダーラムという町に移り住んだアフリカ系アメリカ人たちがいかなる人間関係の基に世帯やコミュニティを形成していったかが、描き出される。
第三章(樋口映美担当)は、北部産業都市シカゴにおいて第一次世界大戦期から一九二〇年代にかけて南部から移動した人びとによって増大した黒人住民のつながりを、ジェシー・ビンガという銀行家の「仲間」作りの種々の物語を中心に探る。
第四章(藤永康政担当)は、鉄道会社の方針や白人労働者運動との取り組み、さらには人種やジェンダーに留意しながら、黒人ポーターの組合が形成されるまでのプロセスを、シカゴを中心とした鉄道サービス労働者から成る職能コミュニティの変遷として描き出す。
第五章(ケヴィン・ゲインズ担当)では、ガーナ共和国独立前後の時代を中心に、アメリカ黒人の知識人層が主役と言うより脇役として関わりをもつなかで現地での政治的なコミュニティが形成されるプロセスが語られる。
第六章(土屋和代担当)では、黒人神学者ジェームズ・H・コーンを中心とするアフリカ系アメリカ人のキリスト教者が、神奈川県川崎市の「在日」市民運動に関わることや、コーンのアフリカ認識の覚醒によって、改めて「黒人神学」を再定義することになるプロセスが描き出される。
第七章(村田勝幸担当)では、二〇〇〇年三月にニューヨーク在住のハイチ系住民パトリック・ドリスモンドが警察官に射殺された事件などをめぐって、ハイチ系住民たちが同じくニューヨーク在住のアフリカ系アメリカ人といかなるつながりを紡いでいくか、そのプロセスが描き出される。ここではハイチ系と対比してアフリカ系アメリカ人をアメリカ黒人と呼ぶ場合もある。
こうした七つの物語を、コラムで一息いれながらつないだとき、奴隷制時代から現代までのアメリカ黒人コミュニティのいかなる多様なありようが全体として浮かび上がってくるのか、期待しながら読んでいただければ幸いである。
編 者
版元から一言
あとがき
本書執筆のきっかけとなる動きは、二〇〇八年夏に始まった。樋口が自分ひとりではとても不可能な、「アフリカ系アメリカ人のコミュニティ」形成の歴史という曖昧模糊とした大きなテーマを掲げて声をかけ、やがて研究会プロジェクトとして六人のメンバーで動き出した。その時点で具体的な構想があったわけでは決してない。それは、全員で集まって、各自の中間報告を中心とした議論のうえに、生のリサーチ体験や失敗談も含めて、自由に議論する場となった。途中、二〇〇九年春にヘザー・ウィリアムズが加わり、二〇一〇年夏にはケヴィン・ゲインズが加わった。研究会としての活動は、二回の特別ワークショップと八回の会合などを経て現在に至る。その進展概要は、以下のとおりである。
・第一回会合(二〇〇八年九月二〇日、水道橋駅界隈の喫茶店)研究会発足の会合
・特別ワークショップ(二〇〇九年四月二四日、東京外国語大学海外事情研修所)ヘザー・A・ウィリアムズ報告"'The Horrors of That Day Sank Deeply into My Heart': Grief and Loss Among Enslaved African American Children"(〈コメンテーター〉小田原淋、〈司会〉佐々木孝弘)、科研費基盤研究A「ジェンダーを巡る〈暴力〉の諸相――交差・複合差別における『 家族親密圏』の学際的研究」(研究代表者 粟屋利江)との共催
・特別ワークショップ(二〇〇九年四月二九日、専修大学生田キャンパス)ヘザー・A・ウィリアムズ報告 “Self-Taught: African American Education in Slavery and Freedom”(〈コメンテーター〉土屋和代、〈司会〉樋口映美)
・第二回会合(二〇〇九年六月六日、津田塾大学キャンパス)プロジェクトの可能性について意見交換
・第三回会合(二〇〇九年九月一九日、名古屋大学キャンパス)各自がテーマを紹介し意見交換
・二〇〇九年一〇月二日 研究会の名前を「アフリカ系アメリカ人コミュニティ形成史研究会」と決定
・第四回会合(二〇〇九年一二月二〇日、専修大学神田キャンパス)藤永康政報告「Brotherhood of Sleeping Car Porters Union (BSCP)再考」をめぐって自由に議論
・第五回会合(二〇一〇年四月一八日、専修大学神田キャンパス)1.土屋和代報告「川崎における在日の市民運動と黒人神学」、2.荒木圭子報告「アフリカ正教会の設立と南アフリカへの波及」をめぐって自由に議論
・第六回会合(二〇一〇年九月二〇日、専修大学神田キャンパス)1.樋口映美報告「ビンガとその銀行をとりまくコミュニティ」、2.村田勝幸報告「ヘイシャン・ディアスポラからアフリカン・ディアスポラへ」をめぐって自由に議論
・第七回会合(二〇一〇年一二月、専修大学生田キャンパス)1.佐々木孝弘報告"The African American Family in Durham (1900)"、2.藤永康政報告"Pullman Porters and African American Communities on the Move"、3.ケヴァン・ゲインズ報告 "What is African American Community in History?"をめぐって自由に議論
・第八回会合(二〇一一年四月一七日、専修大学生田キャンパス)1.荒木圭子報告「アフリカ正教会の設立とその南アフリカへの波及、2.土屋和代報告「黒人神学と川崎における在日の市民権運動」、3.樋口映美報告「ヘザー・A・ウィリアムズの第一章(翻訳)紹介」をめぐって自由に議論し、全体構想を確認
それぞれの会合は、すべて試行錯誤の連続でどこに行き着くのかみんなで暗中模索を続けた。会合を重ねるにつれて少しずつ軌道修正を試み、確認のためにEメールでのやりとりも必要になった。そして、史料捜しで暗礁に乗り上げてしまったひとりが結果的に本書執筆から退くことになったのは残念であるが、二〇一一年九月末に原稿を仕上げるという当初の計画に基づき全員で本作りに突入したわけである。
実際に原稿を書き始めると、共有していたはずの本作りの核心的問題が、実践のレベルで現実の壁となった。アフリカ系アメリカ人と限定はしたものの、時代も領域も状況も異なる各章の集まりにいかにして全体的な一貫性をもたせるか、という重要な課題に執筆者全員がそれぞれ具体的に頭をかかえた。二〇一一年八月から九月にかけて全員で一堂に会する時間的余裕もなかったため、最終的には、全体を見通した各章の内容と役割分担をEメールで提案し、忌憚なく議論し確認し合うということを集中的に繰り返した。そのなかから、読み手に楽しんでもらえて章の内容を生かしつつ有機的な各章のつながりを行間に醸し出すことができるような「コラム」をいくつか作ろうという提案も出るに至り、みんなで知恵を出し合って実現にこぎ着けた。
アフリカ系アメリカ人のコミュニティは多様であり、その形成の流れも一様ではなかった。奴隷制の時代に築かれたアフリカ系アメリカ人の「コミュニティ」に別離や再会という由々しき事態が生じるたびに、それに対処しようとする人びとの人と人とのつながりが具体的に紡ぎ出された(第一章)。そして、南北戦争後の南部都市、たとえばノースキャロライナ州ダーラムでは新たな居住地域に新たな生活を築く人々がコミュニティの人間関係を育んだ(第二章)。南部出身の多くの「黒人」が移住した北部産業都市、たとえばシカゴでは、ビンガという実業家のまわりに様々な人びとの輪が幾重にも紡がれ交錯した(第三章)。長距離列車のポーターとなったアフリカ系アメリカ人たちは、屈辱的職場経験を受け入れつつ、それをはね除けるべく連帯を形成し(第四章)、ガーナの独立からンクルマの政権転覆に至るプロセスにアフリカ系アメリカ人亡命者たちが見え隠れした(第五章)。そうした動きは、徐々に政治性を帯びつつも縦横にからむ利害と日常を織り込んで変化した。その一方で、アフリカ系アメリカ人の営みが、たとえばジェームズ・コーンの神学に見られるように太平洋を越えて川崎市における市民運動とも関わりをもち、さらにアフリカへと心を通わせる新たな地平に人と人とのつながりを誘うに至る(第六章)。そして、アフリカ系アメリカ人たちが奴隷制の時代から人と人との関係を紡いできたアメリカ合衆国で二一世紀を迎えた今日、たとえばニューヨークではコミュニティがさらに多様性を抱えながら変化している(第七章)。
本書では、アフリカ系アメリカ人を主体としたコミュニティの形成・変遷のプロセスを検証しようとしたが、その「つながり」の先に見えるのはアフリカ系アメリカ人のみとは限らなかった。人と人はこれからいかなる関係を紡いでいくべきなのか、歴史研究において複雑で多様なコミュニティのありようを理解する手がかりはどこにあるのか、ひいては「アメリカ史」とは何なのか、それはいかに語られうるのか、本書がそうした疑問について考える糸口を少しでも提供できたなら、実験の書としての役割は果たせたと言えるのかもしれない。
「舞台演劇」では、舞台で演じる役者とそれを鑑賞する観客とが劇場という空間を共有することによって醍醐味が生まれる。執筆者と読み手にもそういう関係があってもおかしくないだろう。その意味では、本書が、人と人とをつなぐ様々なコミュニティの形成と変遷を七つの章と四つのコラムで綴るオーケストラとして、読み手のみなさんのご期待にいくらかでも響いたなら、それは執筆者全員にとって比類無き喜びである。もちろん、本書で奏でられる演奏には不協和音も聞こえるであろう。わたしたちは本書を完成品だとは考えていない。最後までお読みいただいた読者に感謝すると同時に、わたしたちの実験の書に様々なご批判をいただければありがたい。
最後に、学術図書の販路が先細りし続けるように思われる昨今、わたしたちの共同研究成果を発表するこのような場を快く提供してくださった彩流社に、執筆者一同心より感謝の意を表したい。
二〇一二年一月吉日
執筆者全員を代表して 編 者
(社)日本図書館協会 選定図書
著者プロフィール
- 樋口 映美(ヒグチ ハユミ)
専修大学教授。著訳書に『貧困と怒りのアメリカ南部』(アン・ムーディ 著、樋口映美 訳、彩流社、2008年)、『歴史のなかの「アメリカ」』(樋口映美・中條献 編、彩流社、2006年)、『奴隷制の記憶』(ドロシー・スプルール・レッドフォード 著、樋口映美 訳、彩流社、2002年)など。
- ヘザー・アンドレア・ウィアムズ(ウィリアムズ,ヘザー・アンドレア)
ノースキャロライナ大学(チャペルヒル)歴史学部 准教授
主要研究業績 単著:Self-Taught: African American Education in Slavery and Freedom (Chapel Hill, NC: University of North Carolina Press, 2005); Help Me to Find My People: The African American Search for Family Lost in Slavery (Chapel Hill, NC: University of North Carolina Press, forthcoming spring 2012); American Slavery: A Very Short Introduction (New York: Oxford University Press, forthcoming) 他。
- 佐々木 孝弘(ササキ タカヒロ)
東京外国語大学大学院総合国際学研究院 教授
主要研究業績 論文:「脱走兵とジェンダー──南北戦争期のノースカロライナ州の事例から」(立石博高・篠原琢編著『国民国家と市民──包摂と排除の諸相』山川出版社、2009年)、「離婚訴訟に見る婚姻の意味とその変化(1814年-1933年)──ノースカロライナ州の場合」(金井光太朗編著『アメリカの愛国心とアイデンティティ──自由の国の記憶・ジェンダー・人種』彩流社、2009年)、「アメリカ合衆国南部社会における黒人家族の成立過程と暴力──再建期ノースカロライナ州ピードモント地域の人種、階級、ジェンダー」(『アメリカ研究』40号、2006年) 他。
- 藤永 康政(フジナガ ヤスマサ)
山口大学人文学部 准教授
主要研究業績 訳書:シェルビー・スティール著『白い罪』(径書房、2011年);論文:「モハメド・アリの『誕生』──人種の表象が変化する瞬間の一考察」(真島一郎編『20世紀〈アフリカ〉の個体形成──南北アメリカ・カリブ・アフリカからの問い』平凡社、2011年)、「ヒップ・ホップの想像力とアメリカ現代社会」(山本真弓編『文化と政治の翻訳学──異文化研究と翻訳の可能性』明石書店、2010年) 他。
- ケヴィン・ゲインズ(ゲインズ,ケヴィン)
ミシガン大学(アナーバー)歴史学部 教授
主要研究業績 単著:Uplifting the Race: Black Leadership, Politics and Culture During the Twentieth Century (Chapel Hill, NC: University of North Carolina Press, 1996); American Africans in Ghana: Black Expatriates in the Civil Rights Era (Chapel Hill, NC: University of North Carolina Press, 2006) ; 共編著:American Studies: An Anthology (Malden, MA: Wiley-Blackwell, 2008) 他。
- 土屋 和代(ツチヤ カズヨ)
神奈川大学外国語学部 助教
主要研究業績 論文:「アメリカの福祉権運動と人種、階級、ジェンダー──『ワークフェア』との闘い」(油井大三郎編『越境する1960年代──米国・日本・西欧の国際比較』彩流社、近刊)、“Jobs or Income Now!: Work, Welfare, and Citizenship in Johnnie Tillmon’s Struggles for Welfare Rights,” The Japanese Journal of American Studies 22 (2011)、「1964年アメリカ経済機会法における包摂と排除──『可能な限り最大限の参加』条項をめぐって」(『歴史学研究』858号、2009年10月) 他。
- 村田 勝幸(ムラタ カツユキ)
北海道大学大学院文学研究科 准教授
主要研究業績 単著:『〈アメリカ人〉の境界とラティーノ・エスニシティ──「非合法移民問題」の社会文化史』(東京大学出版会、2007年)、『アフリカン・ディアスポラのニューヨーク──多様性が生み出す人種連帯のかたち』(彩流社、近刊); 共訳書:ロビン・D・G・ケリー『ゲットーを捏造する──アメリカにおける都市危機の表象』(彩流社、2007年) 他。
目次
目 次/流動する〈黒人〉コミュニティ――アメリカ史を問う
まえがき……………………………………編 者
第一章「その災難がいつ降りかかるのか」
――奴隷制下、黒人家族別離の物語に浮上するコミュニティ……ヘザー・A・ウィリアムズ(樋口映美訳)
はじめに
第一節 別離はいかに到来するか
第二節 親から話された子どもを自ら世話する「仲間」たち
第三節 逃亡奴隷を助ける人々
第四節 家族再会への奮闘――南北戦争後の物語
1 広告で家族の行方を捜す
2 子どもを取り戻そうとする親
おわりに
第二章 外に向かって開かれた家族とコミュニティ
――一九〇〇年、ノースキャロライナ州ダーラム市のアフリカ系アメリカ人たち……佐々木孝弘
はじめに
第一節 白人との比較で見るアフリカ系アメリカ人家族の特徴
第二節 黒人奴隷制度の遺産
第三節 移住の過程で壊される家族
第四節 家族の脆弱性を補完したコミュニティ
おわりに
コラム① 「ダーラムの理髪師」ジョン・メリックとリンカン病院の建設………佐々木孝弘
コラム② アン・ロズモンドとの出会いから…………………………………………樋口映美
第三章 シカゴ・サウスサイドの実業家ジェシー・ビンガと仲間たち……………樋口映美
はじめに
第一節 起業するジェシー・ビンガ――様々な人びととのつながり
1 不動産業からの出発
2 ビンガの結婚
3 「われわれは団結しなきゃね」――広がる仲間作り
4 オヴァトンとアボット
5 「ニグロの大物たち」――ABCの活動
6 ビンガ全盛期の光と陰
第二節 銀行という媒体に集う人びと
1 「経済的協力」に賭けるビンガの「利他主義」
2 口座開設者と「大移動」
3 口座を開設した男性と女性
第三節 サウスサイドの人種模様
1 黒人居住地域の充実と隔離――忍び寄るスラム化
2 ビンガ・アーケイドの建設――人種を超えたつながり
おわりに
第四章 プルマン・ポーターの公共圏
――鉄道サービス労働者のコミュニティと「隠されたトランスクリプト」……藤永康政
はじめに
第一節 プルマン社の寝台車特急事業と黒人鉄道労働者
1 ジョージ・プルマンの寝台事業
2 プルマン・ポーターと人種
第二節 黒人鉄道労働と人種化・ジェンダー化の進行――労働運動と肌の色の阻却条項
第三節 鉄道サービス労働の現場
1 鉄道サービス労働のパラドクス
2 北部都市の階級編制とサービス労働
3 鉄道サービス労働者の公共圏
4 BSCPの闘争――ジョージからニュー・ニグロへ
おわりに
コラム③ ニューヨーク第三六九歩兵連隊とジェームズ・リース・ヨーロップ………藤永康政
第五章 政治コミュニティを追い求めるブラック・ラディカリズム
――ガーナのアフリカ系アメリカ人亡命者たち………………ケヴィン・ゲインズ(藤永康政訳)
はじめに――ガーナとアフリカ人ディアスポラのネットワーク
第一節 冷戦下での模索
1 アフリカの独立
2 赤狩りと黒人ラディカリズム
3 生命線としてのガーナ
第二節 非人種決定論と現実の狭間で
1 反植民地主義同盟
2 コンゴ危機
3 ルムンバ処刑の国際的波紋
4 コンゴ危機とガーナのアフリカ系アメリカ人コミュニティ
第三節 マルコムXとガーナ
1 アフリカ系アメリカ人コミュニティ
2 マルコム暗殺とンクルマ政権転覆
おわりに
第六章 「黒人神学」と川崎における在日の市民運動――越境のなかの「コミュニティ」…土屋和代
はじめに
第一節 「黒人神学」の形成――ジェームズ・H・コーンを中心に
1 ビアーデンからの出発
2 「キリスト教はブラック・パワーそのものである」
第二節 川崎における市民運動と黒人解放運動/神学
1 川崎市臨海部における在日居住区の形成
2 「寄留の民の神学」と「黒人神学」
第三節 日立就職差別裁判と黒人キリスト者
1 日立就職差別裁判
2 国境を越えた支援運動の展開、日立闘争の勝利
第四節 日立闘争後の市民運動と「黒人神学」の再想像/創造
1 日立闘争後の市民運動
2 抑圧と解放への世界史的視座――「黒人神学」の再想像/創造
おわりに
コラム④ ハイチ人/系がアメリカで出会った人種主義的暴力…………………村田勝幸
(1)ハイチ人/系を取り巻く歴史的・社会的・法的な背景
(2)警察の残虐行為と黒人コミュニティ
第七章 ヘイシャン・ディアスポラからアフリカン・ディアスポラへ
――警察の残虐行為が構築する人種連帯のかたち…………………………村田勝幸
はじめに
第一節 警察の残虐行為という「日常」――アブナー・ルイマ事件とアマドゥ・ディアロ事件
1 一九九七年八月九日未明、フラットブッシュ(ブルックリン)
2 一九九九年二月四日未明、サウンドヴュー地区(ブロンクス)
第二節 ヘイシャン・ディアスポラからアフリカン・ディアスポラへ
――パトリック・ドリスモンド射殺事件
1 二〇〇〇年三月一六日未明、ミッドタウン(マンハッタン)
2 「犠牲者の悪魔化」への反発
3 覚醒するハイチ系、連帯する黒人
4 ドリスモンド事件の教訓
おわりに
あとがき…………………………………………………………………………………編 者
註………………………………………………………………………………………
事項索引………………………………………………………………………………
人名索引………………………………………………………………………………
アジアシュウエンカラミタアメリカ センハッピャクゴジュウカラセンキュウヒャクゴジュウ 978-4-7791-1538-7 9784779115387 4-7791-1538-8 4779115388 0022 アジア周縁から見たアメリカ 1850〜1950年 林義勝 寺内威太郎 高田幸男 ゲイル・サトウ ハヤシヨシカツ テラウチイタロウ タカダユキオ サトウ,ゲイル 著訳書等に『20世紀のアメリカ外交 国内中心主義の弊害とは』(ロバ-ト・ダレック著、林義勝訳、多賀出版 、1991年01月)、『原爆投下とトルーマン』(J.サミュエル・ウォーカー著、林義勝監修、彩流社、2008年09月)、『アメリカ大国への道 学説史から見た対外政策』(マイケルJ.ホーガン編、林義勝訳、彩流社、2005年06月)などがある。 著訳書等に『植民地主義と歴史学 そのまなざしが残したもの 明治大学人文科学研究所叢書』(寺内威太郎 他著、刀水書房、2004年04月)などがある。 著訳書等に『現代中国の歴史』(久保亨・高田幸男 他著、東京大学出版会、2008年06月)などがある。 著書に『現代詩手帖 特集 「ボーダー文学最前線 チカーノ/チカーナ詩、そして」』(所収「ボーダーランに根を下ろす:ハワイ出身のアジア系アメリカン詩人たち」ゲイル・サトウ・寺澤由紀子訳、思潮社、2005年5月)、『グローバリゼーションとアメリカ・アジア太平洋地域』(杉田米行 編著(ゲイル・K・サトウ 執筆)、大学教育出版、2009年05月)などがある。 彩流社 サイリュウシャ 序 章………………………………………………………………………………………林 義勝
第一章 一九世紀後半期の朝米関係……………………………………………………寺内威太郎
はじめに
第一節.アメリカとの接触
一 シャーマン号事件
二 辛未洋擾
第二節 『朝鮮策略』とアメリカ
一 『朝鮮策略』の将来
二 「聯美国」
第三節 朝鮮の対米開国
一 朝鮮のロシア・西欧認識
二 対米開国への転換
三 「親中国」
四 朝米修好通商条約の締結
おわりに
第二章 フィリピンから見た二〇世紀転換期の米比関係――アメリカ・フィリピン戦争を中心に………林 義勝
はじめに
第一節 アメリカ・フィリピン戦争とエミリオ・アギナルド
一 フィリピン独立革命戦争とアメリカの関与
二 アメリカ軍のマニラ入城とパリ講和会議
第二節 アメリカ・フィリピン戦争の展開
第三節 アメリカ・フィリピン戦争と黒人兵士
第四節 シスト・ロペスの言論活動
おわりに
第三章 近代中国教育界から見たアメリカ──地理・歴史教科書の分析を中心に…………………………高田幸男
はじめに
第一節 近代中国の教育とアメリカ
第二節 清朝末期(一九〇一年~一九一一年)の教科書に描かれたアメリカ
一 近代学制の導入と初期学校教科書
二 商務印書館版『小学万国地理新編』
三 商務印書館『中学校用 西洋歴史教科書』
第三節 中華民国北京政府期(一九一二年~一九二八年)の教科書に描かれたアメリカ
一 民国北京政府期の教科書制度と教科書市場
二 商務印書館『新撰地理教科書 第四冊』
三 中華書局『教育部審定 新学制適用 新小学教科書 歴史課本 高級第四冊』
第四節 中華民国国民政府期(一九二七年~一九四九年)の教科書に描かれたアメリカ
一 国民政府の誕生と教科書制度
二 商務印書館『新時代高級小学 地理教科書 第四冊』
三 商務印書館『新時代高級小学 歴史教科書 第四冊』
第五節 中華人民共和国初期(一九四九年~一九五八年)の教科書に描かれたアメリカ
一 中華人民共和国の成立と新たな教科書制度の開始
二 人民教育出版社『高級小学地理課本 第四冊』
三 中国共産党のアメリカ観の変化
四 人民教育出版社『高級小学 歴史課本 第三冊、第四冊』
五 人民教育出版社『初級中学課本 世界歴史 下冊』
おわりに
第四章 アジア系アメリカ人の戦争の記憶——アメリカに内在するアジアの周縁…ゲイル・K・サトウ(寺澤由紀子訳)
はじめに
第一節 アジア系アメリカ文学史──戦争、記憶、表象
一 アジアにおけるアメリカの戦争の文化的再演
二 日系アメリカ人の記憶──カレン・テイ・ヤマシタの『オレンジ回帰線』における移転の再演
三 韓国系アメリカ人の記憶
──ノラ・オクジャ・ケラーの『従軍慰安婦』と
チャンネ・リーの『ジェスチャー・ライフ』における抵抗の再演
四 ベトナム系アメリカ人の記憶
──アンドリュー・X・ファムの『ナマズとマンダラ──ベトナムの風景と記憶をめぐる二輪車の旅』
におけるサバイバルの再演
五 アジア系アメリカ文学と文化的記憶
第二節 椰子の木と空──アジア系アメリカ文学と惑星思考
一 ニュートンの時間+非標準時間──アジア系アメリカ人の戦争の記憶
二 美と不正であることについて──バズワームの 椰子の木
三 美と公正であることについて──マンザナーの空
四 倫理的・審美的公正さ──バズワームとマンザナー
おわりに──二一世紀の太平洋航海図
終 章………………………………………………………………………………………ゲイル・K・サトウ(寺澤由紀子訳)
註と参考文献……………………………………………………………………………………………………………………
索 引…………………………………………………………………………………………………………………………… 序 章
本書は二〇〇四年度から二〇〇六年度にかけて、「明治大学人文科学研究所総合研究第一種」として採用された、ゲイル・K・サトウ教授を研究代表者とし、さらに三名の文学部教員が共同研究者として参画した共同研究の成果である。人文科学研究所に提出した申請書にはおおむね次のように本研究が位置づけられていた。一九世紀中葉から第二次世界大戦終了期にいたる時期を対象に、アメリカ合衆国(以後アメリカと略記)を中心として考えた場合の周縁、すなわちアジア人、あるいはアジア系アメリカ人の研究者の視点を活かして、アメリカが掲げている理念やアジア各地に対する個別の政策の意味を問い直すことであった。具体的な研究テーマは、一九世紀中葉から後半にかけての朝鮮とアメリカとの関係やそのアメリカ像、二〇世紀前半の中国で描かれていたアメリカ像、二〇世紀転換期の独立運動が起きていたフィリピンとアジアへの進出を考慮していたアメリカとの関係を想定していた。さらに、アメリカ国内に居住しながらそこでは周縁と位置づけられる、アジア系アメリカ人の視点からのアメリカ像の見直し、以上のテーマから析出されるアメリカ像や地域との関係性に通底するものがあるかどうか考察を試みようとしたのである。
ここで、個々の論文の論点を簡潔にご紹介しておきたい。寺内威太郎教授の「一九世紀後半期の朝米関係」の論点は以下の通りである。一九世紀の前半期から、朝鮮周辺に西洋の商船が接近し通商を求める状況になっていたが、朝鮮は鎖国攘夷政策をとっていたので、朝鮮側から主体的に西洋諸国と関係を構築する可能性はほとんどなかった。事態が動くのは一八八〇年代になってからで、清をめぐる国際情勢が関係していた。清は、ロシアの勢力拡大と、日本の琉球処分に脅威を感じ、藩属国朝鮮の重要性を再認識せざるを得なかった。そこで、ロシアの朝鮮への南下と、日本の朝鮮併呑を防止するために、朝鮮にアメリカと条約を締結させて、ロシアと日本を牽制し、あわせて改めて朝鮮との関係を強化しようと図った。結局、朝鮮も清の勧告を受け入れて対米開国へ動き出すことになるのである。
アメリカ側にも、日朝修好条規の締結(一八七六)を受けて、朝鮮と通商条約を結ぼうとする動きがあり、日本の仲介を期待して、朝鮮との直接交渉を試みたが、すぐには実現しなかった。しかし曲折を経ながらも、シューフェルトが李鴻章を相手に交渉を行い、朝米修好通商条約を締結(一八八二)することに成功した。また、朝米関係が開始されるに当たり、朝鮮は清の属国であるが、内政・外交は自主しているという両国関係が、国際的に明示されたことは注目に値する。しかし、上記の両国関係についての清・朝鮮両国の理解に齟齬があり、その相違が、以降の朝中関係のみならず、朝鮮の国内政治にもさまざまな影響を与えることになった。
次に、林義勝教授の「フィリピンから見た二〇世紀転換期の米比関係」の論点は以下の通りである。論文の前半ではアギナルドと対スペイン戦争、その後の米比戦争に関わったアメリカ軍人や外交官との折衝の過程で、アメリカ側がアギナルドのフィリピン独立への強い願望をうまく利用しながら、最終的には独立の動きを鎮圧したことは明らである。また、米比戦争については、ゲリラ戦争の様相を呈したこと、さらに、この戦争を通してアメリカ軍兵士のフィリピン人に対する人種主義に基づいた言動が明らかにされた。一方、こうした米比戦争に兵士として参戦したアメリカ黒人兵とフィリピン人との関係については、複雑な状況であった。アメリカ黒人兵のなかには、フィリピン革命軍に参加した兵士や、戦争終了後もそのまま現地に留まった兵士が存在したことは、彼らがアメリカ社会の中で厳しい状況に直面していたことを物語っていた。また、フィリピン人外交官シスト・ロペスが、反帝国主義者連盟の支援を受けながらフィリピン独立の大義を訴えたことをこの論文は明らかにしている。米比戦争は世紀転換期のアジアでの独立運動を鎮圧することとなり、アメリカ政府の掲げた「友愛的同化」政策との間には大きな矛盾が存在したのである。
次に、高田幸男教授の「近代中国教育界から見たアメリカ──地理・歴史教科書の分析を中心に」の論点は以下の通りである。アメリカは、中国に対し中国の主権を尊重する姿勢と米中の教育文化交流を重視する政策を取ることによって、近代中国の官僚や知識人の親米意識を育んでいった。本稿は、こうした米中関係の下で、中国の教育界はどのようなアメリカ像を描いてきたのか、大手出版社の小学校用地理・歴史教科書の叙述を中心に分析する。
清朝末期(一九〇一年~一九一一年)の小学地理教科書は、立憲改革が目前の課題となっていたため、アメリカ独立革命について抑圧に対する闘いを強調し、大統領と議会、国民の関係、あるいは中央と地方の関係も重視するが、一方で華人労働者や華僑の抑圧に関しても言及する。中学用歴史教科書では、ワシントンやリンカーンを英雄的に描いている。
民国北京政府(一九一二年~一九二八年)の小学教科書は、地理では広大で豊かな工業国の有様を描くだけで、批判的な文言はない。また歴史では、ワシントンやリンカーンよりも、植民地の民衆に焦点を当てて、彼らがなぜ独立戦争を始めたか理解させようとする。
民国国民政府期(一九二七年~一九四九年)も、地理の教科書は北京政府期同様、巨大な先進工業国のようすを描くだけで、巻末で帝国主義について述べるものの抽象的である。歴史教科書では、独立達成ののち連邦制を築く過程が詳しく述べられ、パリ講和会議やワシントン会議におけるアメリカの立場を好意的に描くが、結果に対しては厳しい評価を下している。
人民共和国初期(一九四九年~一九五八年)は、アメリカに対する「幻想」を断ち切るため、地理・歴史ともアメリカの暗部を強調し、とくに歴史は、門戸開放など中国の主権を尊重する政策の「真意」を明らかにし、世界を支配しようとしていると警戒を呼びかけている。
第四論文、サトウ・K・ゲイル教授の「アジア系アメリカ人の戦争の記憶」の論点は以下の通りである。これまでの三本の論文では、「アジア周縁」という言葉は、一般に「環太平洋」と呼ばれる地理的な領域と同義のものとして使われてきたが、ここではアメリカ内部に存在するアジアの周縁について論じる。このアジアの周縁は、アジアからの移民の歴史の結果として、一九世紀中葉からアメリカ内部にアメリカ独自の空間として存在し始め、現在も存在し続けている。こうした「アメリカに内在するアジアの周縁」は、「アジア系アメリカ」という別名を持つが、この言葉の歴史は多くの問題をはらんでいる。
しかし、この論文では右のようにアジアの周縁を定義し、特にアジア系アメリカ人の戦争の記憶を通して、アメリカの国民全体の中、文化的幻想の中における「アジアの周縁」の存在とその意味を検証している。アメリカ現代史は、アジアにおいて、もしくはアジアを敵として戦われた戦争の歴史であるという、単純であるが不幸な理由ゆえに戦争の記憶は、アメリカに内在する「アジアの周縁」を考察する上で有効な手がかりとなる。そうした戦争としては、米比戦争(一八九九~一九〇二)、太平洋戦争(一九四一~一九四五)、朝鮮戦争(一九五〇~一九五三)、ベトナム戦争(一九五七~一九七五)、湾岸戦争(一九九〇~一九九一)、アフガニスタン戦争(二〇〇一~現在)、イラク戦争(二〇〇三~現在)などを数え上げることができる。
先に述べたアジア系アメリカの戦争の記憶を理解するために、サトウ教授は「惑星思考」という概念を導入する。これは考えうる最も広い視点から個別の文学作品を比較する方法である。この概念は二〇世紀から二一世紀への転換期のアメリカで、「アメリカ」文化という固定化した定義を破壊し、アメリカの文化的ヘゲモニーを分解するために生まれ、発展してきたものである。この惑星思考と戦争の記憶は、一見何の関係もないように見えるかもしれないが、両者は、平和主義への力となる文化的な表現として密接に関連している。アジア系アメリカ人の戦争の記憶と文学批評の概念としての惑星思考は、ともにアメリカのアジアにおける破壊的な戦争と、アメリカの世界経済に対する破壊的な支配への必然的な反応として生まれてきたものである。
このようなアプローチを取りながらアジア系アメリカ文学の作品を精読することを通じて、サトウ教授は、アメリカ国内にありながら、まだ地図も作られていない「アジアの周縁」を示そうとしている。そして、サトウ教授は、いまだに地図もないが、われわれの意識的な行動と思考の一部とするために地図のように明確に示さなくてはならないのは、広い意味では汎太平洋の、もう少し限定的にはアメリカの歴史を、アジア系アメリカ文学を通じて理解するにあたっての太平洋の可能性についてであろうと結論付けている。
以上が、本書に採録されている四本の論文の要約であるが、全体として、この共同研究に乗り出した際に、二〇〇四年度から始まる三年間の研究期間の間にできるだけ機会を活かして、アジア人研究者ばかりでなくアメリカ人研究者からもわれわれのプロジェクトへの協力を得られることを期待していた。幸いなことに、日本アメリカ学会が年次大会の際に招待された研究者には、毎年われわれのプロジェクトのために明治大学で講演会を開催して頂いた。また、二〇〇六年度にはアメリカから中国系アメリカ人研究者と韓国から研究者をお招きして、われわれ独自の国際フォーラムを開催することができた。こうした海外の研究者との交流を通して、アジア周縁の視点を活かしながらアメリカの歴史や社会について充実した対話を重ねる機会が得られたことは大きな喜びであった。この三年間に開催された講演会と国際フォーラムの報告の要約については終章で触れられている。
アメリカが太平洋世界へコミットすることによって新時代を築くことは、同時にアジア諸国にとっても新しい関係の出発点でもあった。帝国主義の時代の朝鮮半島をめぐる列強の角逐のなかでの朝米関係、アメリカ・スペイン戦争から始まるアメリカ・フィリピン戦争とその結果、激動の中国近代史における“アメリカ観”の変遷、アジアの戦争の“主役の一人”でもあったアメリカにおけるアジア系アメリカ人の文学に昇華された戦争の記憶・・・・・・。
アジアの眼から見えてくる“もう一つのアメリカ像”への招待。
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