井上井月研究

井上井月研究

中井 三好 著
A5判 / 388ページ / 上製
定価:5,500円 + 税
ISBN978-4-7791-1609-4 C0092
奥付の初版発行年月:2011年03月 / 書店発売日:2011年03月14日
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内容紹介

俳諧史に欠落した巨人の全貌を蘇らせる!
“漂白の俳人”の実像と“寂びと幽玄の詩境”の本質!
●かつて芥川作家石川淳が貼った「井月は全国行脚もせず、俳諧漂泊者気取りだ」という言われなきレッテルの嘘を暴く。
●芭蕉俳諧の本質、寂びの詩境を漂白に求め、芭蕉が唱えた「かるみ」の風体を掴んで、寂びと幽玄の詩境を得た作品群。
●近代俳句史上の巨匠・高浜虚子に、時代の先を行く井月の発句と等類、同巣の俳句が多くあること。すなわち井月の発句の素材や趣向が、真似られていたという発見。【第1章 第2節 4井月再亡失】
● 俳諧・和歌研究者、俳人必読の書!

前書きなど

【第1章 第2節 4井月再亡失】等類、同巣の俳句……
 (前略)

 勲は才次郎から『井月の句集』の誤謬表の原稿を受け取ると、直ちに印刷にして、亡くなった龍之介の家族を初め、高浜虚子、内藤鳴雪、寒川鼠骨、小沢碧童、さらに『井月の句集』を贈った久保田万太郎や室生犀星や滝井孝作らへ、自分の調査不十分と杜撰な編集によって迷惑をかけたことを詫び、誤謬表に井月の新発見句を添えて送った。
 その井月の新発見句の中に、長野県上伊那郡伊那村(現、伊那市)入舟の船着場での通船を詠んだ、

柳から出て行舟の早さかな井月

という発句があった。
 その年の十一月十日、高浜虚子は九品佛吟行で、井月のこの句と似た俳句を発表した。

流れ行く大根の葉の早さかな虚子   出典『五百句』

 虚子のこの俳句は「純粋な花鳥風月を純粋に花鳥風月として諷詠し、そこになんらの先入観の色付けを許さないところに特色がある」として、近代俳句創始者正岡子規の写生句の継承者としての地位を得たものとなった。その一方で、山本健吉や平畑静塔らは「思想のない痴呆美」と酷評した。
 この俳句が有名になって、下島勲や高津才次郎らの知るところとなるのであるが、この時点では誰もが井月の句と似てはいるが、短詩形なるが故の偶然性と思っていたようだ。
 ところが、龍之介死後の虚子の俳句に、次々と井月の感性を種にしていると思われるような俳句が出始めた事によって、あの「流れ行く……」の俳句はどうであったのかというところまで話が遡っていたようであった。

梅が香や栞して置く湖月抄井月   出典『井月の句集』
栞して山家集あり西行忌虚子   出典『玉藻』昭和五年

 勲と才次郎は『井月の句集』の誤りを正し、新たに発見した日記や書簡等を加えて、昭和五年(一九三○)に『漂泊俳人井月全集』として白帝書房から出版して、早速高浜虚子らにこの本を贈った。しかし、何故かこの本についても虚子は何の反応も示さなかった。
 この頃、虚子の周りで俳句文芸論が起こっていた。昭和六年(一九三一)に水原秋桜子が高浜虚子の『ホトトギス』を離反した。理由は高野素十の「甘草の芽のとびとびのひとならび」の俳句をきっかけに、客観写生といって樹木を凝視して自然の真を求めるのは、科学に属することであり、文芸上の真を求め続けるのが文学であると、高浜虚子の客観写生の瑣末化を批判して、「完全なるもの、純粋なるもの、美しいものへの希求」を謳い、文芸上の真を求めて秋桜子は独立して『馬酔木』を創刊主宰した。

 秋桜子の離反は穏当なものではなかったと見え、虚子は「厭な顔」という寓話を発表した。それは織田信長が部下の左近が自分に背いて一揆に加わったことを憤って咎め、処刑したというものである。

 「己も折角のお前の言葉に耳を傾けなかったのは悪かったが、お前も其の為に厭な顔をしてすぐ蓄電したのは愚かなことではなかったか。」信長は又左近の其時の厭な顔を思ひ出して笑った。左近は一層首を垂れた。「左近を斬ってしまへ。」と信長は命令した。

 『ホトトギス』同人の京極杞陽が虚子にこの登場人物の左近は、秋桜子の事かと尋ねると、実在する人物ではない、秋桜子君の事ではないと答えたという。しかし、折も折であるから秋桜子を念頭に置いたものであろう。
 この秋桜子の離反に、次の推測も成り立つように思える。井月発見を与謝蕪村以来の大発見と芥川龍之介が激賞して跋文を書き、虚子が巻頭に「丈高きをとこなりけん木枯に」と絶賛の俳句を贈った『井月の句集』や『漂泊俳人井月全集』を、虚子の門人の秋桜子も当然手に入れて鑑賞し、熟知していたはずである。龍之介が亡くなってから、虚子は井月の発句を俳句創作の種に使っているのではないかという疑いを秋桜子が抱いていたとしても不思議ではない。鋭い文学的感性を持つ秋桜子であれば、むしろ当然とも思える。
 しかし、虚子は芥川龍之介が亡くなり、秋桜子が自分の許を去ったことを、これ幸いといったように、より大胆に井月の発句を真似たり種にした俳句を発表し続けた。

淵明も李白も来たり凉み台井月   出典『漂泊俳人井月全集』
京伝も一九も居るや夕涼み虚子   出典『虚子秀句』昭和八年

 前者の井月の発句の淵明、李白というのは、酒が好きで俳諧を好み風流を解する長野県南信濃の伊那谷の門人を中国の詩人になぞらえて井月が付けた渾名である。発句の淵明は東春近村(現、長野県伊那市)の飯島山好、李白は同村の久保村権造で、他に劉伯倫は同村の飯島五平である。井月はこれを風流図にして楽しんだ。

  井月が書いた「風流図」
                      狂言寺和尚筆
李太白権造社  酌酒は是\風流の\
劉伯倫五平大神眼なり月を\見るにも\
陶淵明山好神   花を見るにも

 「淵明も李白も…」の句意は権造も山好も凉み台にやって来て、三人で酒を飲みながら、中国の本家の淵明や李白が古今の詩を吟じたり、詩作に耽って風流を楽しんだように、我々も芭蕉をはじめ蕉門の名句を口ずさんだり、発句を得ては俳諧三昧の風流な時を過ごしているよと詠んだものである。貞門俳諧の香りのする名句である。
 芥川龍之介もこの発句を高く評価し、自らもこの句から前出の「川狩や陶淵明も尻からげ」と親しみの句を作っている。
 後者の虚子の俳句の京伝は山東京伝のことで、江戸中期の洒落本作者である。一九は十辺舎一九のことで、『道中膝栗毛』の作者である。ところが、この京伝も一九も『漂泊俳人井月全集』の中の井月の「用文章」に載っている作者たちなのである。
 (中略)

 偶然では起こりえないような、虚子の俳句の発想も素材も構成も、全て井月の発句や文章にあるのである。虚子は、井月の発句の構成や貞門俳諧の名残りを留める古典文学三昧の感性に惹かれて、そっくり真似たのではないだろうかと疑われても仕方のない俳句である。
 句意の面から見ると、虚子は中句に「居るや」として、その詩情は弱まり井月には遥かに及ばない。しかも、卑猥なことを好んで書く京伝が主役である。
 ところが、こうした井月の発句や文章を読んでいない現代の俳人たちは、虚子が江戸の洒落本作者たちを並べて夕涼みの風流な構成を為したとして、新鮮で豊かな広い感性に圧倒されたようにこの俳句を絶賛した。この俳句への評価が時代が経つにしたがって益々高くなり、「流れ行く大根の葉の早さかな」の俳句と共に戦後の幾つかの出版社の高等学校の国語の教科書に、現代俳句文学作品として採用された。
 (中略)
 次も井月の発句の真似や種にしているのではないかと思われている虚子の俳句の数々である。

程近くなればかたげる日傘かな井月   出典『井月の句集』 
顔かくし行過ぎたりし日傘かな虚子   出典『新歳時記 花鳥諷咏』

妻によし妾にもよし紅葉狩井月   出典『井月の句集』 
妾より美しき妻冬支度虚子   出典『新歳時記 花鳥諷咏』

折れ曲り来る風筋や釣荵井月   出典『井月の句集』 
岬より折れ曲り来る卯浪かな虚子   出典『新歳時記 花鳥諷咏』

何処やらに鶴の声聞く霞かな井月   出典『井月の句集』 
どこやらに花火の上る良夜かな虚子   出典『高浜虚子全俳句集』

屠蘇の座や立まはる児の姉らしき井月   出典『漂泊俳人井月全集』
弾初の姉のかげなる妹かな虚子   出典『新歳時記 花鳥諷咏』

子供にはまたげぬ川や飛蛍井月   出典『井月の句集』 
闘鶏や川飛び越えて人来る虚子   出典『新歳時記 花鳥諷咏』

紐を解く大日本史や明の春井月   出典『井月の句集』 
読初や日本外史楠氏篇虚子   出典『高浜虚子全俳句集』

(後略)

版元から一言

 あとがき

 私は井月没後百二十年を記念して小説『漂泊の俳人井上井月記』(彩流社)を出版したのを機に、井月俳諧をしっかりと研究しなければならないという思いが強くなって来たのである。
 私が気にかけていた一冊の本がある。
 昭和四十一年(一九六六)に出版された芥川賞作家石川淳著の『諸国畸人伝』(筑摩書房)に出て来る井月についての一文である。

(柳の家井月は)江戸にのぼったのち、さらに諸国にさすらひ、足跡は上方にもおよんでいるといふ。この上方といふのは、どうか。なるほど井月の俳諧の中には、上方の名所とか堂上のことなんぞを詠みこんだものはあるが、能因の白河の関の例をひくまでもなく、それしきの細工は居ながらにしていとやすい。そして、さういふ細工物の句では、井月はいつも不束である。

 石川淳はこの本で能因法師の白河の関の歌を引き合いに出して、井月が全国を俳諧行脚(漂泊)もしないで、俳諧漂泊者気取りで居ると書いているのである。
 本当にそうなのか、是非とも検証して置かなければならないと思った。何故ならば、これは、井月俳諧の根幹に関わる問題であるからである。

  我道の神とも拝め翁の日井月
  明日知らぬ小春日和や翁の日 同

と、井月は自分の求めている俳諧は芭蕉俳諧にあるとしているからである。すなわち、芭蕉の『奥の細道』の冒頭にあるごとく、俳諧漂泊は芭蕉俳諧の理念なのである。
 残念なことに、私が前述の小説の取材をしている時に会った大半の人が、この本が井月をよく研究していて、読んでおいた方がよいと教えてくれたものである。
 ところが、むしろ私はこの本によって、井月研究の必要性を強く思ったのである。
 こうして、私は井月の俳諧と漂泊の姿を求めて研究を始めたのである。研究にあたっては、下島勲、高津才次郎共編の『漂泊俳人井月全集』や、井月の句集『越後獅子』『家つと集』『余波のみづくき』、それに日記、書簡をはじめとして多くの手跡を直接見ることが出来た事が、大きな力となった。
 そして、私は井月が著わした句集や日記や文章に出て来る俳諧行脚(漂泊)地の俳人の俳号を携えて、全国の図書館等の幕末から明治初期にかけての俳諧記録探しとなったのである。幸い私は自家用車の力を借りて、歩いて漂泊した井月の万分の一の労力もいらなかったのである。
 井月と同時代に活躍していた俳人は、新潟県立図書館の安政五年の『北越俳諧人銘録乾、坤』(原本)など、南は九州、四国から北は東北までの各都府県等が所蔵する本との出会いによって確認することが出来た。確認した資料名は、本書の「主な参考文献」に全て記載しておいた。
 全国の図書館等の方々のご協力に対して心より感謝申し上げる次第である。
 私は図書館等の資料の中に井月が書き記した俳人を見つける度に、
 「ああ、居てくれてありがとう」
と、その字句を熱い思いで見入って、語りかけるようにして俳人の本名を始めとして記載されている事柄を漏れなく書き写した。
 また、道の駅で休んでいて、涙がわけもなく流れ落ちることもあった。しかし、その涙は、私の井月を求めての旅によって、井月と一体感を抱いたありがたいものでもあった。
 井月が全国を俳諧漂泊して育てた門人、交流を持った俳人、更に誼みを交わした人々等を全て本書の「第Ⅴ章」に載せておいた。
 井月は本当に全国を俳諧漂泊したのである。
 井月は本当に、芭蕉俳諧の漂泊の中に生まれるであろう寂びの詩境を求めて、芭蕉の姿を追ったのである。そして、芭蕉が晩年に唱えた「かるみ」の風体を掴んで、寂びと幽玄の詩境を得たのである。
 研究の過程で、時代の先を行く井月の発句と等類、同巣の俳句が、近代俳句の高名な俳人の句に多くあることが分かったのである。すなわち井月の発句の素材や趣向が、その俳人に真似られていたという予期せぬ事が分かって来たのである。井月はそれだけすごい俳人ということである。
 この研究に際しては、特に井月終焉の地の次の方々から多大なるご協力を頂いた。
 井月が厄介附籍されて入籍し、分家戸主となった長野県伊那市美篶村末広の塩原家分家の現当主塩原芳氏ご夫妻。
 井月を弟として引き受けて附籍させた、同市末広(旧、高遠藩直営末広村)のかつての「高遠藩智事休」所であった塩原家本家の塩原折治、俳号梅関の家の現当主塩原時彦氏ご夫妻。
 井月の過去帳がある檀家寺の長野県伊那市勝間の龍勝禅寺、通称龍勝寺住職様ご夫妻。井月の事は勿論、下島勲、芥川龍之介に関する貴重な資料を提供して下さった、『井月の句集』の著者下島勲と、その弟富士の実家、長野県駒ヶ根市中沢の現当主下島大輔氏ご夫妻。
 新発見の井月の『柳の家宿願稿』等をはじめとする、多くの井月に関する貴重な資料を提供して下さった長野県伊那市荒井の竹入弘元先生ご夫妻。
 さらに、長野県井月会々長春日愚良子氏、伊那市の小林武夫氏、同市の矢島太郎氏、同市の小松英三氏、そして同市の橋爪剛健氏と、多くの方々に井月に関する貴重な資料の提供をいただき、誠に感謝に堪えない。
 井月の基本資料となった『漂泊俳人井月全集』をこの世に遺し置いた下島勲、芥川龍之介、下島富士、そして高津才次郎の業績を尊び、拙文の赦しを乞う。
 
 平成二三年二月
著 者    

著者プロフィール

中井 三好(ナカイ ミヨシ)

1937年(昭和12)、富山県に生まれる。俳誌『俳句往来』主宰。
著書に『はくれん—中井三好集』(近代文芸社、1989年)、『夕日と黒パン』(彩流社、2005年)、『知里幸恵—十九歳の遺言』(彩流社、1991年)、『『天の夕顔』のかげで—不二樹浩三郎愛の一生』(彩流社、1995年)、『教育実践記録『不登校生よ、ともに!—単位制高校の挑戦』(彩流社、1998年)、『口語体俳句論・句集 「や」「かな」「けり」捨ててこそ… 』(彩流社、2004年)、『漂泊の俳人井上井月記』(彩流社、2007年)などがある。

目次

   井上井月研究/目次

第Ⅰ章 井月俳諧の本質と展開 9
 第一節 井月の生涯 11
  1 出生年 11
  2 出身地 11
  3 本名 14
  4 出自・家柄 16
  5 俳号 19
    ア 少年時代と俳号井上井月 19
    イ 柳の木と別号の数々 21
  6 修行時代 23
    ア 学殖 23
     ⑴漢学 23
     ⑵佐藤一斎の講義を聴講 24
     ⑶京都の貞門俳諧に入門 26
     ⑷貞門俳諧と新在家文字 30
     ⑸貞門俳諧と古典文法 34
     ⑹貞門俳諧から芭蕉俳諧へ 35
    イ 墨書 37
    ウ 与謝蕪村後の俳諧 40
  7 長岡藩出奔 43
  8 女性観と結婚 45
  9 立机 47
  10 戸隠神社祈願 51
  11 南信濃の地に現れる 53
  12 漂泊の姿 56
  13 井月の嗜好と千両 64
  14 信濃の風土 67
  15 小学校の先生の先生となる 70
  16 桃青社と日高村での蕉堂開基計画と戸籍問題 73
  17 井月と京都俳壇で学んでいる伊那谷の俳人たち 75
  18 第二回の東春近村での蕉堂開基計画 76
  19 太政官の五榜の定の掲示 78
  20 厄介附籍 79
  21 塩原本家離れでの第三回目の蕉堂開基計画と開基披露句集編纂作業 85
  22 聟養子口上書 89
  23 井月の最期 90
  24 門人によって『余波のみづくき』開板される 93
  25 井月の墓 95
 第二節 井月忘失と発掘 98
  1 井月忘失 98
  2 井月発掘 100
  3 井月に私淑した山頭火 109
  4 井月再忘失 111
  5 井月再発掘 123
 第三節 井月俳諧の骨格 128
  1 行脚(漂泊)地と俳人の確認 128
   ⑴ 信濃(長野県)外の俳諧行脚(漂泊)先の俳人数とその確認 128
   ⑵ 信濃(長野県)内の俳諧行脚(漂泊)先の門人数とその確認 130
   ⑶ 井月と交流のあった全俳人、全門人の分布表 132
   ⑷ 井月と交流のあった全俳人、全門人、及びゆかりの場所等 132
  2 井月の俳諧之連歌(連句)の姿 133
  3 井月の発句の姿 138
   ⑴ 漂泊の境涯の句 139
   ⑵ 詠史の句 141
   ⑶ 挨拶の句 143
   ⑷ 主観の句 145
   ⑸ 酒興の句 146
   ⑹ 茶屋遊びの句 148
   ⑺ 「てにをは」活用の句 149
   ⑻ 井月が学びとった芭蕉俳諧の「かるみ」の風体 151
    ア 門人に書き与えた芭蕉の発句、俳文 151
    イ 門人に書き与えた早川漫々の俳文 154
    ウ 「かるみ」への芭蕉の心残り 156
    エ 井月が辿り着いた「かるみ」の寂びと幽玄 157

第Ⅱ章 井月作品鑑賞 165
  春の部 166
  夏の部 174
  秋の部 183
  冬の部 193
  新年の部 200

第Ⅲ章 難解句解説 203
  春の部 204
  夏の部 211
  秋の部 221
  冬の部 227
  新年の部 232

第Ⅳ章 井月の著作 237
  1 句集 238
  2 日記 238
  3 小文章 239
  4 起請文 240
  5 書簡 240
  6 墨書 243

第Ⅴ章 井月と交流のあった全俳人、全門人、及びゆかりの場所等 245
  1 全国行脚で交流のあった俳人たち 246
  2 門人――信濃(長野県)の俳人たち 261
  3 人格的信頼関係の人々 335
  4 漂泊の中で誼みを交わした人々 339
  5 酒店や茶店や宿屋等 342
  6 奉額の神社仏閣等 344
  7 漂泊の中で休んだ小堂等 345
  8 ゆかりのあった神社仏閣等 346

第Ⅵ章 四人の井月発掘者の肖像 349

年譜 353
主な参考文献 370
全国行脚略図 376
  
あとがき 377
井月発句・和歌索引 381

関連書

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