ヒロシマノショウネンショウジョタチ ゲンバク ヤスクニ チョウセンハントウシュッシンシャ 978-4-7791-2161-6 9784779121616 4-7791-2161-2 4779121612 0036 ヒロシマの少年少女たち 原爆、靖国、朝鮮半島出身者 関千枝子 セキチエコ せき・ちえこ
1932年大阪生まれ。旧制女学校2年のとき広島で被爆。
学校を病欠していたため助かる。
早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。
1954年、毎日新聞社入社、社会部、学芸部の記者を務める。
のち全国婦人新聞(女性ニューズ)記者、編集長。
現在はフリーのジャーナリスト。
2014年、安倍靖国参拝違憲訴訟原告(筆頭)。
主著:
『往復書簡 広島・長崎から―戦後民主主義を生きる』
(共著、彩流社)、
『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち』
(ちくま文庫。日本エッセイストクラブ賞および
日本ジャーナリスト会議奨励賞受賞)、
『図書館の誕生―ドキュメント日野図書館の二十年』
(日本図書館協会)、『この国は恐ろしい国―もう一つの老後』
(農文協)、『ルポ 母子家庭 「母」の老後、「子」のこれから 』
(岩波書店)。
近刊として知の木々舎の中山士朗氏との往復書簡を
西田書店から刊行予定。 彩流社 サイリュウシャ 序章 平和大通り――少年少女たちの墓場
第一章 慟哭の惨事
第二章 少年少女たちの戦後
第三章 学校の慰霊碑
第四章 運命の分かれ道
――生と死を分けたもの
第五章 靖国合祀――最年少の英霊
第六章 死者が「足りない!」
最終章 あの作業は何だったのか 私のクラスメイトは全員死んだ。建物疎開作業(土方作業)のために。
1932年大阪生まれ。旧制女学校2年のとき広島で被爆。
学校を病欠していたため助かる。
早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。
1954年、毎日新聞社入社、社会部、学芸部の記者を務める。
のち全国婦人新聞(女性ニューズ)記者、編集長。
現在はフリーのジャーナリスト。
2014年、安倍靖国参拝違憲訴訟原告(筆頭)。
主著:
『往復書簡 広島・長崎から―戦後民主主義を生きる』
(共著、彩流社)、
『広島第二県女二年西組―原爆で死んだ級友たち』
(ちくま文庫。日本エッセイストクラブ賞および
日本ジャーナリスト会議奨励賞受賞)、
『図書館の誕生―ドキュメント日野図書館の二十年』
(日本図書館協会)、『この国は恐ろしい国―もう一つの老後』
(農文協)、『ルポ 母子家庭 「母」の老後、「子」のこれから 』
(岩波書店)。
近刊として知の木々舎の中山士朗氏との往復書簡を
西田書店から刊行予定。 彩流社 サイリュウシャ 序章 平和大通り――少年少女たちの墓場
第一章 慟哭の惨事
第二章 少年少女たちの戦後
第三章 学校の慰霊碑
第四章 運命の分かれ道
――生と死を分けたもの
第五章 靖国合祀――最年少の英霊
第六章 死者が「足りない!」
最終章 あの作業は何だったのか 私のクラスメイトは全員死んだ。建物疎開作業(土方作業)のために。
あの日、広島中じゅうの中学、女学校1・2年生8000人以上が
動員され、約6000人が死んだ。
平和大通りは子どもたちがつくった道であり、子どもたちの墓場なのだ。
日本教育史上最大と言われるこの事実が、あまりにも知られていない。
子どもたちはお国のために死んだ「最年少の英霊」として靖国神社に
合祀された。しかし、朝鮮半島出身の生徒は外国人としてカットされた。
クラスメート一人一人の遺族を訪ねて記録した著者が、
渾身の力を込めて後世に伝え残したい痛切な事実の訴え。
タグ: 太平洋戦争