『洋画家たちの東京』が「東京人」(11.10月号)、「週刊読書人」(11.8.19号)、「三田評論」(11.8-9月号【著者ノート】)、「芸術新潮」(11.7月号)、「美術の窓」(11.7月号)、「三省堂書店公式ブログ 『神保町の匠』」、「図書新聞」(11.6.18付)にて紹介されました。

2011 年 6 月 20 日 月曜日

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明治・大正・昭和と、洋画文化の先端を独占した東京。才能ある多くの若者を引き寄せた。青木繁、村山槐多、長谷川利行等、彼らはどんな夢を抱き生きたのか。日本近代絵画の裏面を渉猟し、天才画家が命がけで描こうとした夢と現実に迫る。

「明治から昭和にかけて、大志を抱いて上京した洋画家たち。彼らが暮らした住居をはじめ、画塾や道、美術展会場、画廊などを丹念に探り、現在の東京地図に重ね合わせた、建築士である著者ならではの試み。」(「東京人」11.10月号より)

「美術史学とは、美術作品を調査研究し、その歴史的展開を跡づける学問である。古くはパウサニスやプリニウスの時代から文献が在るものの、学問としての厳密さを確立するようになったのは前世紀初頭のことだ。爾来、美術史は文学や歴史学は当然のこととして、心理学、社会学、女性学等他分野の成果を応用しつつ今も進化を遂げているが、本書の筆者の試みに示された建築あるいはトポスにかかわる関心は、この学問にさらなる広がりを持たせることを期待させる。」(「週刊読書人」11.8.19付より)

「帯のコピーには、夏目漱石の文展評を拝借した。『彼らは食う為ではなく、実に飢える為、渇する為に画布に向う様なものである。』約二年間にわたり、私が図書館に黄ばんだ絶版本を渉猟し、カメラを手に「現場」への徘徊を繰り返して描こうとしたことは、まさにこの一文に尽きると言ってよい。」(「三田評論」11.8-9月号より)

「本書は、17歳の青木繁が単身上京するところから始まるのだが、その後青木は主に経済的困窮から、都内だけでも10ヶ所以上を転々としている。青木しかり、退廃した生活の末に代々木上原の草むらで亡くなった村山槐多しかり、彼らの画業は、東京という都市空間との格闘にも見える。」(「芸術新潮」11.7月号より)

「特に青木繁についての記述に多くを割いており、天性の画才と凋落していく私生活との狭間でもがき、描き続ける姿を伝えている。岸田劉生、黒田清輝など当時の東京で洋画界を支える人物や、洋画と常に接触していた夏目漱石についても豊富なエピソードが載る。著者が一級建築士ということもあって、画家たちが過ごした東京の家や画塾の場所など地理的なことについても言及し、現在の地図と照合するなど実際の軌跡を辿れる内容も含まれている。」(「美術の窓」11.7月号より)

「この書名から、読者はふつうどんな印象をもつだろうか。1世紀半前、近代化とともに招来された西洋絵画。その技法を学んだ天才たちが描き、時代の変遷とともに失われた情景。すなわち、帝都東京の“逝きし世のおもかげ”を思い浮かべるだろうか。そうした一面も確かにあるが、本書で苛烈なまでに描かれているのは、ひとえに“青木繁的なるもの”の運命。急いで付け加えれば、一級建築士で建築デザイン事務所を主宰する著者の言説は、まことに明快で具体的であって、“青木繁的なるもの”、などという熟さない表現は、本書のどこにもない。だが、ひとたびページを開けばもう否応なく読み進むしかない本書を貫く、悪魔的な磁力にあえて名前をつけるならば、そのようにしか呼びようがない。」(「三省堂書店公式ブログ 『神保町の匠』」より) (続きを読む…)