『日露戦争の裏側〝第二の開国〟』が「東京新聞」(11.4.24付)にて大きく書評されました!!

2011 年 4 月 25 日 月曜日

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明治37~38年、全国29ヵ所の収容所に72,000人のロシア人が溢れた!捕虜受け入れに対応した軍関係だけでなく、各地元の対応― 一部には収容所誘致運動も。各地に移動する捕虜の姿(外国人)を初めて見る民衆、異文化との接触・反応。当時の地方新聞や僅かに残る資料をもとに各地の姿を描く ―脱走事件や郭通い、捕虜祭りなど。元新聞記者の〝足で歩いた〟ドキュメント。現在の写真と当時の写真、150余点を多数収録。

「用いられている資料は主として各地の地方紙、県史、市史、地方史家たちの研究、聞き書きなど。まさに「草の根」に密着した緻密な調査の成果である。それによって私たちは、戦死した者をもつ家族のロシア兵への敵意もさることながら、むしろ親愛と好奇の念によって異国の兵士に引き寄せられてゆく、民衆のワクワクするような心の躍動を見ることになる。」(「東京新聞11.4.24付より)

『移動する朝鮮族』が「io(イオ)」(11.7月号)、「朝鮮新報」(11.4.22付)、「日本経済新聞」(11.4.10付)にて紹介、「週刊金曜日」(11.4.1号)、「ワセダ アジアレビュー」(2011.No.9)にて書評、「東洋経済日報」(11.3.11付)、「毎日新聞」(11.2.26付)、「朝日新聞」(11.1.21付【夕刊】)にて著者とともに紹介されました。

2011 年 4 月 11 日 月曜日

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歴史的に日本と関係が深い東北アジアの朝鮮族の移動とネットワークを、フィールド調査をもとに壮大なスケールで実証。そのネットワーク形成のダイナミズムから、平和構築に不可欠な要件を提示する。若手気鋭の研究者の著書。

「朝鮮族の移動を『身体的な移動』という観点を交えながら考察し、従来のエスニシティ研究の枠組みでは捉えきれない新しい視点と問題意識を提示するとともに、丹念なフィールドワークを通して彼らの逞しさや強かさを伝えてくれる好書である。」(「io(イオ)」11.7月号より)

「民族については、つとにスターリンの定義が有名であるが、本書は著者が蓄積した学識とたゆみないフィールド・ワークによって朝鮮族という中国籍民族のアイデンティティーと実情を考察したプラティカルな研究書として貴重であり、在日同胞に一読を勧めたい。」(「朝鮮新報」11.4.22付より)

「日本にも5万人以上が暮らしていると推定されていながら、一般には見えにくい存在である中国朝鮮族。この少数民族に対し、在日コリアン3世の研究者がアンケートを積み重ね、移動の構造を解明しようと試みた。複数の言語を操り、独自のネットワークを形成するこうした朝鮮族の動向は、地域のありようにも関係してくる。」(「日本経済新聞」11.4.10付より)

「「朝鮮族の移動」をテーマとする研究者としての出発点に、韓国・慶尚南道出身の祖父と同じなまりで語る「朝鮮半島の村レベルまで同じ本籍をもち、おそらく祖父母同士が同じ村人であったであろう中国生まれの朝鮮族三世」との出会いの「驚き」があったと記す在日コリアン三世の著者。そのほとばしるような熱と、最終章を「平和的共存に向けて」の節で結ぶ著者の思いを受けとめることのできる東北アジアに生きる〝われわれ〟であるのか。読み終えてなお、重い問いが胸の奥底に響く。」(「週刊金曜日」11.4.1号より)

「本書では、朝鮮族の日本への移動の歴史と現状、そうした中での朝鮮族の日本での定着と東アジアでの展開の現状、その意義が分析されるが、「在日本中国朝鮮族」やエスニック・マイノリティの「自己統治」といったやや難解なテクニカル・タームが散見される。これもまた、朝鮮族という対象を分析する著者の苦闘の跡を示すものなのかもしれない。一読されることを薦めたい。」(「ワセダ アジアレビュー」(2011.No.9)

「朝鮮族は少数民族として、常に中国の変化に影響されてきた。文化大革命時には厳しい迫害も経験している。『民族的差別をどう乗り越えて自己統治を行い、自民族の歴史や言葉を教育してきたかなど、朝鮮族の歴史は在日の歴史と共通点がある。朝鮮族を通じて世界、特にアジアのマイノリティーの歴史と現状を知ってほしい。そして民族とは何か、マイノリティーとは何かを再度問い直し、共生と平和を構築する一助に本書が役立てばと願っている』」(「東洋経済日報」11.3.11より)

「大学院生の時、ある朝鮮族の発する言葉に慶尚北道(韓国)出身の祖父と同じなまりを聞き、衝撃を受けた。「(彼らを)もっと理解したい」と思ったのが原点だ。最近は「歴史の空白部分」にも心引かれる。「文化大革命期の朝鮮族の状況なども調べられたら」と意欲を語る。」(毎日新聞11.2.26付より)

「日本に暮らす中国朝鮮族は約5万人と推定されるが、国籍から外国人登録では「中国人」に分類される。「見えにくくなっている朝鮮族の存在を多くの人に知ってほしい」(朝日新聞11.1.21付【夕刊】より)

『井上井月研究』が「俳句α」(11.10-11月号)にて紹介、「長野日報」(11.3.29と4.14付)にて大きく書評と紹介、「信濃毎日新聞」(11.4.3付)にて大きく紹介されました!!

2011 年 4 月 7 日 木曜日

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俳諧史に欠落した巨人の全貌!“漂白の俳人”の実像と“寂びと幽玄の詩境”の本質!近代俳句史上の巨匠・高浜虚子に、井月の発句の素材や趣向が真似られていた事実。俳諧・和歌研究者、俳人必読の書!

「本書は、井月の生涯から、没後の消息、さらには彼と交流のあった俳人・門人からゆかりの酒店まで、あらゆる情報を網羅し、いまだにその全貌の見えない巨大な漂白俳人の姿に迫る。井月の俳諧・俳句を知る上で必読の一冊である。」(「俳句α」11.10-11月号より)

「著者は、3年前小説『漂白の俳人井上井月記』を同じ彩流社から出版したが、それを機に、井月俳諧をさらにしっかり研究する意欲にかられ、驚くほど短年月にこれほどの実績を積み上げた。俳人の必読書というが、確かに井月百科事典の本書。私も寝床にまで持ち込んで読みふける。」(「長野日報」11.4.14付より)

「幕末から明治半ばにかけて伊那を漂白した俳人井上井月(1822~87)が、なぜ俳諧史の中で長い間欠落してしまったのかを解き明かし、井月の句の本質を論考した「井上井月研究」が彩流社(東京)から出版された。著者は元富山県立高校長で俳人協会会員でもある中井三好さん=東京都在住。」(「長野日報」11.3.29付より)

「井月が初めて伊那谷に来たのは安政6(1859)年頃。「身なりは乞食だが、その学殖の高さ、墨書の見事さは京のお公家さんのようだ」と、高い学識を評価する人が現れ、伊那との深い縁が生まれたという。没後、門人たちの誤解から埋もれていった井月が、現在の駒ヶ根市出身の医師・下島勲と、その弟の富士、作家の芥川龍之介らによって発掘、再評価される経過も述べている。」(「信濃毎日新聞」11.4.3付より)

『満洲分村移民の昭和史』が「佛教タイムス」(11.10.27付)、「中外日報」(11.3.26付)にて書評、「西日本新聞」(11.2.13、17付)にて著者とともに大きく紹介されました。

2011 年 4 月 1 日 金曜日

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残留者なし!稀有な開拓団の詳細な記録・調査を元にした貴重な満洲移民史。民主的運営で現地の人たちと良好な関係を築き、残留者なしの引揚げを果たした大分県大鶴開拓団の生活史。開拓団事務長の詳細な手記を中心に、聞き書きと丹念な調査で引き揚げ後の厳しい生活から現在までを含めた満洲移民の「昭和史」に光をあてる。写真多数、資料付。

「歴史社会学・農村社会学の事例研究としても意義深い作品だが、「宗教と社会」研究に対しても黙示的な示唆を与えてくれる」(『白山人類学』2012.3月号)

「一人の未帰還者も出さずに176人が帰国できた。その理由(要因)を本書では、元幹部団員の手記を手がかりに、生存者らへの調査などから検証している。手記からは、「五族協和」の理念実践する指導者の姿が見受けられる。先住者との積極的な交流があった。他の開拓団村で見られたような、日本人が威張ることはなかった。生存者の証言と、半世紀後に訪問した時の涙の再会が、それを裏付ける。戦後66年が経ち、戦争を知らない世代が圧倒的となった。近代において日本が何をしたのかを考えさせられるモノグラフである。」(「佛教タイムス」11.10.27付より)

「十四年に及ぶ開拓団の夢と挫折。身も心もぼろぼろになって故郷に帰った引き揚げ隊員に、母村の風は冷たかった。「逃避行も撫順での越冬も苦しかったが、実は一番苦しかったのは引揚げ後だった」と著者は記す。敗戦で筆舌に尽くせぬ辛酸を強いられながら生き抜いた人々の体験を風化させてはならないとの思いが学術書を熱くしている。」(「中外日報」11.3.26付より)

「本書では、一連のエピソードや時代背景に加え、残留者を出さなかった要因についても考察。渡辺教授は「現地の人を差別しなかったことや助け合いの気持ちが、強運と重なって残留者を出さなかったのだろう」と分析している。」(西日本新聞11.2.17付より) (続きを読む…)