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荒巻作品は「不死」

過日、第38回日本SF大賞の最終選考が行われました。
彩流社から刊行された荒巻義雄先生の『もはや宇宙は迷宮の鏡のように』は最終候補作5作にノミネートされていましたが、
残念ながら受賞にいたりませんでした。
一昨年の第36回日本SF大賞では、「定本荒巻義雄メタSF全集」も最終選考に残りましたがその折も受賞できませんでした。

しかしながら、代表作『神聖代』がアメリカで英訳されて発売されるなど、
荒巻作品の価値は世界的に認められており、今回の『もはや宇宙は迷宮の鏡のように』の作品の価値は誰よりも編集担当の私が知っているつもりです。
本作のみを単体としてお読みいただいても結構ですし、
「白樹直哉三部作」の完結篇にもあたりますので、
『白き日旅立てば不死』
『聖シュテファン寺院の鐘の音は』
と続けてお読みいただくとよりいっそう荒巻ワールドが堪能できるかもしれません。
さらに、
『白き日旅立てば不死』は、渡辺淳一の『阿寒に果つ』を併読すると、
一人の女性をめぐって、作家はこのようにイマジネーションの膨らませ方が違うのかと驚かれるかと思います。
ちなみに、荒巻先生と渡辺淳一は札幌南高校の同級生です。
渡辺淳一の作品が「果つ」と「死」に対して、荒巻作品は「不死」を意味します。SFは、死を超越するのでしょう。
それは、荒巻作品をお読みいただければお分かりのように、
長編小説でももはや「詩」であり、「詩」は「死」につながり、なによりも「死」を意識している作家だからこそ「不死」が描けるのだと思います。

と考えると、『もはや宇宙は迷宮の鏡のように』が、「死後文学」なのも頷けます。

(小鳥遊)