書店をたずねて三千里

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児童書

2014 年 8 月 20 日 水曜日

九月から刊行する彩流社の図書館向け大型企画の営業活動がいよいよ始まりました。

まず第一弾セット一巻目は、『知っているようで知らない会社の物語 ①「ディズニー」』です。九月に刊行します!!
(二巻目は、コカ・コーラ!、三巻目は、ナイキです)

老若男女知らないひとはいない、夢の国、ディズニー・ワールドを世界中に提供する会社「ウォルト・ディズニー・カンパニー」。この一冊で知っているようで知らない、ディズニー社の本当のすごさがわかる!!総ルビ!!各章のコラムも充実、調べ学習に最適!!

ということで、我が営業部は次々と取次さんや外商さんに、時には社長や編集者も連れ、総力戦の営業活動に突入しました。

今こそチャンス、腕の見せ所(?)
毎日プレッシャーと戦いながらも、「売ってみせる!」と、気持ちを奮い立たせている日々です。

このあと控えている第二弾セットは、これまた知らない人がいないぐらい有名な落語家、林家木久扇師匠が落語を分かりやすく解説する「学校寄席」シリーズ、そして、そのあと第三弾セットは、これまた超メジャー、テレビも本も出まくっている池上彰著の「国際条約」を分かりやすく解説するシリーズが控えております。乞うご期待!!

これから全国津々浦々、最近ご無沙汰している書店さん、取次さんにもどんどん訪問する予定ですので、彩流社の営業スタッフが来たら、邪見にしないでくださいね(笑)。

【文責 春日俊一】

 

 

 

た、とと、て、ぃすさ、ぴんぽういんうか、しゃるうう・・・

2014 年 8 月 13 日 水曜日

今日は当番。また書くニーズが倍加してきたわけですが…とりあえず「文字」があれば!?

ということで前回は、むりやり・強勢・先走り・ごり押しで終えましたが、今回は、まだ夜も

浅いので、時と場所と状況弁える社会にとりあえず属している人として書く必要を応答

しようという所ですが・・・・

一応、今日は特殊開放排他的書店?と言うと、「うまく表現する能力無い。つまり、

評価する資格≒四角≒視覚≒刺客無いのに名指したつもり」という、「それ」と関わる

者の根本的世界に対する倫理問われる「根源個別大事でも、普遍への眼差し当然」

の書店へ、1年一回の精算にお伺いし、しっかりと現金頂きました。

ウチごときが、ほとんどメシの足しにもならないにも関わらず、お金頂き大変恐縮です。

場所、場所における微妙な時間的・歴史的・突発的「差異」を当然に掴んで提案する

のが当然なのですが、やはり難解(バカだと個的に留まってしまうというつまらん奴で

して・・・という責任放棄シラバックレですが)という簡明なことなのに、魅せ掛け上良く

見えることだけ、半理解で対応して、真理解を半理解で隠蔽の自覚なく隠蔽≒わたし

だけの現実の垂れ流し、)という、業務ウッチャリ業務という給料泥棒なところかも、と

今眼差し手見ましたが・・・。

そうは言っても、根源で、知覚(近く)は知っているけど、記憶は一切忘れ去るのが

時間的必然である「根本=事実」である以上、しかも根本原理という、人間の「歴史と

事実」の一致不可能性…それがあったともなかったとも言えないにも関わらず、それは

主体として引き受けるべき(というより「引き受けざる得ない≒逃げられない不可能」)

・・・な事態は恒常的。

永遠は苦しい、が、反復は幼児期からの必然。どうやって、乱れまくるこの、

要請の権利無くとも権利要求必然に対応するか=子育てそのもの≒あいまいな

苦しみ(寝れない、概念が練れない)。

知らなかった事、それが、主体が生きる動因・原因で、だからこそ、始まりから

一切の切断で始める場合、一番見たくない、その衝撃、を言語化の努力する、

しかし、それは言語に成り得ない不可能だけど、それでも「表象せざるえない≒

死にたくない≒詩に多苦名無い」でも、見えないところであたりをつけて、

この壱点≒一転で、なにがしか「絶対的開始」という、検閲された「あれ」を一瞬

触れる希望で、人体切断・幼児期必然・享受多感≒子どもらしさ、と再三再四、

不可能な対話の持続で、なんとか、出来ないモノに、ひっかかりの実践と、

ありきたりの歴史化から、ちゃんと自分で捉えて表現できる、不可能との

不即不離という理想を繰り返す、そんな受肉的思考展開により、死体=身体と

人との関係が、ぞっというスピードの引き受けで、指し抜かれるのであれば、

じっくり変更遷の、若干の希望、そこでは見えないにも関わらず、なにか「見た」

という理解に達せられれば、いいけど、在りえないのかも・・・で今日の曲。

(だんだん、書くのが億劫になったもので、不真面目で恐縮ですが・・・)

大学の時、ゼミの先生が児童文化・江戸文化専門の先生だったので、

依存心もあって、聞いてみて、としたら、かなり感動していただいて、

お手紙とともに返して頂いた、これが「素晴らしい」とされた、そんな曲

確かに、講義であらすじ教えていただいた「思い出のマーニー」より、

倍加して「子ども=世界≒人の基本」に立ち戻らせる、マレにしか出てこない

、夏休み向けの凄い曲(映像要らないかも)と思います。

最初のアルバム「洗濯女」、夭折したフールズメイトだった彼の権利関係、

なんとかクリアしていただき、CD再発してもらいたいのだけど・・・人に貸して

帰って来ないものの、その初期に近いこんな感じのライブも、指摘あると削除

かもですが、いまなら涼しく感じのこんなのとか。是非、「さかな」題材にして、

「子ども・神話・歴史・文学・可能世界」などの項目絡み合わせ、

論理の行き着く先がしっかりと、殺すべきものを殺すロジックの効いた、

「政治」すら超越論で横断する文、を書いて繰れる人、おられれば、

本、どの版元でもいいので奔走するのですが・・・(玉崎)。

書店にいくといつもワクワクする

2014 年 8 月 11 日 月曜日

今でもそうである。
何十回、何百回通ったことがある書店でも、入り口を入ったとたん、何かに出会える予感がする。だから書店が好きなんだろうと思う。

たとえその書店が、地方の10坪足らずの書店であっても、意外な本に出会うことがある。東京の巨大な書店で出会わなかった本に、地方の小さな街の書店で出会ったり、店主のお婆さんから勧められて意外な本に出会い、買ってしまうこともある。

出会いは不思議、人生=出会いであるとするならば、人生=出会い=書店なのかもしれない。

毎日、書店に通えることが一番の幸せである.

書店の無い人生なんて考えられない。

NO BOOK, NO LIFE.

【文責 春日俊一】

息しただけで、今や権力行使…期待できないのが当然.

2014 年 8 月 4 日 月曜日

さて、今日も当番で、余り書く?プッシュ?という気になれないものの

書いてなんぼ≒サンブランやりました…という独り決めなのに客観決定

という普通という妄想の演じる舞台は自分だけ華やか=寒いのに

無-意識の都合の良さ、だって、計算無し、思考無し、でも「気持ち」

はあるといえないような「ある」、都合よく利用される≒ニーズ速答、

その早さ、実は、遅さ(認識)の隠蔽と私において拠り所とするしか

方法が無いけれど、認める超越論的≒敵、なものとの、それは、

空気のようなもんだから、どんな手段でも、関係性、デッチアゲ以外

在りえない=結婚=血痕生活=権威化という、本人にとり肝心な

私の人生…、しかしその肝心が、今回の必然とすれば、

確かに何の落ち度も無いのに、引き受けないといけない、

全-世界、引き受ける不条理ですが、唯一の抜け道がもしあると

して、やはり、人間≒残酷≒血みどろ≒公正に対する厳格と

幻覚と十分に距離を執る為の、苦しい「云い直し」、

存在を引き受けるなんて、馬鹿馬鹿しい、哲学者ぶった、

詐欺を、とにもかくにも、不可能だけれど、必要不可欠、

しかも、自身は気づいていないが、実はその演算、やった

ことあるのに覚えてない、かくして思い出せないが、しかし、

不気味に反復する「それ」、要のはずなのに、色んな

フェイント(それそのものは壮絶な恐怖なので)で、

自分自身で、自分を誤魔化しているのに、それは処世術

という基本、という、問うことが一義的なのに、尤もらしい

計算…本来的な計算ならば、はたしてこれを計算とは、

現実なのか、仮に現実だとして、他ならぬ私が、計算を

続行する意味とは、いや、問うまでもなく、一見、無心計、

で無視の有視のための「今、死体と出会う意志と思考」

という、反復の中、いつもいつも不毛でも確認しつづける、

「これが良かったのだ≒カルメン」な、売り上げとは程遠い、

けど、なんか横道で出会う、そんな感触≒棺蝕の…多分、

死体と出会おうとする死、という関係性を計算する方法を

身につけるため。ボディチ家は、残酷で貪婪で、人間的

らしいのですが、もうパレスチナでは、1700人強殺、

佐世保では、一人、父の代わりに?強殺(別居しなければ、

父殺、で「大文字の他なる女性」維持の機制で、死ぬ必要

無かったのかも、逆に責任とったのなら、自分は殺されるが、

娘の知人(他なる女性)は殺されずとなって、父の責任は

果たされたのかも・・・という)、いっぱい殺せば英雄=名士、

一人殺せば犯罪、という、同じなのに、自分の根本を、

分解して、見ることで、「何も無い自分から、虚構=言語

としての自分を立ち上げる手段」を一切絶っているのに、

温厚な父という、自身の前提暴力を引き受けない、平凡という危険。

人間に向き合うのは、とても難しいが、生まれてきた以上、責任として、

(失敗で辞職という逃亡という防衛から、止めない、言うことを止めない、

に)引き受けられるか、異常こそ人、と引き受けられるか、実際、人間の

歴史は、眼を覆いたくなる無残ばかりですが…というところで本日の曲。

何故か、このCDだけ日本盤が出ない、主人(ブリジッド)が余り歌うこと

無いためか、周縁こそ主人が、魅せ掛けでも理想となっているような

、実験≒創造可能性が興味深いCDからこの曲(玉崎)。

台湾

2014 年 8 月 1 日 金曜日

小社から今年の1月刊行された『台湾 乳なる祖国』が、9月に台湾からも翻訳刊行されることが決まりました。なんと台湾では刊行にあわせて新刊発表のパーティが開催されるそうです。著者の鈴木れいこさんも台湾へ赴き、その会に参加する予定です。

翻訳刊行していただく台湾の版元さんは蔚藍文化さんという、最近できたばかりの新しい版元ですが、社長さんは台湾の有名な文学賞を取るような著名作家ということもあって、ただ売れればいいというだけでなく、本の内容も大事にした本作りを心がけておられる版元さんのようです。

本書は刊行前に、すでに蔚藍文化さんから版権購入のリクエストをいただいておりましたが、それは私が昨年の2月に参加した台湾国際ブックフェアで知りあったエージェントの太陽文化さんのYさんのご紹介とご尽力あってのことでした。

そのYさんが、今年も東京国際ブックフェアで来日されて、今回も連絡をくださって、弊社に台湾の版元さんを何社か紹介していただきました。いつもその時驚くのは、弊社の他にYさんが引き合わせいる日本の版元さんは新潮社などの大手版元とかだったりして、弊社のような小零細の版元を気にかけていただけることに、いつも感動するほど嬉しかったりします。

まあとはいえ、せっかく台湾の版元さんを紹介していただいても、なかなか新潮社みたいに何十万部のベストセラーなんてないわけですから、そう簡単には台湾の版元さんも興味を示してくれないことが多いのですが、それでも中には、内容の興味深さで気に入ってくれて、あとで版権購入のリクエストをしてくださることも、ここ一年で数件ですが出てきて、ちょっとずつ台湾への進出作戦も前進しつつあります。

最終的な夢は、台湾、中国、韓国で彩流社の本をたくさん刊行して、さらに台湾、中国、韓国の本も翻訳刊行して、相互交流を深めていって、大手版元だけでなく、お互い国の小さな版元同士のビジネスが盛んになって、交流も深まり、出版人同士のアジアの結束を高めて、欧米にも対抗できるはずの出版文化をアジアで共同で作り上げることができたらなあ、などと今は夢想中です。

そして、本が好きなら、中国人も台湾人も韓国人も、話は盛り上がるし、とても近くに感じることができるし、平和への架け橋を本が担うこともできると、今はそう思っております。

今日はちょっと大き過ぎる話をしてしまいましたが、まあ今は夢ですが、実現に向けて何か突破口を模索する日々です。

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【文責 春日俊一]

民、他診、汰身、際で繰り返すこと。

2014 年 7 月 25 日 金曜日

今日は、半年?ぐらい行けなかった「横浜」近辺、書店さんちょうど締め日(版元→取次請求の)で

「殺人的搬入量」でもって、闖入メーカー営業ノウサンキュー状況で、あまりの夏の真っ只中気温もあり忙し

殺意疲労あるにも関わらず・・・ご対応いただいた書店の方々、その貴重な時間奪取、大変恐縮です。 (続きを読む…)

出版営業のマナーについて

2014 年 7 月 23 日 水曜日

先日、出版業界紙の『新文化』の一面で『40書店に「読者・出版社のマナー違反」調査』という記事が掲載されて、そのなかで「出版営業のマナーも問題」というような記事も掲載されていて、その理由に「電話での(長時間の)商品案内」「(繁忙時間の)アポなし訪問、長時間営業」「レジに客の列ができていても話をやめない」等々が書店員へのアンケートからあげられていて、ちょっと考えさせられた。書店さんが言っていることは間違ってはいないと思うし、本音だから、そういうことであると思うが、これは仕方がない面があると思う。というのは、私は昔書店員を三つの書店で計7年ほど働いていて、その後14年版元で働いてみて、両方を経験したので分かったことだ(なので両方を経験しないとなかなか書店員に理解してもらえないかもしれないが…)。
「電話での(長時間の)商品案内」については、とにかく「長時間」やるのは避けなくてはならないが、書店員時代の私の当時の対応を思い出すと、忙しい時間にいきなり電話してきて、口頭で商品説明されても、著者が有名だったりしなければイメージしずらいし、相手の態度によっては、電話で簡単に注文取って営業コスト下げようとするのが見えて腹が立ったこともあって、あまり良い印象がなくて、基本的にお断りしていたように思う。ただ、よく知っている営業マンから「どうしても時間が取れなくて刊行までに訪問できそうにないので」と言われれば、ちゃんと聞いて注文を出していたように思う。そして、版元になった今では、全国に無数にある書店を数名の営業マンで、すべて訪問営業することは不可能で、地方書店となると出張費用もかかるので、年一回行けるか行けないか、というのが現実だということだ。不可能なものは不可能と、書店員の方々にも理解してもらうしかない。いずれにせよ、書店員に嫌がられては営業にならないので、電話営業も書店員に迷惑にならないように気を付けて、少しは最低でも数冊実売をあげられるような本を提案営業できるようにしないといけないと思う。
「アポなし訪問」については、書店員時代も「それはいたしかたない」と理解していた。
なぜ仕方がないかというと想像すればすぐに分かることで、例えば、営業に出るその日に行ける範囲の書店の担当者に、アポを全部取ることは、相手の書店員が休憩中のこともあるし、接客中で電話に出れないこともあるのだから、そもそも不可能だし、たとえもしアポが取れたとしても、例えばもし一軒目の書店で話が長引いたり、話し好きな店長に捕まって一時間ぐらい時間を使ってしまって、二軒目、三軒目のアポを取って約束した時間に間に合わなくなったり、最悪、時間が押しまくって遅い後ろの方の時間にアポを取った書店をその日に訪問できなくなる恐れがある(地方出張の時などは、移動の時間が正確に計りにくく、現地の交通に慣れていなくて、予定通りに訪問できないことはよくある)。そうなったら「アポなし訪問」どころのレベルでは無く「ドタキャン」なんで、相手の書店員の印象最悪に落ちるだろう。まあ午前に一軒、午後に一軒アポを入れるレベルなら問題ないと思うけど、現実的にはその程度で、その日にアポなし訪問することになる書店にとっては、何も変わらず、「アポなし訪問」でしかない。あと過去に何度もあったが、アポを入れて、ていうかその日は店長から頼まれた案件でアポを入れて約束の時間通りに訪問しても、30分以上待たされたことはざらにあった。ただ別にそのことを怒ったりはしなかった。想像すれば分かることで、書店は接客業だから、突然のクレーム、お客様の案内等々突発的に起こる仕事がたくさんあって、急に手が離せなくなることがあるからだ。だからお互い様ということで、分かっている書店員はアポなし訪問なんて特に気にしていない(ただ時間帯やお客様の混み具合は気にして訪問するのは当然のことである。開店直後とか、レジ締め中とか、クリスマスの時期とか、付録付き雑誌が大量に入荷した日とか、品出しがたくさんある日の午前中とか)。かといって突然の訪問営業ということには変わりはないので、いつも「お忙しいところすみません…」と、遠慮がちに恐縮して営業先の書店員に声をかけることにしている。仕事の途中で突然割って入って、強制的に相手の仕事を中断させることに違いはないからだ。

ということで、たぶん私が思うマナーが悪い営業マンというのは、訪問営業だろうが、電話営業だろうが、そういうことも全く気にせず、自分の都合しか考えていなくて、しかもちょっと上から目線で、「なんで注文しないの、商品知識も無い、たいしてモノを知らない書店員なんじゃね」的な本心が(口で言わなくても人間、態度、表情、区長で分かる)見え見えの営業マンのことだと思う。
これも書店員時代に何度かその手の営業マンから営業されたことがあるので、実体験としてそう思う。
この手の営業マンは、レジにお客様が並んでいても、後ろに順番待ちしている他の営業マンが待っていても全く気にしないで自社商品の説明というか、目先の自分の営業成績を上げることしか考えていない。商品説明は長いし、その書店の立地とかも全然考えないで、ただひたすら営業トークを続ける。そんな営業からは、言われれば言われるほど注文を出したくなくなることもある。出しても入荷してそれが売れないと、なんか騙されたような気がするものだ。

まあでもこの手の営業マンは、だんだん書店員から敬遠されて結果的に成績が伸びなくなるので、徐々にモチベーションも下がって、数年で辞めて消えていく。

長続きしていて、書店員から信頼されている営業マンは、礼儀正しいのは基本だが、どっちかというと内向的で気弱なタイプで、だけど内に本と書店への愛情とそこで働く書店員への敬意を強く秘めているタイプだと思う。言葉がうまくなくても、この手の営業マンからでる空気自体に信頼感があって、適正な注文を出せると思うし、商品説明もリアリティがあるからだ。

なんか今回は偉そうに書いてしまったが、気がつけば書店員時代と版元営業時代を合わせると20年以上経ってしまって、何千人という業界人を見聞きしてきたので、これぐらいのことは書いても、それほど的外れではないと思うし、いいんじゃないでしょうか…。

とはいえ、業界に何十年いようが、いくつになろうが、常に謙虚で、20歳歳下の書店員にも敬意をもって接することができる営業マンでいたいと自分に言い聞かせつつ、愛する本と書店と書店員にこれからもたくさん出会っていきたいと願う、42歳ヘルニア持ち版元営業マンのつぶやきでした。

【文責 春日俊一】

新刊本が入ってこない

2014 年 7 月 18 日 金曜日

梅雨の晴れ間にしては、強烈な日差しにたじろいでしまう。妙に自分の歳を思い知らされているようで、嫌な感情が出てきてしまう。台風に後を追うようにして房総半島をたすき掛けにしての書店営業、外商店を中心に訪問販売に出た。主に小・中・高校や公立図書館を回り、注文・配達を日常にしている書店外商、さすがに少なくなった。まだまだ健在の書店さんも、親子親族を交えた態勢で臨めるところが、生き残っている。そんな印象を持ちながらの営業だ。いま「ゴジラ」「アン」「図鑑」それに「北斎」がよく売れているのですよ、の話にも「うち(店)には本が入ってこないからなー」。学校の先生方も店で本を買う人が少なくなった。勉強する先生は、ネットで買ってしまう。そんな弱気の書店でも、「年間1億5000万円の予算が付いた」市もあり、地域書店の首長により事情は様々だ。毎月の新刊情報に「図鑑大好き!」を取り上げていただいた書店は八日市場の老舗「多田屋」さん。能勢社長の熱い言葉と蚊取り線香の煙をいただき、「売れ行き良好書」を取り扱っていただく。十数冊になる「千葉・東総物語」シリーズを預かり、まだまだ地方の書店の底力を信じてみたいと思う。(@力丸)

焼き鳥のかしわ、じゃなくて仕事の為になる 歌詞は!?

2014 年 7 月 14 日 月曜日

図書新聞の2014年7月12日(3166)号柏書房の冨澤凡子社長の記事が載っていて

(出版社と図書館をつなぐシリーズで海老名市の図書館での講演)、記憶が自分に残りました。

概要を書いてしまうと、業界には編集で入ったがある社に6年、またある社に6年ときて、

「物足りなかったのが、営業の力。面白ければ売れる、内容が良ければ売れると営業は

言うが、大切なのは「売れる」ではなくて「売る」ことなのではないか。そこで一人でも

多くの人に本が行き渡るダイナミズム(・・・ネット辞書で・・・dynamism1 そのものがもつ力強さ。

迫力。2 機械や人間などの力強い動きを表現しようとする芸術上の主義。未来派によって主張された。

引用者付加)に身を投じたいと考え・・・ゲーム攻略本のアスペクト、医学書と絵本の西村書店、

啓蒙書・ビジネス書の三五館、著者との共同出版の文芸社・・・(を営業職で渡り歩き、

当時の柏の会長からウチでそれをやってくれと)柏書房に」戻って、「今、社長という立場に

あって、ようやくどんな本をつくっていかなくてはいけないのかというのが見えてきた気がする。・・・」

という導入から、現在行っている「古文書学習講座開催」による、地域の歴史=その土地の人という

テキスト(学習欲に沸く定年後の高齢者という存在≒文化の高まり)、と図書館、書店、出版社が

どう関係性を再構築し、「売れる」ではなく「売る」か・・・という大雑把な内容でしたが、営業が、

「内容が良い=売れる」認識から、「内容ではなく空虚=売る」にどう達するか、空虚という構造を

支配する認識が、いかに営業≒社長に必要か?と言っているのか、と、そんな認識で受け止めましたが、

確かに、白夜書房の名物営業の方、「内容より売行きデータ(数)のみ」と著書でおっしゃっていた気が

しますし、やはり「売る」というのは、一切の無意味の引き受けと、当然無意味なのだから、いつ給料

でなくなっても文句言えない、だって努力も根性も初発の前提として「無意味なのだから」と、

その無意味(「無」といっても、無を無として「意味づける」無という有意味でしかなく、「完全な無」に

達することはおそらく人間に不可能なのでしょうが)をどう位置づけるかが、売る=プロテスタントの精神

??ということを実現するために身に着けなくてはならない技術考察だ、ということのようです。先に書いた

「空虚」の身に付け(躾)という語≒誤?は、小社が広告を出した青土社の「ユリイカ 2014.07号

特集 ガルシア=マルケス―『百年の孤独』は語りつづける」のP60にこんな記述があったからです

(・・・結局、いくら資本主義を激しく批判しても、最終的な結末は、資本主義の勝利に終わるのである。

その理由は、何度も書いたが、実に簡単明瞭な話である。資本主義とは、ただの空虚だからである。

・・・呆れるほどの空虚に対して勝てる者など、この世の中にいるはずがない。・・・)というわけで、

「売れる」と「売る」の区別、職務上身につけなければならないわけですが、まるで身についてない

ので、難しいですが、もしその空虚を持てないなら、「あの世=彼岸=異相夜??=無?」において

眼差すしかないのでしょうが、今日はそんなところに、仮初至るかもと想像できる曲(夜だから太陽輝く

って無い・・・の横滑りであっても、ちゃんと蠢くもの自分のものにしようという雰囲気は若干あるかもしれない、

そんな曲???)(玉崎)

 

版元営業というお仕事(その1)

2014 年 7 月 11 日 金曜日

どうも。彩流社営業部の春日です。

気がつくとあっという間にこの営業部スタッフブログ「書店をたずねて三千里」の当番の日になってしまって、今日はどんなネタでいこうかと、いつも悩んでおりますが、今回は、世間様からあまり知られていない、出版業界でも、編集者が黒子だとすると、そのさらに黒子の黒子、よくいえば縁の下の力持ちでもある、出版社の営業=版元営業のことについて書きたいと思います。

出版社といえば、コミックになったり、テレビドラマになるのは、基本的には編集部(編集者)を描いたものが多いと思いますが、そんななかで実はちょっとだけ、一話分だけとかで、版元営業について一部ですが、テレビやコミックでも扱われたことがありました。

ちょっと前になりますが、私が大好きな漫画家で土田世紀という人がいましたが(2012年に急逝)、その土田世紀の作品で『編集王』という大手出版社のマンガ編集者に焦点を当てたコミックがありました(個人的にはこの『編集王』より、演歌歌手を目指して状況する青森の若者を描いた『俺節』が土田世紀の最高傑作だと思う)。

どこかの章で、営業部が登場する場面があって、冷徹なやり手営業マンが主人公の編集者カンパチを書店に連れて行って 、売れない本が書店の現場で、業界で、実際にどういう扱いを受けているかを教える場面があって、それがとてもリアルで、すごく印象に残っています。あとは、テレビドラマにもなりましたが『働きマン』というコミックで、週刊誌の編集部を描いた安野モヨコの作品がありましたが、これはコミックではなくテレビドラマの方で見たある回の話で、版元営業マンの苦悩を描く回があったのを覚えています。これも結構リアルでマジで最後は泣けてきました。

その泣けた回の話とは、あるコミックがベストセラーになって、でもその影には書店や取次等、営業の現場で書店員に働きかけてフェアを組んだり、頭を下げて回って営業し続け、ベストセラーの後押しをした営業マンの存在もあったわけですが、そのベストセラーのコミックの担当編集者とその営業マンがある日、廊下ですれ違った時に、その担当編集者に「ベストセラーおめでとうございます」と話しかけたら、その編集者に「先生も私も本当に頑張ったから、だからベストセラーになったのよ」みたいなことをいわれ、「おめでとうございます」とは言ったものの、その営業マンにしてみれば「著者先生と担当編集者だけが頑張ったのかよ!じゃあ営業の努力ってなんなんだよ、存在の意味ってあるのかよ!」という感じで傷ついて、その後やる気をなくして、ドライに機械的に惰性で仕事をする営業マンになってしまうという、よく出版社である話だと思いますが、でも、その営業マンの努力を影で見ていた主人公の週刊誌の熱血編集者が、著者先生にどれだけこの営業マンが書店の現場で先生の本を売って歩いていたか、著者先生や担当編集にかわって頭を下げ続けていたのかを教えて、それを知った著者先生が出版記念パーティーの席で、その営業マンに歩み寄って、「私の本を売ってくれて、本当にありがとうございます」といわれて、「初めてそんなこと言われた」といって営業マンが号泣する場面がありました。これもなんかとても共感できてリアルでした。

本の奥付やあとがきには、担当編集者の名前や、先生から担当編集者へのお礼の言葉が名前入りで入っていたりしますが、まず営業マンの名前が載ることがないのが普通です(一部変わった版元では営業マンだけでなく宣伝部やバイトまでスタッフ全員の名前を載せている版元もありますが)。

まあ、そんなわけで、別にひがんでいるわけではないのですが、この陽の当たらない版元営業というお仕事をちょっとでも分かってもらいと思い、今後も書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

【文責 春日俊一】