書店をたずねて三千里

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やっぱり定番は強い

2014 年 10 月 8 日 水曜日

最近、二週間に一度のペースで、5歳の息子と、土日になると近所の図書館に本を借りに行く。

まわりの子供より、若干言葉の発達が遅かった息子は、本を読み聞かせることが、言葉の発達を促したのか、本当のところは分からないが、 いまでは煩わしいぐらいに家では喋りまくるようになった。

私自身が本が好きで、本にかかわる仕事もしているから、息子がどんどん本を好きになっていく姿を見るのはとても嬉しい。

そんな息子が借りたがる本は……やはり定番、長年愛され、読み継がれている絵本だったりする。

せなけいこの切り絵のオバケのシリーズや、公演の砂場から突然タイムスリップしたりする、ちょっとした冒険ものの、わんぱくだんのシリーズだったり、あとテレビでもやっている、おさるのジョージのシリーズだったりする。

おさるのジョージはテレビでやっているからメジャーということを息子が分かるのは、理解できるが、せなけいこや、わんぱくだんについては、テレビではやっていないようだし、特に周りのみんなが読んでいるから、というわけでもないのに、なぜか息子は読みたがる。

やっぱり何十年とロングセラーを続ける本の良さは5歳の息子にも分かるようだ。

やっぱり定番は強い。

そんな長年読み継がれるベストセラーを出せるような版元を目指したいものです。

【文責 春日俊一】

 

その雑誌も今は出ず、CD買いに通った店もネット売だけになり、あ・・・

2014 年 10 月 1 日 水曜日

さてさて、なんかヘロヘロになってきました。いや、倉庫に行って、出庫入力終わって

ウーロン割で廻ってきたところですが…

大月インター(東京向け)の目の前にあった「ブックオフ」は、既に閉店していて、更地になると

税金多くなるからか、ブックオフ建物残ったまま、駐車場が便利使い放題になっていましたが、

あいにくの、空模様で、小雨降ったり止んだりで、東京モードと変わらない状況でした。

頼みのラジオも、カーシェアリングの車が新車になってか、「放送大学」が流れず、

聴きたい「曲(語らい」・・・でも可。要は、その人の根本としては、この語り様式しか在り得ない

、必然かつ偶然な切実さ、が少しでも、「感」あるようなら・・・)が、どれもこれも流れず、

かなり期待はずれの状態でしたが、そんななか、「巻き寿司を食べるとすると、やはり、

ひとり暮らしでは全く可能性無く、「家族」で、開催となると、「普段のご飯量は、五合」です。

と証言あったり、私は「シーチキン巻き」「えぇ??イカとか無く??」「いや、魚介類はウチ、

なかったような、お母さん!(その寿司の創設は普遍性のあったものなのでしょうか??・・・

という明確かつ、疑念は封じるのが「愛」という暖かい家族≒自然(獰猛)には愛も勝てず、

受入れるしかない)」と、間主体的関係に見えるものが、実は間主体の残滅という優しさで、

関係嫌いなのに、関係は大切と宣言してしまう、やはり、最後にブツかる「喪の=ding」より

「者」の方が安心感、というわけで、痒いから掻くのは即物的かつ、「物」の根本的受け入れの

無視(否認)という恥かきこそ、多幸症的「幸せ(15年前にニュース流れたアナウンサーも、

者といるから「ハッピーハッピー」と言いつつ、個別に地獄だったようで、周囲に「感謝」の言、

で周囲は「誰も悪くない」。しかし、その裏側に、「あなた方それ自体=存在そのものが、

重荷です」と言いたいのに否認の人の良さで元々の表現もごまかしだったから、「仲間(者の

フリした者もどき)」も「意志を尊重して、あなたの気持ちを継ぐ」と隠蔽につぐ隠蔽が、世が

丸く治まる≒ハッピーという人間存在の「如何でも良いなんとなく」のもっともらしさに回収され

ているものの・・・というところで、今日の曲。

車でラジオ聞いても、書いたとおりいい感じのなかったですが・・・どれがいいやら。

新卒で会社に入り、仙台~山形と行き、山形で10月ぐらいに車で聞いていた、

専門雑誌では「全く出す必要無し。どうして、昔の作品を越えられないものを平気で出すのか

無神経!」だったか憶えていませんが、そんな評価だと聞く資格も無い私が聞くということは、

表現を自身の好都合な道具にして恥じない、つまらんやつ・・・ということか、と思いつつ、

憂鬱なトーンが、そん時の気分だった、こんな曲で、今回は(玉崎)。

台湾で彩流社の本がベストセラーに!?

2014 年 9 月 29 日 月曜日
昨年と一昨年、小社は二度にわたって北京国際ブックフェアに出展、さらにその間に一度ですが台湾国際ブックフェアにも商談会に参加したりと、彩流社の本を海外、特にアジア方面に売り込む営業活動を続けてまいりましたが、なかなか思うようにいかないことも多く、一時は停滞していた時期も正直ありました。さらに、版権をただ売り込むだけでは、売上金額としては、なかなか大きなビジネスには繋がらないのも現実です。
ただ、もし小社から何十万部のベストセラーが出れば、それはさらに中国や台湾、そして韓国などでも高く売り込むことができますし、多額のアドバンス(印税前払金)が発生し、いっきにビジネスとしても拡大することができます(中国では東野圭吾なんかのアドバンスは一作で数百万円するらしいです。村上春樹は一千万を超えます)。
まあとはいえ、何十万部となると、小社のような小さな版元にとっては、かなり博打的な世界なのが現実ですが、でも実際に一人版元でも、今年も1万部以上のヒット作を出しているところがあるわけで、そういう意味では出版には小さな会社でも、やはり大きな可能性があります。
まあでも、そんなまだまだ夢のような世界は、これからの小社の課題、目標として追い続けていくものだとは思いますが、今回はちょっとその夢に近づけるかもしれないような出来事がありました。
小社から今年の初めに刊行された『台湾 乳なる祖国』という本があるのですが、刊行前から、この本を台湾国際ブックフェアで知り合ったエージェントのとてもやり手の女性のYさんに、「台湾に関する本なので、これなら台湾の版元でも興味を示してくれると思います」と売り込んでいたところ、その気持ちにYさんが応えてくれて、台湾の知り合いの版元に強く売り込んでくれ、そして見事、台湾で翻訳刊行されることが決まったわけです。
そして今月、ついに台湾の版元、蔚藍文化出版社さんから、『台湾 乳なる祖国』の台湾版、『南風如歌』が台湾で刊行されました。
そして、蔚藍文化出版社の尽力で、この本の刊行記念記者会見みたいなものまで現地で開催されまして、台湾の新聞の記事に載ったり、なんとテレビのニュースでも著者の鈴木れいこさんが取り上げられて放送されたというのだから驚きです(私はそのテレビニュースの録画を観ましたが、噂ではなく本当の話で驚きました)。
台湾のテレビ局「民視」や大手新聞社「聯合報電子版」と中国時報の記者たちを集めた記者会見の模様が、『台湾 乳なる即国』の台湾版を刊行した台湾版元の蔚藍文化出版社のフェイスブックページに掲載されていました。
そしてさらに!!
台湾の花蓮という街にある書店「政大書城」でのランキングで、三週目でついにTOP1に輝いたそうです。
このまま勢いにのって、台湾全土でベストセラーになったら、本当にすごいことですが、まだ夢としてとっておきたいところですが、ついつい期待しちゃいます(もしベストセラーになったら台湾で仕事が広がるかも…なんてちょっと欲もでちゃいます)。

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台湾での記者会見の様子。一番左が著者の鈴木れいこさん

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『台湾乳なる祖国』の台湾版『南風如歌』。
原書とまったく違う装幀デザインも情緒があっていい感じです。
鈴木れいこさんは79歳にして台湾で作家デビュー!!
いくつになっても、輝いている人は素敵ですね。
【文責 春日俊一】

 

高付加価値的牛丼・・・という生き方

2014 年 9 月 22 日 月曜日

置き換えて見て、ようやく理解できることもあれば、置き換えの過程に

その時々の関係者の気分が力関係的に介入して、良いのか悪いのか

判別つかない…確かに理解だが、この理解、理解という名(権威)の

理解という無理解にも成り勝ちな、なかなか(三上寛さんも「牛丼が

「なかなか」とその効用と罠を歌で死者の次元に持ち込もうと詠う

わけですが)、この「ナカナカ」、内にあるようで、外だからといって、

やっぱり中でしかない、どっちつかずに見えて、最も苦しいところでの

中≒外の潜在性を、抒情詩?と展開して、さらに先鋭をまるっこく、

一見、凡庸しかして実極北という、なんの準備もなく、移行=遺功=衣桁

、死行くつもりなだけ。

とりあえず、死んでいるのを知らないで生きている私たちとしては、

考える、だから?、と、考、が既に、得る、とはならない、しかし、

その決定的他と絆を受動的という確たる証言の蠢きを感覚することで

、何かしらの「それ」、ある瞬間でないと、全く無意味なぶつかりの

様式を身に着けて「ようやく、人の前提」という、中々やる事、あるのに、

おそらく私には百年後、という、責任放棄などするつもりは無いのです、

という口先で、「クレタ人は嘘とクレタ人が嘘言う」と、その場に立つ勇気

なく、基本の盗用によって、「人」のフリする擬態でかなり周りが詐欺容認、

と、どの点が勘どころか見極めないと、結局、茶番=私というそれ、と

何度やっても「同じこと=惰性」なので、今まで書いたことは一切無価値

なので、置き換え程度で決定的「置換」には至る気も無い、つまらん事態

を丸出しで、だからといって、それで現実の重み掬い取れもしないので、

手も足も出ないわけですが、そこんところを、もっと授≒受、という課題も

あったり難しいですが・・・というわけで、

なんか週末が二回来てしまった感じの本日ですが、じゃウィークエンド曲

だとあれかこれか、してもパッとしないのしか聞こえないので、もっと効く

もので、どうしましょう。

最近亡くなったピーターアンドポール では全く無いという、大学のとき

テレヴィでやっていた、親に言われて教会通ったりして話し聞いたけど、

天使とかイカヅチとか、まるで感じられませんという、永続思春期丸出しが

気持ち良いこんな曲で今日は(倒錯的同化??)。(玉崎)

 

紙の本はやっぱり美しい。そして儚い。

2014 年 9 月 21 日 日曜日

先日、ある書店を営業していたら、カバーも真っ黒で、小口も真っ黒の本が平積みになっていた。
真っ黒なのに目立つ。というか、真っ黒過ぎて目立つ本だった。
版元名を見ると月曜社の新刊だった(→http://getsuyosha.jp/kikan/isbn9784865030174.html)「ああ〜やっぱり」と思ってしまったのと、作った編集者の顔も浮かんだきた(最近初めて月曜社の編集の方にお会いする機会があったので、はっきり顔が浮かんだが、二人出版社なので、もう一人の方が編集したのかもしれないですが…)。

黒はインク代が高くつくはずなので、製造原価が上がるから基本的にはあまり使わないはずだが、カバーどころか、小口まで真っ黒しているところがまたすごい。何か深い意味があるのだろうと、いろいろと作った編集者の想いや出版に対する思想などにも、想いを巡らす。

こういったことは紙の本でないとありえない。
もし電子書籍がどんどん増えていって、紙の本を作るのが一般的でない時代になったら、もし紙の本が一部の高価な豪華本ということで残ったとしても、今のように、書店で様々な紙の本をたくさん並べる売り方は成り立たなくなるだろう。書店が倒れる前に、印刷会社や製本会社がどんどん倒れれば、紙の本は今のように作られることはなくなるだろう。
返品の問題とか、無駄な在庫や、見計らいで平積みするリスクのことなど、いろいろと問題があるのは分かっていても、書店が保守的になり過ぎて、多彩な品揃えができなくなってしまう時代が、目の前まで来ているのかもしれない…。

でも、そんな未来は来てほしくない。
本を愛する者、書店を愛する者達にとって、これほど味気ない世界はないだろう。

紙の本の匂い、めくる時の紙のサラサラという音、カバーの手触り、色、様々な加工による多彩な造本、そして書店によって違う品揃えと並べ方、什器の違い、店独自のブックフェアなど、その全てが美しい。

そして紙は劣化するが故に、限りある儚い姿が、人間と同じで味わい深い。

電子書籍は嵩張らなくて、海外旅行や通勤電車で読むには適している。断片的な情報を読むためにも適しているし、単語を検索したりするのもすぐれている。紙の本とまったく違う部分ですぐれている。それも分かっている。

どちらも必要なんだ。
だから、共存共栄する未来を目指し、紙の本から湧きいずる知の泉を絶やさぬための道を、探さなくてはならないと思う。

【文責 春日俊一】

カラスにはカラスの苦悩があるのに無関心??

2014 年 9 月 10 日 水曜日

今日は、東京駅と川崎駅あたりの書店さんお伺いできましたが、

棚担当の方、手が空きそうかなと勝手な推測で時間を見て待っている時、

棚を見ていると、今まで何度か通ったわりに、その書店さんの棚構成を

知らなかったことに気づかされます。「あ、この老舗の版元のシリーズ、

しっかり入れていたのか、だからなのか今日も、日本史棚に3人も、他の

人文棚には、聖教本もしっかりの宗教棚に1人」ともしかしたら、この店へ

惹かれる要因。いつも凛として、でも若干苦笑いでありながらもご対応して

いただく(初速で「これはもっと動く!」とはならない刊行物が多い当社、

「結構しますね」(来店のお客さんが「即買おう!」とならない店に置くには

忍びない高価商品)Sさん、お忙しいにも関わらず、有難う御座います!

ご案内してすぐ、FAXご発注確認できました!大変ありがたく存じます。

見えにくい、堅物には、そもそも意味があると思えず、強引に泥のように

無意味と烙印圧されがちな、日々の営み≒力が、一つの信頼(かけがえの

無い痕跡への信仰、当人には難でも無い当たり前の自然)として結実する

、そんな感じを、自分だけ勝手に先取りして、我が儘(自分勝手)に、

妄想(当人、一般的価値観≒観念のつもり)しています。

ま、最も、当人とは外部のこの私=渡しが、わざわざもっともらしく言う、

というのは、なんらかのアリバイでしかない、とも想え、さて、日々の営み、

もう少しもっと感≒観≒環ずること、必然という偶然、待ち望む≒祈る・・・

しかないところで、今日の曲。

映画「カラスの飼育」でレコードに合わせ、アナ・トレントが謡うのですが、

強く親密な複合の荒れすさみを感じる、それでも、これを長く時間かけて

(最もそんな時間、現在在り得ない地獄=人生なのは当然だったりしますが)

「透り行く」しか出口=入口は見出せない、でも曲自体は、そもそも渡そうとも

思わず、飼い犬従順な、なんの特異性もなく一般性という普遍性に逃げ込んで

観者の倒錯丸出しな、でも、今日、川崎で、その書店のある服屋で、そのハウス?

バージョンやっていて、じゃ今日はこれでいいか、としましたわりと頭にのこる感ある

そんな曲で今日のところは・・・(玉崎)。

 

Amazonは便利だが……

2014 年 9 月 8 日 月曜日

気がつけば出版社で営業スタッフとして働き始めて14年以上経ってしまった。

その間、本当に多くの人と出会った。書店員、取次の人、同業者の版元の営業スタッフや編集者さん、作家さん、ライターさん…..
数えたら軽く千人は超えていると思われる。

そんななか、ここ数年でいっきに業績を拡大しているAmazonがどんどん本の販売のシェアを伸ばし続けている。
リアル書店の楽しさは、本との偶然の出会いを、実際に手に取って触れることで、直接感じることができることだと思うが、もう一つ忘れてはいけない存在がある。

そこで働く書店員さんだ。

それこそ、全国各地に数多ある書店に、人間だから当たり前だが、それぞれまったく違う個性をもった書店人たちが働いていて、その方々と、特に営業スタッフは、日々各地の書店で出会い続けている。

ネット書店で、電話注文すら受け付けないAmazonには、人間と直接会話を交わして買ったり仕入れてもらったりすることは基本的にはない(大手版元や、Amazonと直契約している場合は別なのかもしれないが)。

ちょっと極端かもしれないが、分かりやすくするため、例えていえば、もし全国のリアル書店が潰れてamazonだけになったら、amazonの仕入れとやりとりをするだけで、すべての営業活動が完結してしまう世界になってしまうということだと思う。

そうなったら版元の営業スタッフは、いままで全国の数多の書店員さんと出会う喜びを喪失してしまうことになる。
そんな世界は……絶対につまらないと素直に想像して、そう思った。

寺山修司ではないけれど、「人生は出会いだ」と私は思っている。
人生の大半の時間を占める、仕事は人生そのものでもあるから、「仕事は出会いだ」ともいえると、私は思っている。

ということで、リアル書店で働く、様々な個性や思いや志をもった書店員が、この先もずっと存在し続けてもらうことを、切に願っております。

【文責 春日俊一】

 

衝撃と防御

2014 年 9 月 2 日 火曜日

9/1 ということで防災の日ですが、昨日の東京新聞では、1923関東大震災の

3時間もある記録フィルム内の場所が490箇所も特定できた故、今後の防災に

役立つ、との記事が出て、多数、その写真も載りました。

役立つ方に、あまり関心が向かず、写真の衝撃感の方に目が行ってしまい

ますが、災い避けたいのは人の自然傾斜でも、結局、現実の衝撃、

否定しても肯定しても、そう言ってしまう表現そのものの音韻を客観すると、

否定された虚構の真実性。肯定することで都合のいい事実に逃げ込んで

偽真実性で煙に巻いてません的煙に巻きという虚構性。で、仮にそれが

真実でも、受入れる、というのが、とにかく最も困難なことなので、

忘れた頃にやってくる(幼年期は必死にこねくり回して自分なりに納得

させていたのに、身体だけ大きくなってから、それに出会うと)違和感

でも、元にあったようだから親密感という。あの点、この点と、多分、初発にあった

場所では、切実だったものが、いろいろ色がついて、表面上、煌びやかに

意図してエゴでそうなってしまう、という、意識という厄介な代物。

ぱっと手を伸ばして容易くつかめる「安全」だと、その安全を成立させる同じ力で

もって「破滅」を招くことも往々にしてあるという、禍に対する防御、は、

日々の人為(狭義の計算)を最小限にする努力(超-計算)で、より単純であり

かつ複合する多-点間でのズレ・距離を微妙に采配する、自然に乗っ取られつつ

の斜線引いた人為、の知る勇気で、切断、切断、切断、と歩み-無い、反復する

ようなことが、以上のもっともらしい観念の捨象後、更に推進できれば、

防災の日も、定めた意味あったのかもしれませんが、惰性の制度化で、

そうでしたね、という体たらくもありで、思考でも意志でも行為でもなくの

引き受けなので、誤魔化しがきかない、ところでどうしましょうと、外は雨が

降っており、人間の外部は無理解、人間の内部も実は無理解で四面楚歌など、

当然の必然なので、駄文も必要ない戯言ですが、小社の文化人類学本では、

制度=儀礼??というのも、ちゃんと理論立てし実践できれば、不合理性を

不合理のまま力動させて「良き防ぎ方」にもなったりするようです・・・「過去に

行われた無数の「振る舞い」のうち・・・知覚したり、想起することで日常的

自明性へと還元・置換しきれない「振る舞い」・・・に報酬を与える・・・

相殺不可能な・・・特殊な返答の形式・・・無数の相互行為の中から還元・

置換不可能な「振る舞い」を想起すること・・・なぜ与え手は・・・面倒で

お金のかかることをするのか・・・行うこと自体が相手との「道」をめぐる

新たな「良き振る舞い」となってゆく・・・」等々、なにを紹介しようか分からず、

強引につなげたので意味不明なものの、さて今日の曲は、夭折された

、カナダ学会の販売だかなんだかで、たまたま話しして頂き、知った、

レナード・コーエン(その藤本先生が、東京新聞で、今は無き夏目書房刊の

評伝を評していて、聞いてみたわけですが)のそれです。

こんな倫理の欠いたやつ、でも色気があるのか「カナダでは、コンサート、

すぐいっぱいになる程、すごく人気がある」と陽子先生に示唆されたけど、

自分の初聞きでは、TVでこの人のバージョンでしたので・・・歌詞は

英語不明で、でも分かっても、かっこつけ(防災)程度?と・・・。(玉崎)

 

 

 

書店ほどワクワクする空間はない

2014 年 8 月 29 日 金曜日

今週の水曜日の夜、後楽園の文京シビックセンターにて弊社も参加している出版協の若手が中心になって立ち上げたイベント「日本出版者協議会プレゼンツ編集者連続講座/第3回 本と読者を切り結ぶ平台・棚の編集を考え る~一冊の魅力をどう引き出すのか」が開催されまして、講師に、あゆみBOOKS小石川店の久禮亮太さんと、東京堂書店神田神保町店の清都正明さんをお招きして、いろいろと書店の仕事の裏側、仕入れの面白さと難しさについて語っていただいた。

久禮さんは70坪に満たない街の本屋さんの店長、清都さんは歴史のある神保町の300坪の有名書店の文芸担当と、それぞれ立場は違うのだが、本当に本屋の仕事が好きで働いている人たちだ。

清都さんが仕掛けるブックフェアはいつも独特で、他の書店では絶対に見られない切り口でいつも驚かされる。売れ筋の本も当然置いているということだが、間違いなく東京堂は、そういう本を求める人が頻繁に来る書店ではないので、お客様の問い合わせや、売れ行きをもとに、さらに東京堂独特の品揃えに磨きがかかっていっているように思う。

久禮さんは小規模の書店ながら、雑誌やコミック中心に偏らず、人文書も置いているし、売れた本のスリップを毎日見て、まとめ買いをしたお客さんの本のスリップはジャンル別に分けずに、お客さんの購入ごとにまとめ、お客様それぞれのパーソナルな購入の文脈を分析し、仕入れに活かしている。お客様との本を通した無言の交流の中で、本を仕入れ、売って、その店に来店するお客様のニーズに少しでも近づける努力を毎日している。

本屋の仕事って面白い。二人の話を聞いていて、思わず自分もまた書店で働きたくなってしまった。

自分はなぜ書店を辞めたのか…様々な理由があったと思うが、はっきりとしたものは思い出せない。お二人も言っていたが、新人に仕事にやりがいをもって育ってほしいと願っても、給料の問題、最近は出店ラッシュも終わってしまって、どんなに頑張ってもなかなか新店に店長として任せてやれないので書店員としての成長の実感を与えてやれない、というような話も講演が終わったあと、二次会に行く道すがら途中で話されていたのが印象に残った。

私もかつて某書店で、24歳ぐらいで実質副店長的な立場になり(その某書店は当時急成長していた書店で、しかも社員の増員も追いつかず、一店舗あたりの社員が平均二人か三人と少ないのでスピード出世とかではなく他に正社員がいないから、実質正社員になるとすぐに店舗内の立場が上になる)、大学生から、自分の母親でもおかしくないと年齢のパートさんや、なかには元紀伊國屋の部長さんで定年退職したあと、バイトで再就職してきた人など、数十人の人間のマネジメントを経験も無いのにいきなりすることになって、とても戸惑った記憶がある。

まだまだ世間知らずの若造が、いきなりアルバイト、パート数十人を動かして店舗運営をするのはかなりハードで、パートさんに嫌われて、店長一人がずっと雑誌の品出しをしている店の話や、社員が二人いる店で、嫌われた社員の方にはまったくパートさんやアルバイトさんから仕事の相談もなく連携もとれなくて、嫌われた社員しかいない日は仕事がまわらなくなるようになってしまう状況も見たことがあった。幸い自分はそこまでひどい状況になったことはないが、本当にみていて怖かった。
マネジメントの難しさを24歳で実感し、良い勉強にはなったと思うが、その代わり人の管理の仕事ばかりに追われ、書店員の仕事の面白さや楽しさの中心である、仕入れや棚作りや版元の営業の方とじっくり協業する時間が少なく、日々人を動かすことばかりで疲れてしまい、最終的にその書店を退職することになったと思う。やはり仕事にはバランスが必要だ。そう実感した書店員の仕事経験だった。

書店員は辞めてしまったが、いまでも本屋は本当に好きで、とくにそのなかでも、あゆみBOOKSと東京堂は特別な書店だ。

よく行く書店なのに、いつも入店する時にワクワクさせられる。それは今日も何かに(本に)出会えるかも、見つけちゃうかも、というワクワク感だ。

だからお金がない時は、本当に困ってしまう。そんなときに限って、たくさん欲しい本に出会ってしまうから。

お二人がずっと辞めないで書店員として頑張って働いてもらって、さらに若手を育ててもらって、この二人のような書店員が増殖していくのを願ってやまない。

【文責 春日俊一】

 

またも、週末ですが、先週も難しくて、どうなることやら・・・

2014 年 8 月 22 日 金曜日

さてさて、書店訪問も下記後若干してみましたが、昨日、子どもの夏休み自由研究用

というわけで、トーハン店売様、アポ無し訪問でご面倒かけ、「ちょうど八月末で、学校の先生の

購入目的訪問終わる頃」で、「御社、来期で・・・」と、では、社でのその時迄の支払いと資金繰り、

「どうする??」とシビアな現状、とにかく売る(中身無くても)=即入金、が部署の責任として

問われているのですが、どう切り抜ければいいのか、今、全く方法が出て来ません。

印刷所サマと密談して500万円札を刷りまくり、私もコンビニで使いまくり、世に広めて、

炎上=円状的お互いの売り上げ確保!!という「精神変容」(サブカルチャー)を、注射のように

注入(危機の海水、命拾い。しかし、水強迫、泥へ呑み込まれ、動物としての死という結果考察無)

して、意識朦朧、ハーブ効かせれば、それ自体で満足している「もの」、どのように「欠如」に

持ち込めるか?論理的には不可能でも、人の意識では「可能」、言語化できない不安の可能性を

ナルシス丸出しによる慢心が満身というすり替えの地位確保のおうらかな安心という卑怯=秘教さ、

は、それ自体で満足している以上、もともと崩壊している言語で、批判など単なる茶番(普通=一般人)。

だからと言って、「死」が手軽に自分の手遊びになる訳無いのが現実でもあって、ようやく業務命令に

忠実に(社の私物化は社員としては有り得ないのに或るのはあんたの我が儘(ナルシス))、個別から

普遍への不可能な頭悪すぎてまるで出来てない「算数」、実践しなくちゃと、またごまかし引用ですが、

「・・・佐世保の魅力というのは一体何なのだろう。おそらく個人に依拠するところは大きいと思うが、

やはり日本の他の都市と比較してもその特殊性は明瞭だ。すなわち、米軍の存在だ。これは横須賀にも

共通している点だが、ただ横須賀よりも米軍が街に馴染んでいる感じがする・・・」つまり、肝心な定点が

揺らいで、そこに外的対象が取り込み入り込みで、「定」点が「酔う」点となり、日本人はアメリカ軍(外衛隊)

の言いなりになる以外、選択肢が無い。金で買う以外、力を持たない。そこで、自然=子ども、と思っても

実は、手懐けられない「他」を科学して、妄想で蠢く泥土を支配と意識するが、それは想定外=無意識を

まるで考慮していない(仕様が無いのですが)から、外(他)に飲みこまれるまま、しかしどうそこに対峙??

「・・・考慮せねばならないのは、近世における軍隊と社会はいまだ分離されえぬ状態にあったという点である。

すなわち、、軍隊の(militär)領域と社会の(zivil)領域とのあいだに明確な境界線を引くことは・・・

当時の実情にそぐわないのである。・・・兵士が都市社会へ統合された事実をも考慮に入れるならば、

軍隊と社会とのあいだには高い流動性があったと考えざるを得ない。・・・」その流動性に、助けられ、

また、危険に追い遣られ、と、仮に生きていても、生涯「もの、というなんとも言い難い不安を醸し出す、

それ?」を推力と並行して自身で語で殺す(名指しのもの言い)実践しか、計算の逃げられなさ、に

努力するしかないのですが、何もやってない、腰砕けという、なんとか脱出演算を、見立てしたいの

ですが・・・。軍事=力という魔力は、もともと無い自分すら騙せる自分の無さの隠蔽=勇猛に一役

買ってしまう、なんでも無いからなんでも有れる欺瞞。

さて、今日の曲は、不気味な感じもフェイクかも、という、結局、自分の満足でしょ!という、

でも、嫌な感じ残るこんな曲です。終末=週末観漂う??(玉崎)