書店をたずねて三千里

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その雑誌も今は出ず、CD買いに通った店もネット売だけになり、あ・・・

さてさて、なんかヘロヘロになってきました。いや、倉庫に行って、出庫入力終わって

ウーロン割で廻ってきたところですが…

大月インター(東京向け)の目の前にあった「ブックオフ」は、既に閉店していて、更地になると

税金多くなるからか、ブックオフ建物残ったまま、駐車場が便利使い放題になっていましたが、

あいにくの、空模様で、小雨降ったり止んだりで、東京モードと変わらない状況でした。

頼みのラジオも、カーシェアリングの車が新車になってか、「放送大学」が流れず、

聴きたい「曲(語らい」・・・でも可。要は、その人の根本としては、この語り様式しか在り得ない

、必然かつ偶然な切実さ、が少しでも、「感」あるようなら・・・)が、どれもこれも流れず、

かなり期待はずれの状態でしたが、そんななか、「巻き寿司を食べるとすると、やはり、

ひとり暮らしでは全く可能性無く、「家族」で、開催となると、「普段のご飯量は、五合」です。

と証言あったり、私は「シーチキン巻き」「えぇ??イカとか無く??」「いや、魚介類はウチ、

なかったような、お母さん!(その寿司の創設は普遍性のあったものなのでしょうか??・・・

という明確かつ、疑念は封じるのが「愛」という暖かい家族≒自然(獰猛)には愛も勝てず、

受入れるしかない)」と、間主体的関係に見えるものが、実は間主体の残滅という優しさで、

関係嫌いなのに、関係は大切と宣言してしまう、やはり、最後にブツかる「喪の=ding」より

「者」の方が安心感、というわけで、痒いから掻くのは即物的かつ、「物」の根本的受け入れの

無視(否認)という恥かきこそ、多幸症的「幸せ(15年前にニュース流れたアナウンサーも、

者といるから「ハッピーハッピー」と言いつつ、個別に地獄だったようで、周囲に「感謝」の言、

で周囲は「誰も悪くない」。しかし、その裏側に、「あなた方それ自体=存在そのものが、

重荷です」と言いたいのに否認の人の良さで元々の表現もごまかしだったから、「仲間(者の

フリした者もどき)」も「意志を尊重して、あなたの気持ちを継ぐ」と隠蔽につぐ隠蔽が、世が

丸く治まる≒ハッピーという人間存在の「如何でも良いなんとなく」のもっともらしさに回収され

ているものの・・・というところで、今日の曲。

車でラジオ聞いても、書いたとおりいい感じのなかったですが・・・どれがいいやら。

新卒で会社に入り、仙台~山形と行き、山形で10月ぐらいに車で聞いていた、

専門雑誌では「全く出す必要無し。どうして、昔の作品を越えられないものを平気で出すのか

無神経!」だったか憶えていませんが、そんな評価だと聞く資格も無い私が聞くということは、

表現を自身の好都合な道具にして恥じない、つまらんやつ・・・ということか、と思いつつ、

憂鬱なトーンが、そん時の気分だった、こんな曲で、今回は(玉崎)。