書店をたずねて三千里

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豊岡の職人が作る鞄

2014 年 11 月 28 日 金曜日

先日は版元営業と革靴の関係について書いたが、今回は版元営業と鞄について書きたいと思う。

版元営業の駆け出しの頃は、なるべく軽くて、かつポケットがたくさんある鞄をビックカメラとかで探して買っていた。

版元営業にとっては、鞄も革靴と同じように消耗品で、重い営業用のチラシや資料等をたくさん入れてパンパンになった状態で、書店を何時間も営業して回ると、そのうちガタがきて、ストラッップと鞄を繋いでいる金具が千切れたり(これ本当で、真鍮の金具でもだんだん磨り減ってきて千切れたことが何度もあった)、外装の布が破れたりで、革靴よりは持つが、一年ぐらいでだいたい限界がきて買い替えてきた。なのでもう版元営業になって十四個ぐらい買い替えたことになる。

最近の私のお気に入りの鞄は、鞄の産地、兵庫県豊岡市の職人が作るダレスバックだ。豊岡の職人が作った鞄は、デザインも強度も、いままで使ったどの鞄より優れていると私は思う。

豊岡には以前、出張して書店を営業してまわったことがあり、私は実はその時に、豊岡が千年の歴史を持つ鞄の産地だということを初めて知った。書店営業をやることで、日本の行ったことがない地方都市の知られざる名産を知ることができるというのも、また出張の面白さの一つである。

最近は、「モノづくりの日本」とか言いながら、店に並ぶあらゆる商品が中国製だったり韓国製だったり、最近は靴もベトナム製やカンボジア製が出回ってて、全然日本の職人が作ったモノが日常生活に見受けられなくなっていると思う。

そんな中、豊岡の鞄は、海外の安価な鞄などの価格攻勢に耐えながら、鞄づくりの千年の歴史を継承しつつ、日本の職人が作った、まさにモノづくり日本の高い技術を証明している。

豊岡の鞄、お勧めです!

【文責 春日俊一】

 

 

ジャスミン茶は、初めてだと上品な感・・・

2014 年 11 月 19 日 水曜日

何に捧げるのか、母にならOKで、隠れ倒錯でもだって地域的な容認が

ある以上、わざわざ否定もする必要も無い、要は≒酔うは、その場で

そう見えれば…というわけで、忠臣蔵の本、11/16と11/17夕刊、新聞に

載った書評の本、しかし、今日、書店さん伺ったところでは、しっかり

面陳列して頂いているものの、やはり記事が小さすぎなのか、動きは

・・・で、やはり、出版という形式が、もっともらしい自己正当化にしかならず、

決して、人類全般に「価値」あるものでは無い!という事実、悪戯に関係諸氏を

もっともらしく振り回し、その責任は、わたしでありあなたであり子孫でありが、

いつか取るんじゃないかなあぁぁ、と人生そのものが戯言なのに、明確な地位

は揺るぐことなく、と言う国は、イスラム国では在り得ない、空想を欲しいままに

する国に生まれて良かったと感謝しろ!、と、とんでもない要求まで基本甘受

というマゾだかアホだか、いや、どちらも、その通りで、人間以降の、今更、人、

とは口が裂けても言えないのに、平気で言いまくる動物にすらなれない、

この先、もういいのでは、早く国脱出か、地球以外の生物に賭ける、どうせ

ロトより、外、外部、他、に賭けたほうが、まだ賭け甲斐が或る、とどっちにしても

受ける者の「気分」であって、「認識」などしたら、母と絶交ですよ、と言った瞬間、

その絶つ、実は、絶好の快=接吻、と、もうこれは垂れ流し以外ありえない、

いや、もうお好きに・・・とエジプト脱出みたいな見切り=区切り≒言い得ない不可能

という論理の構築でも遮断、であるからこそ論理の凌駕の逃げられなさ・・??

とにもかくにも、若い(ジウヌ)人は、可能性あるというより、だって行ってからムスリム

になるのだから、なんかもう、その論拠を理論的に確定して下さいといっても、

その確立が恐くて嫌だから即英雄?行動なのに、と全く論駁にならないけど、

「気はある」ので、なにも説明しなくても分かってもらえると、無客観の独りきり多数性。

いったん忠臣をやめてくれれば、まだ可能性もあるのに、溶解という家族の絶対は

不可侵、とかなり暗室に閉じ篭りなのに開放ラテン普遍錯覚のロジックのためには

ロジック破綻、という過程を無視することが、人、と妄想してしまうほうが速いので、

その速さを更に凌駕してはやく・・・音速突破できるのか・・・まあ、難しいかも、

という、イスラム信仰ではなく、日本だと自殺するぐらいしかやることないから、

中東で銃もって、リアル、と生きよう、ということなので、もう80年代に、

この欲望もどきしか出口がないのだな、と弱弱しいのに勇ましい日本男児?

曲は、こんな感じか・・・(玉崎)。

昭文社の地図

2014 年 11 月 17 日 月曜日

私の若い頃は、今と違ってスマホなんて便利なものはなく、携帯電話はあってもちゃんとした地図機能はなかったから、基本的に紙の携帯用ミニサイズの地図を持って、書店を営業してまわった。

特に昭文社の地図は、もしかしたら版元営業が買うことを狙ってそうしているのかもしれないと思うほどに、どの地図も書店の位置情報がちゃんと掲載されていて版元営業にとってとても見やすい地図だったので、特に地方出張の前などは、昭文社の県別の地図を買い、ルートを考え、出張営業を成功させるための戦略を練ったものだ。

時代は変わった。今ではipadを持って行けば、地図を買っていなくてもgoogleマップで該当地域を選択し、「書店」と検索窓に入れてエンターを押せば、あっというまに書店の位置と、現在地と、そこまでの距離まで計算してくれる。
便利だ。非常に便利だ。

でも……どこか物足りなかったりする。
なぜだろう。

2000年に私が彩流社に入社してすぐの頃、8月の太陽が照りつける真夏に、『神奈川の古墳散歩』という本を営業するために、神奈川のほとんど全ての路線に乗って書店を訪問し、まさにドブ板営業をしたことがある。その時にとても役立った昭文社の路線別の駅前情報地図は、今も会社の本棚に置いてある。そして異様な匂いを放っている。あの2000年の真夏に、私の手と、額から滴り落ちて地図に染み込んだ汗の匂いがする。

もう駅前の情報も、書店の情報も、14年以上経って古くて使えないデータばかりの地図なんだが、どうしても捨てられない。
あの頃の自分に恥じないような営業を今できてるのかと、時々この地図を手にして匂いを嗅ぐと、ふと考えることがある。

【文責 春日俊一】

 

 

 

こら、コーラ!コカ・・・

2014 年 11 月 11 日 火曜日

肝心なことが、今週11/12(水)昼、TBSTVの「ひるおび」で、コーラが

紹介されるということで、月曜に背の高いTBSのAD見習いのような人が

出来たばかりの見本を一冊、画面用に購入していったのが書き忘れ・・・

尋ねる、依頼する、というわけで、こういったことは個別に無し!しようとも

できない、確乎とした応答、誰も聞いてないところでも、やはり在る・・・

消えてなくならない、あの病、本人にとっては人間らしさ、というやつで、

目で見えて「うらやましい。ほしい。」と事後的に据えてしまった自覚できない

過失・・・やはり、産まれてしまったのが即問題ではあるのですが、仮にそう

言っても、所詮言語内の茶番、もっと切実な現実がありますよ、と認識した

はいいものの、それ、経験で、下のふりした上で、煙に巻いているのに

一見良く見える制度に保護されて、解放は勝ち取る以外ない≒つまり

人殺しは避けられない(これも、単に殺る、ではなく、こうこうこういう理由で

いたしかたなく殺った、ということ自体で、淫靡な、しかも普遍を僭称する

、これは、この人らしき人に言っても、あまりに・・・無意味ですが)ところで、

もしかしたら「無い」方が凄いと純粋化して、いやこれが平凡、という、

もっとも難しい生き様、とガッテン、してしまう・・・

あと十五分ぐらいで帰ろうとしたところで、今日、問屋さんに見本出ししたのが

「コカ・コーラ」という本です。

「コカ・コーラ」、明日出来るということで、久しぶりに飲んでみましたが、

「コーラ、炭酸きついなあ」と、そういえば、前の会社でも、久しぶりの倉庫作業

だからか、世代的なものか、その夏の疲れのレンタカーで社長「コーラ!」と

おっしゃっていたのを思い出します。

自分でコーラ(闇からの呼び声?)というと、小学生の時、田舎町で、今では

そこそこあった店も潰れている、商店街の空き地に、なぜかピエロのような

「コカコーラ宣伝MAN」が、ヨーヨーとかその他、コカコーラ遊び道具を、

フンダンに見せつつ、買え、とは言わないものの、いろいろイベントして、

子供心に「なんでここにいるのか分からないが、あの、こかこーらデザインの

しゅるしゅる、しゅー、と紐伸びて、スマートに手元に戻るやつ」『欲しい』≒

『そうなりたい!』と思ったような記憶があるような気がします≒捏造かも・・・

とにもかくにも、コカコーラの、工場地域の水破壊に対応した、水無し地域への

企業アピール、でも責任果たそうとするグローバル企業の戦略は、もし「会社」が

生き残りたいなら、必須の「ローカルでも必要不可欠な「法」」は見せ掛けでも

創設しないわけには行かない」、生きたければ身に付けるべきもの、のようです。

確かに、屹立するもの、そうあって当然と、つい想ってしまう、だから、現実は

閉塞荒廃でも、まさにそうであるからこそ、尚且つ、より自を世に知らしめよう、という

「母親の罠」。だからといって「父親つっかえ棒」が、絶対的でもないが故に、

「絶対=必然」の僭称により、何か乗り越えたつもりになれる、未来という時間の

捏造は、やはり幸福なのは、だれでもそう彷徨するのではあって・・・

今日の曲。

物凄い速いので、宣伝すらふっ飛ばしかねない、大阪だったかの80年代の

少林寺スタイル?な、こんな人の曲。(玉崎)

 

 

 

革靴

2014 年 11 月 7 日 金曜日

営業という仕事について、ずいぶんと時が流れたが、果たしていままで、私は何足の革靴を買い替えたことだろう。
年に2足〜3足は買い替えているから、30足ぐらいは買っていてもおかしくないと思う。価格にしたら結構大層な金額になるだろう。

そして、またもや、今履いている革靴がついに限界にきたようだ。
書店を営業してまわって磨り減った靴底のせいで、今日は小雨だったが、すべりやすいところを歩くと、ツルッとしてしまい、何度も倒けそうになった。
持ちがいい革靴でも半年でだいたい寿命が来る。たまに安い合成革の靴を買ってしまって、すぐに足が痛くなって、3ヶ月も持たない革靴もあったりする。

営業にとって靴が足に合わないというのは致命的で、足が疲れやすくなる=歩くのが辛くなる=多くの書店を回れなくなる。
という負のスパイラルの陥る危険性がある。

今度は、どんな革靴をどの靴屋で買おうか……。

もう二度と買わないと思っている、ハズレの革靴ばかりが並んでいる靴屋もあれば、ここならだいたいハズレはない、という靴屋もある。ただ共通して言えるのは、3千円前後ぐらいの革靴は、ほぼ失敗する。履いて2日で足は赤く腫れてくる。5千円ぐらいの革靴は5割、7千円ぐらいの革靴は3割ぐらいの確率で失敗する。ということで、ハズレを掴まないためには、1万円以上する革靴を買わないといけないことになる。1万円以上する革靴は、本当に履き心地が良い、足に自然にフィットして、長時間歩いても疲れない。まあだから高いのだろうけど。

でも、1万円なんて……とても痛い出費だ。

会社から、営業スタッフには「靴手当」を支給すべきだと私は昔から思っているが、実現しそうな雰囲気は未だ無い。

【文責:春日俊一】

19時半~百人町で「アンタ、耳が遠いの!?」ぶっちゃけ…

2014 年 10 月 29 日 水曜日

というわけで、本日、新宿百人町1-5-1(TEL:03―3205―1556予約)の

屋根裏露出屋、19時半~[1600円~1900円(飲食別)]、小社新刊

『ムカたびジャパーン!』著者イベント開催です!

奇しくも、昨日28日の朝日朝刊25Pには、著者の生き様紹介記事

「明日のために 働くということ」も出「・・・読売新聞で出版の営業の

仕事を5年で辞め、20代の働く女性向け雑誌の手がける出版社に

転じた。31歳で編集長。売れる特集はどこかで見たような無難な記事

だった。・・・36歳でフリーに。目を向けたのが沖縄だった・・・大ぶりな

ステーキ・・・」などと、旅につぐ旅の嬉しいのか悲しいのか混濁した

旅する生き様とその今後が輪郭くっきり記事にされていました。

今回は、とにかく対象が知れないのでその分イラっと・・・むかっと、

おさまりつかない、人も転じて転じて虫だかムカだか不明につぐ楓迷

で「どっかーん!」と若干のイキドオリがどこにも行き着かず、終着駅が

無いというこのトグロ巻いたの、どうすれば、よりにもよって、それを

雲散霧消するための「タヴィ」のはずが・・・という題材で、

とりあえず笑って二時間ぐらい時間旅行で、なんとなくたびした感じで

帰っていただければ、のイベントです。

まだ予約20名でもっと入るので、また著者本販売もしますので、

どうぞ(TEL:03―3205―1556予約)お越し下さい。

さて、今日の曲は、山形だったか盛岡だったか、何か視察だったのか

郡山営業所から本社の総務次長になっていたW次長と、東北ブロック長

だったK部長が来訪し、飲ませてもらった後カラオケに行き、持ち歌少なく

、これ一応知っているかと、やったら、K部長クール、W次長受けてもらった、

人為的異空間への旅に私の場所据えて、こういう旅行、何度も想起して、

その差し向かい手に、もっとも上手く主体性でもって切り込みできれば、逆に

切られて、裏返しで返ってきたものを、更に欠けてもう一歩位置づけ、旅から

帰ってくれば、うまく転じて転じる出口もあるであろうか、というような、今から

聞くと旅曲な、中学校の時にTVで聞いていた曲。(玉崎)

 

 

書店員との出会いは一期一会

2014 年 10 月 27 日 月曜日

ここ十年、本当に数多くの書店が閉店してしまった。そして、思い出深い書店員も、一人また一人と業界を去って行った。中には亡くなられた方も何人かいる。とても世話になり、感謝の言葉も言い尽くせない書店員。そんな方々の葬式に出たこともあったし、一周忌に参列することもあった。

都内の、よく通っていて毎月会っているような書店員もいれば、首都圏でもちょっと離れたところや、地方の書店員とは、何年かに一度しか会わない場合も多い。一度会っただけで、次に訪問した時は、もうその書店員は辞められてしまって、たった一度会っただけで、もう二度と会わないかもしれない書店員もいる。

一期一会、もしかしたら、この人ともこれが最後に言葉を交わす瞬間かもしれないと思えば、やはりその貴重な時間を大切に過ごしたいと時々思うことがある。営業はそういう意味では儚くて切ない。

先日、決して遠い書店ではないが、なかなかその地域は、弊社の本の注文を多くは取ることができない書店が多く、正直足が向かなかった地域だったが、先日、本当に久しぶりにその書店を訪れた。そしたらまた楽しい出会いがあった。
人文担当の人は、十年ぐらい前に、出版人の会合で一度だけ会ったことがあるKさんだった。久しぶりに、そして二度会うことができて言葉を交わすことができた。一度で終わらなくてよかった。もう一人、文芸担当のSさんとは初めて会った。とても細部まだこだわった海外文学の棚を作っている方だった。正直いままで、この地域の書店に営業をしてきた経験では、どこの書店も海外文学の棚には力が入っていなくて、つまらない棚が多かったが、Sさんは本当に好きで頑張っているような方で、かなり気合いの入った、欲しくなる本、他の書店であまり見かけない本がたくさん並んでいる棚だった。そのSさんから今度の出版社の人が勧める本のフェアに並べる本の選書と推薦文を書いてほしいと頼まれた。嬉しいことである。この提案を快く受けて、頑張って気合いの入った推薦文を書けば、Sさんの私に対する好感度はかなりアップすること間違いなしである(笑)

私は頑張って推薦文を書いてSさんに送ったところ、とても喜んでくれたようだ。フェアが始まれば、また会うことができそうだ。

ということで、営業という仕事は、まだ会ったことのない、素敵な書店員と出会い続けられることが、何よりの喜びでもある。

営業は数字を上げることだけでは続かないと思う。良い出会いが仕事に喜びと彩りを与えてくれる。
まあ、その良い出会いが最終的には数字にもつながっていくわけですがね。

今日も、新たな出会いを求めて、知らないに街でも営業に行きたいな。

【文責 春日俊一】

 

 

 

カットの瞬間に不気味なものさえ出ればと願

2014 年 10 月 20 日 月曜日

イマイチ乗り気がしないものの、今日、取次見本出ししたものを紹介し

帰ろうかと思います。

とにかく溶暗が多い劇という「モーリス・パニッチ」の戯曲「ご臨終」

カナダの不条理劇とのことで、まだ見たことがありませんが、11/5から

「新国立劇場」で〈なんてパンク!〉(とノゾエ氏)演るのでもう出して

しまう訳です。

「…言っとくけど、ここまで徹底して自分を嫌われ者にするってのは、

生やさしいことじゃなかった。かなりの努力が要る。幸い僕は人間

嫌いなんでね。その点都合がいい。好きか、嫌いかなんていう

生易しいもんじゃない。・・・信仰は生まれつきのもの。神を「敬う」

ってことは習い覚えられても、神を「信じる」ってのは習って覚え

られるようなことじゃない。誰かが僕を愛してくれるなんて、僕には

どうしても信じられ…」

もう一点は、「…小説空間は、このような社会と人間のうごめく「謎」

で埋め尽くされており、それを描くエリオットの言語表現を味わうこと

自体が・・・私たち自身の得がたい精神的経験の過程となる…」

という「ジョージ・エリオット」(当時は男性名でないと作家デビュー

しにくかったのでジョージ、本名メアリ・アン、とのこと)の33年ぶり

の新訳「ロモラ」。これは全集なので、近々、わりとコンスタントに

刊行されています。イギリスの作家です。なかなか今読んでも、

鋭い、感触です。「…意識のこだまの中で、それらの言葉は

彼女には、彼の存在の一部となっている思い出とぶつかる、痛みを

伴う奇妙な不協和音となった。沈黙の瞬間は、募る良心の呵責と

自己不信によって引き伸ばされた。自分は激情のあまり、冒涜行為

を犯してしまったのだ。自分の嘆願は決して撤回できない・・・

「お許しください、神父様。このような言葉を使ったことは、私には

苦痛です。でも話さずにいられないのです。私は神父様と比べれば、

小さく弱い人間です。でも私が従ったのは、差し出されたその力を

感じたから―その光を見たからです。今は、それが見えません。

神父様、あなたはご自分から断言されましたね、聖別されたものに、

本当に聖なる美質があるかどうか、見分けるために、魂が、内なる声

以外の導きを持ってはならない瞬間が来ると。…」などなど、もっと

鋭いところ多数あるのですが、今日は1000円散髪行ってこようと

思ったので、これで、髪切る歌はこれぐらいしか記憶に昇りません、

のんべんだらりで「現実」切迫がぼやけますが、では(玉崎)。

 

第五福竜丸が鎮座する夢の島で本を売ります。

2014 年 10 月 17 日 金曜日

放射能は目に見えない。

目に見えないから怖い。

私は、3.11の東日本大震災の翌年、福島に出張営業をしたことがあるのだが、その時、放射線量を計る線量計も購入して持参した。

原発近くの南相馬では、意外に線量が低くて驚いたが、郡山では、強い風が吹くと、東京の10倍以上の線量になって、さすがに恐ろしい気持ちがした。

 

でも見えない、匂わない、何も感じない…

だから、「放射能なんて騒ぎ過ぎで、実際は大して影響ないんだよ」と言われ、そう信じると、確かに何も感じないのだから怖くなくなる。
まるで幽霊のように、放射能は信じる人にだけ恐怖をまき散らしているのかもしれない。

郡山の書店に営業に行った時も、「放射能なんて気にしていたら生きていけないよ」という声をよく聞いた。
確かにそうだ。それが真実だ。

遠くから被災地を眺めて、ああだこうだ言っている我々と、現地で生きていくしかない彼らとは、大きな越えられない壁があるのだということを感じた。

放射能の恐ろしが分かるのは何年先のことなんだろう…。

 

子どものころ、夢の島で見た第五福竜丸の記憶が鮮明にいまでも甦る。

その周辺の夢の島のことはまったく記憶にないのだが、船の姿はいまも忘れない。

思った以上に大きかったのと、何か得体のしれない空気をまだ小学生の私はひしひしと感じた。

そして、その夢の島で、今日、小社で本を二冊書かれた古居みずえさんの講演があるということを、
小社も参加している平和の棚の会のS社の方から教えていただく。
そんなことで、話はとんとん進み、それ以外の小社の本も、たくさん夢の島で売っていただくことも決まる。

あの第五福竜丸が鎮座する夢の島か…

夢の島と放射能…

なんだかなあ…

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書標にノーベルじゃなかった村上著者解説と「瞬間移動フェア」

2014 年 10 月 10 日 金曜日

わわわ・・・本日中締切(火曜が使用する会議)と、今、本日ブログ当番

というわけで、気づいたところで、会議分を中断し、今・ここを仕上げた

切断の実践、ともっともらしく「何かやったつもり」の肉処理詐欺で任務を

果たそうと、書き始めました(草食嫌いの人はどうぞ肉切断(うまい!で)・・・

とはいえ、任務は隠密??潜伏している間に「計略≒思考??」

と肯定しようにも英語でソート、は小社の本日見本出し本のことで、

深く考えること(現在進行形)とは、今を生きる(自死)こと、という

進行≒信仰≒親交≒侵攻≒振興の「否定」以外、これからの

もう一歩は不可能と思えるのに、神効?

つまるところ問題は、まったく孤の状態なのに全部を把握と

錯覚しているのに当人、これ客観なり、と「異なり」と「同じ」を関係させる

思考をめんどくさいと棄却(一般化、とは実は主観化≒週間化の

うさんくささが人間らしさという「差/別」の否認)との、人としての尊厳の

危うさ・・・、肝心な局面においては、「こうなってしまったから善」ではなく

それにも関わらず「あえて「考え企図だ」から「全-構成」」という、

有ると無いを分別せず、透過する、との立場を、一旦、前提として禁止して、

嘘だらけ虚構に準拠し、その嘘を嘘のままに言葉を投げ付け会う空間創造

において、それに乗ってしか、なにも創られない「現実」が避けようも無い

地点で「切り離されて在る」という苦しいけど安心に至る、一歩をどう踏出すか

、早く帰りたくなって来たところで、とりあえず途中で保留の資料は14日夕方

使用だし、13夕方メール送付でも、なんとかなるのでは、と甘い見通しで

今日の曲・・・かなり前から思いつこうとしましたが、パッとしたものがなかなか、

そうそう、月見に感激して川飛び込み亡くなった学生の人もいましたから、

息無い(遺棄無い、逝き無い)と、生きることは死ぬことを、頭の中だけで

やる(なってしまった)より、不可能な計算(瞬間移動??)の実践で、

幼い子どもは、受入れること出来ないことは、大人が忘却している内に

実は、真に受け止め考えている、ということが、やはり見過ごしまくりな、

それでも題名だけは、量子力学など、まるで歯が立たない私にも

若干接点あったらいいなあ、という「数学入門してから聴け!」と

総括されるの必然かもしれない、でも、演奏している人たちは、

そこまで「思考=不可能」は問題とは想像してはいないだろう(条件法)、

という・・・それでもCDになったのより、とにかく臨場感が違うこの曲で

今日は、(玉崎)。