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日本人と中国人

2002 年 9 月 29 日 日曜日

『日本人と中国人』表紙\
書籍名   : 日本人と中国人 異文化交流の楽しみ
(ニホンジントチュウゴクジン)
著者名   : 汪洋(オウヨウ) 著
発行日   : 2002-08-09
税込価格 : ¥1890
本体価格 : ¥1800
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★西日本新聞、9/29

「国費留学生として九大で博士号をとり、日中両国に約二十年ずつくらした著者の比較文化論。といっても堅く論考するのではない。例えば、自己主張しない日本人はカラオケで、普段できないが故に胸にたまった「自己」を主張し、一方、昼夜を問わず自己主張している中国人は、なかなか主張できない政治と愛情を夜ごとカラオケでやるのだ、といったところから入って両国民の精神構\造の深奥に至る。小説「大河の岸辺」で九州芸術祭文学賞佳作を受賞した文章力が随所に光る。」

Jポップの日本語

2002 年 9 月 29 日 日曜日

『Jポップの日本語』表紙\
書籍名   : Jポップの日本語 歌詞論
(ジェイポップノニホンゴ)
著者名   : 見崎鉄(ミサキテツ) 著
発行日   : 2002-07-17
税込価格 : ¥1680
本体価格 : ¥1600
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★読売新聞、9/29、千石英世

「歌において曲と詞は不可分に統合されているはずだという常識からあえて詞を抽出し、世相と関連付け、社会評論的な詩論の試みとしたのが本書である。浜崎あゆみ、GLAY、ミスター・チルドレン、ゆず、等々当代の歌びと達の詞が、吟味の俎上に乗せられる。個々の歌びとの存在意義は引用豊富に追求されているが、最終結論は暗い。Jポップは総じて「カッコいい音楽にくるまれているが…歌詞はセンチメンタルな述懐に満ちている」という。Jポップを愛するがゆえの苦い認識。あるいは隆盛を誇るショウビジネスの意外な素顔か。もしそうなら責任者に出てきてほしい。」

★東京・中日新聞、8/3
「 浜崎あゆみ、GLAY、ゆず、ミスチルなどのミュージシャン十二人を取り上げ、彼らの自作の歌詞を論じたもの。俳句の手法を用いている椎名林檎、指示代名詞が多くて内容のない小田和正、自己正当化しか見られない槇原敬之の復帰第一作、「影を慕いて」にそっくりなサザンの「TSUNAMI」など、分析は丁寧で的確。歌詞論としてもおもしろいが、一種の日本語論としても読める。」

★「週刊朝日」6/27、斎藤美奈子
「『Jポップの日本語』(彩流社)は、浜崎あゆみ、GLAY、ミスチル、サザンなど十二組のアーティスト論と、「懐かしさ」「二人」「横顔」といったテーマ批評の二本立てで勝負した歌詞論である。Jポップは「あの」が大好きで、あの日、あの頃、あの時、あの場所、あの季節、などとあったら必ず懐かしがり屋さんの歌。破壊的にみえるいまの若者の歌も「あの日」への郷愁に充ちたクヨクヨしたものであり、そんな弱さをごまかすために、未来を見つめて、などの文句を絆創膏みたいに張り付けているのだ、なんていう少し意地悪な見方がいい。」

従順な妻

2002 年 8 月 11 日 日曜日

『従順な妻』表紙\
書籍名   : 従順な妻
(ジュウジュンナツマ)
著者名   : ジュリア・オフェイロン(ジュリア・オフェイロン) 著
発行日   : 2002-07-12
税込価格 : ¥2625
本体価格 : ¥2500
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★東京・中日新聞、02/8/11
(7・15刊、2500円+税)「イタリア人のカーラは13歳の息子と2人でロサンゼルスに住んでいる。息子は隣家の少女に夢中で、夫もイタリアでほかの女に入れあげているらしい。カーラもまたひょんなことから恋に落ちてしまうのだが、相手は何とカトリックの司祭だった。皮肉を利かせたユーモアがちりばめられたコメディ。家庭、夫婦、女性の性などについて考えさせられる長編小説だ。」

スティーヴン・スペンダー日記

2002 年 8 月 4 日 日曜日

『スティーヴン・スペンダー日記』表紙\
書籍名   : スティーヴン・スペンダー日記 1939-1983
(スティーブンスペンダーニッキ)
著者名   : スティーヴン・スペンダー(スティーヴン・スペンダー) 著
ジョン・ゴールドスミス(ジョン・ゴールドスミス) 編
徳永暢三(トクナガショウゾウ) 訳
発行日   : 2002-07-19
税込価格 : ¥7875
本体価格 : ¥7500
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★読売新聞8/4
ジョン・ゴールドスミス編 20世紀イギリスの詩人にして批評家、行動的文化人スペンダー、半世紀の日記。第二次世界大戦の始まった1939年、ヒトラーの独裁主義と戦争好きを厳しく批判。世界を旅して、エリオット、ヘミングウェー、ストラビンスキーなど多彩な人々と交友、時代の生き証人としての省察は異彩を放つ。徳永暢三訳。

マーク・トウェイン新研究

2002 年 8 月 1 日 木曜日

『マーク・トウェイン新研究』表紙\
書籍名   : マーク・トウェイン コレクション20
マーク・トウェイン新研究 夢と晩年のファンタジー
(マークトウェインシンケンキュウ)
著者名   : 有馬容子(アリマヨウコ) 著
発行日   : 2002-04-19
税込価格 : ¥2625
本体価格 : ¥2500
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★『英語青年』 8月号
(4・30刊、2500円)「晩年のマーク・トウェインに対する関心は、今日、これまでよりも大きくなっているようである。それは、晩年に執筆された多くの未完の諸作品にいまだ謎めいた未完の部分が残されており、そこに研究の余地がまだまだあると考えられるからであろう。実際、トウェイン晩年の全体像は依然として明らかになっているとは言い難い。その姿をもっとよく理解したいと願うのもまた当然の思いであろう。本書は、トウェイン晩年の作品を夢やファンタジーという新しい視座から解釈しようとする意欲的な著書といえる。衰えるどころかますます膨らみ続けるトウェイン晩年の筆力、その想像力の発露を著者は本書で示そうとする。…本書は、トウェイン晩年の旺盛な創作意欲を伝え、その作品を紹介した意義がある。」。

異端者

2002 年 7 月 28 日 日曜日

『異端者』表紙\
書籍名   : 異端者
(イタンシャ)
著者名   : ミゲル・デリーベス(ミゲル・デリーベス) 著
岩根圀和(イワネクニカズ) 訳
発行日   : 2002-06-07
税込価格 : ¥2940
本体価格 : ¥2800
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★読売新聞、7/28、金森修
「人を驚かせる奇抜な装置や逸話があるわけではない。むしろ古典的題材を正統的に描ききったという感が強い。ときは十六世紀半ば、場所はスペインのある町。若干の商才に恵まれているが、どちらかといえば平凡な男サルセドが、妻の不幸な死、何人かの魅力的な新教信者との邂逅などを経て、より毅然とした人間に少しずつ自分を変えていく。まるで読者は、当時の平凡な旧教徒が新教の息吹に触れ、それまでの惰性的な宗教行為に違和感を感じ、徐々に新教に惹かれていくときの経験を追体験するかのような感慨に満たされる。…宗教改革当時の近代史の苦渋が、虚構\の光線を通して見事に浮き彫りになる重厚な大作である。」

サラ/ハイ・ライフ

2002 年 7 月 7 日 日曜日

『サラ/ハイ・ライフ』表紙\
書籍名   : カナダの文学別巻3
サラ/ハイ・ライフ カナダ戯曲選集
(サラハイライフ)
著者名   : ジョン・マレル、リー・マクドゥーガル(ジョン・マレル、リー・マクドゥーガル) 著
吉原豊司(ヨシハラトヨシ) 編訳
発行日   : 2002-06-07
税込価格 : ¥2310
本体価格 : ¥2200
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★読売新聞、7/7、平田俊子
「小説同様、戯曲にも優れたものとそうでないもの、読みやすいものとそうでないものがある。戯曲だからという理由で敬遠するのは惜しい。優秀な翻訳劇に与えられる湯浅芳子賞の本書は、カナダの新旧2人の劇作家による戯曲2本を収録。「サラ」は往年の名女優サラ・ベルナールの最晩年を扱った作品。回想録を書きつつあるサラが、初老の執事を相手に過去を追憶したり、かつて演じた芝居を再現したり。「みんな恋をするのよ、このわたしには」「わたしは約束を守ったことなど一度もない」という台詞は、さーすが女優という感じ。この時サラは片足を失っているが、なお舞台と人生に挑もうとする。その強さと危うさが感動的。「ハイ・ライフ」は麻薬常用者やムショ帰りなど4人のワルたちの話。銀行強盗を企てるが、肝心なところで仲間割れして…。4人のやり取りに一触即発の緊張感と時代の閉塞感がにじむ」。

奴隷制の記憶

2002 年 7 月 7 日 日曜日

『奴隷制の記憶』表紙\
書籍名   : 奴隷制の記憶 サマセットへの里帰り
(ドレイセイノキオク)
著者名   : D・S・レッドフォード(D・S・レッドフォード) 著
樋口映美(ヒグチハユミ) 訳
発行日   : 2002-06-07
税込価格 : ¥2625
本体価格 : ¥2500
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★東京新聞、7/7、池田智
「アフリカ系米国人の愛と希望の祖先探し──これは、ひとりのアフリカ系アメリカ人女性が自らの過去を、その母方の祖先にまで辿るオデッセイである。なぜ母方なのか? 父親から白人の血をわずかに受け継ぐ著者が知りたかったことは、被差別者としての純然たるアフリカ系の過去だったのである。南部の生まれでありながらニューヨークの伯父・伯母のもとで育てられる間に、南部育ちの黒人は「最低のなかでも最低」だと白人はおろか黒人にまで評価されていることを知り、自らの過去に重い蓋をした。だが、32歳のとき13歳の娘に、「曾お祖父さんと曾\お祖母さんはどんな人だったの? どこから来たの? 奴隷だったの?」と質問され、その蓋を開けざるをえなくなった。娘の質問に真摯に答えるために、何の学位も持たない著者が、仕事の合間に十一年もの歳月をかけて国勢調査原本や郡役所に残されている書類などを丹念に調べ記録する努力には、母親の子どもに対する愛がいかに強いものかをあらためて知る思いがする。その努力の結果、七世代前の祖先がノースキャロライナ州サマセットのプランテーションにアフリカから連れてこられた奴隷であることを発見する。だが、単なるルーツ追求物語に終わってはいない。サマセットをサマセットたらしめたのは、奴隷を所有した白人ではなく、何百人もの黒人であったことを著者は認識し、その地へ自らと共通の過去をもつ人たちを里帰りさせるプロジェクトを進めるのである。サマセットヘ初めて足を踏み入れたとき、自らが集めた記録や文献よりももっと強く過去を実感し、里帰りをすることによってしか、それは知り得ないと確認したのである。その意味で、本書は、忘却の彼方にそっとしまっておこうとした秘密の場所を祖先が築き上げた文化的遺産と捉え、これを実感し、また共有することによって初めて「今を生きるための手応えある記念塔」にすることができるという信念を赤裸々に表\している」。

白い街へ

2002 年 6 月 5 日 水曜日

『白い街へ』表紙
書籍名   : 白い街へ リスボン、路の果てるところ
(シロイマチエ)
著者名   : 杉田敦(スギタアツシ) 著
発行日   : 2002-02-27
税込価格 : ¥2310
本体価格 : ¥2200
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★『ナンクロ館』02年Vol.5
リスボンに魅せられたアーティストを語ることにより、その街が鮮明に描きだされる。まるで、その場に居るかのように静かに吸い込まれていくのだ。リスボン、いやポルトガルに行ってみたくなる。

★『ハイファッション』6月号

「東欧のように内に向かって閉じていることで感ぜられる疎外感ではなく、あまりに外に開かれているからこその孤独。または真っ赤な部屋に暮らすことの狂気ではなく、世界が真っ白であるがゆえに自己喪失の恐怖を待つ街、リスボン。映画『白い町で』に導かれて訪れた辺境の街リスボンに、自分も含めて、A.タブッキやW.ヴェンタース、V.ベンヤミン、C.ヴェローゾたちが、なぜこれほど魅入られてしまうのかを芸術と思想、文学といった文化的パースペクティヴで透視。多くの異名で創作を行った詩人F.ペソアを引きつつ、サウダーデとディアスポラへ丁寧に糸をかけるようにして書き上げた、まさにエッセー=試論と呼べるにふさわしい文化的紀行」

★『Esquire』 02年6月号 大城譲司
リスボンに魅せられたアーティストを語ることにより、その街が鮮明に描きだされる。まるで、その場に居るかのように静かに吸い込まれていくのだ。リスボン、いやポルトガルに行ってみたくなる。

★公明新聞、02/5/27
アーティストたちの軌跡をリスボンに訪ねる――本書はありきたりの観光案内ではない。著者はよるべない旅行者としてリスボンの魅力をつぶやくような語り口で書きつけ、同じくリスボンに魅せられたさまざまな表現者たちの軌跡をたどり直そうとする。
本書には……数多くの思索者が登場する。本書を読むことが、リスボン=近代の臨界を巡る旅でもあるような構成となっており、アームチェアトラベラーにはうってつけの一冊である。

★週刊読書人、02/4/12 大久秀憲
彷徨の方法で書かれる、リスボンとアーティストたちの白い関係―ペソア(詩)、タブッキ(小説)、アラン・タネール(映画)、ヴェンダース(映画)、カエターノ・ヴェローゾ(音楽)、カバコフ(美術)、ベンヤミン(思想)など、彼らに映ったリスボンが語られてゆくのが本書である。著者も毎年月単位で訪れているという。月単位、というところに有段者を感じる。街の細かな描写が全編に見られる。著者は街を歩きながら書いたようである。ただその歩みは散歩のようではない。本書は彷徨の方法で書かれているように思える。リスボンに惹かれたアーティストたちは断片的にしか語られない。著者は「あの白い街にはこの方がふさわしい気がしてならない」という。その方法はそもそも街の要請するものでもあったということであろう。タイトルに読め、いたるところでも触れられる街の色だが、それは大航海時代が終わりヨーロッパにおいて褪せていった果ての色だった。異なった時代、異なった分野が接近し白熱する色だった。諦めと高まりと、コントラストが同じ色のなかで起こっている。その不思議がひとをリスボンへ呼ぶのだろう。

★東京新聞、02/3/24 横木徳久

ヨーロッパの国々に関する書籍は大量に出版されているようだが、実際は特定の国ばかりに集中している。ポルトガルのようなマイナーな国に関する本は意外に少なく、しかもポルトガル語で郷愁を意味する「サウダーデ」に酔いしれて客観性を見失ったものが目立つ。それは、ポルトガル、とりわけリスボンという街が孕んでいる魔力でもある。本書は、このリスボンの魔力にとらわれつつも、分析的かつ思索的な態度を崩さず、この街の魅力を余すことなく伝えている。まず本書は、二つの異なる局面から構成されている。一つは「リスボンに魅せられたアーティストたち」、すなわちフェルナンド・ペソア、アラン・タネール、アントニオ・タブッキ、アルヴァロ・シザら詩人や映画作家の作品や履歴に分け入る批評的アプローチであり、もう一つは、リスボンで遭遇する様々な事柄を観察する著者自身の体験的アプローチである。この二つの局面は、しばしば時間の枠を越えて交錯し、脱ジャンル的な空間を生み出している。そして批評面では、ペソアにおけるナショナリズムの問題を言葉への帰属性として捉えるなど、随所に刺激的な見解があり、また体験面では精確な観察によって、コントラストを軸にした「サウダーデ」論が語られ、リスボンの実像が焙り出されていく。「アーティスト」に限らず、リスボンを訪ねる旅行者の多くは、評者も含めて自らの帰属性を疑わずにはいられない。つまりこの日本が「終の棲家」ではなく、リスボンこそ帰るべき場所に思えてくる。こうした感情を、著者は根源的な「寄る辺なさ」として表現している。おおむね共感するのだが、この「寄る辺なさ」という情感へと普遍化してしまうと、ポルトガル・フリーク(心酔者)にありがちな自己慰撫へと陥るおそれもある。むしろ読者には、曖昧な情感ではなく、本書の中から、日本を見切るに充分な価値としてのリスボンを発見してほしいと思う。

ドン・カズムーロ

2002 年 6 月 5 日 水曜日

『ドン・カズムーロ』表紙\
書籍名   : ドン・カズムーロ
(ドンカズムーロ)
著者名   : マシャード・デ・アシス(マシャード・デ・アシス) 著
発行日   : 2002-02-22
税込価格 : ¥2940
本体価格 : ¥2800
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★論座6月号・坪内祐三

「ソンダクのエッセイ集には『死ののち マシャード・デ・アシス』という一文が収められていて、この一文は素晴らしかった。この未知の作家を、もの凄く読みたくなった。(この作品は)ちょうど19世紀と20世紀の、すなわち従来のタイプのリアリズム文学と新しいモダニズム文学が重なり合うような頃だが、『ドン・カズムーロ』は、まさに、その時代を体現している傑作だった。……この作品の重要な道具は「目」である。登場する各人の「目」に注目しながらこの長編を読み進めていけば、より深く作品世界を堪能することができるであろう」