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クルドの肖像

2004 年 2 月 13 日 金曜日

『クルドの肖像』表紙\
書籍名   : クルドの肖像 もうひとつのイラク戦争
(クルドノショウゾウ)
著者名   : 朝日新聞「クルドの肖像」取材班
(アサヒシンブンクルドノショウゾウシュザイハン) 著
発行日   : 2003-12-20
税込価格 : ¥1890
本体価格 : ¥1800
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★『理戦』76号
「本書は、クルド人の悲劇の歴史や現状を、一つの家族を通じて、綿密で、力のこもった取材の下に鮮明に描き出し、また少数民族問題というイラク戦争の無視できない一面を伝えている。従来あまり明らかにされることのなかったイラク・クルド人たちの民族的感情や、その家族の結びつきが生き生きと伝わってくる一冊だ」(「読書人」 04.2.13 宮田律)。
──「混乱を深めるイラクでは後景化する一方のクルド問題だが、実はイラク再生のカギとなる問題を孕んでいることを、本書は教えてくれる。詳しい用語解説と親切なクルド問題の入門書」

★「読書人」04/2.13 宮田律
「本書で紹介されるアハマド・マフムード(1920年生まれ)一家の歴史は、イラクに居住するクルド人の現代史を典型的に表しているといっても過言ではない。一家が住んでいたキルクークは、石油資源が豊饒であるために、イラク国家成立(1932年)以前からイギリスの関心を生み、第一次世界大戦後、イギリスは自らの委任統治領である「イラク」にキルクークを含めることを意図した。そのため、クルド人にセーブル条約(1920年)でいったんは約束した彼らの国家を認めることがなかった。
イギリスの帝国主義的野心によって、クルド人たちはイラク、トルコ、イラン、シリアなどにまたがる「クルディスターン(クルド人の土地の意味)」に分断して置かれることになり、少数民族としての悲哀を味わうことになった。クルド人は、現在に至るまで自らの国をもつことができない。
昨年のイラク戦争で、クルド人はフセイン政権打倒の米軍の軍事行動に協力した。アハマドの次女のように、古里であるキルクークに帰還した者たちもいる。米軍統治の中で、フセイン政権打倒に力を尽くしたクルド人は優遇されるようになった。しかし、イラクのクルド人をめぐる将来はまだまだ不透明だ。そのため、アハマドの長男は、イラクへの帰国を躊躇している。米国が後押しする新政権の下で、イラクは本当に安定するのか、クルド人はどれほどの権力や資源の分け前に預かれるのかは定かではない。
イラクのクルド人たちは、自らの権利拡大を実現できそうな見込みを得ながら、常にその期待を裏切られてきた。フセイン政権が崩壊しても、クルド社会の将来の安定については疑心暗鬼な状態にあることだろう。クルド人に対して友好的な米軍がイラクから撤退すれば、彼らは再び他の民族との軋轢や衝突を繰り返すかもしれない。

アハマド一家のように、経済的収入を考えてヨーロッパやバグダードに労働移住したり、またクルドの武装勢力に身を投じたりした家族がいることは、イラク中央政府から弾圧を繰り返し受け、また貧困の下で暮らしてきたイラク・クルド人を取り巻く状況を如実に表している。
本書は、クルド人の悲劇の歴史や現状を、一つの家族を通じて、綿密で、力のこもった取材の下に鮮明に描き出し、また少数民族問題というイラク戦争の無視できない一面を明らかにしている。従来あまり紹介されることのなかったイラク・クルド人たちの民族的感情や、その家族の結びつきが生き生きと伝わってくる一冊だ。」

一笑を大切に

2004 年 2 月 1 日 日曜日

『一笑を大切に』表紙\
書籍名   : 一笑を大切に 大西高広 詩画集
(イッショウヲタイセツニ)
著者名   : 大西高広(オオニシタカヒロ) 著
発行日   : 2003-12-08
税込価格 : ¥1995
本体価格 : ¥1900
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★04.2.1縲怐@河北新報、信濃毎日、京都新聞ほか各地方紙(共同通信配信)
東京・新宿駅西口の路上で、墨をすり、色紙サイズの画仙紙に思いを込めた言葉を書く。ある人は著者を「書道の街頭芸術家」という。路上エピソードやファンの声を交えた心温まる詩画集。著者は、余命一週間と宣告された伯父の無事を祈り、仏教の門をたたいた。阪神大震災の被災体験も作品に幅を持たせる。「信心する中で感じた温かさを、一人でも多くの人に伝えたい」。行き交う人々に癒しを与える。

劇作家シングのアイルランド

2004 年 2 月 1 日 日曜日

『劇作家シングのアイルランド』表紙\
書籍名   : 劇作家シングのアイルランド 悲劇的美の世界
(ゲキサッカシングノアイルランド)
著者名   : 若松美智子(ワカマツミチコ) 著
発行日   : 2003-10-01
税込価格 : ¥3675
本体価格 : ¥3500
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★「英語青年」04/2 久保田重芳
「シング論が、これほどまでの高揚感をもって書かれたことはなかった。序章から終章まで(全346ぺ一ジ)、劇作家シングの精神そのものに肉薄しようとする著者の熱気が一貫してみなぎっている。著者自身「あとがき」のなかで、「ほとんどシングに恋をするような熱い思いで」と書いておられるように、シング頌歌の方向軸にはいささかのぶれもない。…序章において、著者は次のように述べている。「私は本書において、人と作品を分かち難いものとしてとらえ、彼の時代と場所を生きる、自己実現の証しとしての作品論を提示しようと試みた。これまでのシング劇の批評は、彼が自分の芸術スタイルを確立したあとの〈農民劇〉のみを論じ、シングの思想的展開を追い、彼のヴィジョンに基づいて成熟期の作晶を論ずる批評は少なかったと思う。その結果、シングという作家を実像より小さく描くことに陥っている、と常々私は感じてきた。」それゆえ、著者によって明確に打ち出された最初の基本構想が、入念な議論を経て次第に血肉を与えられ、やがて作品論にいたる過程と、最終的に「劇作家の悲劇的魂とアイルランド民衆のいる自然」という形でまとめ上げられる過程とが、ごく自然に「ヴィジョンに基づいた成熟期の作品」論と結びついているという印象を受ける。それがまた、説得力だけでなく、全体の統一感をいっそう強める効果をあげていることも、言い添えておこう。…第11章のデアドラ論への著者の思い入れはまた格別であるように思われる。本書の副題にある、「悲劇的美の世界」は、ここにきわまった感があるのだ。デァドラの最後の台詞を導入しつつ、著者は、「第一級の悲劇のみが満足させうる厳粛な感銘」が生まれる仕組みを諄々と説いていく。それは、「愛の神秘的崇拝の悲劇ではなく、運命との葛藤のドラマである。それゆえにこそデアドラの白鳥の歌は、いのちのセレナードであって、死のそれではないのである。」久々のシング論の好著の出現を、喜びたい。」

オペラの18世紀

2004 年 2 月 1 日 日曜日

『オペラの18世紀』表紙\
書籍名   : オペラの18世紀 バロックからモーツァルトへ
(オペラノ18セイキ)
著者名   : 丸本隆(マルモトタカシ) 編
発行日   : 2003-12-12
税込価格 : ¥2940
本体価格 : ¥2800
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★『読書人』04/2.6 小宮正安
「本書は18世紀に誕生したオペラへ焦点を当てている。そして19世紀に負けず劣らず、18世紀がオペラ史上輝ける時代だったという事実を明らかにしてみせる。しかもドイツ語圏を対象地域に選んでいる点が重要だ。これまでも翻訳を含め、18世紀以前のオペラを扱った書物は存在したものの、それらの多くは音楽文化の最先端であり、オペラ発祥の地であったイタリアを中心にした記述を展開していた。……
音楽史上の出来事だけでなく、政治や文化に関しても広い視野を保ちながら、本書は18世紀ドイツ語圏のオペラの姿を浮き彫りにする。またその結果、オペラが生み出された状況そのものが、あたかも1篇のオペラであるかのようにさえ見えてくる。権力者と音楽家との関係に始まり、国家や都市の興亡と軌を一にした劇場の浮沈、そして19世紀市民社会の到来を前にした18世紀式オペラの消滅とオペラそのものの変容に至るまで、まさしく世は「オペラの18世紀」であった。
日本語で書かれた本格的な18世紀オペラ論の登場を機に、我が国の音楽界でも当時のオペラに対する見直しがより積極的に推し進められ、上演や録音の機会が増してゆくことを願うばかりである。」

★『レコード芸術』04.2月号
「現在世界各地のオペラ・ハウスの主なレパートリーとなっている19・20世紀のオペラと違って、モーツァルトを除けばあまり目立たない存在である18世紀のオペラを取り上げた1冊。テレマン、ヘンデル、ハイドン、グルック、フックスなど15人の作曲家とその主要作品を取り上げ、それぞれの作曲家の生涯、その作品の歴史的文脈や意義、その魅力に迫る。まさに好適な18世紀オペラ入門で、この分野への興味や関心を広げてくれる。」

【普及版】これが「一発屋」だ!

2004 年 1 月 28 日 水曜日

『【普及版】これが「一発屋」だ!』表紙\
書籍名   : 【普及版】これが「一発屋」だ!
(コレガイッパツヤダ)
著者名   : 宝泉薫(ホウセンカオル) 著
発行日   : 2003-12-15
税込価格 : ¥998
本体価格 : ¥950
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★『週刊プレイボーイ』04.1.28発売号
『週刊プレイボーイ』著者インタビュー・「一発屋を見れば時代がわかる!?」

……著述業である宝泉薫さんは、知る人ぞ知る日本で唯一の「一発屋ウォッチャー」でもある。(略)一発屋を追いかけるようになって見えてきたものとは?

「いろいろ調べていると、一発屋の世界にも時代による変化が起きています。近年でいえば、自分で一発屋であることをネタにする人たちが出てきたことでしょう。猿岩石、つぶやきシロー…。自ら一発屋を名乗ることによって人気ものになり、生き残る人たちが増えてきたんです」(略)「しかし、一発屋が量産されすぎて、愛らしい本物の一発屋がどこにもいなくなってしまったんです」(略)今現在はどういう一発屋の時代なのだろうか?

「去年はテツandトモ、はなわ、ダンディ坂野、それに綾小路きみまろでした。彼らは非常にわかりやすい一発屋で、この世界もひと昔前に回帰している印象を受けました。なかでもダンディは久々の本物かもしれない(笑)」

ブックエンド 1983~2003

2004 年 1 月 23 日 金曜日

『ブックエンド 1983~2003』表紙\
書籍名   : ブックエンド 1983~2003 本と映画の同時代批評
(ブックエンド 1983~2003)
著者名   : 栗坪良樹(クリツボヨシキ) 著
発行日   : 2003-11-10
税込価格 : ¥4735
本体価格 : ¥4500
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★「読書人」04/1.23 成田龍一
「試みに、2002年10月の項を開いてみる。ここには、『小津安二郎のほうへ』(田中眞澄)、『田中真紀子研究』(立花隆)、『開高健のいる風景』(菊谷匡祐)の三冊の著作が取り上げられ、論評されている。「実証主義に富んだ」と田中・本を紹介し、その筆と共通すると立花・本にふれ、さらに開高健が戦争にこだわった理由を探る菊谷・本に言及する。本書は、雑誌『國文學』の巻末近くに、見開きのコラムとして書き続けられつつあるものが、20年間分(本や映画の総数にして、おおよそ720冊)まとめられたものである。栗坪さんによる、ゆるやかなつながりで選択された毎月3冊の著作は、栗坪さんの同時代観察であり、批評である。そしてそれが集積されることによって、クロニクルとなり、「書評による同時代史」と自ら述べる作品となった。世相や社会の様相にも敏感な知性と感性で綴られた「同時代を読む」集成である。こめられたメッセージの厚みと膨大なエネルギーに思いがいたる。本書で言及されている作品は、小説と(ハリウッドの作品を含む)映画、映画評論、メディア、科学の著作作など、多様な論点と多彩な表現による多領域の作品におよぶ。栗坪さんは、貪欲にこれらの作品群を読み解いていくが、興味深いのは、選書の際に「13年間教壇に立っていた麻布中学・高校で教えた人たちの本」が潜められる…本書には自らの思索の報告と啓蒙の精神が脈打っている。このことは、かつて、中学・高校の教壇にたち、訳のわからない少年たちに「文学」を説き続けてきた経験と無縁ではなかろう。中等教育の重さをあらためて感ずるが、このことは受けての側も同様で、栗坪さんに幼き日に教えを受けたことを大変な幸運であったと、あらためて思う。」

パレスチナ・モン・アムール

2004 年 1 月 6 日 火曜日

『パレスチナ・モン・アムール』表紙\
書籍名   : パレスチナ・モン・アムール
誰も知らない等身大のインティファーダ
(パレスチナ・モン・アムール)
著者名   : 小林祐子(コバヤシユウコ) 著
発行日   : 2003-12-25
税込価格 : ¥2100
本体価格 : ¥2000
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★「週刊朝日」04/2.27 鎌田慧
「パレスチナ自治区〈ガザ〉の病院に、一年半のあいだ、音楽療法士として勤務した体験を書いた記録である。著者がガザを目指したのは、NGOの一員として働きながら、フランスの専門学校修了の資格を取得するためだが、以前、ガザに下見にいったときに会っていた〈彼〉と再会するためでもあった。(中略)彼女はイスラエル軍の空爆から逃げまわっては夜を過ごし、週末はその被害をビデオに撮ったりする活動をはじめるようになる。パレスチナ人である、〈彼〉との関係からすれば当然のことである。空爆で家を失った家族の話を聞く。その家はイスラエル軍に追われたあと、ようやくガザ地区に築いたものだった。そこの子どもは、数カ月前に、イスラエル兵に腰を銃撃されている。『僕が大きくなったら、イスラエルをつぶしてやる。銃でイスラエル人を殺してやる』と四歳の子どもがいい、本物のインティファーダで負傷した子どもは、こういう。『どうして自分は生きているのか。なぜ助かったのか。パレスチナのために死にたかった』。『生きることが大切なのだ』と著者は説得する。しかし、イスラエルと、それを支援するアメリカが、死に急ぐひとたちを日夜つくりだしている。パレスチナへの愛は、〈彼〉を越えたものになるしかない。」

★「国際協力(JICA)」2004年7月号
「毎日のようにテレビに映し出されるパレスチナとイスラエルの衝突。パレスチナ人の〈自爆テロ〉のニュースがよく伝えられるが、そのほとんどはイスラエルから配信されるもので、パレスチナ側から伝えられることは少ない。このような偏りに疑問を感じた著者が、ニュースとは異なる視点でパレスチナの人々を描いているのが本書。そもそも音楽療法士を目指し、フランスで学んでいた著者は、資格取得に必要な論文を書き上げるため、フランスからそれほど遠くないという理由でパレスチナ・ガザ地区へ。試行錯誤で音楽療法に取り組む傍ら、パレスチナ人とかかわることで考え方も大きく変わったという。知る手段の少ないパレスチナのまた別の姿が浮かび上がってくる」

★「讀賣新聞」2004.1.6「いぶき」インタビュー記事
「フランスの音楽療法士の資格を得るため、実習に赴いたパレスチナについての手記。『パレスチナで起きている問題を身近に感じてもらいたい』との思いからだ。……しかし、1999年10月に赴任すると、純粋な障害児たちや、各国のNGOメンバー、ジャーナリストとの出会いに恵まれた。『パレスチナを立て直したい』という志を持つパレスチナ人の恋人とも出会った。2000年9月には、第二次インティファーダ(パレスチナ人による住民決起)も経験。『パレスチナの人々は、耐える力と前向きに生きる力を持っている』と感じた。宗教的背景の違いなどから、恋人との交際は続けられなかった。手記では、別れの葛藤から見えたパレスチナの生活、習慣、家族関係などをつづった。『ガザ地区での日常を紹介することで、そこで起きている不正を伝えたい』。様々な思いを胸に、パレスチナに『普通の生活』が訪れることを、心から願っている」

オーウェル研究

2004 年 1 月 1 日 木曜日

『オーウェル研究』表紙\
書籍名   : オーウェル研究 ディーセンシィを求めて
(オーウェルケンキュウ)
著者名   : 佐藤義夫(サトウヨシオ) 著
発行日   : 2003-02-25
税込価格 : ¥2625
本体価格 : ¥2500
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★川成洋『ビジネス・サポート』04.1月号
「「人間らしさ」を求めた作家の「良心」を探る──ジョージ・オーウェル(1903-50)は、『動物農場』や『一九八四年』の作者として有名なイギリス作家。第一級の文学者になるほどの個性と才能をもって生まれても、書くことに才能\\をつぎ込むことのできない時代に生き、バートランド・ラッセルの言葉を借りるなら、「絶望のあまり死んだ」作家。本書は、副題にあるように、オーウェルが好んで用いた言葉「ディーセンシィ」をテーマとしている。この言葉は、「上品さ」などといった能天気な意味ではなく、まさに大江健三郎のノーベル文学賞講演でも用いられているように、「人間らしさ」なのだ。オーウェルが生涯をかけて求めていた世界こそ、今われわれが考えねばならない世界なのである」

★川成洋『ビジネス・サポート』04.1月号
本書は、学生時代から英国の作家ジョージ・オーウェルの本を読破し、ひいてはオーウェルを生涯のテーマとして追究している著者によるオーウェル研究集大成の一著だ。
全共闘運動が盛んな折り、新左翼的な「体制打破」の叫び声がキャンパスにこだまする中で、せっせとオーウェルの著作に眼を通し、ナチズム、コミュニズムといった左右の全体主義を批判した彼の言説を読み、また「政治的な著作を芸術にまで高めようとした」文学作品の数々に接していった。そして、オーウェルがしばしば言及した、副題にもある「ディーセンシィ」とは何かを考えていく。
本書は、オーウェルの他の文学作品にも温かい眼差しで批評を加えているので、彼の著作活動を理解する上で非常に適切な入門書の役割も果たしている。また、共産主義を批判しつつも労働党を愛し、英国内の階級格差に呻吟した民主社会主義者であったオーウェルが何よりも「偉大なモラリスト」であった事実を再確認できる良書だ。

戦争とパリ

2003 年 12 月 8 日 月曜日

『戦争とパリ』表紙\
書籍名   : 戦争とパリ ある二人の日本人の青春 1935~45年
(センソウトパリ)
著者名   : 池村俊郎(イケムラトシロウ) 著
発行日   : 2003-11-17
税込価格 : ¥2100
本体価格 : ¥2000
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★「熊本日日新聞」 04/2.22 辻昭二郎

「フランスの映画史を調べるときに盲点があるのは、日本人の目を通した第二次大戦中の情報が少ないことである。これを補うために日経記者の『ナチ占領下のパリ』や朝日記者の『最後の特派員』などを参考にしてきたが、昨年暮れ読売記者による本書が出たおかげでその穴が一気にふさがった。サブタイトルの通り、戦前からパリに暮らしていた二人の日本人に焦点を絞って書かれている。(中略)あこがれのパリに襲いかかった戦争のはざまにほんろうされながらも、半世紀以上パリを愛し続けた関口(俊吾)と(加藤)菊枝。特に菊枝の目に映ったパリの姿と人々は、これまで伝わっていなかった現実が赤裸々につづられていて重い。貴重なその証言は現代史の一つの穴を埋めるものになるだろう。」

★「世界週報」04/2.10 駒木克彦
「著者は、わずか2カ月で崩壊するフランスにも「次の時代につながる人材が国内に少なからずいた」と指摘。戦後のフランスを戦勝国に並べる貢献を果たしたドゴールだけが英雄なのではなく、「ドゴールの決断の背後には何十人かの知恵の集積があったことを見落としてはならない」「国家の底力とはそういうものである」と語る。幾多の誤った決断を下したフランスも、次代につながる人材を残していたことは、結局「少なく誤った」ということになろう。筆者は讀賣新聞パリ支局長で、ベイルート、パリ、ワシントンの特派員を経験したベテラン記者。新聞記者による世界情勢を著した本は、自からの取材経験を基に執筆することが多いため、同時代的なものが大半で、現代性がある半面、かなりの資料価値がない限り、数年で陳腐な情報になってしまう恐れがある。本書は世界大戦間という外交史上極めて興味深い時代を軸にしており、時の経過に耐え得ることは間違いない。」

★「産経新聞」03.12.8
「戦前戦中、パリに留学していた二人の日本人の青春を通して、激動期における国家と人間のありようを考える。著者は読売新聞パリ支局長。1935年、画学生の関口俊吾はフランス政府給費留学生に選ばれ、翌年にはパリ高等美術学校に入学。ベルリン五輪で、間近にヒトラーの姿を目撃した。日米開戦前に帰国したが、戦後再びパリに渡り、2002年、かの地で没した。もう一人、加藤菊枝は1937年、フランス語習得のためにパリへやってきた私費留学生であった。戦時中もパリにとどまり、亡命ロシア貴族と結婚。フランス国籍を得て、今もパリに暮らしている。関口と加藤は違う環境で生きたが、戦時下の国際社会が運命の糸でつながっていたことの証言者である。

パンタとレイニンの反戦放浪記

2003 年 12 月 5 日 金曜日

『パンタとレイニンの反戦放浪記』表紙\
書籍名   :パンタとレイニンの反戦放浪記
(パンタトレイニンノハンセンホウロウキ)
著者名   : PANTA、椎野礼仁(パンタ、シイノレイニン) 著
発行日   : 2003-09-18
税込価格 : ¥1575
本体価格 : ¥1500
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★「週刊読書人」森達也 03.12.5

(パンタ+椎野礼仁 1500円 03.9.30刊)「何だかグリム童話のようなタイトルだけど、もちろんそうじゃない。パンタとは1969年に結成された伝説的なロックグループ「頭脳警察」のリーダーで、レイニンは元新左翼活動家で今は編集プロダクションの経営者。年齢的には二人ともほぼ同じで五十台半ばをそろそろ迎えようとしている。

2003年2月、この二人を含む36名の一行が、間近に迫ったアメリカの侵攻への反対を表明するため、バグダッドに滞在した。メンバーたちのイズムや思想の左右呉越同舟は凄まじい。(中略)

……二人とも年齢は僕より一回り上だ。つまり僕の世代にとっては、やりっぱなしの世代だ。

安田講堂陥落やよど号ハイジャック事件、浅間山荘の生中継などをテレビで眺めながら、思春期を迎えた僕は昂揚していた。この頃に観た映画は「いちご白書」に「YOU」。どちらもベトナム戦争を背景にしたアメリカの学生運動を描いた映画だった。ヤクザ映画を観た後にポケットに両手を突っ込んで周囲にガン付けをしながら劇場から出てくるように、青臭い中学生は、しばらくはすっかり運動の闘士になりきっていた。

大学に進学する理由はもちろんそれだけじゃないが、運動に身を投じたいという思いはまちがいなくそのひとつだった。しかしキャンパスに通い始めた僕は、自分が遅れてきたことにやっと気づく。政治の季節は終わっていた。かつての闘士たちのほとんどはあっさりと挫折して、下の世代は「新人類」などと呼称されていた。そりゃないぜと思いながら、二十代を過ごしたという感覚がある。だからこそかつての闘士たちが、生活や営みに日々を過ごしながら、時おり唇の隙間から洩らす「このままでいいのか」という呻きに僕は惹かれる。十\\年前ならそんな呻きが愚痴や言訳に聞こえたと思う。今は違う。それほど時代は急速に変質している。左は居場所を失い右もさすがに困惑するほどに。だからこそ彼らはイラクに向かった。思い込みかもしれないが、遅れてきたからこそ僕はそう思いたい。この大義なき戦争を止めさせることはもちろん第一義だが、彼らは「連帯」を再確認したのだろう。思想やイズムの連帯じゃない。生きているという現在を全肯定する連帯だ。