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エストニア国家の形成

2003 年 4 月 15 日 火曜日

『エストニア国家の形成』表紙\
書籍名   : エストニア国家の形成 小国の独立課程と国際関係
(エストニアコッカノケイセイ)
著者名   : 大中真(オオナカマコト) 著
発行日   : 2003-04-03
税込価格 : ¥3150
本体価格 : ¥3000
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★ユーラシア・ウォッチEurasia Watch(編集・発行:秋野豊ユーラシア基金 http://www.akinoyutaka.org)第18号 2003年4月15日

本書の隠れたテーマは民族自決権である。今日、バルト諸国の一つとして数えられているエストニアは、1918年に独立するまで国家としての経験を持つことはなかった。本書は20世紀初頭の国際政治、とりわけ英・米・ロといった大国による民族自決権の取り扱いと、国際政治のアクターとしての黎明期エストニア(と同国の外交官)の動向について分析する。ウィルソンやレーニンといった、当時の代表\\的「民族自決権」論者が、小民族の自治権を認めたとしても、その独立することを想定していなかった中で、エストニアはいかにして国家を形成することができたのか。パリ講和会議やソヴィエト政権との平和条約の締結をクライマックスとする過程を、本書は専門書ながら大変ドラマチックに描いている。
また、読者はほどなくして、小民族の自決権が現代の国際政治にも通じる問題であることを理解するであろう。国家を持たない民族が、現実の政治において自決権を認められないながらも、より有利な立場を獲得しようとする姿は、今日のクルド人やチェチェン人などを想起させる。民族自決権は現代国際政治のジレンマの要因の一つであり、著者はその起源がエストニアをはじめとする第一次世界大戦後の処理にあることを示唆している。     (湯浅 剛)

臨床文学論

2003 年 4 月 4 日 金曜日

『臨床文学論』表紙\
書籍名   : 臨床文学論 川端康成から吉本ばななまで
(リンショウブンガクロン)
著者名   : 近藤祐子(コンドウヒロコ) 著
発行日   : 2003-02-05
税込価格 : ¥2310
本体価格 : ¥2200
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★「読書人」4/4、中村三春
「病いとしての〈わたし〉〈わたし〉という病い「臨床と批評の出会う地平」と、帯には銘打たれている。川端、ばなな、春樹、山本昌代、尾崎翠らの小説に登場する〈わたし〉の様相を追究するために、木村敏、中井久夫、河合隼雄、市川浩らの、精神病理学や心理療法論などを援用し、臨床的であり、かつ文芸批評でもあろうとする緊張感溢れる論述が展開される。とはいえ、小説家の精神分析、もしくは病跡学などという陳腐な方向性を著者はとらない。「病いが描き出した人間像をモデルに思考を深めるということは、作者に病名を与え病理との因果関係において作品を解釈することでも、虚構の人物達に病名というレッテルを貼\り、病理の枠組みによって全てを説明しようとすることでもない。[…]病いとは、既成の目我の概念では説明できないテクストの〈わたし〉を、より柔軟に捉えてゆくための補助線であるべきではないか」とする言葉が、著者の立場をよく伝えている。あくまでも、自我分析、〈わたし〉論としてのみ、本書における「臨床」の標的は定められてゆく。と同時に、ばなな、山本、翠と、本書の申核を占める作家論は女性の書き手に捧げられ、川端、春樹に対しては批判的であることも見逃せない。…(本書は)一般論を超えて、「家族の解体」「共同性の喪失」以後の現代の若者が抱える心の病に対応しようとする、真摯なスタンスを示して心に迫る。

★朝日新聞 3/9、池上俊一評
「「臨床」が流行っている。古株の臨床心理学の傍らに、近年、臨床教育学と臨床哲学が芽生え、そして今、臨床文学の種が播かれた。病める現代日本において<わたし>が溶解してゆく危機の諸相を、ぎりぎりの言葉で表現する現代作家たち。彼らの特異な訴えに注意深く耳を傾け、「時代の病」へと開いてわたしたちに仲介する姿は、託宣をする巫女のようだ。身体で世界を分節する「身分け」と言葉で世界に文目をつける「言分け」、双方を視野に収めた鋭利で繊細な批評の言柴で、苦悩の現場と関係を結び、そこに深い意味を見出してゆく作法が、臨床の臨床たるゆえんだろう。
川端康成、尾崎翠、村上春樹、山本昌代、吉本ばなな、彼らは皆、身体と感覚をめぐる不思議で異様な語りが急所を縫いとる織り糸となる作品を書いている。対象の生命力を奪いとり物化する視線、<わたし>の匂いの世界への漏洩、カウンセリングの仮面の下での心病む人ヘの裏切り、なにげない家族の日常に横たわる世界全体から<わたし>を引き裂く溝、ふんだんな料理の脇を流れる死に近接した時間……。こうした<わたし>の病状の意味を、作品中の巧んだ語り口の仕掛けに探るべく、著者は、特徴的な言葉の用法、語りのねじれ、ひいては語り手の意識に着眼し、考察を重ねてゆく。たとえば吉本ばななの『キッチン』では、冒頭の「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」の一文に拘泥するとともに、「ふと」「ふいに」「突然」という言葉の多用と移行を分析する。山本昌代の家族小説においては、登場人物たちを捉えては脅かす非人称の声を解釈のひとつの鍵とする、といった具合だ。
だが症候の分析といっても、帰着点があらかじめ決まっている不毛な精神分析批評とはまるきり違う。言葉の用法に徹底的にこだわりながらも、テクストの構造分析のような内在分析に終始することもない。自らの体験を通じて理論を咀嚼し、自前の方法で作品に係わっているからこそ、読者もスリリングな読みに誘い込まれるのだろう。臨床文学、大樹に育つのも遠い将来のことではあるまい」。

古代遺跡と神山紀行

2003 年 3 月 2 日 日曜日

『古代遺跡と神山紀行』表紙\
書籍名   : 古代遺跡と神山紀行
遺跡の本質・祖霊信仰・神山のルーツをたずねて
(コダイイセキトカミヤマキコウ)
著者名   : 井上香都羅(イノウエカツラ) 著
発行日   : 2003-01-25
税込価格 : ¥2625
本体価格 : ¥2500
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★産経新聞 3/2
「ここでいう神山は、いわゆるカンナビ(神名備)山と称せられる山で、神の鎮座する山、神の降臨する山として、古来、信仰の対象とされてきた。祖霊の山でもある。ふつう二等辺三角形の秀麗な山容を有する。在野の歴史研究者である著者は、全国の銅鐸・銅剣出土地400カ所、縄文・旧石器遺跡500カ所以上を踏査して、一つの結論を得たという。それは多くの遺跡とすべての銅鐸出土地とが、秀麗な神山を正面に見据える地点にあるということ。逆にいうなら銅鐸埋納は神山祭祀のために行われ、それはさらに縄文・旧石器以来の信仰を受け継いでいるということだ。後の前方後円墳の前方部が神山に向かっているのも、開口部が神山に向かって埋納される銅鐸からの系譜を示すという」。

ロレンス文学鑑賞事典

2003 年 3 月 1 日 土曜日

『ロレンス文学鑑賞事典』表紙\
書籍名   : ロレンス文学鑑賞事典
(ロレンスブンガクカンショウジテン)
著者名   : 大平章、小田島恒志、加藤英治、橋本清一、武藤浩史
(オオヒラアキラ、オダシマコウシ、カトウエイジ、
ハシモトセイイチ、ムトウヒロシ) 編
発行日   : 2002-09-13
税込価格 : ¥7350
本体価格 : ¥7000
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★『英語青年』03.3月号 浅井雅志
近年の日本におけるロレンス文学研究の一層の隆盛を象徴するかのような事典が出た。
編著者たちの長年の研鑽という土台の上で、かなりの時間とエネルギーとを傾注して作られた力作である。それはまずその構成に伺える。長編や中・短編、詩、戯曲といった項は当然として、たとえば紀行文を「エッセイA」として『無意識の幻想』、『古典アメリカ文学研究』、『黙示録』などとともに扱ったり、「書簡」やロレンスと関わりのあった人物についてもそれぞれ項を立て、かなり詳しく解説しているし、何より和洋文献紹介の充実ぶりは特筆に値しよう。……
このような大きな事典が計画され、実行されて、かなりのレベルで結実したということ自体、日本におけるロレンス研究の成熟の一つの証であろう。

★図書新聞、11/30 橋本宏
「D.H.ロレンスは多種多様な文学領域において膨大な作品を残していった。……彼は必ずしも理解し易い作家ではなく、全貌を掴むのは研究者にとっても容易なことではない。初めて彼の作品に接する人は戸惑いを感じることも多いだろう。そのような人たちにとって、『ロレンス文学鑑賞事典』はきわめて有効な手引きと思われる。本事典はロレンスとその作品を多角的に観察し、彼の全体像を浮き上がらせようとしたものである。そしてその目的はほぼ完全に達成されていると思われる。……本事典がロレンス研究の第一歩を踏み出そうとしている人たちにとっては最高の入門書の一つになることは間違いない。また研究者が座右に置いて適時参照すべき書物であるとも思われる」

異教のスペイン

2003 年 3 月 1 日 土曜日

『異教のスペイン』表紙\
書籍名   : 異教のスペイン
(イキョウノスペイン)
著者名   : リチャード・ライト(リチャード・ライト) 著
石塚秀雄(イシヅカヒデオ) 訳
発行日   : 2002-10-11
税込価格 : ¥2625
本体価格 : ¥2500
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★週刊東洋経済、03・3・1
(02・10刊、2500円+税)「本書は、『アメリカの息子』や『ブラック・ボーイ』などで抗議文学の旗手と謳われたリチャード・ライトのスペイン・ルポルタージュである。ライトの訪れた1950年代のスペインは、フランコ軍事独裁の真っただ中であり、監視また監視の国であった。スペインを「異端審問の中世」に戻してしまったといわれるのもむべなるかなであった。ライトはさまざまなスペイン人に会うが、会うたびに「空しさ」を覚えるのだ。それはスペイン・カトリシズムに起因する。宗教改革を拒否し、1834年まで異端審問制度を維持してきた国のカトリシズムとは。いわずもがな、西洋的価値観を排斥する国民宗教なのである。「スペイン人は歴史の時計を後戻りさせ、人間に対する神の役割を果たそうとしている」と、本書は結んでいる」。

どうなる日朝国交交渉

2003 年 2 月 26 日 水曜日

『どうなる日朝国交交渉』表紙\
書籍名   : どうなる日朝国交交渉
(ドウナルニッチョウコッコウコウショウ)
著者名   : 日朝国交促進国民協会
(ニッチョウコッコウソクシンコクミンキョウカイ) 編
発行日   : 2003-02-25
税込価格 : ¥840
本体価格 : ¥800
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★朝日新聞2月26日夕刊 文化面「黒板」より
日朝シンポの記録出版

日朝国交促進国民協会が、昨年12月に開いたシンポジウムの記録をまとめ「どうなる日朝交渉」と題して彩流社から出版した。当初は出版の予定はなかったが、シンポには、様々な立場の研究者や専門家が出席しており、深刻さを増す日朝問題を考える一つの手がかりになるのでは、と出版を決めた。シンポは「日朝交渉と懸案問題」「マスコミ報道と世論」「核問題と日米韓協力」の三部構\成。出席者は、小此木政夫・慶応大教授、小牧輝夫・国士舘大教授、和田春樹・東大名誉教授、金忠植・東亜日報東京支社長、山室英男・元NHK解説委員長、伊豆見元・静岡県立大教授ら。

視覚言語の世界

2003 年 1 月 26 日 日曜日

『視覚言語の世界』表紙\
書籍名   : 視覚言語の世界
(シカクゲンゴノセカイ)
著者名   : 斉藤くるみ(サイトウクルミ) 著
発行日   : 2002-12-25
税込価格 : ¥2310
本体価格 : ¥2200
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★03.01.26 毎日新聞 左近司祥子評
手話の便利さ、奥深さの謎に挑む

テレビドラマの手話の扱いを見ていると、騒々しい手話プームは去ったけれど、手話自体は確実に定着したなと感じる。飛行機の、その他大勢の乗客の一人がさりげなく聴覚障害者だったりするからである。

手話習得者は、手話を一つの独立した、独自性のある言語として誇らし気に語る。しかし関心はあっても習得には程遠い私などにとっては、その件からして気にかかる。手話が独立の言語だというのならその根拠は何なのか、そして音声言語にないその独自性とは何なのだろう。
今までにも、手話実践のための本はかなり店頭で見かけた。だが、私のこ問いに答えてくれる本に出会ったことはなかった。この本に期待をかけたのは当然である。
著者は、この種の問いに答えるために一つの手を使う。氏の本の表題には「手話」ではなくて「視覚言語」が使われているのだ。こうすれば、代替手話も話題にすることができる。代替手話とは、諸般の事情で健常者同士が使うことになる手話のことである。たとえば、中世修道院内で使われた手話。静寂を大切にする修道院内では、伝達の手段として音の出ない手話が選ばれたのである。
だから、代替手話は音声言語と手話の中間に位置することになる。それを話題にすることにより、手話が音声言語と連続関係にある言語であることが明らかになるのだ。
手話が言語だとの最終判断は、脳神経科学に依拠することになる。音声言語使用者の身振りは、脳の中の言語野以外のところで生産理解される。だが、代替手話という身振りになると、言語野も関わりはじめる。さらに、これが手話という身振りになったとき、手話が母語の人であれば、間違いなく、全面的に、言語野がその生産と理解の場となる。手話は音声言語と同じ身分のものなのだ。
手話の特徴は、手話使用者が白分の前の三次元空間を「劇場」として設定し、表現を展開できることにある。ここに彼女、あそこに彼と場所を設定しておけば、手で花を作ってそれを動かすことによって、彼女から彼に花をあげるということを花というサイン一つで表\\現できるのである。このことが、指でサインを作る手間にもかかわらず、音声言語と同じ内容をほとんど同じ時間内に伝達可能にするのだ。この事実を、著者は、具体例と、使われる音声言語の数と手話のサインの数の比較とを使って説明してくれる。
著者の若さが小気味良く光るのは、こういった特徴をもつ手話表現にあっては、定冠詞、指示代名詞、be動詞など不要だと言い切り、これらがないから手話は文法的にも言語的にも不備なのだという欧米の研究者に反論するときである。たしかに、不要な語を省略するのはすべての言語に共通な現象である。近代ヨーロッパ語中心主義にとらわれていなければ、自分たちの言語の先祖である、由緒正しく文法もととのっていた古代ギリシャ語でも、「である」の意味のbe動詞は欠けるのが普通だったことを思い出せたはずなのだ。とはいえ、著者が参考文献としてあげた多数の本は、氏の若作数編を除いて英文の研究喜ばかりである。日本はいまだに手話後進国なのだ。
伝達手段にならなければ言語ではない。けれど、美しく、機知に富んだ使い方を工夫する余地がなければ、本物の言語とは言えない。和歌や俳句を体得している日本の研究者には、手話のこの面の解明をお願いしたいのだ。それで初めて手話は一流の古語だと言い切れるだろう。

ジャクソンのジレンマ

2003 年 1 月 17 日 金曜日

『ジャクソンのジレンマ』表\紙
書籍名   : ジャクソンのジレンマ
(ジャクソンノジレンマ)
著者名   : アイリス・マードック(アイリス・マードック) 著
平井杏子(ヒライキョウコ) 訳
発行日   : 2002-10-08
税込価格 : ¥2625
本体価格 : ¥2500
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★週刊読書人、1/17 井藤千穂
映画『アイリス』の公開によって、マードックへの関心が日本国内でも再燃することが期待される中、彼女の遺作が日本読者に紹介されることになった意義は、きわめて大きい。
執筆当時、マードックには、アルツハイマー病の初期症状がすでに現れていたといわれている。とはいえ本作品は、彼女の後期作品を特徴づける主題と人物造形が出揃った、いかにもマードックらしい作品である。アルツハイマー、すなわち脳の空洞化という悲劇的な体験をも、作家としての成長につなげた、小説家アイリス・マードックの、最後の飛翔の記録なのである。
長年マードック研究に携わってこられた平井氏による、流れるような訳と作家への愛情溢れるあとがきは、それだけで読む価値があり、マードックの世界に読者を惹きつける。多くの読者に楽しんで欲しい1冊である。

★『月刊中国図書』03.1月号 池上貞子
3年前に亡くなったアイリス・マードックの最後の小説。19世紀イギリスの家庭小説風に隣近所の人々が入り乱れて物語を作りあげているなかで、正体不明の”ジャクソン\”の存在だけが異質で、小説世界を救うと同時に脅かしている。作者は晩年の数年間、重いアルツハイマー病を患っていたと言う。物語の最後の、ジャクソンが草のなかに座って、物思いにふける場面の描写は、まさに作者の心象を映しているようで、それが作品として成立し得ていることが、すごいし、こわい。

★図書新聞、02/11/9 井内雄四郎
何ともいえぬ一種のやすらぎ。ジャクソンこそ、この「癒し」の物語の真の主人公であり、「善」の理想に最も近い人物かもしれない??。現代イギリスを代表する作家で哲学者のアイリス・マードックは、1999年、26番目の長篇で最後の作品である『ジャクソンのジレンマ』(1995)を残して、世を去った。この長篇の執筆当時、すでに作者はアルツハイマー病におかされ、しばしば執筆を妨げられたらしい。その意味でも、今回の平井氏の訳業の価値はきわめて大きい。アルツハイマーによって思考作用が永遠に断ち切られる寸前、作者がかくも透み渡った調和的世界を、やすらかでゆたかな生の歓びの世界をうたい上げたことに、私たちは人間の持つふしぎな力を見出して、大きな感動を味わわずにはいられない。平井氏の訳業はこの作者への愛情のにじみ出た流麗なものであり、巻末のくわしい注にも、その熱意がつよく感じられた。第2章にある「猫を盗む男」の注として、わが『源氏物語』中の「若菜上」「若菜下」からの着想を看破したあたりは、その好例だろう。

マイルスからはじめる JAZZ入門

2003 年 1 月 11 日 土曜日

『マイルスからはじめる JAZZ入門』表紙\
書籍名   : オフサイド・ブックス22
マイルスからはじめる JAZZ入門
(マイルスカラハジメルジャズニュウモン)
著者名   : 後藤雅洋(ゴトウマサヒロ) 著
発行日   : 2002-06-18
税込価格 : ¥1680
本体価格 : ¥1600
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★日本経済新聞 プラス1  2003.1.11
知的探求 本のひととき
マイルスでジャズを知る

ジャズはおとなの音楽、都会のムードあふれる音楽、というイメージを抱いている方もいるのでは。でも、荒々しく心を揺さぶり、踊り出したい気持ちにさせるのもジャズである。ひと言では表現しにくい。そんな混とんとした世界をのぞくには「マイルス、デイビス自叙伝」(宝島社文庫・二巻各八○○円)を読むのがいい。ジャズ界の巨人、マイルス・デイビスが自らの「歴史」を語った貴重な本だ。マイルスの生き方は放蕩(ほうとう)、そして無頼。クスリのたぐいで体を壊したときもある。しかし、創造力は並外れている。伝説的なサックス奏者、チャーリー・パーカーから学んだ後、一九五○年代に独自のサウンドを編み出した。さらに、六O年代末から七〇年代前半のころには、ロックミュージックに刺激され、それまでのジャズとは趣の異なるリズム重視の新しい分野を切りひらいた。
「過去の遺物になってしまう気なんか、オレにはまったくなかったってことだ。オレの音楽には未来があった。今だって、それにいつだってそうしてきたように、オレはそれに向かって進むつもりだった」
ロックヘの挑戦状となったアルバム「ピッチェズ・ブリユー」を録音したときの気持ちを語った言葉だ。ジャズを静物にするのではなく、いつも前向きに創造していこうとする。ここにマイルスの真骨頂がある。
ただ、創造の動機はそんなにきれいなものではない。マイルスは常に「かっこよさ」を追求していた。ロックの若いミユージシャンが聴衆をわかせているのを見て「オレならもっと熱』狂させてみせる」と考える。そのときのライブ演奏は今聴いても本当にすごい。
『 死の直前まで最前線にいたから、マイルスを知ればジャズの世界をおおかたは理解できる。一緒に演奏したミユージシャンがいろんな場所で活躍している。この観点からの音楽ガイドとしては、後藤雅洋著「マイルスからはじめるJAZZ入門」(彩流社・一、六○ ○円)が便利だ。本格的にいくなら、中山康樹善一マイルスを聴け!」(双葉社・三、三○○円)が必携だが、これにはまると抜け出せなくなるのでご用心。(K・T)

★『公明新聞』、9/2 村井康司
「……40年代から91年の死まで、マイルスは常にジャズの最先端で活躍し、次々に新しいサウンドを創造し続けてきた。ここ50年ほどのジャズは、マイルスと彼の共演者たちによって担われてきた、と言っても、決して過言ではないのだ。本書は、今までジャズ・ファンの間で経験的に言われてきた「マイルスを聞けばジャズが分かる」という秘伝(?)を、一冊費やしてきっちりと実証してみせた初めての本なのである。
著者は東京・四谷のジャズ喫茶「いーぐる」の店主。……個々のアルバムを選定する鑑定眼の確かさや演奏のについての記述の的確さ……これはもはや入門書という枠を超えた、卓抜な「マイルス論」ひいては「ジャズ論」と言ってもいいだろう。」

★『CDジャーナル』8月号
「ジャズ喫茶“いーぐる”店主の書き下ろし。マイルス・デイヴィスの基本アルバムとして幅広い時代範囲から15枚を選定し、そこに関連付けられる他アーティスト30人を絡ませて、“ジャズの系統聴き”を薦める。“0章”を設け、はじめにサヴォイのパーカーを紹介するところは後藤氏の真骨頂だろう。ロジカルながらも情熱的な筆致は訴求力抜群。少しでも好奇心のある人なら、あれもこれも聴きたくなること請け合いの良質ガイドだ。

アメリカの文化戦争

2003 年 1 月 5 日 日曜日

『アメリカの文化戦争』表紙\
書籍名   : アメリカの文化戦争 たそがれゆく共通の夢
(アメリカノブンカセンソウ)
著者名   : トッド・ギトリン(トッド・ギトリン) 著
疋田三良、向井俊二 訳
発行日   : 2001-10-10
税込価格 : ¥3990
本体価格 : ¥3800
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★recorecoVol.4、橋本努
1960年代以降のアメリカの大学において権力を握ったのは、左翼リベラル、すなわち西洋中心主義に反対し、原爆投下や先住民族に対する搾取に対してアメリカを批判し、中絶やゲイ・レズビアンや多文化主義を認めていく民主党系の進歩主義であった。しかし1980年代以降の「モラル・マジョリティ」となった保守派は、こうした左派の活動に対して攻撃を挑む。アメリカの公共放送はリベラルなエリートのための番組でしかないとか、1994年に改定された歴史教育水準は多文化主義に偏りすぎているといった批判である。こうした保守派の攻勢に対して左翼知識人は無力で分裂していた。しかし左翼を自称する著者はこの文化戦争にメスを入れながら積極的に応答し、「啓蒙主義に立つ民主主義」を呼びかける。現代アメリカを知るための重要な一冊だ。

★2/2 図書新聞 小林憲二
「“左翼”であることと“アメリカ人”であることを“架橋”しようと試みる真摯な姿勢──ここでギトリンが浮かび上がらせようとしている図は、民主主義的な立場に立ってやってきたはずの「左翼的な白人男性」が、一方で体制擁護派の評論家や学者や様々なレベルのメディアから「偏向」とか「体制破壊」と指摘され、他方で「人種・ジェンダー・階級」め観点から「アイデンティティ・ポリティクス」へと分離していった黒人やフェミニストの活動家たちから手厳しい糾弾の矢面に立たされている昨今のアメリカ文化状況である。後者にそくしていえば、自由・平等・民衆の抵抗権といった啓蒙主義以来の普通的な「理想」自体が、「植民地主義的隠蔽工作──白人男性支配の現状を合理化するイデオロギー」だという批判ににつながっていく。まさに、立つ瀬がないというべきか。
だが、怒涛の六〇年代を生き抜いてきたトッド・ギトリソは、決して絶望しているわけではない。あくまで「啓蒙思想」の可能\性の上に立って、「左翼」であることと「アメリカ人」であることとを「架橋」しようと試みている。というのは、彼の考えに従えば、「この両者は啓蒙思想から生まれた偉大なる理念」であり、「共に力を合わせれば人種の違いや盲目的力の支配や貧富の偶然性」などを克服して、「自分の国家社会をも乗り超えた普遍的かつ永続的な地平に到達できる」からである。これを自ら「古典的夢物語」かもしれぬと書き記す彼の真摯な姿勢に、私は今ひたすら襟をただしてむかい合う以外の術を知らない」

★リテレール別冊?N 生井英考
「ヴェトナム反戦世代による現代アメリカ論。著者は名にしおうSDSの元活動家で、当時の生き残りなかでは最も筋の通った左翼の一人。そのぶん頑迷な気配もうかがえるものの、90年代の多文化主義論争に取り組んだ本書の貫通力は一読に値する」。