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サラ/ハイ・ライフ

2002 年 7 月 7 日 日曜日

『サラ/ハイ・ライフ』表紙\
書籍名   : カナダの文学別巻3
サラ/ハイ・ライフ カナダ戯曲選集
(サラハイライフ)
著者名   : ジョン・マレル、リー・マクドゥーガル(ジョン・マレル、リー・マクドゥーガル) 著
吉原豊司(ヨシハラトヨシ) 編訳
発行日   : 2002-06-07
税込価格 : ¥2310
本体価格 : ¥2200
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★読売新聞、7/7、平田俊子
「小説同様、戯曲にも優れたものとそうでないもの、読みやすいものとそうでないものがある。戯曲だからという理由で敬遠するのは惜しい。優秀な翻訳劇に与えられる湯浅芳子賞の本書は、カナダの新旧2人の劇作家による戯曲2本を収録。「サラ」は往年の名女優サラ・ベルナールの最晩年を扱った作品。回想録を書きつつあるサラが、初老の執事を相手に過去を追憶したり、かつて演じた芝居を再現したり。「みんな恋をするのよ、このわたしには」「わたしは約束を守ったことなど一度もない」という台詞は、さーすが女優という感じ。この時サラは片足を失っているが、なお舞台と人生に挑もうとする。その強さと危うさが感動的。「ハイ・ライフ」は麻薬常用者やムショ帰りなど4人のワルたちの話。銀行強盗を企てるが、肝心なところで仲間割れして…。4人のやり取りに一触即発の緊張感と時代の閉塞感がにじむ」。

奴隷制の記憶

2002 年 7 月 7 日 日曜日

『奴隷制の記憶』表紙\
書籍名   : 奴隷制の記憶 サマセットへの里帰り
(ドレイセイノキオク)
著者名   : D・S・レッドフォード(D・S・レッドフォード) 著
樋口映美(ヒグチハユミ) 訳
発行日   : 2002-06-07
税込価格 : ¥2625
本体価格 : ¥2500
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★東京新聞、7/7、池田智
「アフリカ系米国人の愛と希望の祖先探し──これは、ひとりのアフリカ系アメリカ人女性が自らの過去を、その母方の祖先にまで辿るオデッセイである。なぜ母方なのか? 父親から白人の血をわずかに受け継ぐ著者が知りたかったことは、被差別者としての純然たるアフリカ系の過去だったのである。南部の生まれでありながらニューヨークの伯父・伯母のもとで育てられる間に、南部育ちの黒人は「最低のなかでも最低」だと白人はおろか黒人にまで評価されていることを知り、自らの過去に重い蓋をした。だが、32歳のとき13歳の娘に、「曾お祖父さんと曾\お祖母さんはどんな人だったの? どこから来たの? 奴隷だったの?」と質問され、その蓋を開けざるをえなくなった。娘の質問に真摯に答えるために、何の学位も持たない著者が、仕事の合間に十一年もの歳月をかけて国勢調査原本や郡役所に残されている書類などを丹念に調べ記録する努力には、母親の子どもに対する愛がいかに強いものかをあらためて知る思いがする。その努力の結果、七世代前の祖先がノースキャロライナ州サマセットのプランテーションにアフリカから連れてこられた奴隷であることを発見する。だが、単なるルーツ追求物語に終わってはいない。サマセットをサマセットたらしめたのは、奴隷を所有した白人ではなく、何百人もの黒人であったことを著者は認識し、その地へ自らと共通の過去をもつ人たちを里帰りさせるプロジェクトを進めるのである。サマセットヘ初めて足を踏み入れたとき、自らが集めた記録や文献よりももっと強く過去を実感し、里帰りをすることによってしか、それは知り得ないと確認したのである。その意味で、本書は、忘却の彼方にそっとしまっておこうとした秘密の場所を祖先が築き上げた文化的遺産と捉え、これを実感し、また共有することによって初めて「今を生きるための手応えある記念塔」にすることができるという信念を赤裸々に表\している」。

白い街へ

2002 年 6 月 5 日 水曜日

『白い街へ』表紙
書籍名   : 白い街へ リスボン、路の果てるところ
(シロイマチエ)
著者名   : 杉田敦(スギタアツシ) 著
発行日   : 2002-02-27
税込価格 : ¥2310
本体価格 : ¥2200
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★『ナンクロ館』02年Vol.5
リスボンに魅せられたアーティストを語ることにより、その街が鮮明に描きだされる。まるで、その場に居るかのように静かに吸い込まれていくのだ。リスボン、いやポルトガルに行ってみたくなる。

★『ハイファッション』6月号

「東欧のように内に向かって閉じていることで感ぜられる疎外感ではなく、あまりに外に開かれているからこその孤独。または真っ赤な部屋に暮らすことの狂気ではなく、世界が真っ白であるがゆえに自己喪失の恐怖を待つ街、リスボン。映画『白い町で』に導かれて訪れた辺境の街リスボンに、自分も含めて、A.タブッキやW.ヴェンタース、V.ベンヤミン、C.ヴェローゾたちが、なぜこれほど魅入られてしまうのかを芸術と思想、文学といった文化的パースペクティヴで透視。多くの異名で創作を行った詩人F.ペソアを引きつつ、サウダーデとディアスポラへ丁寧に糸をかけるようにして書き上げた、まさにエッセー=試論と呼べるにふさわしい文化的紀行」

★『Esquire』 02年6月号 大城譲司
リスボンに魅せられたアーティストを語ることにより、その街が鮮明に描きだされる。まるで、その場に居るかのように静かに吸い込まれていくのだ。リスボン、いやポルトガルに行ってみたくなる。

★公明新聞、02/5/27
アーティストたちの軌跡をリスボンに訪ねる――本書はありきたりの観光案内ではない。著者はよるべない旅行者としてリスボンの魅力をつぶやくような語り口で書きつけ、同じくリスボンに魅せられたさまざまな表現者たちの軌跡をたどり直そうとする。
本書には……数多くの思索者が登場する。本書を読むことが、リスボン=近代の臨界を巡る旅でもあるような構成となっており、アームチェアトラベラーにはうってつけの一冊である。

★週刊読書人、02/4/12 大久秀憲
彷徨の方法で書かれる、リスボンとアーティストたちの白い関係―ペソア(詩)、タブッキ(小説)、アラン・タネール(映画)、ヴェンダース(映画)、カエターノ・ヴェローゾ(音楽)、カバコフ(美術)、ベンヤミン(思想)など、彼らに映ったリスボンが語られてゆくのが本書である。著者も毎年月単位で訪れているという。月単位、というところに有段者を感じる。街の細かな描写が全編に見られる。著者は街を歩きながら書いたようである。ただその歩みは散歩のようではない。本書は彷徨の方法で書かれているように思える。リスボンに惹かれたアーティストたちは断片的にしか語られない。著者は「あの白い街にはこの方がふさわしい気がしてならない」という。その方法はそもそも街の要請するものでもあったということであろう。タイトルに読め、いたるところでも触れられる街の色だが、それは大航海時代が終わりヨーロッパにおいて褪せていった果ての色だった。異なった時代、異なった分野が接近し白熱する色だった。諦めと高まりと、コントラストが同じ色のなかで起こっている。その不思議がひとをリスボンへ呼ぶのだろう。

★東京新聞、02/3/24 横木徳久

ヨーロッパの国々に関する書籍は大量に出版されているようだが、実際は特定の国ばかりに集中している。ポルトガルのようなマイナーな国に関する本は意外に少なく、しかもポルトガル語で郷愁を意味する「サウダーデ」に酔いしれて客観性を見失ったものが目立つ。それは、ポルトガル、とりわけリスボンという街が孕んでいる魔力でもある。本書は、このリスボンの魔力にとらわれつつも、分析的かつ思索的な態度を崩さず、この街の魅力を余すことなく伝えている。まず本書は、二つの異なる局面から構成されている。一つは「リスボンに魅せられたアーティストたち」、すなわちフェルナンド・ペソア、アラン・タネール、アントニオ・タブッキ、アルヴァロ・シザら詩人や映画作家の作品や履歴に分け入る批評的アプローチであり、もう一つは、リスボンで遭遇する様々な事柄を観察する著者自身の体験的アプローチである。この二つの局面は、しばしば時間の枠を越えて交錯し、脱ジャンル的な空間を生み出している。そして批評面では、ペソアにおけるナショナリズムの問題を言葉への帰属性として捉えるなど、随所に刺激的な見解があり、また体験面では精確な観察によって、コントラストを軸にした「サウダーデ」論が語られ、リスボンの実像が焙り出されていく。「アーティスト」に限らず、リスボンを訪ねる旅行者の多くは、評者も含めて自らの帰属性を疑わずにはいられない。つまりこの日本が「終の棲家」ではなく、リスボンこそ帰るべき場所に思えてくる。こうした感情を、著者は根源的な「寄る辺なさ」として表現している。おおむね共感するのだが、この「寄る辺なさ」という情感へと普遍化してしまうと、ポルトガル・フリーク(心酔者)にありがちな自己慰撫へと陥るおそれもある。むしろ読者には、曖昧な情感ではなく、本書の中から、日本を見切るに充分な価値としてのリスボンを発見してほしいと思う。

ドン・カズムーロ

2002 年 6 月 5 日 水曜日

『ドン・カズムーロ』表紙\
書籍名   : ドン・カズムーロ
(ドンカズムーロ)
著者名   : マシャード・デ・アシス(マシャード・デ・アシス) 著
発行日   : 2002-02-22
税込価格 : ¥2940
本体価格 : ¥2800
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★論座6月号・坪内祐三

「ソンダクのエッセイ集には『死ののち マシャード・デ・アシス』という一文が収められていて、この一文は素晴らしかった。この未知の作家を、もの凄く読みたくなった。(この作品は)ちょうど19世紀と20世紀の、すなわち従来のタイプのリアリズム文学と新しいモダニズム文学が重なり合うような頃だが、『ドン・カズムーロ』は、まさに、その時代を体現している傑作だった。……この作品の重要な道具は「目」である。登場する各人の「目」に注目しながらこの長編を読み進めていけば、より深く作品世界を堪能することができるであろう」

ニコライの首飾り

2002 年 5 月 19 日 日曜日

『ニコライの首飾り』表紙\
書籍名   : ニコライの首飾り 長崎の女傑 おエイ物語
(ニコライノクビカザリ)
著者名   : 白浜祥子(シラハマショウコ) 著
発行日   : 2002-03-27
税込価格 : ¥1890
本体価格 : ¥1800
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★『サンデー毎日』、5/19号
「明治の長崎で、ロシア艦隊と深くかかわり、女起業家として近代日本を生き抜いた女性がいた。本名・道永エイ。「おロシアおエイ」とも「お栄さん」とも呼ばれた彼女は、ロシア皇太子ニコライから一夜の寵愛を受けたともいわれる。日露戦争時の苦難を乗り越え、己を通した伝説の女性の一代記。」

<アイヌ学>の誕生

2002 年 5 月 19 日 日曜日

『<アイヌ学>の誕生』表紙\
書籍名   : <アイヌ学>の誕生 金田一と知里
(アイヌガクノタンジョウ)
著者名   : 丸山隆司(マルヤマタカシ) 著
発行日   : 2002-04-11
税込価格 : ¥3675
本体価格 : ¥3500
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★北海道新聞、5/19
「本書は「〈アイヌ学〉の誕生」「〈他者〉をめぐる言説」「〈北海道〉という場所」の3部で構成されている。第1部で取り上げているのは、アイヌ民族を学問の対象とすることで、それぞれ大きな足跡をのこしている金田一京助、知里幸恵、知里真志保の3人。日本のアイヌ学は金田一に始まったといっていい。それがどのように生まれ、進められていったのか。和人である金田一と、アイヌ民族である知里姉弟に焦点を当てながら著者は検証し、金田一アイヌ学のもつ差別性や限界を明らかにする。本書の白眉といえる。同時にアイヌ研究の内実を問う作業は、和人である著者にも直接、跳ね返ってくる問題でもある。このことについて著者は、「安易な、アイヌにたいする加担のふりや同情もしくは礼賛が、見失い/隠蔽してしまう、彼らにたいする略奪者としての日本人という自己を、繰り返し確認しておく必要がある」とも述べている。研究者だけでなく日本人全体にとっても重い言葉といえるだろう」

【改訂・新版】子どもをケアする仕事がしたい!

2002 年 5 月 9 日 木曜日

『【改訂・新版】子どもをケアする仕事がしたい!』表紙\
書籍名   : オフサイド・ブックス35
【改訂・新版】子どもをケアする仕事がしたい!
現場の本音を聞いて資格と仕事を選ぶ本
(コドモヲケアスルシゴトガシタイ)
著者名   : 斉藤弘子(サイトウヒロコ) 著
発行日   : 2004-10-25
税込価格 : ¥1680
本体価格 : ¥1600
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★東京新聞・5/9夕刊
「教育や社会福祉の現場で。相談機関で。医療、スポーツや遊び、食の面から。乳幼児の子どもたちと。プロまたはボランティアとして…。少年犯罪、児童虐待の増加など子どもをめぐる危機を背景に注目される「子どもの心のケア」に関係する仕事を横断的に網羅、現場の声とともに紹介。各職場が抱える課題やふさわしい資質、仕事に就く秘けつなど、志望の“思い”を具体的な目標と行動につなげるための情報が満載」

ニューヨーク知識人の源流

2002 年 5 月 1 日 水曜日

『ニューヨーク知識人の源流』表紙\
書籍名   : ニューヨーク知識人の源流竏窒P930年代の政治と文学
(ニューヨークチシキジンノゲンリュウ)
著者名   : 秋元秀紀(アキモトヒデキ) 著
発行日   : 2001-10-10
税込価格 : ¥4725
本体価格 : ¥4500
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★『英語青年』 5月号、藤森かよこ
「このテーマに関する本書を越える研究は、少なくとも日本においては、当分の間は生産されないだろう。…冷戦期に息の根を止められかけたマルクス主義批評が、新マルクス主義批評となり、現在は「文化左翼」として生き延びているのは、彼らの30年代を神話化しないで検証し続けた知的遺産があったからかもしれない。…戦後アメリカの文学研究者(と日本のアメリカ文学研究者)は、ずっと「ニューヨーク知識人」の影の下にいたし、今もいる。本書の意義は、実に実に大きい。」

戦争

2002 年 4 月 25 日 木曜日

『戦争』表紙\
書籍名   : カナダの文学・4
戦争
(センソウ)
著者名   : ティモシー・フィンドリー(ティモシー・フィンドリー) 著
発行日   : 2002-01-10
税込価格 : ¥2625
本体価格 : ¥2500
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★「ミステリマガジン」4月号 風間賢二
「カナダではフィンドリーはアトウッドやオンダーチェと肩を並べる大御所だ。その現代カナダ文学界を代表する作家が国内外で絶賛され、特異な才能\が認められた作品が一九七七年に発表された本書である。物語をひとことで述べれば、\”一人前の男になる”ために第一次世界大戦に従軍したものの、地獄めぐりとでも称すべき戦場で一連の成長の儀式を経て無垢を喪失し、やがて破滅していく青年の悲劇といったところ。多くの戦争小説が共有する教養小説のパターン─無垢・経験・考察─は、本書でもしっかり押さえられており、同様にお約束の凄惨かつ非人道的な戦場シーンも語られている。
戦争小説といえば、風間的には、ヘミングウェイの『武器よさらば』やメイラーの『裸者と死者』などではなく、セリーヌのグロテスクで凄惨な『夜の果ての旅』、ジョーゼフ・ヘラーの不条理でプラックな笑いに満ちた『キャッチ=22』、ティム・オブライエンのシュールで幻想的な『カチアートを追跡して』などが想起される。残念ながら本書にはそうした風間好みの要素はないが、かわりに巧妙なナラティヴがある。多くの戦争小説は歴史小説でもあるので、作家は史実を素材に作品にリアリティをもたせる。本書では、生存者の証言、古い写真、記録文書、日記などをもとに調査した青年将校の半生を、現代に生きる「第三者」が読者に語るという構成になっている。もちろん、本書は純然たるフィクションだ。でも、われわれが知る\”事実としての歴史”というのは、つまるところ、生存者の証言、古い写真、記録文書、日記といったテクストから歴史学者が解釈を加えて織りなしたものにすぎない。表象の表\象というわけだ。となると、事実と虚構のちがいはどこにあるのか? テクスト化された歴史なんて、その本質は小説とかわりない。本書の語りロはリアリズムに徹しているが、実は、ヒーロー伝説であり、一種の騎士道ロマンスなのだ」

★朝日新聞、2/10 堀江敏幸
「フィンドリーのアメリカ探偵作家クラブ賞受賞作『嘘をつく人びと』を読んだのは、もう十年以上前のことだ。ミステリとしてはいささか重いけれど、そのぶん厚みのある秀作だった。
この『戦争』の原著刊行は、1977年。『嘘をつく人びと』のそれが八六年だから、読者はフィンドリーの作家としての成長ぶりを、良い意味で遡行的に味わうことができる。章立てや小見出しのかわりに振られた通し番号、複数の証言者の目でひとつの出来事の空白を埋めていく、いわば外縁から中心部にむかって言葉を投げる手法の類似性に既視感を覚えながらも、前者が後者よりも若くて青い、未熟だが読みやすい、といった言い方をまったく無効にするだけの完成度があることを認めなければならない。第一次大戦に参戦したカナダの青年将校が、この物語の主人公である。フランスの地で、ドイツ軍の放つ 毒ガスと足下をすくう泥濘に満ちた戦場をくぐりぬけ、死地をさまよっていたあるとき、彼は敵の砲撃から厩舎の馬たちを救うためそれに反対する上司を殺し、脱走して追われる身となる。だが、いったいなにが彼をそれほど苛烈な行動に駆り立てたのか。フィンドリーは主人公の恋人の妹と、捕らえられたあとの彼の姿とその最期を知る看護婦の言葉を断片的につむいで、背後に百三十頭の馬をしたがえたまま逃走する男の神話を、再話可能\な日常のレベルに引き戻す。「戦争」とは、ロバートひとりのものでなく、すべての関係者にとっての、すなわち複数の「ウォーズ」であるという厳然たる事実がこうして浮かび上がるのだが、しかし本当に謎は解決されたと言えるのか? 証言者はつぶやく。「人は生きるとき、自分を生きている。誰も他人を生きられないし、誰も他人の知ることを知れはしないのです。その時はその時。ただ一度しかない」と」

禿げ鷹よ 心して舞え

2002 年 4 月 21 日 日曜日

『禿げ鷹よ 心して舞え』表紙\
書籍名   : 禿げ鷹よ 心して舞え シベリア抑留11年 最後の帰還兵
(ハゲタカヨココロシテマエ)
著者名   : 黒澤嘉幸(クロサワヨシユキ) 著
発行日   : 2002-03-19
税込価格 : ¥1995
本体価格 : ¥1900
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★産経新聞、4/21

「倫理なきシベリアへの抑留──関東軍情報将校だった著者が、抑留所での内部告発によって「強制労働25年」の判決を受ける。囚人列車に積み込まれ西方へ移動、たどり着いたラーゲリ・ディスカズガンで待遇改善を求めて作業拒否闘争が勃発する。丸腰の囚人達に重火器が火を噴き、何人かの友人も無惨な最期を遂げる。その後、囚人の「選別」が行われ、頭上には禿鷹が輪を描いている。『革命は人間サマからモラル、倫理を奪った』という著者の言葉は重い」