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  • 『赤紙と徴兵』が「歴史地理教育」(12.4月号)にて紹介、「第二回いける本大賞」〔有志団体「ムダの会」主催〕を受賞(南日本新聞」11.12.21付、「神奈川新聞」11.12.25付、「毎日新聞」11.12.25付掲載)「前衛」(12.1月号)にて著者の吉田氏の記事掲載、「信濃毎日新聞〔信毎web〕」(11.12.13付)、「毎日新聞」(11.12.10付)、「東京臼杵人会だより」(11.10.23号)にて紹介、「朝日新聞」(11.10.2付)、(「早稲田大学新聞」(11.9.11付)にて書評、「文芸思潮」(11.秋)、「サンデー毎日」(11.9.25号)にて著者インタビュー、「望星」(11.10月号)、「東京・中日新聞」(11.9.6付)、「共同通信社配信記事」にて著者とともに大きく紹介、「赤旗」(11.9.4付)にて書評、「滋賀夕刊【東浅井版】」(11.8.20付)、「日本経済新聞」(11.8.7付)にて紹介されました。

    2011 年 8 月 8 日 月曜日

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    兵事書類について沈黙を通しながら、独り戦没者名簿を綴った元兵事係、西邑仁平さんの戦後は、死者たちとともにあった―全国でも大変めずらしい貴重な資料を読み解き、現在への教訓を大宅賞作家が伝える。渾身の力作。

    「大手から小出版社まで多くの編集者らでつくる有志団体『ムダの会』は、2011年に出版された人文書・ノンフィクション分野の最も優れた書籍を選ぶ第2回「いける本大賞」を、ジャーナリスト吉田敏浩さんの『赤紙と徴兵』(彩流社)と作家星野博美さんの『コンニャク屋漂流記』(文芸春秋)に贈った」(南日本新聞」11.12.21付、「神奈川新聞」11.12.25付、「毎日新聞」11.12.25付、「朝日新聞」12.1.8付より)

    「国策に呼応するマスメディアに影響されて、世論が一色に染まりがちな日本の傾向、横並びで異論を排除しがちな日本人の集団心理、社会的同調圧力はいまも変わらずにあります。再び兵事係や兵事書類が必要とされる時代がこないために、どうすべきか。残された兵事書類は問いかけています。」(「前衛」12.1月号より)

    「編集者や記者有志が選んだ今年の『いける本大賞』に吉田敏浩著『赤紙と徴兵-105歳最後の兵事係の証言から』が入った。」(「信濃毎日新聞〔信毎web〕」11.12.13付より)

    「国民皆兵の当時、兵事係は陸軍の指示を受けて、兵役適齢者調査や兵役を終えた在郷軍人らの把握をはじめ、昼夜を問わずに軍から届く赤紙(召集令状)を本人に届けたり、志願兵のノルマも課せられるなど最末端の行政組織として住民と直接向き合った。」(「毎日新聞」11.10.10【時流底流】より)

    「当時、徴兵を司る組織の末端に、全国の市町村に「兵事係」という職業があった。兵事係の事務書類は、終戦時に軍の命令で焼却された筈であったが、琵琶湖湖畔の村に兵事係の手で隠匿されていたことが2007年に明らかになった。著者は、この書類を丹念に調べ、百歳を超えていた元兵事係、赤紙で中国や東南アジア、南洋諸島に送られて九死に一生をえて帰還した元兵士、戦死者の遺族などにインタビューして、陸軍省から兵事係までの、精密かつ強固に組織された徴兵制度と翻弄された人々を追っている」(「東京臼杵人会だより」11.10.26号より)

    「一体の昭和の軍事主導体制そのものは、狡猾かつ巧妙にできあがっている。兵事係は招集の赤紙を届けるだけでなく、兵士としての資質、技能についても平時から調べあげているし、召集兵の戦死報告の役も担わされる。赤紙が届いた家には「おめでとう」の声が共同体の挨拶という時代、『人間』が歪むのは当然だ。兵事係は兵役を免れるがゆえに、兵事業務に熱心になるからくりも証言で浮かぶ。捕虜を恥じての自決、召集猶予者のリスト、志願兵割り当ての仕組み、著者の怒りは昭和軍閥研究の原点である。」(「朝日新聞」11.10.2付より)

    「戦前・戦中の日本において、国家は民衆に『天皇陛下のため、お国のため』という意識を植えつけ、『大東亜共栄圏』という大儀のもとに侵略戦争へと駆りたてた。銃後の国民も歓呼の声と『日の丸』の小旗で青年たちを戦地に送りだした。いったいどのような仕組みのもとに日本の民衆は日常の生活から切り離され、異国の戦場に送りこまれたのか。著者は、兵事書類を丹念に読み解き、国民と地域社会がどのように戦争への道につき進んでいったのかを克明に浮きぼりにしていく。」(「早稲田大学新聞」(11.9.11付より)

    「編集を八月に進めるせいか、秋号は戦争や原爆に焦点を向けたくなる。幸い今号もその方向に結像させることができた。期せずして、大きなテーマも盛り込めた。吉田敏弘氏と小菅信子氏の『赤紙と徴兵』のトークセッションにも運よく恵まれた。深く感謝したい。結果として一つの根を洗い求めることになったのは、予想外の成果だった。日本人が自らなかなか目を向けられないものが確かにあるが、折に触れてその機会を持ち、じっくりと足元を考えてみることは重要だろうと思う。」(「文芸思潮」11.秋号より)

    「出征兵士は郷土の誉れとして村が一丸となって見送りました。戦死者が出れば村葬が行われ、名誉の戦死として手厚く郷土のみんなが弔った。大日本国防婦人会、在郷軍人会、青年団、処女会、愛国婦人会といった団体による銃後の守りと戦地は密接に結びついていたんです。そして、そのような体制が日本全国の市町村に行き渡っていた。私は本書の中でそのことを「草の根の戦争支持」と言い表しました。郷土の下からのエネルギーと国家の上からのエネルギーが合わさってはじめて戦争が遂行されたんです。」(「サンデー毎日」11.9.25号より)

    「兵事書類の名簿に載っていた人たちに宛てて何通も手紙を書きましたが、亡くなっていた人が多かった。西邑さんも昨年、105歳で亡くなりました。西邑さんが赤紙を届け、入営まで付き添った若者たちのなかには、生きて大郷村に帰れかなった者が大勢いた。戦後、何十年経っても、西邑さんの記憶のなかではみな若者のまま。彼らの顔が浮かんで、眠れない夜もあったそうです。」(「望星」11.10月号より)

    「戦時教育では国のために戦場に行くことを教えられた。その時代の同調圧力は過去のものではなく、今も容易に首をもたげると吉田さんは考える。『防衛庁(当時)が自衛官募集のため、18歳を迎える適齢者の情報提供を自治体に要望していたことが2003年に明らかになるなど、システムは残っているのではないか」と語る」(「神奈川新聞」11.8.28より)

    「西邑さんが軍の焼却命令に従わなかったのは、兵事書類を焼いたら、戦死した村人たちの記録が無になってしまう、遺族にも申し訳ない、と思ったからだという。確かに、赤紙を配った時の克明な記録『動員日誌』や赤紙の受領証綴など兵事書類には、精密な徴兵制度に凝縮された国家の力により、村の日常から戦場への道を歩まされた男たちの名が記され、生と死の足跡が刻まれている。」(「東京・中日新聞」11.9.6付より)

    「本書はむずかしい専門書ではないが、あの戦争のことを深く知ることができる。1941年の対米英開戦後も続く日中戦争で多くの兵が中国に渡っていることに目をむけたい。また43、44年と戦争が行き詰まっていくことを意識して読み進めたい。」(「赤旗」11.9.4付より)

    「吉田さんは『西邑さんは歴史の証人。戦後、66年を経過するが、著書はその時代にタイムスリップし、生々しい歴史を脈打っている。戦争は意味のあることか。(この本は)これからの日本を考える上での手がかりになるのでは』と話している。」(「滋賀夕刊【東浅井版】11.8.20付より)

    「滋賀県の元兵事係がひそかに残した兵事資料から、その仕組みに迫る。徴兵検査や召集令状(赤紙)の交付、出兵後残された家族の意識高揚。日常と戦場をつながざるを得なかった老人の悔悟と平和への願いが、資料に託されて重く響く。」(「日本経済新聞」11.8.7付より)

    『マッチョになりたい!?』が「西日本新聞」(11.11.6付)にて書評、「北海道新聞」(11.10.23付)にて大きく書評、「朝日新聞」(11.9.18付)にて書評、「日本映画学会会報第28号」(11.9月号)にて紹介、「京都新聞」(11.8.5付)にて著者とともに紹介されました。

    2011 年 8 月 8 日 月曜日

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    揺らぐアイデンティティ、父性の喪失、同性愛……「男らしさ」のなかで戸惑う男たち。『マトリックス』など90年代の人気ハリウッド映画に描かれた男性像から、ポスト・フェミニズム時代の男性ジェンダーのその行方を探る。

    「考えてみれば、9.11米中枢同時テロ以降、私たちの世界は本当に変わった。マッチョでわかりやすい言葉を吐くリーダーが求められている。男性問題は、フェミニズム以上に遠くなった。10年以上前の映画を読み解き直す必要があるとすれば、それはやはり、取り戻すべきものがあるからなのかもしれない。激動しながらも停滞し閉塞感の強い現代において、多くの人は否応なく自分の性を生きている。その中で、男であることを見つめ直す視線の、細やかさ、真摯さは、私たちの性を迷わせながらも、豊かに自由にするものであろう。そのことを久々に本で実感した。」(「西日本新聞」11.11.6付、「北海道新聞」11.10.23付より)

    「『男らしさ』が、もし男性にとって生来自然なものであったとしたら、ことさらに規範として称揚する必要もなかったろう。ベトナム戦争後の米国では、マッ チョなタフガイという男らしさのイメージを引き受けられない男性たちの苦悩が公に語られはじめ、メジャーな映画作品にもそれが反映されるようになってきた という。ジェンダー研究者で男性運動にもかかわってきた著者が、『ファイト・クラブ』『マトリックス』など9本のハリウッド作品から、規範にしばられた男 の生きにくさを論じ、男尊女卑を否定してもなお残ったハリウッド『最後の砦(とりで)』たる同性愛嫌悪が、男のつらさの根っこにあると示唆する。」(「朝日新聞」11.9.18付より)

    「ボディビルの男性が扉に描かれたポップな装丁は、男女問わず、思わず手に取ってみたくなるほど刺激的だ。『マッチョになりたい!?』の魅力は、何と言っても研究者から一般の読者まで一気に読ませる面白さにある。それだけではない。本書はそのポップなタッチとは裏腹に、膨大な資料と綿密な考察のもと、映画とマスキュリニティについて論じた、「極めて真面目な」研究書なのである。日本でも、ジェンダー的視点で書かれた映画研究書はこれまでにも多数出されている。しかし、ここまでわかりやすく、ハリウッド映画と男性学との密接な関係を提示してくれる書は見あたらないのではないだろうか。」(「日本映画学会会報第28号」11.9月号より)

    「これからの男性アイデンティティーを対立や支配ではなく親密さや許容として描く『グット・ウィル・ハンティング』。『アメリカン・ビューティ』『ファイト・クラブ』に見る、男を求める男たち。男らしさの将来を暗示する『マトリックス』。男性中心に製作されるハリウッド映画の限界を踏まえつつ、映画という社会の鏡に映された男性像の変化を読み解いていく。」(「京都新聞」11.8.5付より)

    「読売新聞」(11.8.5付)広告掲載書籍一覧

    2011 年 7 月 29 日 金曜日

    ドラゴンボールのマンガ学

    マッチョになりたい!?

    映画みたいに暮らしたい!

    インドまで7000キロ歩いてしまった

    「京都新聞」(11.8.1付)広告掲載書籍一覧

    2011 年 7 月 28 日 木曜日

    赤紙と徴兵

    マッチョになりたい!?

    インドまで7000キロ歩いてしまった

     

     

    『評伝 赤松宗旦』が「国文学」(11.8月号)にて紹介されました。

    2011 年 7 月 28 日 木曜日

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    江戸期、利根川流域の画期的な総合地誌『利根川図志』を纏めた著者・宗旦の実像!町医者がこの「図志」に掛けた執念とは。

    「本書で当時の江戸と地方を結ぶ河川交通、江戸遊歩と舟便のこと、さらに出版書肆との交渉、出版許可と奉行所のこと、とまりがけでの自著の校合(校正)自著の売り歩きなど、一冊の著書出版の苦心もしられて興味ふかい。」(「国文学」11.8月号より)

    『ロック天狗連』が「週刊読書人」(11.10.28号)にて大きく書評、「図書新聞」(11.8.13号)にて書評、「日本経済新聞【夕刊】」(11.7.20付)の「目利きが選ぶ今週の3冊」にて紹介されました。

    2011 年 7 月 22 日 金曜日

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    ポスト学園紛争の東大キャンパスで「ブリティッシュロック研究会」を創設した林浩平。本書は大学の先輩・後輩による「日本におけるロック受容論概説」。さらには、NHKの大型ドキュメンタリー番組のプロデューサーで、ローカルロックに詳しい角英夫氏には、東大の外部からのサポート参加を願い、内容を厚くした!

    「世代論というのは宛てにならないものだなというのが、わたしの読後感である。わたしがキャンパスに横たわる政治的対立にひどく神経を緊張させ、その一方で記号学の書物を陰気に読み齧っていたころ、一年少の林はかくも異なったキャンパスライフを謳歌していたのだ。もっとも本書に不満があるとすれば、それは「歌の別れ」が活写されていない点にある。天狗連がその後、いかにロックから遠ざかっていったのか、わたしは祭が終わるあたりの物語を知りたいのである。」(「週刊読書人」11.10.28号より」

    「BR研を懐かしむ本かと思ったら、よそ者の記事もあって書物としては取り散らかした印象を持った。しかしよそ者の一人、角英夫の北陸・小松のロック盛衰記が一番ためになった。地方のロック界を下支えしてきた人の記録は貴重だ。」(「図書新聞」11.8.13号より)

    「東京大学、1970年代。『ブリティッシュロック研究会』なるサークルが産声をあげた。その短くない活動期を、いまや各界の中心人物になった人物たちが語る異色の本。」(「日本経済新聞」11.7.20付より)

     

    『現代イギリスの社会と文化』が「陸奥新報」(12.4.4付)、「世界日報」(11.12.11付)、「図書新聞」(11.10.1号)、「東奥日報」(11.9.20付)にて大きく書評、「ミスター・パートナー」(11.10月号)にて紹介、「週刊読書人」(11.7.22付)にて大きく書評されました。

    2011 年 7 月 21 日 木曜日

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    ※↑画像をクリックすると内容詳細が掲載されたページに移ります

    イギリスってどんな国?そこから学ぶべきものは?
    滞在経験のある著者が、日々の個人的体験を織り交ぜて語るイギリスの文化や習慣、そして、日本との違い。

    「私は、この貴重な本を読むやいなや、大学図書館に購入依頼を出し、学生への是非読んで欲しい推薦図書リストに入れた。この1冊は、熱烈な英国ファンは言うまでもなく、なんとなく英国に興味を持っている人にとっても、少なくとも手元に置いていただきたい本である。なぜなら、この重厚な本には、英国の神髄がびっしりと詰まっているからである。」(「陸奥新報」12.4.4付より)

    「本書で面白かったのは、1936年に兄王の突然の逝去のために即位したエドワード8世が、シンプソン夫人との結婚のために、退位したのだったが、この事件が『王冠を賭けた恋』とロマンティックに世界中に喧伝されたものの、実はその背後で、国王と首相との鍔迫り合い的な駆け引きがあったことを、具体的に解明している点である。」(「世界日報11.12.11付より)

    「本書は、イギリスの現代社会を独自の視点から150余の項目に分けて考察したものであるが、そこから見えてくる全体像は、物質的な豊かさ、実利主義、拝金主義とは一線を画し、悠然と日常生活を楽しむイギリス人の姿である。そこには、現代の日本人が失ってしまった精神的豊かさ、心の豊かさ、他者を思いやる心などが核をなす成熟した社会が見えてくる。イギリスに興味のある人、これから訪ねてみようという人、さらに今までの案内書や滞在記ではちょっと物足りないといった人々に是非お薦めしたい。」(「図書新聞」11.10.1付より)

    「『現代イギリスの社会と文化』というタイトルは固い印象を与えるが、実際は、ユーモアを交えた日英比較文化エッセー集という方が分かりやすい。巻末付録資料にあるイギリス国内の公式ウェブサイト一覧、主要書籍一覧等も、これからイギリスに行く人や一度は渡航経験のある読者にとっては、とても有益である。本書からは著者のイギリスへの深い洞察と愛情を感じることができる。バイブルとなれば、図書館も必携の一冊である。」(「東奥日報」11.9.20付より)

    「イギリス社会論・現代イギリス論が専門である滞在経験が豊富な著者によって、イギリスの生活のあらゆる側面が語られる。研究者としての文献探求だけでなく、人間同士の触れ合いが重視されているのが本書の特色だ。」(「ミスター・パートナー」11.10月号より)

    「遠くて近い国、イギリスの社会と文化を生活者の視点から紹介したユニークな本である。今までにも、滞在記や見聞録などの多くの類書が出ているが、その情報の多さと正確さで本書の右に出るものはない。」(「週刊読書人」11.7.22付より)

    『越境するタイ・ラオス・カンボジア・琉球』が「琉球新報」(11.7.24付)と「沖縄タイムス」(11.7.2付)にて書評されまさした。

    2011 年 7 月 13 日 水曜日

    東南アジアの21世紀を「境を越えた」ところから見つめなおす!「多極化されたグローバル社会」を理論的にとらえる場として日本、中華世界、西洋とたえまなく接触しているタイ・ラオス・カンボジアはまさに恰好のフィールドである。

    「執筆者の専門領域も社会学、教育学、観光学、文化人類字、考古学、歴史学と多岐にわたる。そして、ぜひ付け加えておかなければならないのは、本研究が単に海外の『フィールド』に日本人の研究者が出掛けて調査してきたというものではなく(それはそれで大変ではあるが)、タイをはじめ、それぞれの相手国の政府や大学との協力・連携の上に行われてきたということである。」(「琉球新報」11.7.24付より)

    「総じていえば、本書は「人の移動」や「グローバリゼーション」がもたらしたさまざまな事象にタイを中心としながら、ラオス・カンボジア・琉球まで越境して意欲的に挑んでいるのである。近代の日本から多大な被害と迷惑を被った近くの他人について、我々はもっと知る必要がある。その際、沖縄を介する視点もありうる。タイ・ラオス・カンボジアの現況分析に、その視点も重ねられ、本書の魅力の一つになっている。」(「沖縄タイムス」11.7.2付より)

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    『100年の残影【西部の写真家・松浦 栄】』が「早稲田学報」(12.2月号)にて紹介、「日本経済新聞」(11.11.10付)にて著者とともに大きく紹介、「公明新聞」(11.10.30付)にて大きく紹介、「COMMERCIAL PHOTO」(11.10月号)、「週刊カメラタイムズ」(11.9.6・13号)、「北海道新聞」(11.8.21付)、「週刊朝日」(11.9.2号)、「毎日新聞」(11.7.17付)、「アサヒカメラ」(11.7月号)にて紹介されました!!

    2011 年 7 月 13 日 水曜日

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    よみがえる100年前のアメリカ西部の姿!
    “フランク ”と呼ばれた稀有の写真家の足跡を追ったフォトドキュメンタリィ。
    収録写真290葉(内松浦栄の100年前の写真96点)

    「ワセダが首相を輩出するという以上にぼくが誇るのは、栗原達男という硬骨の写真家を同窓に持ちえたことだ。一個の人格が、ことの大小や貴賎を問わず、人間としての役割を、それぞれ誠実に果たしながら生きている姿を、激しく、静かに追う栗原―。そのおおいなる達成のひとつこそが、アメリカの辺境に悠々と生きた、明治生まれの写真家・松浦栄を写真と文で描いた、この作品である。」(「早稲田学報」12.2月号より)

    「オカノガンはもう20回以上訪れている。松浦の被写体になった人物にも会うことができた。行くたびに、彼がいかに町の人々に愛されているかを教えられる。カメラをぶら下げて歩いていれば、「フランク!」と声がかかることがある。ボランティアの手で、町のあちこちに防水加工した大きな写真が14枚飾られている。もちろん、松浦が写したものだ。彼は人々の心の中にしっかり染み込んでいる。」(「日本経済新聞」11.11.10付より)

    「出版不況の現在、何度もあきらめようと思った。しかし、オカノガンへ行く度に、人種を超えて、開拓地の末裔の人達がフランクの写真、そして人間性に対する思いを募らせているのを肌身で感じて思い直した。写真集の帯に作家の半藤一利氏が、松浦栄と私、そしてご自身の3人が偶然にも向島生まれの同郷であることに触れておられる。来年5月、向島の地に東京スカイツリーが開業するが、松浦はこの地から単身米国へ渡った。2013年6月はフランク・マツーラの没後100周年だ。“小さな日本人写真家”の評価がワシントン州に留まらず、合衆国で年々高まる一方だ。」(「公明新聞」11.10.30付より)

    「1901年、27歳で単身渡米し、開拓地の人々やインディアンの写真を残した松浦栄。39歳で客死した、松浦の人生と写真に魅せられた写真家・栗原達男。本書は、栗原が29年かけて追った松浦の痕跡をまとめた写真集だ。」(「COMMERCIAL PHOTO」11.10月号より)

    「栄はカナダ国境に近いオカノガンに写真館を開き、白人、先住民の隔てなく写真にした。明治の日本人写真師の貴重な記録である。」(「週刊カメラタイムズ」11.9.6・13号)

    「松浦は1873年(明治6年)、没落した旗本与力の家に生まれた。27歳で単身渡米。開拓地やインディアン居留地などに出入りし、数多くの生活風景を撮影した。39歳で客死。ユーモアあふれる誠実な人柄だったといい、「フランク(素直で裏表のない)・マツーラ」として、今なお地元の人に愛されている。」(「北海道新聞」11.8.21付より)

    「栄は1873年、東京・向島に生まれた。明治維新で没落したが、旗本与力の家系である。1901年、27歳で単身渡米し、シアトル、そして山奥のオカノガンへ。写真スタジオを開いた彼は、カウボーイや駅馬車、競馬、自動車など、開拓地の息吹を感じさせる写真を撮り続けていった。」(「週刊朝日」11.9.2号)

    「開拓地の人々が集う日曜学校やピクニック、草野球の情景。あるいは背広姿の誇り高きインディアン青年。そしてリラックスした小柄な「自写像」。三十九歳の若さで客死した松浦の写真集をいつか世に出す夢が、ようやく結実した。」(「毎日新聞」11.7.17付より)

    「松浦の写真には、先住民とヨーロッパ人やアジア人が結婚したり、テントから「家」に定住したりしてゆく過程が写っている。馬と車が、先住民とカウボーイが街角を行き交う。まさにアメリカ西部の近代化の交差点である。西部開拓の余韻がまだまだ残っていたことを、写真特有の具体的な記録性によって体感することができるのだ。」(「アサヒカメラ」11.7月号より)

    『洋画家たちの東京』が「東京人」(11.10月号)、「週刊読書人」(11.8.19号)、「三田評論」(11.8-9月号【著者ノート】)、「芸術新潮」(11.7月号)、「美術の窓」(11.7月号)、「三省堂書店公式ブログ 『神保町の匠』」、「図書新聞」(11.6.18付)にて紹介されました。

    2011 年 6 月 20 日 月曜日

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    明治・大正・昭和と、洋画文化の先端を独占した東京。才能ある多くの若者を引き寄せた。青木繁、村山槐多、長谷川利行等、彼らはどんな夢を抱き生きたのか。日本近代絵画の裏面を渉猟し、天才画家が命がけで描こうとした夢と現実に迫る。

    「明治から昭和にかけて、大志を抱いて上京した洋画家たち。彼らが暮らした住居をはじめ、画塾や道、美術展会場、画廊などを丹念に探り、現在の東京地図に重ね合わせた、建築士である著者ならではの試み。」(「東京人」11.10月号より)

    「美術史学とは、美術作品を調査研究し、その歴史的展開を跡づける学問である。古くはパウサニスやプリニウスの時代から文献が在るものの、学問としての厳密さを確立するようになったのは前世紀初頭のことだ。爾来、美術史は文学や歴史学は当然のこととして、心理学、社会学、女性学等他分野の成果を応用しつつ今も進化を遂げているが、本書の筆者の試みに示された建築あるいはトポスにかかわる関心は、この学問にさらなる広がりを持たせることを期待させる。」(「週刊読書人」11.8.19付より)

    「帯のコピーには、夏目漱石の文展評を拝借した。『彼らは食う為ではなく、実に飢える為、渇する為に画布に向う様なものである。』約二年間にわたり、私が図書館に黄ばんだ絶版本を渉猟し、カメラを手に「現場」への徘徊を繰り返して描こうとしたことは、まさにこの一文に尽きると言ってよい。」(「三田評論」11.8-9月号より)

    「本書は、17歳の青木繁が単身上京するところから始まるのだが、その後青木は主に経済的困窮から、都内だけでも10ヶ所以上を転々としている。青木しかり、退廃した生活の末に代々木上原の草むらで亡くなった村山槐多しかり、彼らの画業は、東京という都市空間との格闘にも見える。」(「芸術新潮」11.7月号より)

    「特に青木繁についての記述に多くを割いており、天性の画才と凋落していく私生活との狭間でもがき、描き続ける姿を伝えている。岸田劉生、黒田清輝など当時の東京で洋画界を支える人物や、洋画と常に接触していた夏目漱石についても豊富なエピソードが載る。著者が一級建築士ということもあって、画家たちが過ごした東京の家や画塾の場所など地理的なことについても言及し、現在の地図と照合するなど実際の軌跡を辿れる内容も含まれている。」(「美術の窓」11.7月号より)

    「この書名から、読者はふつうどんな印象をもつだろうか。1世紀半前、近代化とともに招来された西洋絵画。その技法を学んだ天才たちが描き、時代の変遷とともに失われた情景。すなわち、帝都東京の“逝きし世のおもかげ”を思い浮かべるだろうか。そうした一面も確かにあるが、本書で苛烈なまでに描かれているのは、ひとえに“青木繁的なるもの”の運命。急いで付け加えれば、一級建築士で建築デザイン事務所を主宰する著者の言説は、まことに明快で具体的であって、“青木繁的なるもの”、などという熟さない表現は、本書のどこにもない。だが、ひとたびページを開けばもう否応なく読み進むしかない本書を貫く、悪魔的な磁力にあえて名前をつけるならば、そのようにしか呼びようがない。」(「三省堂書店公式ブログ 『神保町の匠』」より) (続きを読む…)