『赤紙と徴兵』が「歴史地理教育」(12.4月号)にて紹介、「第二回いける本大賞」〔有志団体「ムダの会」主催〕を受賞(南日本新聞」11.12.21付、「神奈川新聞」11.12.25付、「毎日新聞」11.12.25付掲載)「前衛」(12.1月号)にて著者の吉田氏の記事掲載、「信濃毎日新聞〔信毎web〕」(11.12.13付)、「毎日新聞」(11.12.10付)、「東京臼杵人会だより」(11.10.23号)にて紹介、「朝日新聞」(11.10.2付)、(「早稲田大学新聞」(11.9.11付)にて書評、「文芸思潮」(11.秋)、「サンデー毎日」(11.9.25号)にて著者インタビュー、「望星」(11.10月号)、「東京・中日新聞」(11.9.6付)、「共同通信社配信記事」にて著者とともに大きく紹介、「赤旗」(11.9.4付)にて書評、「滋賀夕刊【東浅井版】」(11.8.20付)、「日本経済新聞」(11.8.7付)にて紹介されました。
2011 年 8 月 8 日 月曜日兵事書類について沈黙を通しながら、独り戦没者名簿を綴った元兵事係、西邑仁平さんの戦後は、死者たちとともにあった―全国でも大変めずらしい貴重な資料を読み解き、現在への教訓を大宅賞作家が伝える。渾身の力作。
「大手から小出版社まで多くの編集者らでつくる有志団体『ムダの会』は、2011年に出版された人文書・ノンフィクション分野の最も優れた書籍を選ぶ第2回「いける本大賞」を、ジャーナリスト吉田敏浩さんの『赤紙と徴兵』(彩流社)と作家星野博美さんの『コンニャク屋漂流記』(文芸春秋)に贈った」(南日本新聞」11.12.21付、「神奈川新聞」11.12.25付、「毎日新聞」11.12.25付、「朝日新聞」12.1.8付より)
「国策に呼応するマスメディアに影響されて、世論が一色に染まりがちな日本の傾向、横並びで異論を排除しがちな日本人の集団心理、社会的同調圧力はいまも変わらずにあります。再び兵事係や兵事書類が必要とされる時代がこないために、どうすべきか。残された兵事書類は問いかけています。」(「前衛」12.1月号より)
「編集者や記者有志が選んだ今年の『いける本大賞』に吉田敏浩著『赤紙と徴兵-105歳最後の兵事係の証言から』が入った。」(「信濃毎日新聞〔信毎web〕」11.12.13付より)
「国民皆兵の当時、兵事係は陸軍の指示を受けて、兵役適齢者調査や兵役を終えた在郷軍人らの把握をはじめ、昼夜を問わずに軍から届く赤紙(召集令状)を本人に届けたり、志願兵のノルマも課せられるなど最末端の行政組織として住民と直接向き合った。」(「毎日新聞」11.10.10【時流底流】より)
「当時、徴兵を司る組織の末端に、全国の市町村に「兵事係」という職業があった。兵事係の事務書類は、終戦時に軍の命令で焼却された筈であったが、琵琶湖湖畔の村に兵事係の手で隠匿されていたことが2007年に明らかになった。著者は、この書類を丹念に調べ、百歳を超えていた元兵事係、赤紙で中国や東南アジア、南洋諸島に送られて九死に一生をえて帰還した元兵士、戦死者の遺族などにインタビューして、陸軍省から兵事係までの、精密かつ強固に組織された徴兵制度と翻弄された人々を追っている」(「東京臼杵人会だより」11.10.26号より)
「一体の昭和の軍事主導体制そのものは、狡猾かつ巧妙にできあがっている。兵事係は招集の赤紙を届けるだけでなく、兵士としての資質、技能についても平時から調べあげているし、召集兵の戦死報告の役も担わされる。赤紙が届いた家には「おめでとう」の声が共同体の挨拶という時代、『人間』が歪むのは当然だ。兵事係は兵役を免れるがゆえに、兵事業務に熱心になるからくりも証言で浮かぶ。捕虜を恥じての自決、召集猶予者のリスト、志願兵割り当ての仕組み、著者の怒りは昭和軍閥研究の原点である。」(「朝日新聞」11.10.2付より)
「戦前・戦中の日本において、国家は民衆に『天皇陛下のため、お国のため』という意識を植えつけ、『大東亜共栄圏』という大儀のもとに侵略戦争へと駆りたてた。銃後の国民も歓呼の声と『日の丸』の小旗で青年たちを戦地に送りだした。いったいどのような仕組みのもとに日本の民衆は日常の生活から切り離され、異国の戦場に送りこまれたのか。著者は、兵事書類を丹念に読み解き、国民と地域社会がどのように戦争への道につき進んでいったのかを克明に浮きぼりにしていく。」(「早稲田大学新聞」(11.9.11付より)
「編集を八月に進めるせいか、秋号は戦争や原爆に焦点を向けたくなる。幸い今号もその方向に結像させることができた。期せずして、大きなテーマも盛り込めた。吉田敏弘氏と小菅信子氏の『赤紙と徴兵』のトークセッションにも運よく恵まれた。深く感謝したい。結果として一つの根を洗い求めることになったのは、予想外の成果だった。日本人が自らなかなか目を向けられないものが確かにあるが、折に触れてその機会を持ち、じっくりと足元を考えてみることは重要だろうと思う。」(「文芸思潮」11.秋号より)
「出征兵士は郷土の誉れとして村が一丸となって見送りました。戦死者が出れば村葬が行われ、名誉の戦死として手厚く郷土のみんなが弔った。大日本国防婦人会、在郷軍人会、青年団、処女会、愛国婦人会といった団体による銃後の守りと戦地は密接に結びついていたんです。そして、そのような体制が日本全国の市町村に行き渡っていた。私は本書の中でそのことを「草の根の戦争支持」と言い表しました。郷土の下からのエネルギーと国家の上からのエネルギーが合わさってはじめて戦争が遂行されたんです。」(「サンデー毎日」11.9.25号より)
「兵事書類の名簿に載っていた人たちに宛てて何通も手紙を書きましたが、亡くなっていた人が多かった。西邑さんも昨年、105歳で亡くなりました。西邑さんが赤紙を届け、入営まで付き添った若者たちのなかには、生きて大郷村に帰れかなった者が大勢いた。戦後、何十年経っても、西邑さんの記憶のなかではみな若者のまま。彼らの顔が浮かんで、眠れない夜もあったそうです。」(「望星」11.10月号より)
「戦時教育では国のために戦場に行くことを教えられた。その時代の同調圧力は過去のものではなく、今も容易に首をもたげると吉田さんは考える。『防衛庁(当時)が自衛官募集のため、18歳を迎える適齢者の情報提供を自治体に要望していたことが2003年に明らかになるなど、システムは残っているのではないか」と語る」(「神奈川新聞」11.8.28より)
「西邑さんが軍の焼却命令に従わなかったのは、兵事書類を焼いたら、戦死した村人たちの記録が無になってしまう、遺族にも申し訳ない、と思ったからだという。確かに、赤紙を配った時の克明な記録『動員日誌』や赤紙の受領証綴など兵事書類には、精密な徴兵制度に凝縮された国家の力により、村の日常から戦場への道を歩まされた男たちの名が記され、生と死の足跡が刻まれている。」(「東京・中日新聞」11.9.6付より)
「本書はむずかしい専門書ではないが、あの戦争のことを深く知ることができる。1941年の対米英開戦後も続く日中戦争で多くの兵が中国に渡っていることに目をむけたい。また43、44年と戦争が行き詰まっていくことを意識して読み進めたい。」(「赤旗」11.9.4付より)
「吉田さんは『西邑さんは歴史の証人。戦後、66年を経過するが、著書はその時代にタイムスリップし、生々しい歴史を脈打っている。戦争は意味のあることか。(この本は)これからの日本を考える上での手がかりになるのでは』と話している。」(「滋賀夕刊【東浅井版】11.8.20付より)
「滋賀県の元兵事係がひそかに残した兵事資料から、その仕組みに迫る。徴兵検査や召集令状(赤紙)の交付、出兵後残された家族の意識高揚。日常と戦場をつながざるを得なかった老人の悔悟と平和への願いが、資料に託されて重く響く。」(「日本経済新聞」11.8.7付より)







