メニューへ▼     更新情報|

『世界へ翔ぶ 国連機関をめざすあなたへ』が沖縄タイムス(1/22付)、北大学生新聞(1/21付)、北大医学部同窓会新聞(1/15付)、北大北海道新聞(1/10付)、琉球新報(12/27付)にて書評、国際医学新聞「メディカル・トリビューン」(12/24付)にて紹介されました。

sekaietobukokurenkikan.jpg
世界のために働ける国連をめざす若い人への指南書。クビの宣告も日常茶飯事の職場で厳しい環境を乗り越えるには。準備や心構え、適性は。エイズプロジェクトに初期から関わりアジア・アフリカで活躍した著者が豊かに体験を綴る。

「タイトルだけを見れば国連職員になるためのハウツー本のように思われるが、本書の約半分は自身の経験と見聞から記され、WHOだけが国連機関ではないという意味ではいささか一面的だが、その分具体的な事項に満ちている。」(沖縄タイムス1.22付より)

「国際社会での「生き方」についても触れられており、特に将来の日本や世界を担う若者にとって必読の一冊だ。」(北大学生新聞1.21付より)

「残念ながら、パスツール研究所、コッホ研究所(1895年創設)と並んで1892年に創設された伝染病研究所を、感染症の時代は終わってしまったという認識のもとに、早々に医科学研究所に衣替えしてしまった我が国には、そのような研究に対する国家戦略は存在しない。では、我が国の医学徒にして、感染症の研究に従事するにはどのような手だてがあるだろうか?もちろん、パスツール研究所の研究員になるというのも一つの答えである。本書には、長年ジュネーブで活躍してきた国際保健医学分野の玉城教授の提示する別の答えが記されている。」(北大医学部同窓会新聞1.15付より)

「国連分担金の日本の割合は20%を超えるが、日本人職員の割合は3%前後。「国連で働くことは雲の上の話ではない。もっと日本人職員が増えてもいい」と言う。著者には、自らの経験を次代に伝える狙いもある。」(北海道新聞1/10付より)

「北海道大学で教鞭(きょうべん)をとる著者と私の接点は名護高校時代にある。当時の名護の町には、名護の七曲がりから屋部村につながる長い砂浜が存在し た。名護(ナン)城(グスク)からの眺望、白い砂浜、名護湾、夕日の沈む水平線。自然は夢を膨らませた。この素朴な自然の背景が、彼をして地球規模の活動 の場に押し出したものと考えたい。夢を食うことを忘れかけた現代の若者に一読を勧めたい。」(琉球新報12.27付より)

「国連の職場では、上司は部下の面倒を見ず、責任を取りたがらない風潮が見られ、解雇告知も日常茶飯事であるという。実際に、著者は解雇通知を2回受けた。本書では、こうした厳しい環境で活躍するためのアドバイスが得られる。」(メディカル・トリビューン12/24付より)

トラックバックURI

コメント / トラックバックはありません コメントを見る/コメントする

コメントをどうぞ