産婆さんを訪ねて

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産婆さんを訪ねて 第3回

第3回 「産婆さん出征す!?」

むらき数子

●戦争が始まったのはいつ?

年表や教科書には、「1937(昭和12)年7月7日 日中戦争始まる(盧溝橋事件)」とあります。
7月11日に、近衛内閣が「北支事変」と名づけて派兵を声明しました。宣戦布告をしない「戦争」への協力を求められたメディア各社は、紙誌面に献金や千人針などの銃後風景を載せ、従軍看護婦を讃えて戦争熱を煽りはじめました。
5、6年前に満州事変・上海事変を経験したばかりの人々は、今度の事変も半年ぐらいで終わって正月までには出征兵たちは帰ってくるだろう、と思ったようです。

私の育った家庭の戦争は、1937年7月28日に始まりました──私はまだ生まれていませんでしたが──。31歳の父に召集令状、いわゆる赤紙が来た日です。
8月1日に入営した父の部隊が8月20日に出動すると、「兵隊送り」という銃後活動を終えた親戚や地域の役職者などはふだんの暮らしに戻っていきました。母と2歳半と1歳の3人の世帯だけが、出征兵士の「留守家族」と呼ばれて戦争中の暮らしになりました。
「銃後」とは、戦地に対する国内、そして軍隊に対する一般社会をさす言葉でした。

●境町の1937年8月15日

『サシマ新報』は、茨城県の西端の猿島郡境町で発行されていたローカル新聞です。
利根川沿いの境町は、警察などの官公庁が置かれ、銀行や商店の集中する小都市でした。なだらかな畑作農村と沼地のひろがる中にぽっかりと浮かんだ島のような町です。
8月15日午前2時大量の動員下令があり、赤紙がいっきにたくさんの家に届けられました。総戸数1235軒(1935[昭和10年])の境町から、この日だけで47人が召集されました。兵隊送りに、中年男性も青年男女も、公私さまざまに組み込まれた組織の一員として出歩いてばかりで仕事にならない「非常時」「戦時」の日々です。8月25日には農家の馬が大量に徴発されました。
8月15日が、日本では政府が「暴支膺懲」(ぼうしようちょう)を声明し、中国では全国総動員令を発し、全面戦争に突入した日であったことは、後世に生きる私たちだから知ることです。
8月17日『サシマ新報』は次の「謹告」を掲げました。
「本社は此際出来得る限り紙面を割いて当地方に於ける愛国的情景を掲載し以て新聞報国の一端を果したいと念願して居ります。」

●産婆さん、病院船に乗る

「境町の池田女史 銃後運動に尽瘁(じんすい) 篤志(とくし)に感激す! 」(『サシマ新報』1937.9.7)
産婆・池田さとさん(1894~1957年[明治27~昭和32年]、茨城県東茨城郡桂村孫根[現城里町]生れ)は、教員である夫の任地・境町で開業し、周辺の純農村のお産にも出張していました。北支事変勃発とともに、愛国婦人会・国防婦人会の役員としてエプロン姿で陸海軍への献金を募金して回り、慰問袋の調整発送、兵隊送りにと奔走。産婆会会員としても、警察署を慰問したり、留守家族のお産を無料や減額にしたりと多忙でした。

「昨十四日池田さん出征す!」(『サシマ新報』1937.10.16)
池田さとさんに、陸軍の要請により日本赤十字社(=日赤)から「召集状」が来ました。
日赤の養成所卒業者には12年間の応召義務がありました。池田さとさんも、産婆としてで
はなく、救護婦長として召集され、10月14日境町を出発しました。
軍属として11月初旬に病院船に乗船し、上海など揚子江の沿岸と日本との間を幾回も航
行している間に『サシマ新報』に載せられた手紙の一通に、「どうぞ何分子供をよろしく御願申上げます」とあります。宛先が「境小学校校長、職員御一同様」であることから、池田さとさんが、小学生の子どもを知人に預けて出征している母親であることが知られます。
1935(昭和10)年に実施された日赤の点呼召集に応じた救護看護婦4466人のうちの281人6.3%が産婆業に従事していました(『戦争と看護婦』p.146)。

(参考)
岡野幸江・北田幸恵・長谷川啓・渡邊澄子編『女たちの戦争責任』東京堂出版、2004
川口啓子・黒川章子『従軍看護婦と日本赤十字社―その歴史と従軍証言』図書出版文理閣、2008
川嶋みどり、川原由佳里、山崎裕二、吉川龍子『戦争と看護婦』国書刊行会、2016、p.146【表1 点呼召集された日赤看護婦の職業別人数(本部・支部の合計)】
『下総境の生活史 図説・境の歴史』2005、茨城県猿島郡境町
『銃後史ノート』「特集・日中開戦・総動員体制下の女たち」復刊2号、1981.7.7
むらき数子「大字関舘の戦争」『昔風と当世風』古々路の会、第85号、2003.11.1

『サシマ新報』1937. 9. 7

https://www.mapion.co.jp/map/admi08.html に加筆

『主婦之友』昭和12年10月号表紙

[ライタープロフィール]

むらき数子(むらき・かずこ)

1945年東京生まれ。「国策と個々の暮らしとの干渉」に関心を抱き、30代は『銃後史ノート』に参加して主婦を主なテーマとする。40代後半から、民俗学研究会である古々路(ここじ)の会に加わり産婆・産育をテーマに調査・報告を重ねている。
「疎開とは女にとって何だったのか」『銃後史ノート』復刊5号、JCA出版、1983.12
「『足らぬ足らぬは工夫が足らぬ』-生活現場での主婦たちの戦い」『女たちの戦争責任』岡野幸江・北田幸恵・長谷川啓・渡邊澄子共編、東京堂出版、2004.9