産婆さんを訪ねて

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産婆さんを訪ねて 第5回

2019 年 10 月 15 日 火曜日

第5回 腹帯が配給された

むらき数子

●産婆さんを頼む家

1930(昭和5)年、市村よつさん(1892=明治25生)は、茨城県結城郡江川村七五三場(ゆうきぐん・えがわむら・しめば)(現・結城市)で産婆を開業しました。江川村村長である兄に「江川村には産婆がいないから江川へこないか」と呼ばれて、教員の夫と七五三場に定住したのでした。

七五三場から橋を渡れば猿島郡幸島村諸川(さしまぐん・こうじまむら・もろかわ)(現・古河市)です。諸川は、池田さとさんが活躍していた境町(連載第3回)から県道結城野田線(江戸時代の日光東街道)を12km北上した町場です。諸川は大正時代には関東有数の大地主地帯とよばれた幸島村の中心地であり、半農半商・半農半工の家々と多角経営の大地主の屋敷との周囲には畑作の純農村が広がっていました。「大尽(でえじん)どん」と呼ばれた大地主の屋敷に市村よつさんは呼ばれました。

「おふくろがとりあげたのは、お大尽(だいじん)・多額納税者のうちばかりだったと思います」

と息子・市村有(たもつ)さんは結城郡・猿島郡の多くの村の名を挙げてくれました。

資格を持つ産婆に分娩介助だけでなく、お宮参りなどの儀礼への関与も頼み、その後もオビトキ(七五三)の赤飯を届けるなど、丁寧につきあうのは、村々の数%程度の家でした。 (続きを読む…)

産婆さんを訪ねて 第4回

2019 年 9 月 15 日 日曜日

「産めよ殖やせよ──その前に、まず結婚」

むらき数子

●志望動機

根本つるいさん(1917[大正6]年生れ)に、助産婦になった動機をお聞きしたら、

「ちょうど、産めよ殖やせよの時代でしょ」と言われました。

茨城県猿島郡森戸村(現境町)の農家に生まれた根本つるいさんは、尋常高等小学校を卒業後、東京へ出て、病院事務で働きながら勉強して看護婦試験に合格し、次いで、産婆試験に合格しましたが分娩の実地をやったことはありませんでした。1941(昭和16)年、東大の助産婦復習科(東京帝国大学医学部産婦人科学教室助産婦復習科)に入学し、初めて分娩の実地を経験しました。

「東大では、一日20人生れる。一昼夜交替で、忙しくて腰掛けてる暇ない」

1942(昭和17)年4月卒業後、都内の病院に勤務しながら、さらに保健婦の資格も取得しました。1944(昭和19)年10月、退職、帰郷して産婆を開業しました。

1931(昭和6)年に5万2537人だった産婆は、10年後の1941(昭和16)年には6万2741人になっていました。

 

●産めよ育てよ国の為──「結婚十訓」 (続きを読む…)

産婆さんを訪ねて 第3回

2019 年 8 月 15 日 木曜日

第3回 「産婆さん出征す!?」

むらき数子

●戦争が始まったのはいつ?

年表や教科書には、「1937(昭和12)年7月7日 日中戦争始まる(盧溝橋事件)」とあります。
7月11日に、近衛内閣が「北支事変」と名づけて派兵を声明しました。宣戦布告をしない「戦争」への協力を求められたメディア各社は、紙誌面に献金や千人針などの銃後風景を載せ、従軍看護婦を讃えて戦争熱を煽りはじめました。
5、6年前に満州事変・上海事変を経験したばかりの人々は、今度の事変も半年ぐらいで終わって正月までには出征兵たちは帰ってくるだろう、と思ったようです。

私の育った家庭の戦争は、1937年7月28日に始まりました──私はまだ生まれていませんでしたが──。31歳の父に召集令状、いわゆる赤紙が来た日です。
8月1日に入営した父の部隊が8月20日に出動すると、「兵隊送り」という銃後活動を終えた親戚や地域の役職者などはふだんの暮らしに戻っていきました。母と2歳半と1歳の3人の世帯だけが、出征兵士の「留守家族」と呼ばれて戦争中の暮らしになりました。
「銃後」とは、戦地に対する国内、そして軍隊に対する一般社会をさす言葉でした。 (続きを読む…)

産婆さんを訪ねて 第2回

2019 年 7 月 15 日 月曜日

第2回 軍需景気の町

むらき数子

 

●「おしん」を思い出させる産婆さん

「私は助産院で産ませてもらいました」と言うと、初対面の助産師さんの緊張がほぐれます。茨城県で「東京の青柳助産院で」と続けたら、「もちろん、青柳助産院、知ってます、知らなけりゃモグリですよ」と返ってきたこともあります。

青柳助産院は、東京都23区の最南端、大田区大森北で、1932(昭和7)年から2004(平成16)年まで72年間、入院分娩を扱ってきました。青柳助産院の創始者・青柳かくいさんの人生は、NHK連続テレビ小説「おしん」のモデルではないかと思われるものです(『あさやけ』『紅の花』『きっと、いいお産』)。 (続きを読む…)

産婆さんを訪ねて 第1回

2019 年 6 月 14 日 金曜日

第1回 お産に見るこの国の移り変わり

むらき数子

あなたはどこで生まれましたか? 日本では、1960年から75年の間に、自宅から施設へと出生の場所が大きく変わりました。おおまかにいえば、自宅で生まれた団塊の世代が、施設に入院して産むようになっていたのです。

では、あなたは誰にとりあげてもらいましたか? あなたのお子さんは?

お産の介助をする人を本稿では「産婆さん」と総称しますが、国家資格と無関係に介助した人を「トリアゲバアサン」、明治以降の国家資格を取得した人を「産婆」と呼びます。「産婆」は、1947年に「助産婦」に変わり、2002年以降は「助産師」となっていますが、法的に「保健師助産師看護師法」と「医療法」で認められている職業です。 (続きを読む…)