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日々是好日 第1回

第1回 イントロ二本足編

林タムタム

 

人のお金で東京に行った。参議院会館の地下の食堂、めちゃくちゃ種類があって美味しかった。その時出会った某編集者さんのところに無理やり押しかけ、西荻窪を北へ南へ、ご飯をさんざご馳走になり、その人が行くという歌舞伎町の飲み会にまで参加して、このものを書く話をもらったのである。飲み会は出版に関わる人たちの飲み会であった。世の中に文字や思想や文化を生み出そうとする人たちの飲み会。なんて素敵な響きでしょう、飲み会とは言わず宴というべきね。私は出版関係の人間ではない。何かを世に生み出そうとしたことがあるとすれば夏休みの作文と、あとは〇〇〇くらいのものである。正直その場に出版関係ない輩は私だけだった。

話をくださった河野さんと、高尚な話はしていない。いや、話自体そんなにしていない。ピーナッツを何かしらと炒めたあれ美味しいよね。

自由に書いてもらっていいですと河野御仁はおっしゃり、締切まで時間はたっぷりとってもらった。私の文章を一度もご覧になっていないのにである。

このご恩末代まで決して忘れねえ(でも多分私が末代)。きっととびきりいいものをお目にかけやしょう。ま、時間あるし余裕で書ける、書きたいこともいろいろあるしと思っていたらこの有様である。以下詳述する。

私は自分を無理やり机に座らせる。P Cを開く。最初の一文を書こうとする。稲妻が走るような最初の一文を。

「むかしむかし……」

私は本を読み、芝居を観、映画を観、音楽を聴く。その中の表現や世界が、自分自身に集積されているとすぐ気付く。というより痛感させられる。なぜかと言って、すぐにそういうかけらが、私自身に代わって顔を出そうとするのですもの。いやもうこれは自分自身なんじゃないか? でも無邪気に写したら著作権法とかいろいろ怖い(ちなみに、この文章を書く直前まで、人の漫画を紹介するような文章を書いていましたが、複製とか翻案とか怖いので泣く泣くやめました)。

自分の文章って何なのか。最近私は、この人生が、1回使い切りタイプなのではないかという悪い予感を持つに至り、小説を、芝居を、映画を、それらに投射された他人の人生を、狂おしい気持ちで見つめるようになった。自分以外の人生を経験できないまま死ぬそして多分転生しないという不自由に、気付きたくはないけど、はっ、もう8割気付きかかっている。そしてそれに抗おうとする幼気な努力が逆に、自分の文章、自分の言葉、自分の振る舞い、自分の人生にどんどん侵食してきているのである! いやもうそれでもいいのか? 何にも触れてないと何見ても何も思いつかないだろうしそれはそれで怖い。自分とはという問いには今改めて気付かされた。

私は長らくある資格を取ろうとしていた。しかしなかなか(このなかなかはこれを読んでいるあなたの想像する「なかなか」の2倍ぐらいの長さです)手が届かなかった。親のすねをもうカリッカリになるまでかじり倒してようやく受かってここまでやってきた(歌舞伎町の中華料理屋)ものの、一時は今まさに虎になって合格者の首を食いちぎらんとするところまで、私は追い詰められていた。虎になるかそれとも受かるか、私にはその二つしかなかったのである。自分はどう文章を書くか? 話すか振る舞うか生きていくか? については、これから考えていく他ない。私の足元には他者の紡いだかけらが山積するが、闇雲にそれを拾い上げても形は見えない、ここは月もない叢なのである。

この連載は、なんとか虎にならずに済み、遅ればせながらようやく二本足で歩き始めた私が(友達の子どもかわいい)、恥ずかしげもなく、自分はどう生きたいかみたいなことを考えていく内容にしたいと思っています。ところで悪い女の子は……はっ、また他人の言葉で語ろうとしているわ。皆様、どうぞ次回にご期待ください。