歩く民主主義

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歩く民主主義 第4回

2019 年 9 月 15 日 日曜日

古い人たちにはうんざりだ

村上稔

 

嫌韓とか反日とか、ホントつまらない。なぜつまらないかと言う理由をいくつか挙げてみたいと思う。

まず一つ。うちの会社は移動スーパーの運営の他に、徳島県鳴門市の大毛島に「うずしおゲストハウス」という旅宿を経営している。大毛島は去年の紅白歌合戦で米津玄師が中継をして話題になった大塚国際美術館や鳴門の渦潮で有名な観光地なのであるが、うちの宿には連日、世界中から旅人がやってくる。ヨーロッパ、アジア、アメリカ、オセアニア……いろんな国の人たちが集まって、共有スペースは夜な夜なインターナショナルに盛り上がっているのだ。

先日も、夏休みを利用して青春18切符で旅をしている17歳の悩める日本男子高校生が、韓国人のカッコいいお兄さんに英語の単語を並べて人生相談をしていた。

高校生曰く「学校や親から進路の決断を迫られているが、やりたいことがわからない」とのこと。そこで韓国兄さん「ハウオールドアーユー?」。高校生「セブンティーン」。すると韓国兄さん、ニコッと笑って「セブンティーン、ノープラン、オーケー!」と一言。

で、それまでの高校生の深刻な顔がキョトンとしたと思ったら笑顔になった。「ノープラン、オッケー?」「オーケーオーケー! セブンティーン、ノープランオーケー!」二人して声を上げて笑っている。

宿業冥利に尽きるとっても幸せな瞬間だ。私はその高校生の解放されたような弾けた笑顔を見て、彼の旅の成功を確信した。 (続きを読む…)

歩く民主主義 第3回

2019 年 8 月 19 日 月曜日

第3回 N国党のやり方はアリか?

村上稔

今回は先日の参議院選挙について語りたいと思う。エラそうに政治評論かよ、と言うなかれ。実は私は政治については素人ではないのである。

というのは、私はかつて市議会議員を3期務めたのだが、吉野川可動堰(ダム)計画をめぐる住民投票運動からはじまり、それに続く市長選挙、知事選挙と中心的にかかわり、知事を出した後は「側近」としてわずか11か月間で不信任を食らうまで、夜な夜な知事公舎に通って県庁役人との闘いをサポートしてきたという経験を持っている。民主党政権の官房長官だった故・仙谷由人さんとも親しく、彼の言い出した「コンクリートから人へ」は私のコピーのパクリなのである(と私は思っている)。

そんな訳で私は、政治をちゃんと勉強してはいないが、一見の観客では見られない舞台裏の仕組みや力学を垣間見、政治改革の難しさを身をもって経験しているのだからその辺の銭湯談義のおっちゃんと一緒にしてもらっては困るのである。 (続きを読む…)

歩く民主主義 第2回

2019 年 7 月 16 日 火曜日

第2回 中年サーファー再デビューなるか

村上稔

私は50歳を超えていまだに自分探しをしている。なりたい自分になれていないと感じていて、静かにもがいているのだ。

しかし私の自分探しは、やはり若者のそれとは少し違っている。若者は自分が何をやりたいのか、好きなのかが分からなくて探しているのだろうが、私の自分探しは「自分らしさ」や「やりたいこと」などはだいたい分かっているのだ。

ただそれが積年のゴミの山に埋もれ、どこに行ったのか分からなくなっていて、それを見つけるためには、かなりのパワーで発掘しなければならないのである。つまり、若者の爽やかなそれに比しておじさん(私)の自分探しは、カビや腐臭との格闘といった様相を呈する。

このゴミの山という表現は、もちろん精神を表すメタファーであるのだが、先週の私にとっては「現物」なのであった。 (続きを読む…)

歩く民主主義 第1回

2019 年 6 月 14 日 金曜日

第1回 1945年の彼女たち

村上稔

 
住民投票を実現するために市議会議員になったのが32歳の時だからもう20年になる。住民投票は成立し、私たちは吉野川可動堰(巨大ダム)の建設を中止させることに成功した。

そして8年前に県議への転身を目論んで落選、買い物弱者対策の移動スーパーの仕事を始めた。以来コツコツと台数を増やし、今27台の移動スーパーが徳島県内すべての市町村をカバーしている。

というわけで、住民投票の署名集めから始まり、選挙や買い物弱者のお客さん探しまで、年がら年中、人を訪ねて歩くのが私の仕事なのである。

今でも週に2,3日は住宅地図をつぶしながら、1軒1軒歩いている。そんな日々の中で私は、意図せぬままいつの間にか、「歩き=現場主義」の人になっていた。

何かの問題について考える時、理論や机上ではなく、まずは現場に立ってみるというのが、一番間違いが少ないのではないだろうか。……これが20年間の歩きの中から体得した私の確信のようなものなのである。 (続きを読む…)