歩く民主主義 第2回

2019 年 7 月 16 日 火曜日

第2回 中年サーファー再デビューなるか

村上稔

私は50歳を超えていまだに自分探しをしている。なりたい自分になれていないと感じていて、静かにもがいているのだ。

しかし私の自分探しは、やはり若者のそれとは少し違っている。若者は自分が何をやりたいのか、好きなのかが分からなくて探しているのだろうが、私の自分探しは「自分らしさ」や「やりたいこと」などはだいたい分かっているのだ。

ただそれが積年のゴミの山に埋もれ、どこに行ったのか分からなくなっていて、それを見つけるためには、かなりのパワーで発掘しなければならないのである。つまり、若者の爽やかなそれに比しておじさん(私)の自分探しは、カビや腐臭との格闘といった様相を呈する。

このゴミの山という表現は、もちろん精神を表すメタファーであるのだが、先週の私にとっては「現物」なのであった。 (続きを読む…)

産婆さんを訪ねて 第2回

2019 年 7 月 15 日 月曜日

第2回 軍需景気の町

むらき数子

 

●「おしん」を思い出させる産婆さん

「私は助産院で産ませてもらいました」と言うと、初対面の助産師さんの緊張がほぐれます。茨城県で「東京の青柳助産院で」と続けたら、「もちろん、青柳助産院、知ってます、知らなけりゃモグリですよ」と返ってきたこともあります。

青柳助産院は、東京都23区の最南端、大田区大森北で、1932(昭和7)年から2004(平成16)年まで72年間、入院分娩を扱ってきました。青柳助産院の創始者・青柳かくいさんの人生は、NHK連続テレビ小説「おしん」のモデルではないかと思われるものです(『あさやけ』『紅の花』『きっと、いいお産』)。 (続きを読む…)

日々是好日 第2回

2019 年 7 月 15 日 月曜日

#2 思い出ハイハイ編

林タムタム

 

私の卒業した大学の話をしよう。

(西の)都に出町柳という駅がある。駅を出たとこの柳月堂でパンを買い、東へなだらかに道を進めば、百万遍の交差点に出る。反対側に見える石垣が、京都大学だ。

ここは有名な研究者を結構多く輩出している。白浜に水族館を持っている。今ホームページを見てみたらチンパンジーの子がおやつを食べることを解明していた。かわいいね。

この大学のもう一つかわいいところは「自由の学風」を掲げているところである。この「自由の学風」こそが、この大学を唯一にして孤高、ユニヰクにしてアバンギヤルドたらしめているのだ。 (続きを読む…)

耳にコバン ちょっとためになるボク的ロックンロール通信 第2回

2019 年 7 月 15 日 月曜日

 

第2回 スウェードとコインランドリーへ愛を込めて

コバン・ミヤガワ

 

皆さんは「コインランドリー」という場所を利用したことがあるだろうか。ここ最近なかなか晴れた日に恵まれず、洗濯物を外に干せなかったもので、生まれて初めてコインランドリーを利用してみたのであるが、あの場所はすごい。感動である。今の今までビショビショだったボクの服やパンツやタオルが、たった30分程でカラッカラのフワッフワになるのだから! これまで天気の悪い日には部屋干しという選択肢しか持たなかったボクにとって、あんな素敵な場所はないと思う。 (続きを読む…)

オーラルヒストリー・三輪祐児 父と原発の記憶 第1回

2019 年 7 月 15 日 月曜日

第1回 プロローグ① 引き出しの手紙

木村英昭

6年前のことから書き始める。

2013年8月10日——。東京都心でこの日最高の37.0度を記録した。午後1時過ぎ、東京・西新宿にある新宿中央公園に到着した三輪祐児は汗だくだった。頭に巻いたバンダナはぐっしょりだった。いつものロードバイクの自転車で都心を駆け、自宅から1時間ほど掛けて着いた。

新宿区立区民ギャラリーに入った。リュックからハンディービデオカメラを取り出した。三輪は市民メディアUPLANを主宰している。この日から始まった展示イベント「反原発へのいやがらせの歴史展」に合わせたトークイベントの撮影を依頼されていた。2011年の東日本大震災を契機に、三輪は反原発や平和を求める市民活動を記録する活動に没頭していった。その活動の拠点にしたのがUPLANだ。 (続きを読む…)

産婆さんを訪ねて 第1回

2019 年 6 月 14 日 金曜日

第1回 お産に見るこの国の移り変わり

むらき数子

あなたはどこで生まれましたか? 日本では、1960年から75年の間に、自宅から施設へと出生の場所が大きく変わりました。おおまかにいえば、自宅で生まれた団塊の世代が、施設に入院して産むようになっていたのです。

では、あなたは誰にとりあげてもらいましたか? あなたのお子さんは?

お産の介助をする人を本稿では「産婆さん」と総称しますが、国家資格と無関係に介助した人を「トリアゲバアサン」、明治以降の国家資格を取得した人を「産婆」と呼びます。「産婆」は、1947年に「助産婦」に変わり、2002年以降は「助産師」となっていますが、法的に「保健師助産師看護師法」と「医療法」で認められている職業です。 (続きを読む…)

日々是好日 第1回

2019 年 6 月 14 日 金曜日

第1回 イントロ二本足編

林タムタム

 

人のお金で東京に行った。参議院会館の地下の食堂、めちゃくちゃ種類があって美味しかった。その時出会った某編集者さんのところに無理やり押しかけ、西荻窪を北へ南へ、ご飯をさんざご馳走になり、その人が行くという歌舞伎町の飲み会にまで参加して、このものを書く話をもらったのである。飲み会は出版に関わる人たちの飲み会であった。世の中に文字や思想や文化を生み出そうとする人たちの飲み会。なんて素敵な響きでしょう、飲み会とは言わず宴というべきね。私は出版関係の人間ではない。何かを世に生み出そうとしたことがあるとすれば夏休みの作文と、あとは〇〇〇くらいのものである。正直その場に出版関係ない輩は私だけだった。

話をくださった河野さんと、高尚な話はしていない。いや、話自体そんなにしていない。ピーナッツを何かしらと炒めたあれ美味しいよね。 (続きを読む…)

歩く民主主義 第1回

2019 年 6 月 14 日 金曜日

第1回 1945年の彼女たち

村上稔

 
住民投票を実現するために市議会議員になったのが32歳の時だからもう20年になる。住民投票は成立し、私たちは吉野川可動堰(巨大ダム)の建設を中止させることに成功した。

そして8年前に県議への転身を目論んで落選、買い物弱者対策の移動スーパーの仕事を始めた。以来コツコツと台数を増やし、今27台の移動スーパーが徳島県内すべての市町村をカバーしている。

というわけで、住民投票の署名集めから始まり、選挙や買い物弱者のお客さん探しまで、年がら年中、人を訪ねて歩くのが私の仕事なのである。

今でも週に2,3日は住宅地図をつぶしながら、1軒1軒歩いている。そんな日々の中で私は、意図せぬままいつの間にか、「歩き=現場主義」の人になっていた。

何かの問題について考える時、理論や机上ではなく、まずは現場に立ってみるというのが、一番間違いが少ないのではないだろうか。……これが20年間の歩きの中から体得した私の確信のようなものなのである。 (続きを読む…)

耳にコバン ちょっとためになるボク的ロックンロール通信 第1回

2019 年 6 月 14 日 金曜日

第1回 ブラーの落ちた恋

コバン・ミヤガワ

 

はじまして、コバン・ミヤガワと申します。

ボクはただの音楽好きだ。スマホの音楽アプリで、その時聴きたい音楽を聴きながらブラブラと外を歩き、レコード店で気に入ったCDやレコードやらを買って、家の安いコンポでダラダラと聴き漁る人間である。

ボクなんかが、このようなステキな機会をいただけるとは! 有難さと同時に、果たして務まるのだろうかという不安ウイルスが、全身をムズムズさせる。しかし、任せていただいたからには、全力でボクの愛して止まない音楽を皆さまに伝えさせて欲しい。

このコーナーでは堅苦しいコトは抜きにして、あくまでもボク個人がその音楽をどう考えているのか、ここが好きなんだぁ! という点を大事に、音楽を紹介していきたい。 (続きを読む…)