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『85歳の被爆者 歴史を消さないために』クラウドファンディング ご協力のお願い

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●72年目の長崎原爆の日、狩野美智子さんがブログで思いを語られました。

ブログ「カノミの部屋」をコツコツと続けておられる狩野美智子さんが、
「生きていていいですか」という文章をアップされたので、このサイトをご覧の皆さまにお知らせいたします。
「生きているから証人になれる」という狩野さんの思いを、ぜひ、お読みください。
http://ameblo.jp/kanomi29/entry-12299850273.html?frm_src=favoritemail

●本が出来上がりました

多くの方のクラウド・ファンディングのご協力をいただき、お陰様で本が出来上がりました。
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-2258-3.html

以下に、改めてご協力くださった皆さまのお名前を掲載し、感謝申し上げます。

*本書のクラウド・ファンディングにご協力くださった皆さま
(五十音順、敬称略)
饗場孟呂、秋山哲茂、浅尾節子、浅野泰弘、阿部英俊、新井寿美、荒木正則、安在美佐緒、飯島大介、池田雅之、石井伸介、伊豆野文子、一倉豊彦、市戸麻美子、伊藤公併、伊藤ますみ、茨城美根子、今井敦、今井照容、今井義雄、今城颯、伊良波朝大、岩本妙子、上田由紀、牛田あや美、江上英樹、江波戸千枝子、大内敦、大神明香、大久保佑一、大澤徳一郎、大島三千雄、大杉晟、太田昌宏、大橋輝也、大保睦子、岡田隆夫、岡本みさき、小川智子、小川原健太、荻野雅宏、奥田知典、小山由記、角田洋子、柏倉康弘、片倉宗一郎、加藤輝雄、金子奈美、狩野渉二、狩野美智子、鎌田恭彦、上村篤子、神谷竜介、亀山源太郎、川口秀樹、川尻マサ子、川村麻菜、川本じゅんき、菊池征子、岸浩史、木谷純子、北村雅史、木全由規、切通香奈子、切通理作、黒河内美佳、桑山孝子、児島悦郎、小島紀子、後藤健児、小南靖雄、小林晉、古村卓也、小柳学、酒井かおる、坂田知之、阪田牧子、坂本稔、笹幸恵、佐藤綾子、佐藤一恵、佐藤賢二、佐藤方進、佐藤眞、佐藤光子、澤村雅史、しおざわあきら、志賀雪湖、志田慎太郎、清水大雅、清水義孝、下村秀一、城間彩乃、菅野清美、菅原福江、鈴木開司、鈴木誠、関智一、関祐一郎、大左衛門、高嶋秀紀、高橋敦子、高橋郁子、高橋孝之介、髙橋洋一、高橋慶、高山和治、高山学、瀧田真弓、田尻浩文、伊達順子、田中祐樹、田野辺尚人、千田麻利子、千原茂、茶木美枝、辻和尚、對馬まり、土田雄、鄭貴宏、出口綾子、出澤由美子、土井和代、時浦兼、徳山雅記、としおかたかお、冨永千枝、友田定夫、外山純子、豊田洋次、内藤良太、仲倉重郎、永倉聡、中島鉄郎、永嶋恵美、中野明文、中原誠也、中村卓嗣、中村美都理、成田カイリ、南波克行、西泉、西村久美子、西村拓史、抜水勝彦、野上暁、野口紫、長谷川政俊、蜂須賀健太郎、八本正幸、林博子、番場早苗、日野安晃、一二三隆、平八重智之、昼間賢、深野照子、深水俊英、福田裕彦、福谷衣織、藤田徹、藤田晴子、藤田祐、藤野陽子、藤原立子、太英清、古屋淳二、ほうとうひろし、星島和之、堀内由紀、堀川丈之、本田美樹、前田明徳、前中豊和、牧文代、増野恵、松尾定行、松島史秋、松田佳、松竹伸幸、丸谷嘉彦、丸田祥三、丸山美代子、水柿祐太朗、水町大砲、宮塚真由美、村上真哉、明治理子、本山聡毅、森禎一郎、森彪、森川隆太郎、八代真樹、柳仁志、山口大介、山田有信、山田和子、山田幸司、山田晃之、山田典子、山田太枝、山村良宏、山本隆道、由井美穂、横田淳、吉田浩美、吉永幸一郎、梁永泰、六鹿悟、鷲津恵、渡辺和子、渡会拓哉、藁谷浩一
*このほか、お名前を出さないという方が数名いらっしゃいました。
*なお、本に掲載されなかった方がいらしたことを、お詫び申し上げます。

●『15歳の被爆者 歴史を消さないために』正誤表

本の中に以下の誤植がありました。

誠に申し訳ございません。

2ページ2行目 茨木→茨城
31ページ 註の(1) 五〇歳→六〇歳
40ページ 9行目 最後に「。」抜け
*55ページ 7行目 女学校二年→女学校一年
71・111ページ 「狩野」が連続している箇所あり(両方とも狩野美智子の発言です)。
88ページ 9行目 九月→一〇月
*98ページ  後ろから2行目 あったて→あったって
101ページ 後ろから7行目 がないだろう→ないだろう
117ページ 後ろから10行目 変わらな→変わらない
117ページ 後ろから5行目 心から思っている ※「。」抜け
142ページ 5行目 おばさん→おばあさん
165ページ 7行目 洗たく物→洗たく場
237ページ 後ろから3行目 一九五四年→一九四五年
238ページ 写真キャプション マイネ→マイテ キプスコア→ギプスコア
252ページ 9行目 幼稚園の頃→小学校に入るまで
273ページ l3行目 一〇二→一二
279ページ 後ろから3行目 七年→十年
280ページ 4行目 一九六六~七年→一九六六~八三年
283ページ 後ろから2行目 一九万から二十万→一七万四千八十人(被爆者手帳所持者数)
293ページ 3行目 七万人→七万四千人
295ページ 6行目 重藤さん→重橋さん

●『15歳の被爆者 歴史を消さないために』 訂正箇所-2

38ページから39ページにわたる私の発言部分の中での引用および出典に、間違いがあることがわかりました。出典を取り違えてしまい、御迷惑をおかけした林京子さんと中山士朗さんにお詫びいたします。また、御指摘くださった関千枝子さんに感謝します。

 

2016年10月28日 切通理作

 

 

 

長崎の同じ三菱の大橋工場で被爆した林京子さんが、その体験をもとに書いた小説『祭りの場』には、いま言った流れるような人の群れについて、次のような描写があります。

「負傷者が、顔や手首、背中などから焼け剥がれた皮膚を垂らし、また顔を血で染めていた。これらの集団は、あたかも最初から目的地、そこに向かって走っていたように見えるが、実際には恐怖にかられて走っているだけであった。濁流のすさまじい勢いと似ていた。ただ大勢の中に混じっていれば安心感があった」。

林さんは、母とは爆心地挟んで同じ一・二キロ離れた正反対の工場で被爆されたのですが、母の居た場所でも同様の事態になっていたと思われます。

 

 

広島で被爆した、当時中学一年生だった中山士朗さんは、『天の羊――被爆死した南方特別留学生』で、流れるような人の群れについて、次のような描写をされています。

「負傷者は、顔や手首、背中などから焼け剥がれた皮膚を垂らし、又、顔を血で染めていた。これらの集団は、あたかも最初から目的地があり、そこへ向って走っているように見えたかもしれないが、実際は、恐怖にかられて走っているだけであった。濁流のすさまじい勢いと似ていた。ただ、大勢の中に混じっていれば安心感があった」。

中山さんは、爆心地から一・五キロ離れた場所で被爆されたのですが、長崎で母の居た場所でも似た事態になっていたと考えられます。

 

●おしらせ(2016年6月29日掲載)

本サイトで公募して参りました、クラウドファンディングの募集の、終了時期が決まりました。
2016年7月10日(日)です。

この日までに参加下さった方は、刊行された本にお名前を掲載させて下さればと思います。

10日その日まで受け付けさせて頂きます!

そして、いよいよ本の刊行が近付いております。
8月の10日までに刊行となります。
クラウドファンディング参加の皆様のもとには、郵送にてお届けいたします。

そして、従来告知したものとは、タイトルが一文字だけ変わりました。
『85歳の被爆者~歴史を消さないために』から『15歳の被爆者~歴史を消さないために』へ。

昨年の11月、私・切通理作の本書での対談相手である母・狩野美智子は、86歳になりました。この本が長く読まれていく事を考えたら、いま現在の年齢を題名にするよりも、被爆した時点での年齢にした方がいいのではないかと、だんだん思えてきたというのがひとつあります。

母が被爆したのと同じ、多感な年齢の人たちにも、この本を身近に思ってもらえたら……という事もありました。

母の人生は15歳で変わりました。学校で勉強する事が許されない「学徒動員」中に被爆し、墨塗り教科書すら経験しないまま、戦争と共に学生時代まで「これで終わりです」と突き付けられたのがその年齢だったのです。

「でも勉強したい」「女性は学んじゃいけないの?」という思いから、働きながらお金を貯めて大学を目指し、学問を通し「主権者」としての歴史に目覚めていきました。

そんな母が定時制高校という職場で、「働きながら学ぶ人」たちと出会い、19年間向き合い続けたのは、まさに運命だったのではなかろうかと思います。

核、原爆や戦争といったテーマだけではなく、母という、戦中から戦後を生きた「普通の人間」の「自立」の歴史を知ることで「働くこと」「学ぶこと」の原点を見つめてみたいと思います。

『15歳の被爆者~歴史を消さないために』ぜひ手に取って頂ければ幸いです。
2016年6月29日
切通理作

 

※当プロジェクトは2015年7月25日に呼びかけを開始し、10月25日までという予定で続けてまいりました。

おかげさまで170名を超える人々に賛同頂きました。

この度、呼びかけ期間を延長することにいたしました。

 

※2015年年末まで延期いたしましたが、現時点まで多くの方からご支援のご連絡をいただきました。

そればかりでなく、その方たちからさらに多くの方に呼びかけていただいております。

戦後70年であった2015年を越えても、被爆者からの「歴史を風化させない」呼びかけを

続けていきたいと思います。従って、出版まで、期限を延長することにいたしました。

引き続きのご支援をよろしくお願い申し上げます。

 

『85歳の被爆者 歴史を消さないために』 刊行プロジェクト(2015年7月25日~10月25日)


(期間延長いたしました!→2015年7月25日~12月31日)

(期間延長いたしました!→出版まで)

 

「被爆者が日本から一人もいなくなる日も近い」という思いから、自ら長崎で被爆した85歳の狩野美智子が、
自身でブログを書き、出版費用を一部自費で担っても本を発信したいと希望しました。

それを知った、著述業であり戦後世代(1964年生まれ)である息子の私・切通理作(『宮崎駿の<世界>』『山田洋次の<世界>』等の著書があります)が、
対談相手となって、 戦中戦後を生きた母の思いを聞き出します。

通常の本と違い、先に本の購入資金を、趣旨に賛同する方から頂戴し、
その後刊行するかたちになる本ですが、 そのような方法でも母の本を出したく思い、皆さまにお願いする事になりました。 もし御賛同いただければ、出版を担ってくださる彩流社の特設メールアドレスあてに、 ご購入予約(本の予価2500円に消費税を加え、2700円になります。送料はこちらで負担いたします)下されば幸いです。

(詳細はこのサイトの最後に明記します。)

なにとぞよろしくお願いいたします。

なお、主旨を以下の文章にしたためましたので、御一読くだされば幸いです。

切通理作

 

◎「被爆者が日本から一人もいなくなる日も近い」という思いから、85歳が発信

私は批評家/エッセイストの切通理作と申します。
これから、<被爆者>である私の母親の話をします。

被爆者というのは、ここでは1945年8月6日に広島に、 8月9日には長崎に落とされた原子爆弾によって被爆した人のことをいいます。

広島県広島市が「ヒロシマ」、長崎県長崎市が「ナガサキ」とカタカナ表記される時、 それは「被曝した街」を意味する事が多いと、よく言われます。

私の母・狩野美智子は、1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分に、アメリカ軍が長崎市に原子爆弾を投下した時、
長崎県立長崎高等女学校からの学徒動員で、三菱兵器茂里町工場にて働いていました。

当時、日本中の中高生は「学徒動員」として、学校の勉強をやめて、工場などで働いていたのです。

原爆が落とされた日、母は15歳で、いまの学年の数え方でいえば高1。東京から長崎に転校してきて4ヶ月めでした。

暑く、晴れていた日だったと言います。作業場の塀ごしに長崎製鋼所が見えました。

頻繁に空襲のあった東京と違い、長崎は戦時下にあっても、のどかに感じられました。

澄み渡るような青い空と射し込む日の光。 そして江戸時代から異邦人を受け入れてきた歴史を感じる建造物や街並に、解放感さえおぼえたと言います。

 

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※写真(2番目)は若き日の狩野美智子。上の写真は右から二人目

※下の写真は廃墟となった浦上天主堂(爆心地から500メートル。参堂した主任司祭ほか信徒十数人が全員下敷きになって死亡)

 

しかしその平和な光景は、あの日一変します。


長崎市に潜入したB29は二機で、先動機の一機が落下傘に吊した観測用ゾンデを投下、続いて原爆搭載機が、
僅かに切れた雲の間から長崎製鋼所をみつけ、間髪入れず投下ボタンを押した。 
長崎製鋼所は浦上駅に近い浜口町にある。(林京子著『祭りの場』より)

上の文章は、作家の林京子さんが、1975年(昭和50年)に第73回芥川賞を受賞した小説の一節です。

下から見上げていた人間たちからすれば「晴れ」ていたその日ですが、頭上から原爆を落とそうとしていた側からすれば、町は雲に覆われていたのです。

林京子さんは14歳の時、長崎市大橋町にある三菱兵器大橋工場にやはり学徒動員として働いている最中に被爆しました。
この三菱兵器大橋工場と、母が被爆した三菱兵器茂里町工場は、爆心地を挟んでほぼ同じ距離に位置していました。

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三菱兵器大橋工場は爆心地から1.2㎞、三菱兵器茂里町工場も爆心地から1.2㎞です。 地上地中、たくさんの生物が死滅する特別地域での被曝でした。 そこで運良く助かったのです。

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※上記は爆心地から1.2㎞で被爆した事を示す、母所持の被爆者健康手帳(東京都知事発行)から

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※これは長崎被爆直後の三菱兵機製作所の破壊跡の写真

私は、今から半世紀前の1964年2月、狩野美智子の長男として生まれました。

子どもの時から、折につけ、母から長崎で被爆した話を聞いて育ちました。

しかし、その事について、詳しく具体的なエピソードを、真正面からじっくり聴くという事はありませんでした。

母は、被爆体験を隠していたわけではありませんが、その話はさりげなくするだけです。

私は母が、爆心地から離れた場所で被爆しただけで、間接的な被害だったのではないかと、子ども心に思っていたぐらいです。

しかし母の体験談を改めて聴いてみると、そんな生易しいものではなかったことがわかりました。

母は原爆症で白血球が1300まで下がり「命が危ない」と言われながら、家族に見守られ、休養と栄養を取ることで生きることができたのです。

「私は運がよかったのです。家を失い、親を失った人たちもたくさんいましたが、その人たちの中にはたとえ即死をまぬがれても、命を失った人が多いのです」(母の手記より)

爆心地は長崎の中心地ではなく、むしろ郊外で、三菱の大きな軍需工場が多い所なので、学徒動員の学生の被害者が多かったのです。

「もちろん、学徒だけの犠牲だけではなく、全部の犠牲者に痛みを感じますが、14歳や15歳の子供が学業を捨てさせられ、 工場労働を強いられて、あげくに原爆死というのはあんまりだと思うのです」(母の手記より)

身近にいる私でさえ、詳しく聴いてこなかった事実。それを、いま母は、自分の言葉で伝えようとしています。

「被爆者が日本から一人もいなくなる日も近い」という思いからです。

その声は小さな声かもしれないけれど、日本に居る被爆者からもできることがあるのでは? そう思った母は、82歳になった後の元旦(2012年1月1日)から、インターネットでブログを始めました。

そこで母は、次の四つの話題を主に取り上げる事を決めました。

1.被曝

2.原発

3.いまという時代、国が進行させているもの

4.戦中戦後の人々の暮らし

それから3年経った2015年、NPT(核兵器不拡散条約、核拡散防止条約)再検討会議の初日、岸田文雄外務大臣は、世界の指導者に、
広島・長崎への原子爆弾の投下地を訪れてもらい、核兵器の非人道性を知ってほしいという呼びかけを最終文書に盛り込むよう提案し、最初の草案に記載されました。

しかし、翌日示された第2の草案からは、日本の提案がすっかり削除されてしまいました。

この事態を受けて、日本政府は、文言をもとに戻すよう働きかけるため、杉山晋輔外務審議官を現地に派遣しました。

協議を重ねた結果、「広島・長崎への訪問」という文言の代わりに、「核兵器の被害を受けた人々や地域と交流し、
その体験を共有する」という表現を、最終文書案に反映させることで、なんとか折り合いをつけようとしました。

このように、具体的に広島、長崎を指す言葉が削られ、表現が抽象的にさせられてしまったのは残念ですが、
その分、直接被爆した当事者が、まだ声をあげられる内は、あげておきたいという母の思いは強まりました。

そんな母の思いを、文筆業をしている私もまた、戦後世代の一人として受け止め、さらに未来へと、一冊の本にして届けなければ……と思うようになりました。
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※上は原爆で押しつぶされた長崎大橋町ガスタンク

◎色褪せて行く過去・・・ 被爆者の1人1人に人生があり、想いがある

しかし、母のブログを、ただ本にするというだけでは、それで終わってしまいます。読む人も限られてくるでしょう。
出版社も、読者層が限定されてしまうことを危惧しがちです。

実は母がブログを始めてから最初の二年分を集めた本は、一度出ています。
今回もまた、一度は本にする事も考えましたが、母は「二度までも、老人のブログを本にして、自分の知り合いにだけ買ってもらうのも、申し訳ない」と諦めかけていました。

前にブログを集めた本を出して頂いた彩流社からも、制作費の一部を負担するというかたちでないと、昨今の出版事情では難しいというお返事を頂きました。

そこで私は考えました。私自身が対談相手になって、被曝当日の話から、戦中戦後日本人がどう生きてきたか、 そしてそこから未来につながる何を汲み出していくのかに、真正面から向き合ってみようじゃないか!・・・と。
そして、以下のような項目を考えました。

1. 原爆の日

2. 空襲の日々 戦時下の生活

3. 敗戦の頃

4. 民主主義の時代

5. 教育と学校

6. 再軍備と民主主義の行く末

7. 女性として生きる

8. 老いと生活

9. 被爆の後遺症、そして原発に関する事

これらをテーマに母と対談し、そしてさらに、出版前から、一種のクラウドファンディングとして、関心を持って下さる皆さんと手を携えながら、この本を出していければと。
私と母は、ふたたび彩流社に相談しました。

 

 

彩流社は、世界中の国の歴史や文化、民俗を紹介したり、社会問題を取り扱った書籍を多数出している出版社です。

母は、スペインのバスク民族の人々と交流を持ち、彼らの事を書いた本も、彩流社から出しています。

バスク物語(狩野美智子著、彩流社)
バスクとスペイン内戦(狩野美智子著、彩流社)

そして、被爆体験から戦後を問うという視点では、先述の、2012年から2013年までのブログを集めた本と、 それから母と同世代であり、
広島で被爆したジャーナリストの関千枝子さん(1932年生まれ)との対談集も出しています。
広島・長崎から 戦後民主主義を生きる(関千枝子、狩野美智子著)
長崎の被爆者から見た3・11(狩野美智子著、彩流社)

▼狩野美智子(かのう・みちこ)プロフィール

1929年東京浅草生まれ

東京大空襲をはじめ東京で毎日のように空襲を体験、

その後父の転勤により長崎で学徒勤労動員で三菱兵器茂里町工場に勤務中、原爆に遭う。爆心地から1.2キロだった。

慶応義塾大学史学科西洋史卒業。

都内の中学、定時制高校で社会科教師として28年、

のち文筆、翻訳など執筆して今に至る。

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*著書 『バスク物語』『バスクとスペイン内戦』『長崎の被爆者から見た3・11後』(ともに彩流社)『沖縄を学ぶ』(吾妻書房)『野上弥生子とその時代』(ゆまに書房)

*共著 『広島・長崎からー戦後民主主義を語る』(彩流社)『スペイン讃歌』(春秋社)ほか

*翻訳 アギーレ『バスク大統領亡命記』(三省堂)カストレサナ『もう一つのゲルニカの木』(平凡社)

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かつて母は定時制高校の教師でした。働きながら学校に通う同世代がいる事を、私は母を通して意識しながら成長しました。

母自身「女なんか大学に行くべきじゃない」と当り前に言われた時代に、自費で大学に行きました。

幼い頃は勉強嫌いだったと振り返る母ですが、敗戦後、猛烈に学びたい欲が出てきたと言います。

とりわけ歴史を学び、歴史を生きる人々と交流する事を通して、バスク民族の独立や沖縄の問題に取り組んだ著書を出しています。
両者は、言葉を奪われた過去を持ち、その中から立ちあがってきた人々です。

この日本では、いまや<自由>という言葉も、消費社会の<個人の自由>を意味するだけになってしまったきらいがあります。

しかし個人の自由が、社会における人間の自由を求める心であった時代を知っている母。

しかし母はどちらかといえば「勉強家」タイプで、オピニオン的に何か言うタイプの人間では元々ありませんでした。

主旨に賛同すれば署名運動などにサインする事もありましたが、積極的に呼び掛ける立場になったこともありませんでした。

80代になって、その意識が変化したきっかけはなんでしょうか。
以下に、母の言葉を引用します。

「2011年3月11日、東日本大震災が主として東北太平洋側を襲いました。その中での福島第一原発の四基の原子力発電所の事故、これは巨大な事故で、まだ収束していません。
原爆の被害をうけた唯一の国、日本が、原子力を使った発電所をつくってしまったことに、私は大変ショックをうけました。
どうしてもっと反対しなかったのだろう。危険だと思いつつ、『平和利用ならいいではないか』と、ばくぜんと思っていました。
反対はしましたが、それは真剣さが足りませんでした」(母の手記より)

その言葉は、息子の私にも突き付けられています。

私は母の仕事を遠くから応援しながらも、戦争体験の継承については、母や上の世代任せにしてきたところがあります。

直接戦争の時代を体験していないのですから、それをある意味当たり前にも思っていました。

しかし何もしないでいれば、今後、日本で被爆体験者の声が取り上げられる機会はもっと減るでしょう。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人といわれる死者数。それも次第に、ただのデータ、情報に過ぎなくなっていくのかもしれません。

何万人という死者の1人ずつに、友人がいて、私のような家族がいて、人生があることが、今回の本を通じて伝えられるのではないかと思っています。

もちろん、母だけのことではありません。長崎県立長崎高等女学校からの学徒動員だけをとってみても、多数の証言が出てきています。

本書がこれまでの原爆関係の手記と趣が違うのは、一つ一つの証言と照らし合わせながら、
原爆投下の日に15歳の母がどこに居て、どう行動し、何を見たのか……従来伝わってきにくかった生の姿を、聞き出していく作業がなされている事です。

まるで今日起こったかのように、1945年8月9日を再現します。

そしてそこを起点に始まった戦後の社会がどう変化を遂げていったのか、社会の指導者から見た歴史ではなく、民衆の一人として、
また「教師」や「親」という顔の下にある素顔の等身大の女性として、生きてきた歴史を聞き出します。

被爆や戦災に遭った人間の証言集はあっても、戦争の記憶を抱え持つ家族の親子が世代を超えた対話をするこの本は、ユニークなものになると思います。

私(切通理作)自身は、対談相手としてだけでなく、全体の構成にも関わり、文章も添えさせて頂く予定です。あくまで母メインの本ですが、プロデュース兼共著者と、受け取ってくださればと思います。

本のサイズは、単行本の基準である四六判で、250ページを想定しております。

◎若い世代に、いま届けたい

「あなたの住む時代に、もう被爆者はほとんどいないでしょう。そして、みなさんは、「今日最後の被爆者が亡くなりました」というニュースを、きっとすぐ聞くことになると思います。」

母は、朝日新聞社が行っている、被爆者を対象にしたアンケート調査に応えた文章の中で、上記のように書いています。
被爆100年目に中学生・高校生となる、これからの世代に向けて書かれた文章です。

しかし、被爆100年目といえば、あと30年後です。

その時代に新たな戦争が起こり、若い人たちが被爆者になる可能性が、ないとは言えません。

戦争に直面すれば、穏やかな日常も、簡単に壊れるのです。
母が移り住んだ長崎が、そうであったように。

戦後19年目である1964年に生まれた、戦後世代である私の青春時代は、1980年代でした。

80年代当時の若者は、社会や政治への関心を失い、個人でモノを消費する快楽に溺れながらも、どこか冷めていました。
そんな青春を送った私も、もう50代に差し掛かりました。

いまの若い人たちを見ると、私の時より、直接困っている人達のために働こうという、行動力のある人達が、増えている気がします。

都会の文明だけに踊らされず、生まれ育った地域を大切にしようとする考え方も、ふたたび見直されています。

一方、社会や世の中について考えることに対する、私の世代以上の無力感も伝わってきます。

「上の世代が大声で言い合っていても、世の中マシにならなかった」という諦念もあるのかもしれません。

しかしその結果、いつかは予期せず戦渦に巻き込まれて行くのが若者の「リアル」なのだとしたら?

大切な友人や仲間達が次々に死んでいく喪失感にうちひしがれても、もう前にも後にも引けなくなるのが「未来」なのだとしたら?

日本では、私自身を含め、多くの人が戦争を体験したことがなく、一方で、アニメやゲーム、SF映画などでの、バーチャルな「戦い」は身近なものになっています。

私は、物書きとして、それらサブカルチャーから得たものを、書いてきました。

それらは疑似的な作品空間ですが、実は作者の人生に着目してみると、戦争の時代を経験した彼らの「平和とは何か」「争いとは何か」を考える、
大切な「学び」が、娯楽要素とともに詰まっている事に気付きました。

たとえば『ゴジラ』を作った本多猪四郎監督は、兵士として9年間も戦地に行き、中国からの帰りの列車が通った広島の光景を見た時の戦慄を、放射能で被爆した怪獣の物語に込めたと自ら語っています。

本多猪四郎 無冠の巨匠(切通理作著、洋泉社)

『ウルトラマン』を作った脚本家の金城哲夫や上原正三は、先の大戦で唯一の地上戦となった沖縄で機銃掃射を生き延び、
当時アメリカ領だった沖縄から、勧善懲悪に留まらない、倒されていく者の悲しみや立場の正当性を物語にしています。

怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち 増補新装版(切通理作著、洋泉社)

また、日本を代表するアニメ作家・宮崎駿は、ゼロ戦開発者を描いた引退作『風立ちぬ』に至る作品群で、人間が文明を生み出すという事の罪に向き合い続けてきました。

宮崎駿の<世界>(切通理作著、筑摩書房)

フィクションを通して、彼らが「今」という同じ時代を生きている「実在」する人物であることを、私は感じ取ってきました。

その“お返し”として、フィクションという皮膜に覆われてきた「現実」の持つ意味を捉え直し、そしていまの若い人に届けるのも、私の世代の責務だと思うようになりました。

 

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◎“お返し”は出来あがった本、そして・・・

今回サポーターとしてご支援いただいた皆様への「お返し」について、書かせて頂きます。
この企画は、世に多くあるクラウドファンディング企画のような、たとえば映画製作に関するものでもありませんし、芸能人の方の写真集などでもありません。
活字の本ですから場面写真などもありませんし、母や私のサイン入りブロマイドなどを作っても、喜んでくれる人がいるとも思えません(笑)。

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やはりお返しは、出来あがった本そのものにさせて頂きたく思います。

本の予価に消費税を加えた値段である2700円を一口とします。
送料はこちらで負担いたします。
本は部数がある限り、その後一般でも販売する予定ですが、事前に支援下さった方には、メールで本の内容の進展状況を報告し、完成書籍には分量上収録できなかった原稿を提供。

また母の執筆が続く限り、言論活動を報告し、メッセージを届けます。

出版後に行わる予定のトークショーについてのご連絡も到します。

そしてスペシャルサンクスとして、お名前を本に記させて頂きます。

このクラウドファンディングは、本の完成を見守ってくださる方々に、私たち自身の手で本をお届けするために行うものです。

出来上がる本の企画内容の進展、印刷、初校や再校・・・本が出来上がるまでの過程を同じ時間として共有して頂きながら、本の完成を見守っていただければと思います。

サポーターの方々の事前予約の数が少なかった場合でも、本の出版は必ずいたします。

予定されているトーク・イベントについてですが、台風や自然災害などで当日行えない場合は、順延させて頂きますが、その際はみなさまに改めて期日を御報告いたします。

イベントは著者である母と私のトークショーを中心とさせて頂く予定ですが、母・狩野美智子が80代と高齢なため、万が一、体調不良などにより出演出来なくなることも・・・

考えたくないことですが、リスクとしては想定しなければならないかもしれません。

その場合は、一方の著者である私・切通理作が、被曝と戦争というテーマを語るにふさわしいトークゲストを新たに招聘し、伝えたい精神はそのままに行わせて頂きたく思います。

 

 

このページを最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。皆さんからご支援頂いた貴重なお金をよりよい本を作り上げることに使わせていただきたく存じます。

共に作り上げていきたく思いますので、お気軽にご意見も寄せてくださればと思います。

と同時に、思いを共有する輪を少しでも広げていければと思っております。このプロジェクトを友人や家族の方たちに告げて頂けるだけでも嬉しいです。

なにとぞ、よろしくおねがいいたします。

2015年7月25日 切通理作

●プロフィール
切通理作(きりどおし・りさく)
1964年東京杉並生まれ
狩野美智子の長男。
和光大学人文学部文学科卒業。「民族差別論」を学ぶ。
編集者を経て、文筆業に。
映画、コミック、音楽、文学、社会問題をクロスオーバーした批評活動を行う。
2001年、『宮崎駿の<世界>』でサントリー学芸賞受賞。
著書
『怪獣使いと少年 ウルトラマンの作家たち』『本多猪四郎 無冠の巨匠』(洋泉社)『山田洋次の<世界>』(筑摩書房)『お前がセカイを殺したいなら』(フィルムアート社)『ある朝、セカイは死んでいた』(文藝春秋)『情緒論 セカイをそのまま見るということ』(春秋社)『失恋論』(角川書店)ほか。

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※8月6日、広島に原爆が投下された日の前に、狩野美智子さんからのビデオメッセージ(←ここをクリック)が届きました。

 

 

 

 

 

 

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ご支援くださる方は、hibakusha85@sairyusha.co.jpに、「被爆者85歳購入希望」と書いて、以下を明記の上、メールを送ってください。

メールを受信しましたら、こちらから詳細をお送りします。

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