ワンピースのマンガ学

【著者紹介】

見崎 鉄(みさき てつ)
1965年、長野県生まれ。ライター。
マンガ学の著書に『ドラゴンボールのマンガ学』(彩流社)、歌詞論関係の著書に『阿久悠神話解体』(彩流社)、『Jポップの日本語』(彩流社)、『さだまさしのために』(KKベストセラーズ)、『音楽誌が書かないJポップ批評』(共著、宝島社)。サブカル批評に『ドラゴンボールはいつ終わるか?』(風塵社)、『船井幸雄大研究』『2時間ドラマ大事典』『エヴァンゲリオン完全攻略読本』(以上、共著、三一書房)他がある。

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【巻7】

わかりやすいストーリーに戻っている。部下を二、三人倒してから敵の大将とルフィが戦うというこれまでのパターンである。あのミホークの突然の登場は何だったのかと思うが、ミホークの機能は、ゾロを一旦完膚なきまでに叩きのめし、画面から退場させるということにもあったのだ。この巻からいよいよサンジが活躍をはじめるが、サンジとゾロはキャラがかぶっているので、これまでのゾロではない新たなゾロに作りなおす必要があったのだろう。ゾロの三本の刀のうち二本は折られ、三刀流のゾロは破れた。今後も刀を手に入れて再び三刀流に戻ることは可能だが、それではもうミホークに通用しない。つまり世界一の剣豪になるという目標は達成できないことは明らかなので、ゾロは別の方法を模索する必要がある。三刀流のゾロは海に沈むとともに死に、新たな存在に生まれ変わる必要がある。そしてゾロが不在の間に台頭してきたのがサンジである。
「質問コーナー」(p.46)によれば、サンジの年齢は19歳、「ゾロとタメ」であると解説されている。この巻ではサンジの過去がモチーフの中心になっている。ゾロが出てきたとき、子供のころのエピソードが語られ、それが今のゾロを突き動かしている原動力になっていると説明されていたが、同じように、サンジも子供のころのエピソードが語られ、それがサンジの行動の説明になっているのである。両者とも過去にたいして義理がたく、自分の信念のためには死をも厭わない点も似ている。『ドラゴンボール』では天津飯やピッコロ、ベジータといった悟空の仲間たちの過去はほとんどエピソード化されていないのに、『ONE PIECE』では梁山泊のように来歴が詳しく描かれる。
サンジはゾロと背格好がよく似ているし、雰囲気も顔立ちも似ている。簡単にいえばキャラがかぶっている。これは『水戸黄門』の助さん格さん、あるいは将棋の飛車と角のような冗長的な戦略なのだろうか。ゾロがケガで活躍できないときサンジが活躍する。逆もまたしかり。
ゾロやルフィがおもいきりラフないでたちなのに対し、サンジはネクタイにダブル・スーツというきちんとした格好をしている。ダブルであるところが威圧的で、それに見合うように終始タバコをくわえて不敵さを主張している。タバコは、それを口にくわえていることでお喋りしなくて済むという、ハードボイルドの基本的な記号だ。けれどサンジは無口というわけではない。ゾロが刀を口にくわえたまま喋るようにサンジもタバコをくわえたまま喋るのである。
サンジの顔の特徴は眉尻が唐草模様のように渦を巻いていることだ。これは格好良さをくずすものだが、まるでタバコの煙が眉にかかっているようにも見える。眉というのは口とともに感情が現れやすいパーツであり注目度が高いので、そこがこうした不安定な形になっていることは、読者からの質問コーナーでも「ダサイ」とけなされているように、読み手の共感を拒むものであるかのように見える。一方で、そこで作者がいみじくも答えているように、「人はみんなくるくるによって生きてるんだぞ!!(略)それくらいサンジのマユゲはエネルギーに満ちているという事をよく覚えておけ!!」(p46) 勾玉を組み合わせたような陰陽太極図やあるいは気象衛星から見る台風もそうだが、渦巻きの形は中心から何かがさかんに生まれだしている状態を表している。作者がどのていど真面目に答えたかわからないが、渦巻きが「エネルギーに満ちている」というのはそのとおりだろう。

クリークの手下として鉄壁のパールという珍妙ないでたちの男が登場する。円盤状の盾で体の前後と肘や膝の関節を覆い、両手にも同様の盾を持っている。鋼鉄で全身を防御している点は同じく鋼鉄の鎧を身につけているクリークの系統に属する。クリークも両肩に円形の盾をもっている。だがパールは露出した部分も多く、隙だらけである。図体はデカイが足は細くひ弱。何枚もの盾が重そうで動きも鈍重。その代わり発火により攻撃する。発火の仕組みはよくわからない。強引な設定である。クリークは鉄球を武器に使うなど、防御も攻撃も鋼鉄に頼っている。その部下もまた鉄壁のパールという綽名にあるように鋼鉄に頼っている。身体そのものを鍛錬して防御や攻撃に資するよりは、人体より固いものに安易によりかかっている。
一方、パールと対するサンジの得意技は蹴りだ。ルフィと同じく武器を使わないシンプルな戦い方だが、特殊能力というわけではないので、どこまでそれが通用するか。長い足が極端なパースで描かれる。19頁は靴の裏が半分描かれているが、それが何を描いているのか理解するのに数秒かかるほどだ。
サンジの蹴りについて考えてみる。『ドラゴンボール』は宇宙人との戦いもあったが、それはカンフーのスタイルで描かれていた。亀仙人の弟子になった悟空やクリリンならわかるが、宇宙人のベジータまでもそうなのだ。ところが『ONE PIECE』にはそういう敵味方に共通する戦いのスタイルはない。ルフィの「ゴムゴムの…」は自分の身体の特性にあわせて独自に開発した技なので、類似した身体の使い方をする者は他にいないし、サンジの足蹴りはカンフーでもムエタイでもない。どんな格闘のジャンルでもなく、ケンカのようなものだ。ゾロの三刀流も、刀を使うという点では剣技ではあるが、「鬼斬り」とか「虎狩り」など、ユニークすぎてどんな流儀にもあてはまらない。『ドラゴンボール』では敵も味方もみんな似たような身体技法だったので戦いが噛み合ったし、味方どうしで組み手など修業できたのだが、『ONE PIECE』では共有できる身体技法はなく、個人で技を磨きそれを極めるしかない。
サンジの蹴りはとても気持ちよく見える。それは跳躍したり回転したり倒立したりして身体全体を使ってのびのび動いているからだろう。ルフィの「ゴムゴムの~」の技が手を使った技が中心である。足を使った技もあるが、「ゴムゴムの鞭」(6)は脛でなぎ倒すもの、「ゴムゴムの槍」(36)は足の裏を合わせてつま先で突くもの、「ゴムゴムの戦斧(オノ)」(59)は足で船を壊すというもので、蹴りらしい蹴りではない。「ゴムゴムの~」と名づけられないもので蹴りはいくつかあるけれども、決め技ではない。ルフィが足蹴りを効果的に使っていたらサンジの印象が薄れてしまう。どこの身体部位を印象的に見せるかという技の配分が行われている。
サンジの蹴りは人間業を超えている。腕におぼえのある海賊たちがこう驚いている。
「な…なんて脚力…! あの変な艦(ふね)を蹴り返しやがった…!」(54)
しかしサンジは人間業を超えているといっても悪魔の実を食べたわけではない。通常の人間である。飛び抜けた身体能力を持っているのだ。それはゾロもそうだし、見えないほどの早さで動き回る海賊クロもそうだ。サンジは蹴りがすごいだけだはなく、身体の丈夫さも尋常ではない。サンジはパールとの戦いで死んでいてもおかしくないはずなのに、その後、ギンとかなりの戦いを見せ、しかしここでも鉄球を10発もくらって骨折しているが、たいしたこともなく復活する。サンジは主要人物となるべきキャラなので作者のご都合主義が発揮されてしまうのだ。しかしこのことは結局、読者に次のことを想像させる。どうもルフィのいる世界では、悪魔の実を食べて超人的な能力を持った者(彼らを人間といっていいか迷うところだ)と、普通の人間と、その中間に、超人ではないが普通の人間とは異なる高みに達した者たちがいるようだ。また、箱男ガイモンや、腕が斧と融合している海軍大佐モーガンのように身体能力というより身体そのものが変形してしまったフリークスたちがいる。悪魔の実を食べた者とそうでない者の身体能力は隔絶したものではなく、連続的なスペクトラム構造をしているようだ。

サンジの動きを封じるためにクリークの手下のギンがオーナーのゼフを人質にとる。ゼフを人質にとられたサンジはクリークの手下鉄壁のパールにめちゃくちゃにやられてしまう。鉄板で頭を挟まれたり飛び降りされたりする。サンジはゼフを助けるために手出しせず死のうとしている。これまで、サンジと赫足のゼフとのあいだに何か因縁があるかのようにほのめかされていたが次第に明らかになる。サンジの得意技がゼフと同じく足蹴りであり、お互いを「クソジジイ」「チビナス」と呼び合い、「いつまでもガキ扱いすんじゃねェ!」(56)とサンジが怒るのを見ると、この二人は親子なのかと思えたがそうではなく、他の縁でつながっているのである。
サンジがゼフを命がけで守るのは、子供のときゼフに助けられたからである。ゼフからの贈与にたいして、サンジは贈与で返そうとしている。この巻ではその回想が中心的なモチーフになる。9年前、船が嵐で難破し、海賊のゼフとコック見習いのサンジの二人だけが無人島(岩山)に漂着した。ゼフは少ない食糧を全てサンジに与え、自らの足を切断し、それを食べて生き延びる。人肉食は、古くは武田泰淳の小説「ひかりごけ」、最近なら映画『生きてこそ』(一九九三年)、変わったところでクイズの「ウミガメのスープ」が有名だが、ゼフの場合は人肉食よりさらに過激な自食である。タコは自分の足を食べるし真核細胞も自分の成分を分解して生きている(オートファジー)が、ゼフの場合は究極の自己犠牲であり宮沢賢治の童話『グスコーブドリの伝記』のようである。二人はなんとか生還できたが、片足を失ったゼフは得意の蹴りができなくなり海賊を引退する。ゼフは鼻の下のヒゲが伸びていてその先をかわいらしいリボンで結んでおり、強面の海賊に似つかわしくない。このリボンはゼフのやさしさを象徴しているのだろう。
ゼフは自分の足を切断する前に何とかできなかったのだろうか。二人が漂着した岩山は「ねずみ返し」のように縁が反(そ)っているので、一度降りたら二度と上がってこれない。そのため魚をとりにいけないとされている。二人を飢餓状態に置くための設定である。サンデルの倫理学における「選択の問題」のような思考実験をしているといえる。ゼフが自分の足を切断すると決めた時期は意外に早い。だがその前にゼフはやることがなかったか。二人で協力し綱を作って下へ降りるとか。また吉村昭が書いた『漂流』のように、岩山は渡り鳥の休憩地にもなっているところがあるが、鳥をとって食べることもできただろう(そういう鳥は人を見ても逃げないものだ)。ところがゼフはサンジに一切接触しないように告げて島の反対側に行き、コミュニケーションを遮断してしまうのだ。協力することを最初から断念し、何も話さずに自分で早々に決断したことを黙って実行することが、ここでは男らしいとされている。
ゼフが自分を犠牲にしてまでサンジを助けようとした理由は、サンジに「オールブルー」を探す夢があることを知ったからだ。「オールブルー」とは「四つの海にいる全種類の魚達が住んでる海」(56)で、それを探すのはコックの夢である。だが多くのコックはその存在を信じておらず、探す前に諦めている。ルフィが海賊王に、ゾロが世界一の剣豪に、ナミが村を買い戻すことを夢にしているように、サンジにもまた子供のころからの夢がある。彼らには共通項があるから、仲間に向いている。ゼフとサンジの関係は、シャンクスが子供のルフィを助けようとして片腕を海獣に食いちぎられたことと同型であり、ルフィもそのことを思い出している。(p.123)ゾロもまた、子供のころくいなを亡くした過去がある。くいなの死はゾロの行為と因果関係はないが、あまりに唐突だったのでゾロの心の外傷になっている。彼らはそれぞれ、過去のトラウマと未来の夢という二つの点でつながれた直線を移動しているのだ。
飢えた経験からゼフは海上レストランを夢みている。回想のエピソードは二人の因縁の由来だけでなく、奇妙なレストランの由来をも語っている。海賊のゼフはいろんなものを略奪していたが、何故だか食料は奪わないというポリシーがあった。飢えの経験はゼフと食糧の関係をさらに強固なものにした。
ところでこの長い回想は誰が誰に語ったものなのだろう。サンジが一から十まで語って聞かせたとは思えない。要点はつぶやいたようだが、周囲の者たちはそれですぐに察知してしまったようだ。(ところで、船が遭難する前に、そもそもなぜ子供のサンジがゼフの海賊船に乗っていたのだろうか。回想は途中からなので経緯が不明だ。サンジの両親のことも語られない。サンジにはまだ回想で語られない謎がありそうだ。)
サンジの回想に多少は心を動かされたのか、クリークの手下のギンがゼフを解放し、同時にパールの盾を壊す。ギンは当初三下(さんした)であるかのように思えたが、実は海賊艦隊の戦闘総隊長だった。コックたちも「下っ端(ぱ)じゃなかったのか…」(59)と驚いている。作者は戦闘総隊長として新しいキャラを作るより既存のキャラを活かしたのだろう。ギンはいかにも普通のいでたちで、他の海賊のように歌舞いていない。服装のコードとしてはルフィたちに近い。
ギンは冷徹ゆえに「鬼人(きじん)」と呼ばれているが、サンジにメシの恩があるから殺せなかった。この巻では、第59話のタイトルが「恩」となっているように、恩によってつながった人間関係が描かれている。恩にもいろんな種類があるが、ここでは感じ方の大小によって並べてみよう。

・サンジのゼフに対する恩(自分を犠牲にし食糧を与えてくれた) 最大
・ギンのサンジに対する恩(死にそうなときに食糧をもらった) 大
・ギンのクリークに対する恩(親分への忠義) 中
・クリークのサンジに対する恩(死にそうなときに食糧をもらった) 最小

サンジとゼフ、ギンとサンジの関係は食糧をめぐるものである。サンジはかつてゼフに食糧をもらった。今はギンに食糧を与えた。これは恩を受けた、恩を与えるという鏡像的な関係に置かれていることでもある。また、ギンはサンジに恩を感じるのに、同じ境遇にあったクリークはそれを屁とも思っていない。ギンは、サンジとゼフの関係、及びサンジとクリークの関係をわかりやすく浮かび上がらせるのに一役かっている。

ゼフは足を一本犠牲にした(人生を犠牲にした)ので、サンジが恩を感じても当然だ。しかもゼフは偶然会っただけのいきずりの子供のためにそうしたのである。恩を与えた本人の負担は大きい。一方、食糧を与えるという行為は、受けとるほうの感謝の念は大きいが、与えるほうのコックにとっては負担は小さい。たんにメシを分けただけである。だがサンジの場合は、周囲の反対を押し切って嫌われ者の海賊にそうしたわけだから、相応の恩は感じてもらってよいだろう。ギンのクリークに対する恩は、自分を庇護し取りたててくれる親分への恩で、忠義の源となっている。ギンはクリークとの付き合いは長いはずだが、一瞬親切にしてくれただけのサンジへの恩が、それを上回ってしまう。濃密な関係では人は返報性を期待できるが、たまたま会っただけの人にそれは期待できないのに親切にしてくれるからわずかなことにも恩を感じるのである。

親分子分の忠義を感じるギンは、これまでで最も「仁侠もの」を思わせる登場人物だ。ギンの特徴は目の下の隈(くま)である。初めて登場したときは体力的に弱っていたことを示すために隈が描かれていたのだろうけれど、飯を喰ったあともその隈は消えることなくギンのトレードマークとなって麻薬の中毒患者のような不健康さと不気味さを演出し、海賊というよりヤクザのような雰囲気を醸しだしている。ギンという名前も、たびたび映画にもなっている鉄砲玉の夜桜銀次を彷彿とさせるチンピラふうの名前だ。ギンは結局「妙な情に流されて」(62)、親分の命令にそむくことになる。他方、クリークは、「おれはそういう甘ったれた『義』や『情』なんてモンが、最も嫌いだと常々(つねづね)言ってあるはずだ」(60)と斥ける。そして毒ガス弾のような卑劣な武器を用いても勝とうとする「合理性」がある。クリークは割り切って行動できるが、ギンはクリークへの忠義や、サンジへの一宿一飯の恩などのしがらみがあって、その板挟みになって死ぬことになる。
ギンの武器はトンファーの先にアレイの鉄球をつけたような形をしている。トンファーはカンフー映画などでおなじみの武具で、握りがついた棒である。鉄球という、鉄を使った武器はクリークの一味らしいが、ギンはクリークのような飛び道具は使わないし、パールのように自分を守る防具を身につけていない。そういう意味でギンはクリークの一味であると同時にそこから逸脱する者でもある。ギンはパールの円形の盾をトンファーで破壊する。パールの体を前後に挟んでいる盾は太鼓のようにも見えるが、だとするとギンのトンファーはその太鼓を叩くバチのようだ。二つはセットなのである。ギンの武器がトンファーに選ばれた時点で、パールの盾を壊す行動へと促されていたのである。ギンは冷酷だと言われていたのにサンジを助ける行動にでる。ギンがそういう行動にでるのは、既にパールの盾を破壊したときにその芽があった。
クリークは「ダマし討ちのクリーク」(46)と呼ばれるほど人をあざむいて略奪をはたらく。また、毒ガスを使ったり人質をとるなど卑怯な武器や手口を弄するのが得意だ。クリークはルフィたちに近づかず、自分は安全圏にいて遠くから銃や槍を使って撃つだけだ。クリークの鎧は自分の身を守るためのものである。その上さらに遠距離から敵を寄せ付けないように飛び道具で攻撃してくる。手下が毒ガスで死んでも構わない。自分さえよければ仲間の犠牲をいとわないのは「百計のクロ」もそうであったが、一言でいえば男らしくない海賊である。やっつけられても当然の悪役として描かれている。
メシを食わせてもらった恩にたいする対応の仕方でサンジとクリークは正反対に描かれる。だがサンジもゼフの極端な自己犠牲があったからその恩に報いようと思ったわけで、たんにメシを食わせてもらっただけならそこまで思わなかったかもしれない。その点で両者に極端に差があるように考えるのは違うだろう。むしろギンはたった一度メシをおごってもらっただけのサンジのために死ぬことになるわけだから、ギンよりサンジのほうが義理がたいし、サンジはゼフとギンの二人によって厚く守られたことになる。

このマンガでは「宝さがし」と同時に「仲間あつめ」が主題になっている。結局、「宝」はなかった、けれど「仲間」が「宝」として残ったというオチも短編なら可能だが、60巻以上ともなる長い物語になると、「宝」がマクガフィンというのはありえなくなる。探し求められる「宝」にもそれなりの実質がないと、物語全体を支えきれない。
「仲間あつめ」が主題になるのは、戦後の近代化で崩壊した地域共同体と、その崩壊と入れ替わるように機能してきた会社などの共同体も低成長経済下の終身雇用制の終焉とともに崩壊し、一方で最後の砦である家族もポストモダンの個人主義によって機能不全になりかけている状態にあって、「海賊」という中間共同体にあらたなつながりを見出そうとしているからだろう。
※2012.3.2更新 見崎鉄