ワンピースのマンガ学

【著者紹介】

見崎 鉄(みさき てつ)
1965年、長野県生まれ。ライター。
マンガ学の著書に『ドラゴンボールのマンガ学』(彩流社)、歌詞論関係の著書に『阿久悠神話解体』(彩流社)、『Jポップの日本語』(彩流社)、『さだまさしのために』(KKベストセラーズ)、『音楽誌が書かないJポップ批評』(共著、宝島社)。サブカル批評に『ドラゴンボールはいつ終わるか?』(風塵社)、『船井幸雄大研究』『2時間ドラマ大事典』『エヴァンゲリオン完全攻略読本』(以上、共著、三一書房)他がある。

記事一覧

【巻5】

海賊クロとの決着がつくこの巻では、いくつかの伏線が回収されている。伏線とはいっても事前に伏線として張られたものというより、事後的に見出されたものである。
ウソップの顔は鼻が伸びていることに特徴があり、それはピノキオから来ているものであるのだろうが、第40話では、勇敢な働きをした仲間の子供たちを相手に、「おれはキャプテンとして非常に鼻が高い!」と誉めている。またウソップが「海賊がきたぞーっ!」という嘘をつくことについて、前のほうで、それは海賊になった父親に戻ってきてほしいという願望がこめられたものだと指摘しておいたが、作者も第41話でまったく同じ解釈を示している。ウソップが初登場のとき海を眺めていたのも父親が来ないか見ていたのだと解釈できる。ウソップが嘘をつくようになった起源も語られる。それは病気の母親をなぐさめるためだった。カヤの元に通ったのも、同じく病気のカヤをなぐさめるためだったのだ。また、ゴーイング・メリー号に積んであった大砲を撃つ練習をしているとき、ウソップは飛距離を考慮し優れた命中率をみせたので狙撃手に任命されるが、この技術はパチンコによって培われたものだ。ウソップは狙撃の名手となることで、嘘つきというアイデンティティから狙撃手へと移行できたのである。このように、このマンガではいろんなことに丁寧にオチがつけられていく。オチがつくということは、それぞれのことについて意味があるということである。作者が最初からきっちりとオチを考えて伏線を張っていったかどうかわからない。たぶん違うだろう。というのも、回収されない重要な伏線もまた無数にあるからだ。例えば、クロは海賊の時代からなぜあんなきちんとした身なりをしていたのか(髪をなでつけ、眼鏡をかけていて、そのまま執事として通用している)、ジャンゴのなぜハート型の眼鏡をしているのか、ニャーバン兄弟は似ていないが本当に兄弟なのか、カヤの家はなぜ「場違い」に裕福なのか、他にも無数にあるが、そういったことはわからないままだ。おそらく伏線は後から見出されたものだ。作者もまた自分の作品にたいする読者となって解釈を示しているのである。

キャプテン・クロ(その3)

クロはバギーのように悪魔の実を食べたわけではない。特殊能力をもっているわけではない。その代わりルフィと対等に戦わせるために作者は「猫の爪」をもたせた。また「猫の爪」を有効に使うために「抜き足」ももっている。これは目にもとまらぬ早さで動くために透明人間であるかのように思える。姿が見えないまま斬られるのだからまるで「かまいたち」のようなのだ。その点で、クロは悪魔の実を食べて透明人間になったのと同じ効果がある。「猫の爪」と「抜き足」を組み合わせた技が「杓死(しゃくし)」である。「「抜き足」での無差別攻撃! 速さゆえ本人だって何斬ってるかわかっちゃいねェんだ! 疲れるまで止まらねェんだ!」(38)という。クロは自分でも自分が止められない。自分が何をやっているかわからない状態だ。すごい技だが、制御がきかない技はその点で中途半端な段階にあるといえる。「杓死」によって手下が負傷する。もともとクロは手下どもを最初から殺す計画だった。手下のことはたんなる忠実に動く「コマ」(38)にすぎないと言っている。ここでもまた一人の独裁者に恐怖によって支配されている者たちという構図がある。手下のことを何とも思っていないクロに比べたら、ジャンゴのほうがはるかにリーダーにふさわしい。ジャンゴは催眠術で手下をその気にさせることができる。部下の能力を最大限発揮させるのはリーダーに不可欠の技量だ。
クロの技は地味である。「ゴムゴムの槍」も「銃」も通用しなかったが、動きを見切られるたルフィにしがみつかれて、得意の動きを封じられてしまい、簡単に倒される。バギーのほうが技にひねりがあったが、クロは人間の延長でしかなかったのでそれほど人間ばなれしたことはできず、技に広がりがだせなかった。それに、クロにはどこか疲れた雰囲気がある。クロは「暴れることしか頭にねェてめェらバカどもを考慮して計画を練る」ことに「疲れた」(37)と言う。クロの眼鏡は頭脳労働のインテリの象徴なのだが、もともと海賊に向かないタイプで無理があったのだ。クロの場合は「考えること」も武器のひとつなので、それにふさわしい身なりをしているといえる。ルフィがクロを許せないもうひとつの理由はクロが早々に海賊稼業をあきらめたことにもある。ルフィは「野望」に「けいかく」(37)のルビをふる。クロの計画はたかだか3年計画で村の富豪の財産を乗っ取ることだが、ルフィのそれは海賊王になることだ。ウソップもまた「野望」にこだわる。彼は手下の3人の子供たちを集めて「お前らの野望は何だ!」(40)と聞いている。彼らはかりにもウソップ海賊団なのに、誰も「海賊になること」とは言わずに、酒場の経営、大工の棟梁、小説家といった現実的なものばかりだ。これは彼らがウソップに感化されず平凡な村人になることを示している。ウソップの存在はつかの間の撹乱にすぎなかった。
ジャンゴの能力は催眠術であって魔術で人を操るのではない。チャクラムも普通の武器である。木を切り倒すがそれ以上特別な使い方をされるわけではない。曲芸師のような突飛な技はない。格好は奇抜だが、見かけ程ではない。子供相手に手こずるほどだ。クロもまた超人的な動きをするが、人間の延長である。悪魔の実を食べた者たちのように一線を超えることはない。ジャンゴもクロも魔術的といっていい能力をもっているのだが、マンガの中では合理的な理屈で説明できる能力である。
バギーとクロのエピソードはよく似た構造をしている。海賊に狙われている町(村)へルフィたちがやってきて、そこで集団から孤立した者(町長、ウソップ)と出会い、彼らの心意気に惚れて、彼らが守るものをともに守るようになる。住民たちの誰も知らないところで海賊との激しい戦いが行われる。真実を知る者はわずかな者のみ。戦いは海賊の頭領を倒すことで決着がつく。それは同時に頭領の暴力によって支配されていた手下どもの解放でもある。海の彼方からやってきたルフィは、戦いが済むとまた海の彼方にさってゆく。それは来訪神のようだ。
バギーの造形が凝っていたせいか、クロはシンプルな見かけに描かれる。海賊らしく歌舞いた格好ではなく、スーツに眼鏡という普通の身なりだ。技も、バギーのところでは大砲が目立ったが、クロのエピソードでは、クロもジャンゴもニャーバン兄弟も斬ることが中心になっている。作者もバギーはお気に入りらしく、その後も扉ページでバギーの後日譚が延々と掲載される。

ルフィ

ルフィの特殊能力は体がゴムのように伸びることだ。だが大きな岩石を持ち上げたルフィを見てクロは「ただ伸びるってだけでもなさそうだな」と言い、ルフィは「そうさ鍛えてあるからな!」(38)と返している。このルフィの馬鹿力はたんに「鍛えてある」だけでは済まないだろう。ルフィはゴムのように伸びる以外にも普通でない能力を持っているのだ。じっさい、ゴム人間の能力としてはすべてクロに通用しなかった。クロは普通の人間だ。この先もっと強力な相手が出てくれば、「ゴムゴムのナントカ」は通用しなくなる。ルフィの本質はゴム人間であるということはどこまで押し通せるのだろうか。もっと隠された秘密が必要になりそうだ。巻4のところで、チャクラムが頭に刺さっても平気なルフィをジャンゴも驚いていた。チャクラムは木を何本も切り倒すほどの威力があるのだ。ゴム人間といえど刃物には弱いはずだが、ルフィは平気である。
ルフィは海賊を名のるが海賊らしいことはまだ何もしていない。つまり略奪はまだしていないのだ。しいていえばナミが他の海賊の宝を盗んでいるが、それは海賊的略奪行為というよりたんなる泥棒である。にもかかわらずルフィは海賊旗を掲げ、帆にドクロマークを描き海賊の記号に囲まれただけで海賊になったつもりでいる。ウソップは砲手に任命される。次に必要とされるのはコックだ。海賊的な略奪行為を必要としないルフィは、海賊のかたちを整えることで海賊になろうとするのである。

カヤとウソップ

村で「場違い」なほどの富豪のお嬢様カヤは、両親を病気で亡くしてからというもの、自身も病気で臥せっていたが、海賊との争いに巻き込まれたあと、元気に外に出られるようになった。「ここ1年の私の病気は、両親を失った精神的な気落ちが原因だった」(41)という。病気の原因が精神的なものだったのなら、信じていた執事クラハドールに裏切られて余計に病気が重くなるはずなのに、そうはならずに回復してしまうのだ。なぜか。それはカヤとウソップが一体のものだからである。ウソップが島を出るようにカヤも屋敷の外に出るのだ。ウソップのエピソードは、閉じこもっていた者がそこから外に出るということがモチーフになっている。それが可能になるのは日常の反復継続ではおこりえない。ルフィがその触媒になるのだ。カヤが心の病であるように、ウソップも父親不在による心の病のため嘘をついていたのである。
これまでウソップはルフィにもクロにも似ていると書いた。ルフィとしてのウソップは悪しき海賊を村から追い出す役割をする。クロとしてのウソップは共同体の異分子(カヤの屋敷でのクロ(クラハドール)、村のなかでのウソップ)として外部へ排除される。そしてカヤとしてのウソップもまた内から外へ出て行くという構図は同じだ。ウソップにはいくつものキャラが重層的に集約されているのだ。
ウソップ海賊団には3人の子供のメンバーがいる。6歳くらいにしか見えないが、第40話で「5年前! お前らがまだ4歳だった頃に結成した」とあるから、子供たちは9歳なのである。3人はカヤを守るなど活躍をするのだが、彼らの存在意義はどういうところにあるのか。それはウソップを一人にしないということだ。ウソップは一人だとたんなる嘘つきの変人でしかない。しかしその嘘を共有してくれる仲間がいることで、村から完全につまはじきされることなく、その周縁にとどまってやってこれたのだ。海賊団という共同体をつくって理解者を確保していることがウソップが脱社会化せずにいるためにとても重要なのだ。ウソップは村の子供をとおして村にかかわっており、この村が好きなままでいて、海賊から守ろうとしたのである。
ルフィがシャンクスに憧れて海賊になろうとするように、ウソップも父親を慕って海賊になろうとする。海賊になった父親は待っていても村に戻ってこなかった。ウソップはもう「海賊がきたぞ」と嘘をつかなくていい。自分が海賊になって父に会いにいくからだ。ウソップも村には居場所がない。嘘つきで食べていけるわけではないのだ。ウソップの場合海賊というのは、故郷の地を離れて漂泊するための手段である。ウソップは旅に出るにあたって家のなかの一切合切を大きな荷物にまとめる。ここには戻る気はないという意思が明確だ。マンガでは滑稽なほど大きな荷物であることが強調されている。その大きな荷物は、そこからガマ口に移されて、ドラえもんのポケットのようにいろんなものが出てくる根拠になるだろう。

ヨサクとジョニー

『ONE PIECE』は海賊の物語だとはいえ、これまでの事件はほとんど陸で起こっていた。船は事件がおこる場所である陸と陸をつなぐたんなる移動手段にすぎなかった。しかしこの巻では船上が舞台になる。
この巻で不思議な登場人物はヨサクとジョニーの二人組である。彼らはゾロのことをアニキと慕う賞金稼ぎであり、大柄で似たような体格と雰囲気をしている。彼らはなぜかルフィの船ゴーイング・メリー号に乗り込んでいた。彼らは見た目は怖いがたいして強くない。今後、どういう役回りを与えられるのか予想できない。とりあえずこの巻ではヨサクが「現実」を物語の中にもちこんでいる。ヨサクは歯が脱落し、古傷が開いて出血するという死ぬ寸前だった。ナミはそれを「一昔前までは航海につきものの絶望的な病気だった」壊血病と判断し、ライム果汁を飲ませる(42)。症状といい治療法といい現実の壊血病と同じなのだが、ゴム人間という非現実性と壊血病というそこだけリアルな事象が同居しているという奇妙な事態になっている。ウィキペディアの「壊血病」の項目には、「16世紀から18世紀の大航海時代には、この病気の原因が分からなかったため、海賊以上に恐れられた。」と書かれているのが面白い。だとすればルフィたちはここで海賊とひそかに戦ったようなものなのだ。
ゴム人間というバカバカしいまでの虚構と壊血病患者というその一点だけのリアルの同居は、実はもうひとつある。ルフィは自分が生まれた村を小さなボートで出発したが、渦に飲まれてそのボートを失い、樽に入って難を逃れた。女海賊アルビダから帆がひとつついた船を手に入れ、その後、バギーが持っていたもう少し大振りの船を手に入れ2艘になった。そして今回、2本のマストを持つさらに大きなキャラヴェル船を貰ったのである。このように船の規模をだんだん大きくしてきたわけだが、このキャラヴェル船というのはマンガの傍注に「こっちの世界でいう15世紀に造られた帆船」(41)である。「こっちの世界」というのは私たちが生きているこの世界のことだが、つまりそこだけ現実とリンクしているということだ。壊血病もまた「こっちの世界」の病気である。ルフィの世界の地球は私たちの住む地球とはかなり異なる地理をしている別の地球なのであるが、私たちとよく似ている部分があるし、一部の出来事は共有してさえいるのである。ゴム人間というありえない想定も、その世界の設定は野方図なものではなく、現実に想定されるものの制約を受けているのである。
ジョニーは細身のサングラスをし、左の頬に漢字で大きく「海」と書いた入れ墨(と思われる)がある。ヨサクは鉢巻きだかヘッドギアだかわからぬものをつけて、いつも煙草をふかしている。煙草の小道具については、続く海上レストランの副料理長サンジもそうである。ヨサクといいサンジといい日本風の名前が続く。

海上レストラン

ルフィが船にはコックが欲しいという。コックというのは唐突な気がするが、実はすでに第8話でコックと音楽家が仲間に欲しいと言っているのだ。また、ヨサクの壊血病も、船での食事の重要性を教える前振りになっていた。そんなわけで、コックを求めて海上レストランへ向かう。 そこには「鷹の目の男」が現れたことがあるとジョニーが言い、ゾロはそれに反応する。いかにも思わせぶりだ。また、海賊相手の賞金稼ぎであるジョニーが持っていた指名手配写真の一枚を見たナミがただならぬ反応をする。因縁がありそうだ。ここにも思わせぶりがある。これでなぜレストランに向かうのかがわかる。そこにはいろんな人が集まるからだろう。
海上レストランには海軍の船も来ていた。メリケンサックをした大尉の「鉄拳のフルボディ」にヨサクとジョニーが挑むがたった1コマでやられてしまう。この二人は賑やかしにしかならなようだ。作者はなぜ登場させたのだろう。次の敵はこの海軍大尉だろうか。海軍が撃ってきた大砲をルフィが跳ね返すが逸れてレストランに命中してしまい、そのお詫びにルフィはレストランで働くことになる。一方、レストランで、大尉と副料理長のサンジが揉めごとを起こし、大尉はこれまた1コマでやられてしまう。せっかく登場した大尉だがあっさり退場しそうだ。このあとコックどうしのドタバタが続く。海軍だろうが海賊だろうが殴り掛かっていく荒くれのコックどもだ。船上の強いコックといえば、スティーブン・セガールが『沈黙の戦艦』(一九九二年)で演じた元海軍特殊部隊員のコックがいる。強いのにそれを表に出さずにコックをしているという韜晦ぶりはワケありのニヒリストといった感じだ。サンジもいつも煙草をはすにくわえ、斜に構えたニヒリストといった風情だが、しばしば激昂する。一般的に、煙草をくわえるというのは、しゃべらなくても間を持たせるように寡黙なタイプのキャラ造形に向いているが、ゾロが刀をくわえていてもしゃべるように、サンジもまた煙草をくわえていることは話すことの障害にならない。ただ、「煙草をくわえること=口を開かないこと」という一般的に形成されているイメージは受け継いでいる。サンジは第43話のタイトルが「サンジ登場」とあるように、今後仲間となるべき重要人物だということが予想される。だがサンジはどこかゾロに似ている。前髪で片目が隠れ、眉が唐草模様のようにカールしていたり、いつも煙草をふかしているなど差別化しているが、それ以外の顔立ちや背格好が似ているのだ。髪型は違うが髪の色は(マンガでは)白い。
サンジの他にも、オーナーのゼフやコックのパティなど、登場人物が一気に増える。しかも、ヨサクやジョニー、海軍大尉のフルボディなど、意味ありげに出てくるのに力がないためすぐ脇役になってしまう人物ばかりで、作者がいったい物語をどう展開したいのかわからない。

表現

このマンガの登場人物が元気よく見えるひとつの理由は歯である。歯を見せることが多いのだが、歯は顔の大きさに比べて大げさに描かれ、くいしばったり、あるいは口を大きく開けたときなどは奥歯まで健康そうなものとして描かれる。
このマンガは、びっくりすると目が飛び出たり、怒ると目がつりあがり(場合によっては黒目がなくなります)歯が牙になるといったギャグマンガの表現が随所に見られる。(例、巻3、p140)。このマンガではまた口が特に大きく描かれるが、ギャクマンガのような大きな口といい飛び出る目玉といい、また巻2のところでもふれた魚眼レンズ的な構図といい、大げさな表現が特徴的である。
このマンガはバトルシーンもありシリアスな展開も見られるのにギャグマンガの表現をてばなせないのはなぜだろうか。その理由のひとつにルフィがゴム人間であるということがある。体がゴムのように伸びるのは普通に考えると気持ち悪い。「ゴムゴムの鐘」は首がろくろ首のように長く伸びるのだが、それを劇画調で描けば不気味である。バラバラ人間のバギーもただグロテスクなものにしかならない。そこでギャグマンガふうな雰囲気が必要なのだ。ギャグマンガ的表現というのはマンガ的な記号表現を極端にしたものだ。びっくりすると目玉が飛び出るが、それは悪魔の実を食べたからではない。たんにマンガ的な表現なのである。そういう表現にかこまれているから、体が伸びるということもマンガ的な表現との境界が曖昧なものとして受容されるのである。
※2011.11.4更新 見崎鉄