ワンピースのマンガ学

【著者紹介】

見崎 鉄(みさき てつ)
1965年、長野県生まれ。ライター。
マンガ学の著書に『ドラゴンボールのマンガ学』(彩流社)、歌詞論関係の著書に『阿久悠神話解体』(彩流社)、『Jポップの日本語』(彩流社)、『さだまさしのために』(KKベストセラーズ)、『音楽誌が書かないJポップ批評』(共著、宝島社)。サブカル批評に『ドラゴンボールはいつ終わるか?』(風塵社)、『船井幸雄大研究』『2時間ドラマ大事典』『エヴァンゲリオン完全攻略読本』(以上、共著、三一書房)他がある。

記事一覧

【巻4】

ウソップ(その2)

執事クラハドールの正体を知ったウソップは、海賊が攻めてくると本当のことを言ったが、誰にも信じてもらえなかった。そのため村人たちに知られないように海賊を退治しようとする。「おれはこの海岸で海賊どもを迎え撃ち! この一件をウソにする! それがウソつきとして! おれの通すべき筋ってもんだ!」(27)と決意する。『ONE PIECE』にはこういう、ちょっと気のきいたセリフがときどき入っている。それがほとんど「名言」のない『ドラゴンボール』とは違うところだし、これだけ広い読者を集めているゆえんだろう。またこうしたセリフは『ガンダム』の「名言」のようにヒネったものでもない。ベタでストレートである。しかし心意気が感じられる。セリフは『ONE PIECE』のキャラクターの人気の大きな部分を占めるのではないか。このマンガは全般的にセリフがよく考えられている。作者は小説家になってもそこそこのものを書くであろうことを思わせる。
ウソップの嘘に話を戻すと、巻3のところで、「嘘が本当になる」と書いたが、巻4では「本当が嘘になる」のである。ウソップは「嘘つき」というアイデンティティを保持しつつ、同時に「嘘つき」であることのけじめをつけようとするのだ。そのけじめの付け方は海賊と戦って死ぬかもしれないという代償である。しかしウソップはそうした試練をくぐりぬけることで負のアイデンティティを清算し、ルフィの仲間になることができるのである。
巻3のところでウソップがいつも肩から下げているガマ口(ぐち)が大きいので、中に何が入っているか気になると書いておいたが、巻4でその中味が明かされる。鉛玉を飛ばす強力なパチンコが入っていた。パチンコはゴムを使う飛び道具であることからわかるように、パチンコはウソップにとってルフィの「ゴムゴムの銃(ピストル)」である。ルフィはいつも手ぶらで戦うが、ウソップのような普通の人間には何か武器が必要なのだ。そのウソップのガマ口はパチンコと玉を入れるだけにしては大きすぎる。そう思っていたら、海賊との戦いでガマ口を「ゴソゴソ」さぐって「まきびし」をたくさん出したて。ドラえもんのポケットのように、たぶんこの先も状況にあった秘密兵器が出てくるのだろう。ウソップのバッグは特殊能力の代わりなのだ。

キャプテン・クロ(その2)

キャプテン・クロのクロとはクロネコのことだった。海賊船の舳先にも黒猫のデザインが付いている。これまでの海賊はシャンクス、バギー、アルビダなど洋風だったが、クロネコは日本語である。またその固有名が外見と一致している。「赤髪のシャンクス」や「道化のバギー」の場合は、名前の前に外見を表すニックネームがつけられていたが、クロの場合は「黒猫のナントカ」ではなく「ナントカのクロネコ」なのである(これは巻5では「百計のクロ」であるとされている)。クロの武器は猫のような長い爪である。映画『シザーハンズ』の主人公のように両手指の先が長い刃物になっている。その手下もやニャーバン兄弟など、猫にかかわる扮装である。
クロの目的はわかりにくい。海賊という海軍に追われるような生き方をやめて、平穏な暮しをしたいという。そのために富豪の財産を乗っ取る必要がある。財産といっても海賊が求めるような金銀財宝ではなく、その多くは土地や家屋敷といった不動産であろう。それを手に入れるということは、その土地に住まねばならないということだ。海の上を漂泊する生活から陸に定住する生活に変化しなければならない。クロは乗っ取り計画に三年を費やす。忠実な執事としてふるまい、両親をなくし孤独なお嬢様を油断させ遺書を書かせた後で手下の海賊に襲わせて殺す。同時に、一連の出来事が不自然に見えないように村に溶け込む。そして「ここで3年をかけて培った村人からの信頼はすでに、なんとも笑えて居心地がいいものになった」(34)と述懐する。クロは村を支配したいのではなく、村人と仲良くやっていきたいようだ。クロは正体を隠し仮面をかぶっていたのだが、いつかその仮面が本当になってしまっていたのである。仮面(嘘)がいつのまにか素顔(本当)と逆転してしまった。
作者はなぜクロを執事にしたのだろうか。普通はお嬢様であるカヤの恋人にでもするはずだ。恋人なら結婚してカヤの財産も問題なく相続できる。カヤを殺すならそのあとでもいい。深窓のお嬢様が流れ者に恋をする物語はいくらでもある。お嬢様が遺書で執事に財産を譲るというのも飛躍がある。そもそも正体がよくわからない者を執事にとりたてるものだろうか。その家のしきたりなどルールも知らないはず。せいぜい使用人どまりだ。カヤの両親はふらっと村に現れたクロを、カヤの話し相手として雇ったのかもしれない。
クロが執事なのは問わないとして、カヤがクロに信頼以上の恋愛心を寄せているようになったということであれば、のちにそれが結婚につながり相続も問題ない。カヤがクロに眼鏡をプレゼントするというくだりがあるので、淡い恋心のようなものはあったのかもしれない。そうであれば、クロはかつての仲間の海賊の力を借りなくても財産を乗っ取ることができただろう。しかしクロとカヤが恋愛関係にあると困る人物がいる。ウソップだ。家に閉じこもって一人きりのカヤはウソップが話すとほうもないウソに夢を見ていた。しかし恋人がいれば恋人が幻想を見せてくれるのでウソップは必要なくなってしまう。つまりカヤとクロが恋人になってしまうと、擬似的な恋愛関係にあるウソップが物語上、入り込む余地がなくなってしまう。だからクロはカヤに対して執事という大人の立場に立つにとどまる。だがここには微妙な三角関係があるらしいこともたしかだ。
巻3のところで、このマンガは、名は体を表すという名詮自性の論理で描かれていると書いた。では執事らしい執事の姿とはどういうものだろうか。それはいっけん、黒づくめの正装をし頭髪をオールバックになでつけたクラハドール(クロ)の姿がそれであるかのように見える。しかし子供たちが「執事」を「羊」と聞き間違えたように(第25話)、このマンガの中では、執事の正しい名詮自性の姿は「羊」として描かれるのである。その正解の姿がもう一人の執事である。彼は羊そっくりの顔をしている。クロにより瀕死の重傷を負わされる。カヤが倒れている彼を見つけて「メリーッ!」とその名を叫んだとき、「プッ」と吹いた読者は少なくないだろう(第31話)。実はこのメリーは既に第24話で1カットだけその姿を見せている。作者は用意周到にも執事の正しい姿は羊であることを読者に示していたのである。その正しい執事の姿に比べると、クラハドール(クロ)はいっけん執事らしい格好をしてはいるが、本当の執事の役をはたしていないことをその姿によって明らかにしていたのだ。クラハドールのスーツにはウンコのような模様が描かれている(作者は読者からの質問に、それはウンコだと答えている(巻4、110頁)。つまりクラハドールは執事のふりをしているが、そんなものはクソだとその姿で伝えているのである。

催眠術のジャンゴ

クロが船を降りているあいだ新たに船長になったのがジャンゴである。だがマヌケな感じのジャンゴは船長などという器なのだろうか。ジャンゴの催眠術は意外な使われ方をする。手下どもに「傷は完全回復し! だんだんだんだん強くなる!」(30)という暗示をかけると、本当に人間以上の馬鹿力を発揮するようになるのだ。ジャンゴの催眠術は魔術ではない。しかしそれは魔術のような効果をもっている。船長の資質は部下を操り指揮する能力だとすれば、ジャンゴは催眠術という操作能力をもっていることになる。それは船長としては過剰な操作能力だともいえるが、部下からすれば、自分の能力以上のものを引き出してくれるすぐれたリーダーということになる。
ジャンゴは登場したときこそマヌケな役だったが、次第に船長らしくなってくる。ジャンゴはウソップの俺には一億人の部下がいるという嘘に簡単にだまされてしまい、手下に「なんて信じやすい人だ…!」(29)と呆れられている。その信じやすさは、ジャンゴが自分の催眠術に自分がかかってしまうというということに代表される。しかしその欠点は第30話で克服される。「ワン・ツー・ジャンゴ」で催眠術にかけるのだが、最後に帽子のツバで「さっ!」と目を隠すのだ。もともとジャンゴはきどって帽子に手をあてる癖があったのだが、それが伏線としてここで見出されている。
一方、ルフィも簡単に催眠術にかかってしまう。ナミは「なんて単純な奴なの、人の催眠にかかるなんて」(30)と言っている。作者は、読者からの、ルフィはどうしてあんなに緊張感がないのかという質問に対し、「ばかだから」と答えている。実はマンガのヒーローというのは強いけれど頭が悪いという設定が多い。『ドラゴンボール』の悟空もそうだし、『ろくでなしブルース』の大尊もそう。『ONE PIECE』のルフィも簡単に催眠術にかかるなど「単純さ」が強調される。三年越しの長期計画をたてる海賊クロとは対照的だ。ルフィが単純だということは人を騙せないということだ。逆に鉄人28号と同じように、他人に操られることがある。それは良い意味では利己的な理由では動かないということでもある。強大な力を自分のために使わない。ルフィは理屈ではなく情で動く。このマンガに特徴的なセリフの一つに「おれはお前が好きだ/嫌いだ」というものがある。好きなもののために動く。善か悪か、正しか間違いかではない。ウソップは「おれはこの村が大好きだ! みんなを守りたい…!」(27)と言い、それを聞いたルフィらはウソップを好きになり加勢するようになる。これまではルフィが信じたものがたまたま読者も共感できるような正しさのあるものだからよかった。しかしルフィがへんなものを好きになったらどうなるのか。実はそうはならない。それがルフィは「ばか」だからという設定だ。「ばか」だから人の自然な情理に沿ったものしか受け入れない。多くの人が共感するものから大きく逸れることがない。ところが理屈で動くと、ちょっとした論理の違いが大きなズレを生んでしまう。例えば『デスノート』では頭脳明晰な主人公が世の中をよくしたいと思い人を殺す。だがルフィは世の中をよくしたいとも思っていない。そもそも全員が共有できる善なるものを探すのは難しい。だからその場その場で好きなもののために動くしかないのだ。
NHKの『クローズアップ現代』で『ONE PIECE』が特集されたことがある(二〇一一年二月九日放送)。未見だが、番組情報によると、マンガの登場人物たちの「強い絆」に焦点があてられているらしい。NHKのことだから、無縁社会を生んだ現代社会の孤立した人々のありようが理想を求めてヒットしたとか、絆の大切さが参考になるとかいった解説をしたのではないだろうか。ルフィが仲間を大切にしているのは確かだ。問題はルフィは誰も彼もを仲間とみなしているわけではないということだ。ルフィが「好き」になった者はしつこく仲間に勧誘し、そうでない者は去り行くにまかせ、さらに「嫌い」な者はやっつける。仲間は大切にし守るが、仲間とみなさない者にはたいして気をつかっていない。ルフィは海賊に襲われた町に来ても、そこを逃げた住民たちのために戦うわけではない。残って侠気を見せる一人のために戦うのだ。ルフィが「好き」になる条件はかなりハードルが高い。よほど勇敢でなければ気に入られない。このマンガを「仲間との絆を大切にする」という観点から読んで感動するのは結構だが、それは非常に狭い仲間のことでしかなく、仲間には強い勇気や潔さや相互の信頼といった高い仁義立てが求められていることを忘れてはならない。
ルフィは仲間たちと行動をともにしているが、彼らの目的は一致していない。例えば、ルフィやゾロはウソップとともに村を守るために戦うのだが、ナミは宝のために戦うと方向性が違う。ルフィは「結果オーライ それがお前だ!」(34)とナミを認めている。ナミはちょうど『ルパン三世』の峰不二子みたいな感じでルフィたちと行動をともにしているのだ。海賊になりたいルフィが盗賊であるルパンだとすれば、ゾロは石川五右衛門、パチンコを飛ばすウソップは拳銃の名手である次元大介だ。

ルフィ

この巻ではルフィの謎が指摘されている。ゴム人間だから崖から落ちても船の下敷きになっても体が柔らかいから死なないという理屈はとおる。しかし一方で刃物で斬られることに対しては弱いとされていた。しかしジャンゴのチャクラム(円盤状のナイフ)が頭部に刺さってもなんともないのだ。ジャンゴはルフィがゴム人間であることを認めたうえでこう言う。「だがおれのチャクラムをくらって立ってられるのはどういう理屈だ!?」(35)。ルフィにはまだ謎がありそうである。

ゾロ

ゾロの三刀流はよくわからなくなってきた。三本目は口にくわえているから可動域が狭く防御にしか役立たない。しかも刃は片側を向いているから体の片方の側面しか守れない。しかもそちら側の手の動きを肩以上に動かすのに妨げになるし、刀がからまりあってしまう。防御力が低い割に攻撃力の妨げになる。まったく合理的ではない。モーガン率いる海軍のときはそれでも一度に大勢がかかってきたから防御になっていたが、曲芸のカバジやニャーバン兄弟のような少数の相手と戦うときは二刀流で十分だろう。にもかかわらずゾロが三刀流にこだわるのは、もちろん幼なじみのくいなの思い出のためである。くいなと一緒に世界一の剣豪になるためだ。ゾロにくいなが憑依しているから強くなっているともいえる。ジャンゴの催眠術のようなものだ。ゾロは自己催眠をかけているのである。また、三刀流くらい過剰でないとルフィについていけないからだ。
ゾロには「鬼斬り」とか「虎狩り」といった決め技がある。技の名前は違うが、そこで何が起きているかは、コマの途中を省略する描き方をする作者ゆえによくわからないのだ。名前から想像するしかない。

小道具

海賊クロのエピソードでは眼鏡がよく使われている。クラハドール(クロ)にはメガネをくいくいともちあげる癖がある。それはたんなるキャラを立てるためのもので行為自体に意味はないと思っていたが、あとでたびたび言及されることになる。お嬢様はクラハドールの眼鏡がズレるので新しい眼鏡をプレゼントしようとする。また、彼が両方の掌底で眼鏡を持ち上げる妙な仕草は、長いツメを装着したときツメで顔を傷つけないようするためだということが明かされる。何事にも意味があるのだといことを仄めかしている。しかし、この眼鏡は戦いの途中でレンズが割れてしまうがクロはそのことにさして不便を感じていないようだ。それならそもそも眼鏡は必要ないではないか。しかし執事としてきちんと見えるように眼鏡は必要とされ、眼鏡のずり落ちをなおすことは執事の几帳面さのあらわれとされる。ところがクロは執事を装うようになる前の海賊の時代から眼鏡をかけていたことが回想でわかる。クロは海賊というよりもともと執事に向いていたのだ。
ジャンゴも眼鏡をかけている。ハート型のサングラスだ。クロが普通の眼鏡をかけているので、反対に装飾的にしたのだろう。ウソップは海賊を迎え撃つときにゴーグルを着用する。ゾロの黒いタオルと同じく、戦闘モードに入ったということだ。敵のキャプテン・クロネコやジャンゴがメガネを着けているので、敵にあわせたスタイルになっともいえる。作者の小道具好きはますますキャラデザインを多様なものにする。
ウソップはクロに似ている。二人ともカバンを持ち、メガネをかけ、周囲の者に嘘をつく。クロは猫爪を装着するための道具をカバンに入れて持ち運び、ウソップは戦闘モードにはいるとゴーグルをつけるのだ。

舞台

これまで、海賊に蹂躙される被害者として、必ずその地域の住民がセットで出てきた。ルフィはその住民たちの一部とふれあうことで彼に共感し村や町を守ろうとする。ところでその住民たちは何の仕事をしているのかよくわからない。いずれも港町なのだが、住民たちが漁に出たり交易をしたりといった様子は描かれないからだ。街並は立派で、各種商店がある。海賊バギーのエピソードでは酒場やドッグフード店もあるので、分業が相当すすんでいる町だったことがわかる。彼らは町や村全体で自給自足しているようにも見えるが、これだけ海賊が盛んだということは、海上の交易もそれだけ盛んだということだろう。カヤお嬢様は隣町の眼鏡屋にクラハドールの眼鏡を注文していた。自分の村には眼鏡屋がなかったのだ。カヤやウソップが住んでいるのは「村」と呼ばれている。一方、眼鏡屋などがある隣町は「町」だ。「村」は集落地、「町」には商店がある。バギーが占拠したのは「町」と呼ばれている。それにひきかえ海賊クロは大きなお屋敷とはえ、たかが村の屋敷の財産を狙って満足なのか。実はこの屋敷はウソップに言わせると「この村に場違いな大富豪の屋敷が一軒たってる」(23)。おそらく何か事業をやっているのだろう。そして、この村で船をもってるのはその家だけだという。やはり村の住民たちは海に関わる仕事で生活しているのではなさそうだ。小さな船でちょっとした漁に出ることはあるかもしれないが、大きな船で本格的に漁業をやってい漁村ではない。
会社もあるのかもしれない。そのように使い分けられているようだ。人が眼鏡の需要はそれほど頻繁にあるものではない。カヤの村では、遠くの町まで買いに行くのではなくかねばならないものでもない。
※2011.10.4更新 見崎鉄