ワンピースのマンガ学

【著者紹介】

見崎 鉄(みさき てつ)
1965年、長野県生まれ。ライター。
マンガ学の著書に『ドラゴンボールのマンガ学』(彩流社)、歌詞論関係の著書に『阿久悠神話解体』(彩流社)、『Jポップの日本語』(彩流社)、『さだまさしのために』(KKベストセラーズ)、『音楽誌が書かないJポップ批評』(共著、宝島社)。サブカル批評に『ドラゴンボールはいつ終わるか?』(風塵社)、『船井幸雄大研究』『2時間ドラマ大事典』『エヴァンゲリオン完全攻略読本』(以上、共著、三一書房)他がある。

記事一覧

【巻2】

物語を追いながら分析を加えていこう。
ナミは道化の海賊バギーに取り入るためルフィをグルグル巻きにして差し出す。巻2で驚かされるのは、前半ではルフィが縛られて檻にいれられ、主人公にほとんど動きがないことである。もう少し詳しくいうと、ルフィは22ページでナミにロープで縛られ、91ページでライオンに檻を壊されて解放されるまで拘束された身の上にあった。話数でいうと第10話から第12話にかけてである。アンケート至上主義の「少年ジャンプ」の連載10回の試練をくぐり抜けて一段落したところである。主役を少し休ませて脇役をふくらませていこうということだろうか。ルフィはゴム人間なので、格子の粗いこのていどの檻なら抜け出せるはずだが、作者はそうさせなかった。考えてみれば、そもそも、いくら油断していたにしても怪力のルフィがナミに縛られるにまかすなんてありえないし、ゴム人間なので縄抜けも簡単にできそうだがそれをせず、大砲で打たれて殺されかけるなど、冗談半分に見えた展開が、かなり深刻な状態になっていったのである。
ルフィが手も足もだせない状態なら、ナミやゾロが活躍するしかない。ここはルフィの動きを封じることで、ナミやゾロの動きをみせるために作られた状況なのだ。
ナミはルフィを裏切ったかのように思えたが、そうではなかった。巻2で描かれるのはナミが仲間になる馴れ初めである。ナミは最初計算高い女として描かれるが、無意識のうちにルフィを助ける行動をとる。これは心の底では裏切る人間ではないから仲間にふさわしいということを示すためのエピソードとして必要とされた。そもそもルフィが嫌がるナミをしつこく海賊になるよう勧誘するのは、ナミが可愛い女の子だからそうするのではない。ナミが「航海術」をもっているという合理的な理由からだ。ナミは容姿ではなく、あくまでその技術を買われたわけだ。だがそれがウソくさいのは第2話で登場したコビーも「お前にはどういう訳か人一倍海の知識があるから生かしておいてやってるんだ」と女海賊に言われているのに、コビーがその知識によってルフィにスカウトされることはなく、可愛いナミが選ばれているからである。コビーは海軍に入ろうと思っていたからどうせ海賊になるのを断っただろうと思われるかもしれないが、ナミもまた海賊が大嫌いなのにしつこくルフィは誘ったのだ。しかしコビーにはそうしなかったのである。
ゾロは、縛られたルフィと対称となる。巻1では、ゾロは90ページで登場したときから147ページに至るまで、ずっと十字架に磔(はりつけ)にされていた。ルフィがゾロを助けたように、今度はゾロがルフィを助けることになる。ゾロが脇腹を切られながらも無理をしてルフィを助けたのは、同じ境遇にあった自分を助けてもらったから、そうしないと均衡がとれないからである。
檻に入れられたルフィとナミがピンチとなったところでゾロが二人を救い出しに来る。ゾロは普段は黒いタオルを腕に巻いているが、いざ戦いのさいは、それを頭に巻くことで変身する。ゾロにはルフィのような特殊な技があるわけではないから、戦闘モードに入ったことを外見でわかりやすく示すためにそれが必要なのだ。だが、実はこの救出に入ったさいはまだタオルを頭に巻いていない。タオルを巻くのは、もっと本格的にバギーを倒そうとするときである。ゾロは普段は気持ちタレ目ぎみに描かれることがあるのだが、タオルで目の上側1/3を隠されることで、睨みのきく吊り上がった目になる。同時に目の下側に歌舞伎の隈取りのような濃い影が入り、性格までも変わったかのように見えることになる。
悪魔の実(バラバラの実)を食べているバギーはゾロに斬られても平気だった。ここで、新たに登場した敵、海賊バギーについて考えてみよう。バギーの特徴は二つある。一つは外見がピエロそっくりだということ、もう一つは体がバラバラになることだ。
ピエロの外見をしている残忍な存在は、これまでも物語の中で数々描かれてきた。『バットマン』のジョーカー、スティーブン・キング原作の映画『IT』、『帰ってきたウルトラマン』のナックル星人等々。人を楽しませる道化師が反対に悪魔的存在だったという設定は、道化師を笑っていた人々をぎょっとさせる。ピエロを嗤い蔑んできた人達には後ろめたい気持ちがあるから、それを復讐のように感じてしまう。ピエロの表象はそれじたいに被害者に内在しているマイナス価の行動力を潜ませているのである。バギーは顔の真ん中にぶらさがっている大きく赤い鼻をひどく気にしていて、それを馬鹿にされるととても怒る。ここでもやはりバギーの攻撃性は己に向けられた嘲笑をはねかえすために発揮される。バギーは大砲を武器として使うのを好んでおり、特に「特製バギー玉(だま)」は威力があり、小さな町ならそれ一発で吹き飛ばしてしまうほどである。なぜバギーは大砲にこだわるのか。バギーの赤く大きな鼻はマンガでは黒い球体のように描かれる。これは同じく大砲の玉である黒い球体を類想させる。
マンガでは鼻の描写は省略される場合がしばしばあるように、人間の顔では鼻というパーツは目立たないほうがいい。鼻は呼吸という重要な役割をはたしているとはいえ、空気の出し入れという比較的単純な行為なのに鼻は顔の真ん中に居座って、必要以上に複雑な形をしているように思える。鼻はそれじたい滑稽な形をしているから、目立たないほうがいいとされるのだろう。そうでなければ、禅智内供(ぜんちないぐ)の鼻のように、ただそれが目立つというだけで物語ができてしまうのだ。人はコミュニケーションをとるとき目と口に注目するから、その間にある鼻は目立たないほうがいい。目立つと気が散ってしまうのだ。さて、バギーの鼻はデザイン的にもう一つの意味をもっている。バギーのキャラデザインはこれまでの敵の中でも凝ったものになっている。額には大腿骨が十字に組み合わされた模様が描かれているが、それは鼻の球体とセットで、海賊帽子に描かれたドクロマークと上下が対称になっていると見なすことができる。
バギーがピエロの姿をしていることは、このマンガにおける登場人物の表象をいっぺんに多様化させる方向に道を開くことになった。海賊がピエロの姿をしていることはありえないが、それを許してしまうことは、この先もう何でもありということを認めることになる。そしてその多様さは系統だった統一感のある多様さ(ダイバーシティ)ではなく、まとまりのないてんでバラバラの多様さ(バラエティ)なのである。じっさい、バギーとルフィの戦いにおいては、服装のコードがちぐはぐで、それは異なる価値観の者の対決になっているのである。ルフィやゾロ、ナミといった仲間たちはみんな普段着のようなチープな服装なのに、バギーはそれなりに凝った、威厳のある、その役割にふさわしい服装を身につけている。それはこれまで戦ったアルビダ、モーガンといった敵たちも同じである。現代日本の読者にとって、ルフィたちの服装は無徴で、アルビダやモーガンたちは何らかの「らしさ」が漂っているという意味で有徴だ。バギーはそこへさらに見世物小屋的な猥雑さを持ちこんだのである。この先、手下として登場する猛獣使いや曲芸師も、多様さが連想の向く方向に伸びてゆくことをよく表している。
バギーのもう一つの特徴はバラバラ人間であること。「バラバラの実」を食べたことにより、切断した身体を遠隔で自在に操ることができる。ロケットパンチのような「バラバラ砲」も可能だ。これはルフィのゴム人間と対照的だ。ルフィの場合は身体が伸びるが、バギーは伸びずに切断される。ルフィはワイヤードで、バギーはワイヤレスという違いはあるが、「ゴムゴムの銃(ピストル)」も「バラバラ砲」も意表をつく遠距離まで手が届くという点で同じである。むしろルフィの場合、伸びきった身体の途中が隙だらけで、そこが切断される恐れがあるが、バギーにはその点で弱点はない。海軍大佐モーガンは片腕が斧になっていたし、バギーは両腕を飛ばすことができる。作者には奇形の身体への思い入れがあるのかもしれない。それはこの先どうなってゆくのだろうか。悪魔の実が身体の変形を伴うものだとすれば、多様な身体をもった異形の者どもが多く現れることになるだろう。
バギーがなぜピエロの姿をしているのかはここまでのところなんの説明もない。おそらく悪魔の実を食べたことによる代償だろう。バラバラになる身体は奇術のようなものと認識され、そのため手品との類縁からピエロが想起されたのであろう。一方、ピエロとサーカスとの連想から、手下には猛獣使いとか曲芸師が配置されるのである。海賊たちはサーカスの団員としてのまとまりをもっているのだ。
バギーのもとから逃げ出したルフィたち三人は町でしばし休息する。住民はバギーを恐れ全員町はずれに避難していたが、犬と町長だけが町を守るため海賊に立ち向かおうとしていた。ここでバギーとの争いのさなかに犬と町にまつわる「ちょっといい話」が挟まれる。飼い主が死んだとも知らずその帰りをずっと待っている犬がいる。飼い主との思い出の家がバギーの手下に壊されそうになったとき、その犬が必死に抵抗する。次いで、バギーがとどまっている町はその住民が、40年前に荒地を開拓して少しずつ大きくしていったもので、その町が壊されるのを見かねた町長が立ち上がるというエピソードが語られる。犬にとって飼い主との思い出の家は「宝」であるとされている。一方、ゼロからつくられた町も町長にとって「宝」であるとされている。家を守る犬と、町を守る町長は相似なのだ。拡大され反復されているのである。そう考えると、町長のおかしな格好もよくわかる。実はこの町長は名前がブードルで、見かけも犬のプードルに似ているのであるが、それはこの町長が犬と同じく町を守る立場にあるという物語中での役割の相似をわかりやすく表したものなのである。違う言い方をすると、この町を守ろうとしているものの象徴が犬なのである。そしてこの犬は、海賊たちによる被害を避けるために大切な町から避難している住民と対比されている。住民たちは自分は安全なところにいて町長を批判するばかりだ。犬や町長は海賊たちから「宝」を守るために戦うのであるが、それはこうした多くの住民が海賊から逃げてばかりいることを逆照射してしまう。これまでも海軍のモーガンから住民たちは逃げていた。ルフィは住民たちを批難する言葉を口にすることはないが、逃げずに挑む者たちを支援することで間接的に疑問を投げかけているのである。
巻2では「宝」があからさまなキーワードになっている。ルフィの帽子も「宝」であるとされるように、「宝」は物そのものに備わっている価値ではなく、それを大事にしている人がいるから「宝」になるのだ。人は誰も大切な「宝」をもっていて、それを守るために戦うのは価値のあることだということを町長たちは示している。一方、「宝」は、既に手にしているものではなく、どこかにあってそれを探し求める吸引力を発揮するものでもある。『ONE PIECE』というマンガじたいワンピースという大きな最終的な「宝」をめぐる物語であるから、いろんなものが「宝」の隠喩で語られるのは当然だろう。「宝」である町を捨てて逃げている住民たちは大切な「宝」の価値を理解していないという点で『ONE PIECE』の論理からは批判されるべき存在だ。
「宝」は探し求めるべき価値のあるものであり、そこに辿り着くべきゴールであるから、さらに演繹されて「目的」と等値される。ルフィの仲間たちはみな何かの目的をもっている。ルフィは海賊王になること、ゾロは世界一の剣豪になること、コビーは海軍に入ること。そして、ナミは1億ベリー稼いで村を買うことである。みんなそれぞれバラバラの方向を向いており、寄せ集めといった感じで、仲間意識はあるものの、一緒に海賊をやろうというまとまりとは異なっている。目的は違っているものの、お互いの人間的魅力が吸引力になっているようだ。この点についてはもう少し仲間が増えてから再検討しよう。
目的ということで言えば、ルフィはそろそろ気づいてもいいのではないか。これまでに出会った海賊はロクでもない連中のほうが多いのである。いい人たちであるシャンクやその仲間は海賊の典型ではなく例外だ(もっとも、シャンクが海賊行為をやているのは間違いないから、後にシャンクの嫌な面が描かれることになるだろう。ルフィは今のところシャンクのいい面しか見ていないのである)。ルフィはシャンクに憧れてシャンクのようになりたいと思ったのであって、海賊に憧れて海賊になりたいというのは階層を取り違えているのである。シャンクは海賊だが、海賊がみなシャンクのようだというわけではない。ゾロもナミも海賊は嫌いだったし、住民たちも海賊は嫌いだ。ルフィは反社会的な性格というわけでもない。それなのに何故ルフィはその嫌われる海賊になろうとするかというと、海賊とシャンクを混同しているからだ。ただ、巻2では、海賊への憧れがシャンク個人に由来するばかりではなく、共同体の雰囲気にもあることがわかる。ルフィはバギーの手下が飲んでどんちゃん騒ぎをしているのを見て、「あー楽しそうだなー。やっぽこうだよなー海賊って!」(10)と言ってる。実はここでも取り違いが起きている。海賊の本質は「楽しくわいわいやる」ことにあるのではなくて(それは他の集団にもある)、略奪行為にあるのだ。ルフィは二重に勘違いしていることになる。
バギーの手下、「猛獣使いのモージ」が現れ、ルフィと戦う。モージは巨大なライオンにまたがり、自身も犬のような格好をしている。モージも町長も人間なのに犬に似た姿をしている。『ドラゴンボール』では人身犬頭の国王が出てきたが、このマンガでは今のところそういう人獣混淆のファンタジーはなく、あくまで人が犬に似ているにすぎない。
鋭い牙をもったライオンは獰猛で強そうだが、ただ大きくてパワーがあるというだけでしょせんはただの動物にすぎないので、特殊能力をもったルフィの敵ではない。一撃で倒されてしまい、戦いじたいが見せ場とはならない。この巻で出てきたルフィの新技は、二本の腕を捩ってスクリューのように回転させる「ゴムゴムの槌(つち)」と、腹をふくらませて大砲の玉を受け止めはじき返す「ゴムゴムの風船」である。巻1で出てきたのは「ゴムゴムの銃(ピストル)」「ゴムゴムの鞭」「ゴムゴムのロケット」であった。ルフィの技は体の弾力性や伸縮性を使って既存の何かを隠喩的に模倣するものだ。
次に現れた敵は「曲芸のカバジ」。一輪車に乗って次々と珍妙な技を繰り出す。これも特殊能力ではあるが、鍛錬のたまものであって、ルフィのような超能力ではない。カバジに対するのはゾロ。ゾロの剣技も超絶的ではあるが、鍛錬のたまものであり、超能力ではない。だからカバジとゾロの対決は押しつ押されつで戦いじたいが見どころになっている。
バギーがそれまでの敵と違うのは、猛獣使いや曲芸師のように、有能な手下がいることだ。親分であるバギーにたどりつくには、この二人を倒さねばならない。敵の布陣に厚みが出てきた。作者が敵のキャラを大切に扱うようになった。
以上、巻2の物語を追いながら適宜感想を挟んでみた。以下はマンガ的な表現について若干述べる。
マンガの表現としてはこの巻では魚眼レンズ的な描写がめだつ。地面は水平ではなく、内側に湾曲し、外側に近いものほど拡大して描かれる。例えば、53ページ、56ページ、180ページ、183ページなどが印象的だ。このマンガはパースのきいた絵が特徴的だが、魚眼的な描写ではそれが強調される。
魚眼レンズは極端な広角レンズなので、写り込む像が小さいが多くなる。広角的な絵の特徴は、一枚の絵の中にたくさん情報がつめこめること、像の周囲がゆがむため、極端にパースのきいたものになること。これはどういうことかというと手前にあるものほど大きくなるので、コマの中に絵が描きこまれたとしても手前に配置された主題的な人物は大きくなるということが両立できるのだ。また、パースがきいているので一枚の絵(コマ)の中に動きがある。動きがあるということは、一枚の絵の中に流れている時間がその動きを目で追う分だけ長くなるということでもある。よくアニメの絵コンテのように、コマをいくつも重ねて連続する動きをこまかく描くマンガがあるが、このマンガはそうでなく、コマとコマのあいだに時間的な断絶がかなりあるマンガなのである。例えば41ページではナミが太腿に括りつけた3本の棒を組み合わせて悟空の如意棒のような棍(こん CUDGEL)にするのだが、このとき、ナミが3本に分割された棒に手を伸ばすコマの次に敵の姿のコマが一つ挟まれて、次のコマでは既に長い棍を手にもっているのだ。そのコマには「ガチン、ガチン」という擬音語が書かれている。つまり組み立てる過程のコマを省略し、たった1コマでそれを描いてしまったということだ。このとき擬音語はかなり大事である。108ページから109ページにかけてはルフィが敵を引き寄せて「ガン!」と殴るところだが、ここには殴る瞬間は描かれておらず、殴ったあとのルフィと打ち倒された敵が描かれている。擬音語の「ガン!」が若干遅れて届いた遠雷の音のように空気を震わせて、そこで何が起こったかを描写しているのだ。ルフィの腕に浮かんだ血管も、その腕が何をしていたかを物語っている。このコマは殴ったあとを描いているだけだが、そこには殴る直前のシーンも俊速で畳み込まれているのだ。実は喧嘩ばかりやっている『ろくでなしBLUES』でも印象的なコマはこのようなものであった。
また、50ページから51ページにかけてのコマもそうだ。ここはゾロがバギーを斬るところだが、刀を構えていたゾロのコマの次は、ページが変わって「ズバッ!」という擬音語とともにバギーが輪切りになってる。ここにも初めと結果しか描かれていない。途中の動作は省略されている。
また、65ページに大砲の向きを変えるシーンがある。ゾロが砲口を持ち上げているコマの次にナミの顔のコマが挟まって次のコマでは「ガコン!」という音ともに砲身が180度反転している。最初の動きだしのコマと結果のコマの2つでそれを描いている。これは少しわかりにくかった。砲身の動きの途中がないからだ。私は最初、砲身が横に180度回転したのかと思ったが、再読したら、それは垂直方向に回転していることがわかった。それはゾロがのけぞるような格好をしているからなのだが、ゾロが小さく描かれているためわかりにくかったのだ。
省略的な描写はこのような動きの省略ばかりでなく、出来事の省略にまで及んでいる。例えば67ページから70ページのあいだにルフィのロープはほどかれているのだが、ロープをほどく場面は描かれていないので、読者は違和感を覚える。もちろん、その間にゾロがほどいてやったのだと推測することはできる。しかしそれは奇妙なのだ。また82ページから83ページにかけて、脇腹を刺されたゾロがほんの3コマのうちに、町長が自分の家に「休ませてきた」というセリフがあるだけで、ゾロが家の中に運び込まれる描写はないままそうなっている。
この巻で取り上げてみたい擬音語は次のような歓声だ。いずれもマジックインキのようなもので手書きされている。
「ひゃっほーう」(30) 「ういやっほーう!」(34) 「ひゃっほーう!」(45) 「ひゃっほーう」(141)
これはみな、バギーの手下の海賊どもが騒ぎ立てている声である。「やっほう」が変化したものだろう。いかにも悪いやつらが集団になって獲物をいたぶって嬉しがる感じがよくでているする。
※2011.8.16更新 見崎鉄