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10.29「立読み」コーナー◆いまどきの「親」に驚く

2004 年 10 月 29 日 金曜日

改訂・新版にして装いも新たに出した『子どもをケアする仕事がしたい!』ですが、今回は「子どもの危機的状況」に、増補ページを割きました。仕事の紹介ではありませんが、そのなかで驚くべき親の姿が……。ちょっと立読みしてみてください。

…………
その年の新入生の様子は、就学前の健診と学校説明会に出れば、まず把握できる。親の姿もみられるからだ。
授業参観の場でおしゃべりしたり携帯電話を鳴らしたり、期限が過ぎても提出書類を出さない。定収入があるのに給食費を1年滞納したり、修学旅行代金が払えないからと子どもを参加させない――これも親の姿。振り回されるのは、子どものほうだ。……略……
ネグレクトの問題も深刻という。
「1週間、着たきり雀の男児は、母親も風呂嫌いで子どもも同じ。寝るときも服を着たまま。夏はさすがに臭うので、プールの時間、シャワーを最後に浴びさせて先生数人でその子の頭からつま先まで洗い、養護の先生が服を洗濯する。下校するころには服も乾いています」……略……
ネグレクトが疑われる子どもに、保健室の予備の下着と替えさせても、それが洗濯されて戻ってきたり、親からの礼の言葉を聞くことはない。もっとも「親は、子どもが着替えたことにも気づいていないかもしれません」
運動会当日、「センセイ、起きたらお母さんいないの」と半べそをかく男児からの電話を受けて、先生が家に駆けつけた。「ごはんと、冷蔵庫に1つあった納豆を食べさせて、お弁当は近所でよくしてくれる人が作ってくれた。洗ってない体操服しかなかったけれど、それを着させて登校させました」。母親は、子どもが寝たあとに(父親ではない)男性とカラオケに出かけ、そのまま外泊したと、あとでわかった。
…………
という具合です。「ごはんは太るよ」と言って、子どもに米飯を食べさせない母親なども登場します……やれやれ。基本的に仕事ガイドの本ですが、このようなレポートも載っておりますので、この周辺に興味のある方はぜひ。

【オフサイド通信04.10.29杉山】

版元ドットコム http://www.hanmoto.com 「版元日誌」に掲載したものです。

2004 年 10 月 13 日 水曜日

美術館にて――本をめぐる事ども
第193回●2004.10.13(水)
書き手●塚田敬幸

9月末、東信濃、塩田平にある「無言館」と「信濃デッサン館」という小さな美術館を訪れた。村山槐太の絵を観たかったのだ。私の郷里から車で30分ほどのかの地には、たびたび足を運ぶ機会があったものの、美術館に立ち寄ったのはこれがはじめてであった。
実は3年前にも行ってみたのだが、正月休みで閉館中だったのだ。仕方なく隣接する未完成の三重塔で有名な前山寺に参詣し、ついでに美術館のグッズを販売している喫茶店で、窪島誠一郎氏の『鼎と槐太』という評伝、森口 豁の『最後の学徒兵』を購入。せめてもの慰めとしたのだった。もっともそのときは「槐太」という限定発売の地酒(辛口安価美味)もその店で手にいれ、帰り際の路傍では地元で試みに栽培しているという「ヤーコン」なる南米原産の不思議な野菜(その後ミニブーム)を100円で分けてもらったりし、思わぬおまけがあり、冬の塩田平をじゅうぶん堪能したのだけれど。

『鼎と槐太』と『最後の学徒兵』はすこぶるおもしろく、とくに『鼎と槐太』は槐太の奔放な天才ぶりが鮮烈で、どうしても絵を観たくなり、今回の訪問となった。
その心残りの美術館、まずは「無言館」。(1997年開館、画業の志半ばで戦没した画学生の絵を展示し話題をよび、来館者がひきもきらず観光コースにもなっている)は厳粛な雰囲気で胸に迫る絵が多い。また、館長でもある前述窪島氏設計の館内のそこかしこに氏の個性が感じられ、「反戦」「夭折」美術館という喧伝されるイメージとは違った、なにかあたたかみがあり少々意外だった。ここの鑑賞料は300円以上の評価制。500円を払って、ついでに窪島氏の『「無言館」の坂道』というエッセイ集(このひとは多作である)も購入。
さて、もう一つの「信濃デッサン館」。1979年窪島氏が私財を投じてつくりあげた「夭折画家」の素描コレクションが中心だが期待に違わず素晴しく、とりわけ槐太の迸るような才気の奔流には圧倒される。ただ鋭い才気というより、どこか愛嬌、野趣のある画風は槐太ならではのものだろう。ここの入館料は700円。帰りにまたしても裏手の「槐太庵」というミュージアムショップで信濃デッサン館の画集、安売りしていた別の画集も購入。帰り際、今回は妻のリクエストで前山寺の名物「くるみおはぎ」を縁側で塩田平を遠望しながらいただきコース終了、念願成就と相成った。

この「美術鑑賞物語」の間、私は実に5冊、8000円分も本を購入してしまった。窪島氏の本は確かにおもしろく、買う価値もあり、両館の館長ということもあるがそればかりでなく、美術館という雰囲気、旅、そしてそこに本があったから買ってしまったのだ。
昨年訪れた馬籠の「藤村記念館」でも『夜明け前』を自宅本棚の奥底に眠っているのを知りながら、『藤村の童話』(だったと思う)と藤村カルタともどもつい買ってしまった。
美術館ばかりでなくテーマパーク効果というか、映画館、博物館、コンサート会場、ライブ会場、講演会場、学会会場、寄席などは書店よりずっと効率よく本が売れる。好きな人=目的買いに近い人たちが集まるのだから当然である。書店売りに比べ絶対数は少ないのであくまで本道ではないけれど、確実に売れるという実感がある。私は営業も担当しているが、管理的な仕事が多く、特定の担当書店をもたないのでいきおいこうした異種流通、直販を多く扱うことになる。

●美術館では同じ信州安曇野の「碌山美術館」(文覚上人のブロンズ像がある)で小社の『文覚上人の軌跡』が15年くらい売られ続け500冊を超えている。書店では惨敗だけど…。

●3年くらい前上野にプラド美術館展が来たときは『スペイン宮廷画物語』が2ヶ月弱で200冊売れた。これは店頭でもよく売れ2刷目である。レンブラント展は京都と東京で『レンブラント』が計150冊。
●映画館では一昨年アイリス・マードックの生涯を描いた「アイリス」が渋い映画館ばかり15館ほどでロードショーをし各館でアイリス・マードックの最後の小説『ジャクソンのジレンマ』が140冊ほどの売上。おもしろいのは銀座で2ヶ月弱で80冊。関内が2週間で12冊売れたのに地方が惨敗でとくに仙台では2週間で1冊も売れなかった。
●同じく映画館、渋谷のシネ・アミューズと池袋文芸座ほかで連合赤軍をテーマにした高橋監督の「光の雨」。1ヶ月弱で『あさま山荘1972』のほか関連書含め300冊を超えた。これは小社の特色かつヒットシリーズなので当然なのだが、映画を観にきたのは20代の若い層が多く、新しい読者を開拓できたことがうれしかった。
●今年上映されたスペイン映画「女王フアナ」では10館ほど『狂女王フアナ』2ヶ月で200冊。
●博物館では「発掘された日本列島2004」の巡回展で『関東古墳散歩』が100冊ほど売れて関連書も少し置かせてもらって売れている。

●神社で売れた本もある。『卑弥呼と宇佐神宮』(品切れ)は宇佐神社で400冊くらい。
●著者が路上で売ることもある。昨年末私が編集した新宿の路上書家、大西高広君の『一笑を大切に』は2200冊作って在庫が500冊くらいだが彼が路上で600冊売ってしまった。
●そして最近2刷になった『天下御免の極落語』。寄席の爆笑王の異名を取る芸暦50年、73歳、誰にも文句は言わせない川柳川柳師匠が、爆笑ネタとともに高座で大宣伝するのだから客は買わざるをえない。6月初刷り3000部、寄席の販売500弱、市場でも好調で増刷決定となった。

と、このほか学会売りなど実例を挙げるとキリがないし、失敗例もこれに輪をかけてキリがないのでこの辺でやめておくが、これらの営業活動は書店にきちんと本があれば本来不要なものも多い。そしてやはり、本は「書店で売ってナンボ」である。ただ小社の本はジャンルにもよるが、「平積みよりも棚差し」が売れると書店員さんに言われることが多い。すると小社の読者のかなりの数が平台には目もくれぬ「棚差し族」ということになる。それはまあいいのだが、店頭における商品生命がますます短くなり、単品管理が可能な店とそうでない店の格差が広がる一方の現在、貴重な「棚差し族」と本の出会いは相対的にどんどん減っているのだ。
そうした流通事情を鑑みれば異種流通営業は、逆説的にきちんと商売になると思う。また、書店で売れずとも、ほかの場所なら売れるケースはかなり増えているのではないか。生協はもちろん美術館専門の代行屋さんもあったりして、地味だがそれなりの売上を確保する手立てとして有効であろう。
そして面倒は多いけれど読者の顔が見えるというメリットも大きい。多くの版元さんに通じることだと思うが、小社の商品は多分野にわたるとはいえ専門書に近い。一般書的なものの店頭売上をみるにつけ、今後ますます大量部数販売が厳しくなることが予想される。これらの営業活動とそのノウハウが小出版社として生き延びるヒントのひとつなるのではないかと思う。

さて、窪島氏『「無言館」の坂道』を読了した。氏は1941年生まれで前述の二つの美術館を苦労されながら「個人」で経営しているので、その話が多く出ている。小社社長と同世代でもあり小出版の状況と大変よく似ていて、示唆に富んでいる。以下引用する。(窪島誠一郎著『「無言館」の坂道』平凡社 2003年 より)

「――どんなに美術文化の向上、芸術至上の理想をうたっていてもやっていることといったら――中略――観光地の門前で店びらきしている土産物屋センターなんかとたいした違いはないのである。――中略――「個性派美術館」を自認し「個性派コレクション」を標榜する美術館であっても、けっきょくは美術館というものが一定の集客を目的とした不特定多数相手のサービス機関であるいじょう、その「個性」の腹八分目化もしくは不完全燃焼化(ああ何と不健康なことよ!)を強いられてしまうという現実だろう。やりたいことをやり、見てもらいたいものだけ見てもらって世の中を渡れるほど美術館業界は甘くない。個性派美術館がその矜持と理念とを投げ棄てることなく、また明日への展望と夢を見うしなことなく、最小限の「個性派」たる自己の理想をつらぬくためにはそれ相応の努力と知恵が必要なのである。――」
小版元そっくりそのままではないか。窪島氏は全国の画学生の遺族から作品を委託されている性質上「無言館」は公益化する意向ということだが、二つの美術館を核にした4年制大学「信濃浪漫大学」を構想しているということだ。そこでは芸術家を育てるのではなく感性豊かな「鑑賞者」を育てるのだという。そして氏の経験を生かした「放浪科」も予定しているとか。なんとも楽しい構想でこれまた知恵である。
版元ドットコムもまた小出版の知恵と努力のひとつのカタチだと思うが、私も「個性派」出版社の端くれとしていずれ、何か知恵とひねりださずばなるまい。

10.1/世の出来事とウチの本◆シスラーは投手だった!

2004 年 10 月 1 日 金曜日

イチローのMLBシーズン最多安打記録へのカウントダウンが始まって以来、毎日のようにその名が聞かれる「ジョージ・シスラー」。いったいどんな選手やねん、と思う人も多いはず。そんなときにぴったりなのが出野哲也編著『メジャー・リーグ人名事典』なのです。「シスラー」を引いてみましょう。こういう記録をつくった人は当然載っています。1893年生まれで、1915年から15年間メジャーリーガーでした。2812安打しており、監督もやってます。よく読むと当初は投手で、15試合に登板して4勝4敗防御率2.35という好成績を残し、野手転向後も散発的に登板していたとあります。そういう時代だったんですね。ちなみにシスラーが257安打を記録した1920年、彼の打率は.407(さすがのイチローもこれを今年超すことはできそうにありませんが。でも来年あたり?)、所属したセントルイス・ブラウンズ(現在のミルウォーキー・ブリュワーズ)は、ア・リーグ8チーム中4位でした。……これって、トリビアねた?

【オフサイド通信04.10.1杉山】

◆世の出来事とウチの本:プロ野球再編と『プロ野球毎日が名勝負読本』(オフサイド・ブックス15)

2004 年 9 月 10 日 金曜日

本書は、1年366日、その日プロ野球界で何が起こっていたかを集めた本ですから、当然今日の再編騒動につながる記事満載です。索引もかねた年表を見れば、プロ野球史も一目瞭然。チームの変遷と監督・順位もわかる表もついています。人名索引もありますから、「渡辺恒雄」サンを調べることもできます。→たとえば11月7日(2000年)、「ナベツネ暴言」が不当労働行為だと国会で問題になっていたようです(他は略しますが、暴言・妄言のいくつかを読むことができます)。
また、最近合併ということでしばしばとり上げられる「高橋ユニオンズ」ならびに佐々木信也さんは「10.8」に登場します。そこを読むと、当時パ・リーグでは勝率3割5分を割ると制裁金が科せられていた、なんてこともわかります。2月26日(56年)には、ユニオンズ解散の悲惨な模様が……。
小さい記事ですが、73年2月7日にはこんなことがあります。「ロッテ・オリオンズも本拠地東京球場を失って??ジプシー球団?≠ニ呼ばれるなど、このころパ・リーグは、リーグ消滅が取り沙汰されるほど受難続きだった(ロッテと大洋の合併説まであった)」。……今から30年も前のこととは思えませんね。ちなみにこれを読んでいた小生は、今年の7.7、西武・堤さんが「もうひと組の合併」を示唆したとき、「ロッテ+横浜なので1リーグ」という筋書きなのかと思いました(違ってたけど、まだわからない?)。
堤さんといえば、この方も「(当時の森)カントクが来年もやりたいようだから、やらせてあげれば」などいう暴言を吐いてますね。もちろんこの「事件」も載ってます(10月19日/89年)。
きりがないのでこのへんにしますが、ぜひ、ご一読を。
【オフサイド通信04.9.10杉山】

アテネオリンピック、久々の日本選手大活躍! だが、プロ野球は!?(news049)

2004 年 9 月 8 日 水曜日

今回のオリンピックのメダルラッシュ、種目別で明暗を分けたと言って良いだろう。期待された水泳陣は、期待通りの成績を挙げ、かつての日の丸を背負った本番に弱いというイメージを払拭し、女子800メートルでの柴田選手の活躍は日本水泳界の実力が底上げされている事を証明した。体操の団体優勝も長い低迷期からやっと抜け出せそうだが、これも長期の戦略的プランと科学的強化の結果のようだ。同様に陸上でも強化の成果が出始めているが、特に女子マラソンでは強化方法だけでなく、駅伝に見られるように全国的にランナーの層が厚く、その頂点が世界のトップクラスに伍していることの証であろう。
かつて東洋の魔女と言われ、日本のお家芸のひとつであったバレーボールは涙を飲んだ。オリンピック出場に導いた柳本監督の手腕は評価されるべきだが、選手層がまだまだ薄い。期待の新人が現れレギュラーになれば、それがそのまま全日本である。かつてサッカーのジャパンはほとんどが固定メンバーであった。フランス大会では、カズがはずれる事が話題になるほどだった。だが、トルシエ・ジャパンでは監督の戦略・戦術にあわせて人選ができる状態まで選手層の厚さと技術水準を上げた。さらに現在のジーコ・ジャパンでは、選手の特徴と技術に合わせ、同時に対戦相手に合わせた監督の戦略に見合う選手を選ぶところまできている。従って、レギュラー代表選手は決まっていないのである。だが、ほとんどの人が、ジャパンはそれで良いと今は考えている。
さて、シドニーの汚名を晴らすべく組織された長島ジャパン、監督不在のチーム故、銅メダルも仕方ないとしても、やはり“井の中の蛙”だったのではないか。アメリカの出場しない大会で、優勝しても誰も世界一とは思わない。かつて本当のワールドシリーズは日米決戦だなどといっていたプロ野球界も、今や球団合併で経営再建などという体たらくである。球団としての経営努力がどれだけされたのか、パイが小さくなれば、それを分ける仲間を少なくしようという発想は、衰退への第一歩である。球団数が減り、試合数も減れば観客も減る。そしてプロ選手への道が狭くなればなるほど、底辺も先細る。
目先の利益にとらわれ、長期的な展望もなしに企業エゴだけで進むとすれば、プロ野球も今や見るも無惨な企業スポーツ(バレーボール、バスケット、社会人野球など)と同じ道を歩むだろう。
スポーツはその国の文化でもあるという。そうであるならば、参加者を増やし、観戦者を増やす方法を考えなければならない。
陰りがあるとは言え、経済大国日本である。それに見合うスポーツ日本でありたい。(9月8日)

アテネオリンピック、久々の日本選手大活躍! だが、プロ野球は!?(news049)

2004 年 9 月 8 日 水曜日

今回のオリンピックのメダルラッシュ、種目別で明暗を分けたと言って良いだろう。期待された水泳陣は、期待通りの成績を挙げ、かつての日の丸を背負った本番に弱いというイメージを払拭し、女子800メートルでの柴田選手の活躍は日本水泳界の実力が底上げされている事を証明した。体操の団体優勝も長い低迷期からやっと抜け出せそうだが、これも長期の戦略的プランと科学的強化の結果のようだ。同様に陸上でも強化の成果が出始めているが、特に女子マラソンでは強化方法だけでなく、駅伝に見られるように全国的にランナーの層が厚く、その頂点が世界のトップクラスに伍していることの証であろう。
かつて東洋の魔女と言われ、日本のお家芸のひとつであったバレーボールは涙を飲んだ。オリンピック出場に導いた柳本監督の手腕は評価されるべきだが、選手層がまだまだ薄い。期待の新人が現れレギュラーになれば、それがそのまま全日本である。かつてサッカーのジャパンはほとんどが固定メンバーであった。フランス大会では、カズがはずれる事が話題になるほどだった。だが、トルシエ・ジャパンでは監督の戦略・戦術にあわせて人選ができる状態まで選手層の厚さと技術水準を上げた。さらに現在のジーコ・ジャパンでは、選手の特徴と技術に合わせ、同時に対戦相手に合わせた監督の戦略に見合う選手を選ぶところまできている。従って、レギュラー代表選手は決まっていないのである。だが、ほとんどの人が、ジャパンはそれで良いと今は考えている。
さて、シドニーの汚名を晴らすべく組織された長島ジャパン、監督不在のチーム故、銅メダルも仕方ないとしても、やはり“井の中の蛙”だったのではないか。アメリカの出場しない大会で、優勝しても誰も世界一とは思わない。かつて本当のワールドシリーズは日米決戦だなどといっていたプロ野球界も、今や球団合併で経営再建などという体たらくである。球団としての経営努力がどれだけされたのか、パイが小さくなれば、それを分ける仲間を少なくしようという発想は、衰退への第一歩である。球団数が減り、試合数も減れば観客も減る。そしてプロ選手への道が狭くなればなるほど、底辺も先細る。
目先の利益にとらわれ、長期的な展望もなしに企業エゴだけで進むとすれば、プロ野球も今や見るも無惨な企業スポーツ(バレーボール、バスケット、社会人野球など)と同じ道を歩むだろう。
スポーツはその国の文化でもあるという。そうであるならば、参加者を増やし、観戦者を増やす方法を考えなければならない。
陰りがあるとは言え、経済大国日本である。それに見合うスポーツ日本でありたい。(9月8日)

◆名作か迷作か編集部だより(No.10 2004・9)

2004 年 9 月 1 日 水曜日

夏休みならぬ9日間の入院生活をすることになってしまいました。直接生死にかかわるような病気ではなかったので、無事退院となりましたが、この間「警察」関係の病院だったので前左を「おまわりさん」に囲まれて「犯人気分」になりながら読書とラジオ(NHK FMで聴いた8時間に及ぶ50年代のアメリカンポップスの特集は、入院中でなければ無理だったと思います)の日々をひさしぶりに楽しみました。
入院初日は手術のための準備日なので何もすることがなかったので、『介護入門』を読もうかと「文藝春秋」(2004年9月号)を眺めていました。ページをパラパラとめくっているとなんと永田洋子(ひろこ)の『十六の墓標』(彩流社)が目に飛び込んできました。改めて読むと「日本を震撼させた57冊―時代を動かし時代を超える書物」の一冊として取り上げてあったのです。そういえばかつて「諸君」(1995年2月号)で大塚英志、福田和也らがやはり「戦後の必読書ベスト50」に山口百恵の『蒼い時』(集英社)とともにリストアップされていたことを思い出しました。
書き手は作家の小嵐七八郎で、特集のタイトルにそぐわない?内容が書かれていました。瀬戸内寂聴の引用のあとに、「…これほど自身への刃がなく、他人のせいにできる書物ということで、私は「名作」と考える。無論「迷作」ともいえる。日本史が次にゆく前の悶えとしての女の浅はかさ、女の未来での酷さ、共産主義の底のない暗さと敗北の先取りとしても。」
たまたま一緒に買ってきて読んだ四方田犬彦の『ハイスクール1968』(新潮社)の最後にも偶然ですが永田洋子が登場し、「…リンチ殺人の首謀者の一人であった永田洋子が、当時の状況を物語るさいに、かつて彼女が読み親しんできた少女漫画のスタイルを用いて叙述を企てたことを知ったわたしは、突然嘔吐感に襲われた。」と書かれていました。
以前(「編集部だより」のNO.7)、村上龍の『69 sixty nine』(集英社)に触れたことがありますが、冒頭に次のように書かれていたことを思いだしました。「もう一人は永田洋子という三年後に世間をあっと言わせた連合赤軍のリーダーと同じ名前の、美少女だった。僕達の永田洋子はバセドー氏病ではなかった。」
話は横道にそれますが、映画「69」は2回見ました。わたしにとって舞台、そのセリフ、妻夫木聡の演技のどれをとっても原作を超えていて楽しませてくれました。映画の冒頭のシーンで佐世保の米軍基地の金網を乗り越えるシーン(原作にはない)がありますが、村上龍はこのシーンをカットするようにプロデューサーに伝えたそうです。(『69 sixty nine オフィシャルガイドブック』宝島社)。米軍には楯突けないという旧世代の実感にアンチを提起するこのエピソードは世代の違いを象徴していると思いましたが、その想いがこの映画を素敵なものにしたような気がします。
本題にもどりますが退院直後、田原総一朗の『連合赤軍とオウム』が集英社から送られてきましたが、この本にも永田洋子が登場していました。他に比べ少しは救い?のあることが書かれていました。「実は、私は永田さんが逮捕されたあと、東京拘置所に二回会いにいったんですよ。当時の私は12チャンネル(テレビ東京)のディレクターで、彼女の番組を作ったんです。…永田洋子が世の中でぼろくそにいわれているときに、「永田洋子 その愛、その革命」というタイトルの番組だったのです。何がいいたいかというと(笑)、永田洋子はかわいい女性だなと思った(ことです)。」

最初に書いたモブ・ノリオの『介護入門』(文藝春秋)は、芥川賞の選考委員の一人である山田詠美の「朋輩にニガーなんてルビ振るのはお止めなさい。田舎臭いから。」とのアドバイスがありましたが、わたしはこのリアルなテーマには、むしろそうした泥臭くチグハグなスタイルが合っていて、この本を凄みのあるものにしていると思いました。(S)

日本の行方を左右する参院選、出版界の今後を占うトーハンの「桶川計画」!(news048)

2004 年 7 月 1 日 木曜日

なし崩し的な進路変更を強行する小泉政治の審判はどう下されるか。今世紀最初の大選択を国民に迫っている。その結果に注目すべし。さて、わが業界にも注目すべき動きが出てきた。二大取次のトーハンが埼玉県桶川に移転するというのだ。トーハンの「桶川計画システム概念」によれば、SCM流通センター、SCMデータセンターを設置して、物流・在庫・書店別店頭在庫、返品状況等を一括管理し、版元からの納品には、ネット(新VANと併用)を使った一覧表形式の一括納品、納品日設定などの方式を採用、流通の迅速化と効率化を計るというもの。また、それを補完するものとして、「倉庫・運送代行」業の新会社(QRセンター)を併設するとの計画である。現在の注文品に見られる物流の現状を放置すれば、時代遅れになり、業界全体の斜陽化は避けられない。その意味では「桶川計画」そのものは可能性を秘めたものといえる。しかしながら、IT化を進め、業務の効率化のみを追って、結果として弱小出版社を切り捨てることになるとすれば、長い目で見て出版界の衰退を招くことだろう。現在の集品制度(注文品をトーハンが集めて回る)の廃止や、納品先を東五軒町から桶川へ変更となれば、その費用と労力の負担は版元の死命を制するものとなる。出版界の不振の要因は多々あるが、弱小出版社や書店を“効率の名”のみで切り捨てる行為は、カンフル剤になっても、明日は開けない。それは、今話題になっているプロ野球の合併問題と同様、長期展望の考え方の違いによるからである。つまり、一つのパイを分母を小さくして割れば、分け前が多くなるから利益があがるという短絡思考だ。本来は、如何にパイを大きくするかが本質で、そのためには網の目のような書店の展開と誰でも参入出来る状況と多様な商品の輩出する版元の育成ではなかろうか。桶川計画が、真の活性化を招来する事を期待する。

“自己責任”論、あれこれ……(news047)

2004 年 6 月 1 日 火曜日

ある日、突然“自己責任”という言葉が蔓延した。イラクでの人質事件の被害者に対して批判的なニュアンスを込めたものであり、政府筋ないしは自衛隊派遣支持派からの発信だったようだ。日本国民の保護は、本来国家の第一義的責任であり、仮に政府の方針に異を唱える人々であっても、同列である。その後、不幸にも2人のジャーナリストが殺害されたが、“自己責任”をかざした批判が出なかったのは、被害者や遺族にとってはせめてもの慰めである。
だが、これが死者を前にした日本的な「水に流す」式の責任を問わない結果でないことを願うのみだ。なぜなら、“自己責任”論が、権力を持つ側(ジャーナリズムも含めて)のご都合主義で声高に使われてはたまらないからである。
そういえば、“自己責任”論を声高に叫んだ公明党の幹事長殿は、年金未加入問題では法律を作り、遵守すべき立場にありながらも、自分に都合の良い“自己責任”論に転嫁しているようだ。自己責任を他人に問うかぎり、自分に対する矜持はとくにもとめられる。これは、現在の“選良”であるべき国会議員の“先生” 方にも当然ながら当てはまる。「会社もいろいろ、社員もいろいろ」とのたまい、最低限の常識や倫理をも茶化してしまう首相が、日本国の指導者とは情けない。だが、その首相殿、2度も訪朝し、日朝交渉の扉を開いた。戦後の政治課題の一つ日朝国交回復に本気なのだろうか。もしそれを成し遂げれば、戦前の植民地支配の清算と冷戦構造が残る北東アジアの恒久平和の道を開く事であり、歴史に名を残す事は確かである。内政にマイナスがあっても田中角栄のように。

編集部だより(No.9 2004・5)

2004 年 5 月 6 日 木曜日

幻冬舎から出た郷隼人歌文集『LONESOME隼人(ローンサム・ハヤト)』には、この本に関連した感慨というか多少の思い出があります。
『アメリカの日本人政治囚――国家テロリズムに挑む男』(田中道代著)というタイトルの書です。出版したのが1999年の9月のことですが、東京新聞に著者へのインタビューが載った以外は、あまり注目されることもなくひっそりと小社の目録に収まってしまった本です。
目録には次のように書いています。「1988年、ニュージャジー州で爆発物所持で逮捕され、一審で30年,二審で22年の刑を受けコロラド州フローレンス刑務所に収監されている日本人がいる。たった一人で『アメリカ帝国主義』に対して闘いを挑む全共闘世代の生き様を追う。」
今、思い出してもイヤになるくらいトラブル続きの本でした。いろいろな理由で最初の原稿の重要な親子の文通などをカットせざるをえなくなってしまったのです。結局、出版まで3、4年かかりましたが、よく考えてみると郷隼人の歌が朝日歌壇に載りだしたのが96年とありますから、この頃その本の準備をしていたのだと思います。
といいますのは「郷隼人」の名前を朝日新聞で最初に見たとき、『アメリカの日本人政治囚』の当事者の金城憂ではないかと思ったからです。鹿児島出身で、アメリカの刑務所に収容されている、そう思って歌壇に載る歌を読んでいると大変なリアリティを感じ、また迫力があったのです。
本人に問い合わせてもらいましたが、人違いでした。しかし、それからもずっと気になり、どういう人物なのだろう、毎週のように歌壇に紹介されるのに、なぜマスコミは取り上げないのだろう、と不思議に思っていました。
この歌集は『あさま山荘1972』の坂口弘と同じで朝日新聞社(『坂口弘歌稿』)が出版するだろうとなんとなく思っていたので、幻冬舎から出たのを知ったときは、あらゆるものに目配りしている同社の姿勢にちょっとした驚きをおぼえたものです。
本は新聞広告で見てすぐ買って読みました。まず「後書き」から、つぎにエッセイ、そして短歌へと後ろのページから前へと読んでいきました。久しぶりに雑念を感じさせない「透明感」のある文章に接したという感想です。とくに歌の背景を書いたエッセイは一級品であると思いました。著者は84年に殺人事件を起こし、終身刑ですでに20年もアメリカの刑務所に収監されている人物でした。娘さんもいるようです。
同じ読後感ではありませんが、読みながら戦慄をおぼえ、ページをめくるのにドキドキした本があります。ほんの1が月ほど前に読んだ森達也著の『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮社)です。家人にその話をしたら、浅草キッドがホームページで同じような感想を書いていると教えてくれたので見ましたが、読後感は似ているのだな、と改めて驚きました。
これまで短期間にこのような優れた本に続けて出会った記憶はありません。(S)