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編集部だより(No.18 2006・5)

2006 年 6 月 14 日 水曜日

昨年の11月に原稿を書いて以来、長い間お休みいたしまして申しわけありません。
ホームページを大改造することになっていたので、その後に書こうと思っていましたが、作業の都合で少し延びることになりましたので、今日になってしまいました。
したがって、書こうと思っていたテーマがやや古びてしまいましたが、あえて書くことにしました。
それは今年日本で公開された映画『力道山』のことです。
「日本人がいちばん、力道山を知らない。」韓国・日本合作映画、ソン・ヘソン監督『力道山』のパンフレットに書かれたコピーはなかなか強烈です。
『シルミド/SILMIDO』で知られる韓国のトップスター、ソル・ギョングが力士とプロレスラーとしての力道山を演じていますが、30キロほど体重を増やして取り組んだ演技は迫力があります。また「本編の97%が日本語」といわれるソル・ギョングのセリフは強烈な印象を残します。
この映画の少し前にチャン・イーモウ監督の『千里走単騎(単騎、千里走る)』を見ましたが、中国映画の中で日本語のセリフしか話さない健さんとソル・ギョングとを比較すると健さんが何と貧弱に見えたことか。それほどソル・ギョングの日本語は完璧だったのです。「心を動かすことのできる日本語」と絶賛され、それだけで見る側に感動を与えます。
日本側は藤竜也、中谷美紀、萩原聖人らが出演しています。プロレスの試合の場面が評判になりましたが、格闘家の船木誠勝、武藤敬司、秋山準、亡くなった橋本真也らが出ていたからでしょう。
戦後日本のヒーローといわれたプロレスの力道山がいまだに日本人だと思っている人が80パーセントという日本の状況の中で、「朝鮮人」として苦悩する力道山を描いたこの映画の与えたインパクトはかなり大きかったと思います。
昨年、『パッチギ』が評判になりましたが、この映画も北朝鮮へ帰還しようとする朝鮮高校の青年を描いており、同時期に同じようなテーマの作品が作られたことに、「韓流ブーム」とともに時代の流れを感じます。
わたしも長い間、力道山は長崎県大村市の出身で百田光浩が本名だと思っていました。子供のころ見た吉永小百合などの映画を撮っていた日活の森永健次郎監督、力道山主演の『力道山物語 怒濤の男』の影響だと思います。ちなみに力道山は29本の映画に出ています。
その映画は完璧に日本人「力道山」として描かれていたと思います。

映画『力道山』の原作というか下敷きになったと思われる作品があります。数年前、たまたま図書館で借りて読んで衝撃を受けた一冊の本ですが、小学館から1996年に出版された朝鮮籍を持つ在日3世のリ・スンイル著の『もう一人の力道山』です。
現在は小学館文庫になっており、その「補遺―力道山の鞄」で祖国との関係を取り持った朝鮮総聯関係者の話や、日本人と結婚した当時、同じマンションに「在日本朝鮮人中央芸術団」の女性もいたことを明らかにし、その女性との衝撃的な内容のインタビューが載っています。
『もう一人の力道山』は「民族の英雄、力道山」を取材するため「万景峰(マンギョンボン)号」に乗って現地取材を敢行した力作で、これまであまり知られていなかった「朝鮮人」としての力道山の姿を赤裸々に描いたものとして特筆すべき本です。北朝鮮にいる力道山の娘キム・ヨンスクとも会い取材しています。
力道山の本名は金信洛(キム・シンラク)、朝鮮半島のハムギョンナムド(今の北朝鮮)で1923年(24年ともいわれている)に生まれ、1940(昭和 15)年、朝鮮相撲のシムニ大会に出たことで、日本の相撲関係者の目にとまり、強く勧誘されて来日、二所ノ関部屋に入門。関脇まで上がるが、1950年自ら髷を切り、プロレスラーに転向する(この年に朝鮮戦争が勃発し、分断国家となったため帰国できなくなる)。その後は、「天皇に次ぐ有名人」といわれるほどのスターになったことはよく知られています。
「戦後日本人のヒーロー」としての虚像を守り続け、周辺の人には必死で出自を隠し続ける力道山。それはプロレスラーとして身近にいた芳の里すら知らなかったというエピソードまであります。
朝鮮総聯関係者と秘密裏に会い、金日成の誕生日にベンツを贈るため自ら運転して新潟港に向かった力道山。
1963(昭和38)年、東京オリンピックの前年に、やくざに刺されて死ぬことになるのですが、その背景にはどす黒い政治が渦巻いていた……。
東京オリンピックで南北統一チームの結成に朝鮮総聯関係者と共に奔走していた力道山(娘のキム・ヨンスクが選手として来日する予定であった)。
それに対して、韓国KCIAは徹底して妨害工作をしていたこと。当時、陸上やサッカーなど有力選手が北朝鮮には多くいたので、それらの選手が脚光を浴びるのを阻止するねらいがあったと思われます。
それで、結局、北朝鮮チームは東京オリンピックをボイコットすることになります。
それらのことは戦後の「日本人のヒーロー」の姿とはかけ離れた実像・現実であったのです。(K.S)

新年おめでとうございます。当たり前のことが当たり前である年でありたい(news058)!

2006 年 1 月 27 日 金曜日

今年は歴史の曲がり角の年になるでしょう。昨年の自民党圧勝の結果、小泉政権は戦後の懸案事項を一気に“清算”すべく、改革の名の下に諸政策を打ち出している。憲法改正、国民投票法、皇室典範の改正、教育基本法の改正、防衛庁の省、昇格、いづれも国の在り方に関わる大問題である。にもかかわらず、大した議論は行われていない。ムードに乗ったポピュリズム政治の展開である。対抗すべき、野党の民主党も前原代表に象徴される、いわゆる若手世代の理念は、あまり自民党と代わり映えしない“新保守”様相である。小泉首相に「一緒にやっていける」などとおちょくられるのも致し方ないか?
突然のホリエモン逮捕、“改革の旗手”としてもてはやした自民党の先生方、「お金が全て」とうそぶいたホリエモンに夢を賭けた人たち、開けてびっくりの年明けである。アメリカにおちょくられたBSE問題、耐震偽装の建築業界、順風満帆の小泉丸はどこに行くのか。今国会は見物であるが、いずれにしても、今後の行く末を決める一年になることは間違いなさそうである。
*               *
さて、出版界についての一言――。
昨年は出版流通にとって節目の年だった。日販の共同流通による返品の無伝化と形態の変更。トーハンの桶川SCMセンターの稼働。この返品流通の変更は、様々な問題を投げかけたが、一応の落ち着きを取り戻し、どうにか改革の第一歩を踏み出したと言える。しかし、無伝化を軸としたこの流通改善の本質は、単に物流の合理化だけに終わらせてはならず、納返品の情報を一元的に把握できる取次が、それを原則的に開示し、版元・書店での販促に利用されてこそ、意味があるのだ。さて、IT化とは対極にある人間の眼(勘)について。版元における勘(眼)は企画となって表現される。売れる本、後世に残る本、いずれも眼があったと評価される。書店における眼(勘)は、売れ筋を見抜き、効率よく仕入れ、少数の読者にも応えることである。品揃えに表現され、特色ある書店(棚)として評価される。毎日大量の新刊に追われる取次の仕入れ窓口でも、機械的なデータに頼らず、もう少し個性的な仕入れの眼(勘)があっても良いのではないか。読者の多様化に対応した“頼れる取次の眼”を期待したい。出版物は再販商品である限り、その原則は守らなければならない。ポイントカードやトレーディングスタンプの導入による実質的な割引は、読者サービスという名目での低率導入にしても、利幅の薄い書店の経営を実質的に圧迫し、書店淘汰を進め、いずれは仕入れ正味の引き下げを版元に求めることに帰結する。読者サービスは値引きではなく、読者を引きつける品揃えと積極的な販売活動で読者という畑を耕すことである。出版界は長期低落傾向にあり、パイは広がっていない。売り上げと利益を争う商品の本が、一方では文化財であり、知的遺産として生活に潤いを与え、文化を創造する活動の基盤を作るものであるという自覚を持ちたいと思う。

出版社にとっての返品激増問題(彩流社:営業代表 編集 塚田敬幸)

2005 年 11 月 27 日 日曜日

(2005.11. 10 新文化通信紙 に寄稿したものを転載)

返品がとまらない――。
今年8月、小社は創業26年の歴史の中でも未曾有の返品量となった。それ以前に売れるものがあって市場在庫が増えていたというような要因はまったくなく、返品の内容を分析してみても既刊本がやや多いくらいで取り立てて特徴もなく、新刊の返品が全体的に早く、多くなっている、という頭の痛い状態であった。
筆者は9月から10月にかけて、おもに返品をテーマにした版元中心の集まりに3度出席する機会を得た。一つは9月28日に流通対策協議会の経営委員会主催で「どうなってるんだ!?返品」と題して行われた返品問題情報交換会。もう一つは版元ドットコム主催で10月11日に行われた「返品問題研究会」、三つ目が10月14日に、100社ほどの版元と関係者が集まり行われた小社が業務委託している倉庫会社、大村紙業の「庄和流通センター開設に伴う説明会」である。
中小・零細版元の団体が主催した前二者の集まりには筆者も主催する側として多少関わっていたのだが、呼びかけから開催までの期間が非常に短かったにもかかわらず、予想を越える人数が集まり、関心の高さを証明する結果となった。
5月から稼動をはじめた出版共同流通 所沢センター経由の返品(日販のみ)が版元に届きはじめ、返品の形態の変化(商品別結束からバラ、バケット)による仕分けの手間、結束を望んだ場合の荷傷みの問題、伝票の条件違いの訂正の問題、版元の受領印なしに入帳されてしまうこと、伝票の枚数増による事務処理負担増、逆送の急増、常備の早期返品等々、多くの問題点が指摘された。
基本的にほとんどの版元の意見が、手間や資金繰りに直結する重大なマイナス面ばかりが目立ち、メリットらしいメリットがなく、合理化の恩恵を享受しているのは取次ばかりではないのか、というものであった。そしてまた多くの版元から返品が急増したという声があがった。現象としては市場在庫がかなりの量、版元に返品されつつあり、そのことが版元の危機感と不満に拍車をかけている状況だ。
小社の場合、8年前に日販コンピュータテクノロジー(NCT)の出版社システムを導入、6年前に大村紙業に業務委託をはじめたのをきっかけに、大村倉庫と本社のシステムをオンライン化し、その1年後倉庫経由で出版VANに加入と、規模のわりに早め(あるいは分不相応の)の対応をしてきた。そのため、前述の諸問題はほとんど顕在化せず、返品伝票のチェックの負担が増えた程度で済んだ。が、自社で返品を受けている版元の苦労は想像に難くなく、死活問題とさえ言ってもいいほどのケースも散見され「いったい何のための合理化なのだ」という声にはまったく同感である。とくに逆送問題は少ない労働力を割き、やっとの思いで築いた小版元と書店さんとの信頼関係をあっさり崩しかねず(版元の意志で逆送されていると思われ)、合理化本来の目的からも本末転倒と言わざるを得ない。11月にはトーハンの桶川センターも稼動をはじめるが、少なからぬ版元がこうした不満を抱いていることを事実として報告し、多少たりとも改善の方向に向かうことを切に願う次第である。

こうした多くの問題を孕みつつも返品の合理化は現実として進行し、それに対応すること(何もしないことを含め)を版元としては避けて通るわけにはいかない。大村紙業の「庄和流通センター開設に伴う説明会」はそのうえで版元に多くの示唆を与えるものであった。
同社は埼玉県春日部市に取得した1万3千坪の敷地に、所沢センター、桶川センターに対応した返品自動仕分け機を導入、2006年2月より稼動開始予定、その後出荷センターとしても稼動予定という。こうした事実は今年から本格的に始動した取次会社の流通改善により、たとえ小版元であっても倉庫業者といかに連動するかを考えざるを得ない事態になりつつあることを示しているのではないかと思う。
前述したように、小社ではすでに大村紙業経由で、出版VAN(現新出版VAN)での受発注をはじめて5年になるが、この間進めてきたのは業務委託による省力化はもちろんのこと、受注データの履歴をつくることで自社の注文状況を把握できるようにし、営業に活かすことであった。書店別・商品別で受注し、倉庫からオンラインで転送、それを筆者がつくったシステムまがいのデータベース(MS ACCESS)に蓄積していくわけだが、要は従来の短冊が書店別にエクセルの表状になったものである。このデータにP-NET、PUB-LINEなどで取得した実売データ、一部商品の配本リストなどを加えたりして、店頭の状況を把握し、開拓可能書店の発見、売れ筋の発見や、売り逃しの防止、増刷可否の判断などに役立ててきた。現在、前述NCTに依頼し、より精度の高いものへと開発中である(図参照)。
こうしたことは、すべて倉庫会社に業務委託したからこそ、小社のような小版元でも、手間と多少の勉強さえいとわなければ低コストで可能になったことである。だからといってすぐに「倉庫へ業務委託を」と短絡するつもりはないが、一つの道筋として有効であろう。
さて、別表に示した開発中のソフトは、書店別・商品別の返品データを取得できることをほぼ前提として設計したものである。配本リストについても自動で取り込めるようにしてあるが、これらは現在、版元が取得しようとしても配本リストは有償であり、返品データはその一部を日販トリプルウィンで取得できる程度である。
今回の返品合理化は版元への返品の滞留がなくなり、書店取次間の無伝票化、版元取次間の返品伝票データ化による事務処理業務の軽減など、目立たないが、後になってジワジワとそのメリットが実感される体のもので、書店への商品到達が速くなったのと同じくらい重要な改善であり、じつのところ、筆者も賛成であり大いに期待している。しかし、このメリットをより有効に活用するためには、前述の配本リストと書店・商品別の返品データが不可欠である。そして、それら情報の共有化こそが流通改善を実のあるものする鍵となる。だからこそ、小版元でも活用可能なレベルのコストであるべきだと強調したい。より詳しくは本紙10 月19日号掲載の沢辺均氏の投稿記事『取次会社にお願い!新刊配本リストの無料提供を縲怐x(版元ドットコムウェブサイトに転載→http://www.hanmoto.com/diary/2005/10/19/245/)を参照されたい。筆者も沢辺氏の意見に賛成であり、取次各社の英断を心より期待している。

さて、筆者は8月末の小社決算から2ヶ月間、足掛け10年出版流通に従事してきたなかでも、これほど返品のことを考えたことはなかった。暗い話が多くゲッソリもしたが、返品を考えることはとどのつまり出版流通のあり方、ひいては社としてのあり方、行く末を考えることでもあった。
小社は現在10人のスタッフで、年間80点前後の新刊を刊行している。そのうちいわゆる「堅い」本が点数的には7割ほどを占める。ここ10年で発行点数は約2倍に増えたが、それに比例して売上が倍増したわけではもちろんない。ここ5年では点数は5割増だが、売上高は横ばいか1縲F2割増し程度である。出版界全体の情勢とほぼ軌を一にするかやや上回るペースで発行点数が増えている。要は1点あたりの売れ部数がどんどん落ちてきている。
今まで述べてきたような、データ化による効率化を進めてもほとんど追いつかない勢いだ。返品率もあまり改善されていない。企画の問題もあろうし、異論があるかもしれないが、売上を確保すべくそれでも点数を増やさねばやっていけないのが恥ずかしながら実情である。
今回の合理化で返品がより速く届くようになり、いずれ希望版元に返品データが日々配信されれば、納品データA4の表1枚、返品2枚ということにもなろうし、初刷部数はより縮小される方向に向かうであろう。
小社の場合、紙など材料費が下がっていることや、DTP、制作費管理などの社内努力で原価を抑えているが、それでも原価率が上がり、オンデマンドもまだ商業ベースに乗りきらない段階では、成り立たない企画が増えてくるだろう。
しかし、出版点数が増えることははたしてそんなに悪いことなのだろうか。粗製濫造(と決して思わないが)という声もあろうが、むしろ少ない刷部数を上手に成り立たせることにこそ、小出版の意味と出版の多様性、可能性があるように筆者には思える。返品合理化にはじまる一連の流通改善は、その可能性を広げるものになり得るし、ならなければそれこそ意味がない。そのためには、版元自らの努力が不可欠であることはいうまでもない。そしてまた、既存の流通の合理化に対応するいっぽうで、独自の売り方、流通を模索する努力をすべきである。これは自戒を込めていうのだが、なんでもかんでも委託して「取次ぎにお任せ」という時代がもうすぐ終わるのは明白である。小社でも異種流通で成功している例が何点かある。著者中心のファンクラブで何百部売って、かつ市場でも成功するものもある。それらは長い目で見て、決して正常ルートの利に反するものではないと思うが、それは理想に勝ちすぎだろうか。
状況が厳しいことに変わりはないが、流通改善の始動を契機に、読者を含め全体の利益を増やす方向に向かうよう、版元として努力を続けることで、少しでも希望を見出したいと思う。

編集部だより(No.17 2005・11)

2005 年 11 月 27 日 日曜日

昨年の「編集部だよりNo.11」で、「神戸、そして佐世保」と書きましたが、今年は、「札幌、そして佐世保、マナウス…」です。
10月 15、16日に札幌の北海学園大学(高校野球で名を馳せた北海高校と同じ系列)で「日本アメリカ文学会」が開かれ、本の販売に出掛けました。会場はすすきのから電車ですぐの所で、おまけに地下鉄の駅の上が大学という大変立地条件の良いところでした。しかし、販売会場は3階の教室とわかりづらく、かなり苦戦を強いられました。それでも何とか赤字にはならなくてすみホッとしています。

売り上げベスト3は次の通りです。
1. 日下洋右著『ヘミングウェイ ヒロインたちの肖像』
2. 小山起功著『黒人史講義』
3. 三浦玲一著『ポストモダン・バーセルミ』

今回は学会を利用してポルトガル・ブラジル、スペイン関係の訳者Aさんと会い、すすきので来年刊行予定のポルトガルの作家フェレイラ・デ・カストロの戦前に出た『日本紀行』(仮題、世界紀行のなかの日本編)の翻訳の打ち合わせをしました。話をしていて分かったのですが、この本は別バージョンがあり、当時の写真を沢山入れた豪華特装本があるとのことです。話は弾み、歴史を中心としたノンフィクション作家・評論家の保阪正康氏に解説を頼むことになりました。氏はこちらの依頼にこころよく引き受けてくださいました。原稿の出来上がりが楽しみです。

なぜだか昨年と同じように、11月に入り4日から8日までの予定で九州・佐世保へ帰ることになりました。今回もまたプライベートな旅で、博多まで飛行機で、そのあと特急で佐世保というコースでした。中学時代の同窓会とその他の用事がたまたま重なっての帰郷となりました。
同窓会の会場で一泊した山荘は昨年の平戸の海岸とは違い、「山暖簾」という黒川紀章氏が設計した、その名の通り山の中腹にある温泉のあるところでした(一週間ほど前、テレビ東京の旅番組で佐々木功が紹介したそうです)。合併で佐世保市になったこの山荘の朝風呂に一人で入り、朝霧がかかった山峰を眺めながらこころゆくまで楽しむことが出来ました。

同窓会は相変わらずでしたが、今回驚いたことがあります。40年前にブラジルに渡ったクラスメイトの藤井君がたまたま帰国していたのです。(彼の移民は、日本から見れば地球の裏側へ行くということで、当時の私たちには大変な衝撃でした。)同窓会の会場では挨拶程度でしたが、帰りのバスが一緒だったのでいろんな話をしました。
藤井一家のブラジル移民の話は、急に決まったそうです。というのは、高校に入学をしたばかりの1学期の途中で行くことになり、あわただしく準備をして神戸から船に乗り、横浜に寄港し、45日をかけてブラジルのサンパウロに到着したそうです。
藤井君たちが移民した時期は、東京オリンピックの前で、日本が高度経済成長に入る直前だったことになります。この数年後に「豊かな生活」が始まり、移民事業も中止になり、北朝鮮への帰還事業も同じようにこの時期に終わっています。
サンパウロから移動しアマゾン川に近い都市マナウスの近郊に入植した藤井一家は、40度から50度ちかい高温に慣れるまでは大変だったそうです。しかし、土地は一定程度開墾されていて、スムーズに移行できたとのことです。ブラジル以外の中南米に移民した人は特に苦労したようですが。
知らない国に移民したわけですからかなりの苦労はあったのでしょうが、胡椒、大豆、野菜、花などを次々に栽培し、かなり早い時期に自立することが出来たとのことで、彼らは移民の成功者だといえるのかもしれません。現在は農業は他の人に譲り、兄弟で「スーパー・フジイ」を経営しているとのことです。マナウスではすぐわかりますから、寄ってくださいと言われました。
小社もブラジルの代表的作家ジョルジェ・アマードの『砂の戦士たち』やマシャード・デ・アシスの『ドン・カズムーロ』、田所清克・伊藤奈希砂編著の『ブラジル文学事典』など関連書を出しているので、その話でも盛りあがりました。しかし、最近はNHKテレビの衛星放送を見られるので、日系の新聞の役割が低くなり、残念ながらそこで紹介されていた本への関心も薄れているとのことです。

NHKテレビの衛星放送の果たしている影響はかなり大きくなっていて、日系人のかなりの人が見るので、日本の状況はほとんど同時に把握できるようになったそうです。ジーコのサッカーのこともよく知っていました。NHKの放送で困るのは、人名や地名の発音がブラジル発音を無視していて言うので、彼らにとって誰のことをいっているの、どこの土地を指しているのかわからないことがあるそうです。たとえばジーコは「ジッコ」と言ってもらわないとブラジルの人は困りますとのことです。
ブラジルはもちろんサッカー王国ですが、その主流はアフリカ系の人たちで、その運動能力にはなかなか勝てないので、日系人はどちらかというと野球をやっているそうです。ブラジルでは「白人の都」ポルトアレグレを中心にドイツ系の移民も多く、ハッとするような美形の女性をよく見かけるそうです。そういえば桑野淳一著『ブラジル夢紀行』にそのことが書かれていたことを思い出しました。
(K.S)

小泉自民党の“大勝利”は正に歴史的な出来事! プラスかマイナスは別として……(news057)

2005 年 11 月 1 日 火曜日

9・11の総選挙は小泉自民党の圧勝に終わった。郵政をめぐる改革か否かの「国民投票的選挙」による“賛成多数の大勝利”と本当に言えるのか。確かに自公で3分の2以上という議席は、やる気になれば何でも出来る数であり、“良識の府”参議院の存在すらも不要に追い込める。だが、今回の選挙は、郵政民営化の賛否で言えば、全体の得票率は反対派の方が多く、小選挙区、比例代表制という選挙システムの“魔法”によってもたらされた勝利である。小泉劇場といわれる自民党内の内部闘争を“マドンナ刺客”の登場や“改革と守旧”というレッテル貼りのスローガンで、現状の閉塞感に不満を持つ大衆の動員に成功したのも事実であるが、小選挙区での勝利の要因は公明党の基礎票であり、それなくしては勝利がおぼつかない。
かつて、民意の多様化を反映する中選挙区制の末期に連立政権が出現し、連合の時代に入ったにもかかわらず、二大政党制と金のかからない“政治改革”の美名のもとに、小選挙区、比例代表制が導入された。小選挙区制の本質は、政党を選ぶ選挙であり、従来の日本型、地元人物主義とは異なり、極論すれば党中央からの落下傘候補型の政策選択選挙が当然なのである。その意味では、小泉首相は小選挙区制の本質を最も理解していた人であった。従って、本心では自民単独での大勝利を目論んだとしても不思議ではない。だが、戦後における日本型政治社会では、理念的な画一性よりは多様な民意を吸い上げる“利益代表型”政治が主流であり、そのためには多党化が必然であった。しかしながら、現状の選挙制度では二大政党制に収斂せざるを得ず、公明党のように自己保存を目的にすれば、選挙区では党略上、他党を推すことまでするという矛盾を抱えることになり、また自民党も比例区で他党を推すという“ねじれ”を招いた。こうして成立した連立政権は、政党独自の理念と政策を掲げて戦った結果、過半数に満たずに政策協定をして連立を組むという本来の姿とは、似て非なるものにならざるを得ず、単に権力を維持するためのみの“ご都合主義”政権に堕する。見よ、靖国参拝やイラク派兵に対する公明党の弱腰を。
さて、一方の“敗者”民主党は? 確かに議席は減った。敗北に間違いはない。責任は代表岡田氏にあることも当然である。だが、巷間言われるように、郵政に対する態度が曖昧(労組に遠慮した)だから敗北したという総括は、短絡に過ぎる。本質は、小泉自民党の“新自由主義”のイデオロギーに対置する“リベラル”か“社民(かつての福祉国家論)”かといった明確な国家像とイデオロギーが不鮮明なのだ。また、党内が寄合所帯故の意思統一不足で、地方組織も“個人後援会”か“労組”頼りという前近代的な党組織の限界が露呈した結果である。このままでは、現状の選挙制度の中では、“まぐれ勝ち”しか望めない。新代表の前原氏には若いが故の期待もするが、「労組と組むのは反改革だ」という声に押されて、「縁切り」的発言があったが、特権的労組はともかくとして、古めかしいが「労働者は社会の基幹の一つである」ことに間違いはない。かつて、ほとんどの人が、「自分は中流だ」と意識していた(たとえそれが幻想であっても)。しかし、これからは、「勝ち組か負け組か」といった二極分解の時代に入る(繁栄する地域、上昇する産業などとその対極)。いずれにしても、大きなグランドデザインに裏打ちされた理念の上に個別政策を展開しないと、「改革を競う」というスローガンの下に小泉政治のお先棒を担がされる危惧を捨て去れない。少数野党の焦りは禁物である。

●オンデマンド出版開始(これからも品切れ本の刊行を積極的に行ないます)
『ポスト植民地主義の思想』(ガヤトリ・スピヴァック 著/清水和子、崎谷若菜 訳)10月20日発売
読者からの要望も少なからずあり、さりとて増刷にまでは踏み切れずに長らく品切れとなっておりました同書ですが、この度オンデマンド版として刊行を決定しました。客注であれば出荷いたしますので、問い合わせがありましたらよろしくご対応ください。
ISBN4-7791-9000-2 C0010 本体価格3500円です。

編集部だより(No.16 2005・9)

2005 年 9 月 27 日 火曜日

「著者情報」でも少し書きましたが、植垣康博さんの結婚式に出席しましたが、私が座ったテーブルには、勝谷誠彦さんのほかに三浦和義さん、蜷川正大さんらと共に、「オウム真理教」麻原彰晃の主任弁護人の安田好弘弁護士がいました。

安田さんは、最近、『あさま山荘1972』の著者坂口弘さんの再審請求の弁護を引き受けられたということで気になっていました。挨拶程度ですが坂口さんの本を編集したことを話をしました。
今度坂口さんと面会したおりに、会ったことを彼に伝えておきますとのことでした。そういえば、死刑が確定した今、面会出来るのはお母さんと安田さんだけなのですね。
8月に入って、朝日新聞の社会面に麻原彰晃の近況を伝える記事が出ましたが、その内容は安田弁護士の新刊『「生きる」という権利』(講談社)の紹介でもありました。
さっそく買って読みましたが、冒頭の現在弁護を務める麻原関係のところはもちろんですが、山谷暴動や新宿駅西口バス放火事件からはじまって、さまざまな冤罪事件や死刑判決とのかかわり、「全共闘の教祖」滝田修や、日本赤軍の泉水博、丸岡修をはじめとする公安事件など安田弁護士がかかわった裁判の記録に圧倒されてしまいました。
何に圧倒されたかといいますと、仮に結論が同じ死刑判決文でも検察側のストーリーで書かれたものと、弁護側が被告の話をちゃんと聞き取り、それを検証したものとではどう違うのかを地道にやっていった活動の記録でもあったからです。
それは膨大な時間とエネルギーを要するものだけに、お金儲けの弁護士には決してできないだろうし、それは安田弁護士の冤罪や死刑回避のための身を挺した戦いでもあったのです。
なぜそうした弁護活動をやるようになったかについては、『「生きる」という権利』を読まれるとよくわかります。「まえがき」に次のようなことが書かれています。
「いろいろな事件にかかわって、はっきり感じることがある。なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。それは、私が無条件に「弱い人」たちに共感をおぼえるからだ。要するに、肩入れせずにはいられないのだ」

冤罪事件として書かれているもののなかに、「宮代町母子殺害事件」というのがあります。この事件については、よく憶えています。80年代の中頃、植垣さんと東京拘置所で面会したり、手紙でやり取りをしているとき、彼からこの事件の被告の手記を読むように勧められたからです。
1980年に埼玉県宮代町で起こった母子殺害事件は、最初、夫が殺害を自白したが、一転否認。同じ頃栃木県日光市で起こった強盗致傷事件で逮捕された村松兄弟が事件の手口が似ていることと、被害者が元の職場が同じであったことから逮捕され、自白、その後否認した事件である。安田弁護士らは冤罪事件であるとして検察側のアリバイ潰し、犯行現場の再現など血のにじむような検証もむなしく98年に最高裁は上告を棄却し、兄の死刑と弟の無期が確定したものである。
この頃何人かの死刑判決を受け、控訴中の被告の原稿を読みましたが、この事件はついに本にすることはありませんでした。
最後に坂口弘さんのあさま山荘事件についても裁判で実質審議はほとんど行われておらず、「事実を検証し直さなければならない」と述べています。
話は一転、野球のことになりますが、今年の夏の甲子園はわが田舎の清峰高校の活躍が話題をよびました。「過疎の地、廃鉱の街からきた学校」、「さわやかな風を大会に吹き込んだ高校」など、さまざまな形容のされ方をしましたが、改めて甲子園大会とは、ふるさとナショナリズムをかき立てるということを知りました。
いままで長崎県の高校が甲子園で話題を呼ぶことがなかったので、そのことに気がつきませんでした。サッカーの地域密着型が、こうした気持ちをうまく取り込んだ方式で成功したことが今回よく理解できました。
小社も『古角(こすみ)イズム―野球王国・和歌山の中興の祖・古角俊郎伝』を出しましたが、この本は、今年の夏の甲子園大会の開会式で、入場行進の先導役を務めた戦前最後の優勝校であった海草中学(現向陽高校)の話しも出てくる野球好きには応えられない本です。
安田弁護士の本を買いにいった時、ふと目にとまった一冊がありました。門田隆将著『甲子園への遺言―伝説の打撃コーチ 高畠導宏の生涯』(講談社)です。同じ野球の本で話題を呼んだ『打撃の神髄―榎本喜八伝』はどういうわけか手が出ませんでしたが、この本はためらいもなく買ってしまい、その日のうちに読んでしまいました。

かつて南海ホークスが野村監督、ブレーザー・ヘッドコーチで「シンキングベースボール」を掲げ、プロ野球に革命を起こした時、28歳でコーチに転身した人です。30年間プロの打撃コーチとして30人以上のタイトルホルダーを育て上げた伝説の人でもありました。
晩年は、コーチ業をしながら通信教育で教師の免許を取り、プロを退団して高校の先生になり、教育者として甲子園を目指そうとしましたが、病に倒れてしまいました。
読売新聞の書評で畑違いの(?)作家逢坂剛がこの本を取り上げていましたが、野球を通してですが、生き方が人に感動を与える数少ない本の1冊だと思います。著者の取材力が光ります。(K.S)

編集部だより(No.15 2005・7)

2005 年 7 月 27 日 水曜日

祥伝社から柴田哲孝著『下山事件 最後の証言』が出ました! 定価が 2100円とやや高めですが(彩流社の本はもっと高いかもしれません)、ちゅうちょすることなく買いました。〈下山病〉という言葉があるそうですが、この問題の関連書はどれを読んでもついつい引き込まれてしまうのです。

従って、本が出ること自体はそれほど驚くことではないかもしれませんが、次のような新聞広告のコピーを見て、これはちょっと今までの本と少しちがうのでは? と思ってしまったのです。
「私の祖父は実行犯なのか? 約束しろ。おれが死ぬまで書くな! 祖父の盟友にして某特務機関の総帥は言った。真相を知る祖父の弟、妹、そして彼も没した今、私は当事者から取材したすべてを語ろう。」
読んでいるうちに、その予感は的中しました。といいますのは、以前(編集部だより No.9)、次のようなことを書いたことがあるからです。
「… 読みながら戦慄をおぼえ、ページをめくるのにドキドキした本があります。ほんの1ヵ月ほど前に読んだ森達也著の『下山事件(シモヤマ・ケース)』(新潮社)です。家人にその話をしたら、浅草キッドがホームページで同じような感想を書いていると教えてくれたので見ましたが、読後感は似ているのだな、と改めて驚きました。」
読み始めはちょっととまどってしまいました。『下山事件(シモヤマ・ケース)』と同じ内容が書かれていたからです。あれ? どうなっているのかと思いました。が、すぐ思い出しました。森達也の本に登場する映画監督の井筒和幸が森に紹介したネタもとの『彼』が著者だったのです。
これは一体どういうことだろう? しばらくページをめくりながら考えていました。全編452ページの長編ですが、197ページについに森達也の名前が出てきたのです。
「ところが2004年2月刊の森達也著『下山事件』の中に、唖然とするような寿恵子の証言が載った。その部分を引用してみよう。〈キャノンの部屋がライカビルにあったのよ。キャノン機関は知ってる?(中略) その謀略機関のボスだったキャノンと、亜細亜産業の総帥の矢板さんは大の親友でね、いろいろ一緒に仕事をしていたのよ。(中略)下山さんが三越から失踪したその日のことははっきり覚えてる。兄も矢板さんも佐久間も、とにかく誰も出社してこなくてね、確か次の日も来なかったはずよ。下山さんが行方不明になったというラジオのニュースを聞いて私は妙に胸騒ぎがしてね、次の日の朝、轢死体で発見されたと朝刊で読んで直感したのよ、これはみんながやったんだって〉
森達也はこの部分を「彼」の大叔母の証言として書いている。つまり、それを森に話したのは「私」ということになる。だが寿恵子は、キャノンの名前さえ知らなかった。まして矢板玄の親友であり、いっしょに仕事をしていたことなど知るわけがない。」
320ページにも次のような文章がでてきます。

「…だが数年後、森達也は、ナッシュ(外車)に関してどんでもないことをしでかすことになる。2002年2月20日に新潮社から発行された『下山事件』に、次のような一文がある。〈あらかじめ用意しておいた写真を僕は鞄からとりだした。41年型のピュイック。しばらく写真を眺めてから、「ちょっと違うような気がするなあ」と彼女はつぶやいた。「ええ、違うの?」率直な落胆を声に滲ませながら、『彼』がテーブルの上に身を乗りだした。「全体はよく似てるけど、後ろの方がもっと翼のように広がっていたのよね。鳥の羽みたいに。珍しい形だったから、それだけははっきりと印象に残っているのよ」〉
これはもちろん私と斎藤(茂男)、さらに森達也が母の店を訪ねた夜の話だ。“僕”とは森達也自身、“彼女”は私の母、『彼』は私である。ニュアンスが徴妙に違う。森が41年型のピュイックの写真を持っていた事実はない。…私は最初にこの一文を読んだ時、開いた口がふさがらなかった。明らかな証拠の、証言の捏造ではないか。」
最初に見た「参考文献」の主要作品に森達也の本ではなく、朝日新聞から刊行された諸永祐司著『葬られた夏 追跡下山事件』があげられていたことも気になっていました。というのは森達也が『下山事件(シモヤマ・ケース)』で、この本の刊行について何の連絡もなかったことを出版局にたいして抗議したと書いているからです(『葬られた夏』の初出は「週刊朝日」の連載で、森が著者で諸永が編集者という関係だった)。
今回は、柴田哲孝が森が了解をとらずに本を刊行したことを批判しているというように読めます。これは明らかに彼らの間で『下山事件』刊行を巡って内ゲバに近いことが起こっていたことを示しています。
ともあれこれらの本によって〈下山事件〉は大きく前進したようにも思えます。諸永祐司や森達也らの本でぼんやりした事件の輪郭が浮かび上がってきましたが、これらの本のネタもとの当人がそのベールを脱いだことによって、その輪郭がより鮮明になってきたからです。
〈下山事件〉との関わりを噂されていた占領軍の諜報機関であったキャノン機関、そして「亜細亜産業」(上記の矢板玄はここの総帥で、著者柴田哲孝の祖父はキャノンお気に入りの主要な社員、大叔母の寿恵子も事務員)とそこに出入りした人物が明確になったからです。
社名は満州鉄道の「アジア号」という特急列車名から取ったこと。矢板玄の父親らは満州鉄道の敷設に関係し、東武鉄道の大株主であったこと。事件が満鉄、国鉄、東武鉄道――下山国鉄総裁の轢断現場が国鉄と東武伊勢崎線の交差地点だった…。吉田茂、岸信介、佐藤栄作、迫水久常、西尾末広、白洲次郎、田中清玄、児玉誉士夫、伊藤律…ら政界、財界、右翼、左翼の大物が出入りしていた。このことは、敗戦直後の吉田内閣の成立に関わっていたことを示しており、A級戦犯の岸信介(彼は満州経営に深く関わった)の釈放にも関係していた…などなど大変な事が書かれています。
これらの本はすべて下山事件は〈他殺〉であるという説を追究したものですが、最近ではめずらしい〈自殺〉説に迫った雑誌もありました。『文藝春秋』の2005年6月号の「心の貌 昭和事件史発掘 2」の「下山事件 追い詰められた経営者」の柳田邦男と辻井喬(堤清二)の対談です。

最後になりましたが、彩流社と深い付き合いのあった二人の方が急死されたことを報告しておきます。ひとりは創立時からブックカバーを担当されたデザイナーの原田健作さんです。依頼した次の日にラフデザインをつくることの出来た大変貴重な人でした。デザイナーとしての生成過程がほかのデザイナーとはちょっと違っていました。来社された次の日に亡くなるという突然死でした。最近では写真集を2点お願いしました。『写真で歩く世界の町並み』『チュニジアン・ドア』です。

もうひとりはアフリカ研究家として著名だった白石顕二さんです。虫の知らせなのか亡くなる直前に電話があり、近く会おうという話をしていました。愛知万博の「アフリカ共同館」の公式カタログ制作のディレクターを務め、かなり苦労して作ったそうです。亡くなる直前に発送したらしく社にそれが送られてきました。彼のデスクには私が送った出版目録があったそうです。かつて『ブラック・アフリカの映画』という翻訳書を作りました。
心よりご冥福をお祈りいたします。(K.S)

吉本隆明・芹沢俊介『幼年論』の??立ち読み?≠

2005 年 6 月 10 日 金曜日

遅れに遅れておりました吉本隆明・芹沢俊介対談『幼年論竏?21紀の対幻想について』、いよいよ刊行となりました。だいたい6月20日頃には書店の店頭に並ぶと思いますが、そのまえに吉本さんの「まえがき」と芹沢さんの「あとがき」の一部を「立ち読み」してみてください(目次は書名をクリック)。

▼「まえがき」より
……幼児期の内働きの主役であった母親の授乳と排泄から学童期にいたる間に、とくに「軒遊び」の時期を設定してみせた柳田国男の考え方は、たんに民俗学や人類学の概念の基礎を与えただけではない。存在論の倫理としていえば、母親による保育とやがて学童期の優勝劣敗の世界への入り口の中間に弱肉強食に馴染まない世界が可能かも知れないことを暗示しようとしているともいえる。そして誰もが意識するか無意識であるかは別として、また文明史がそれを認めるか認めない方向に向うかは別として、この中間をもつことは人間力の特性につながっていると思える。……

▼「あとがき」より
……幼年とは、私たちの定義からすると、母親が傍にいることが必要な時期である。母親の存在を傍らに感じているとき、子どもは安心して、安定的にひとりになることができる。ひとりになれるということは、「軒遊び」の時間を過ごすことができるということを意味する。
だが現在、子どもたちは社会においても家族においても、このような幼年期の核となる軒遊びの時間を生きることが困難になってきている。子どもは生まれて間のない時期から〈ある〉ことだけでは許されず、いつも教育のまなざしのもとで何か〈する〉ことを求められるのだ。幼年という子どもの時間が子どもたちに保証されがたくなったのである。極端にいうと、幼年という概念はいまや消滅寸前である。
それほどまでにないがしろにされている幼年期が、人が人間になっていくためにいかに大切かということをめぐって、対談はおこなわれている。そして一言付け加えるなら、この幼年についての議論は、対幻想論の新しい裾野に確実に触れているはずである。……

【05.6.10オフサイド通信・杉山】

編集部だより(No.14 2005・5)

2005 年 5 月 27 日 金曜日

鈴木邦男さんの『新右翼』の改訂増補版が4月に出ましたが、その「あとがき」に次のようなことが書かれています。「こういう本も珍しい。1988年2月に初版を出して、17年になるが、4年おき位に増補版を出している。「新右翼」運動そのものが生きて動いているからだ。本も成長し、どんどん頁も増えていく。増補の書き下し、資料、年表の追加で、今や初版の倍近いのではないか。そして、僕が書き続けている本、というだけでなく、右翼運動の「資料」になっている。…これからも、自分のライフワークとして書き続けていきたいと思う。」
忘れもしませんが、鈴木さんとの出会いは、一冊の本にあったのです。植垣康博著『兵士たちの連合赤軍』です。彼が代表を務めていた一水会の機関紙「レコンキスタ」に植垣さんの本を読んで、運動家として学ぶべきことが多いということで書評を書いたのです。その「レコンキスタ」を持参してわざわざ小社を訪ねてくれたのでした。それ以来の付き合いということになります。数年前に『兵士たち…』の新装版を出した時も大変ユニークな「解説」を書いていただきました。
先日もファックスで集会への誘いがありました。「今出てる「論座」で日教組委員長と対談しています。5年前なら考えられなかったと思います。又、別冊「歴史読本」の「皇位継承の危機」で森達也さんと対談しています。『新右翼』も書店でよく見かけます。ありがたいです。5月11日、本多劇場で大塚英志さんとトークをします。今でも「天皇制反対」を言っている大塚さん達なので、その話を聞いてみたいと思います。それに連赤についてもかなり書いているんですね。時間がありましたら、よってみてください。」

ということで、久しぶりに下北沢の本多劇場へ行って来ました。
トークショーはゲストの大塚英志さんの『読む。書く。護る。「憲法前文」のつくり方』(角川書店)の内容を、鈴木さんが聞くという形で進められました。「護憲」「改憲」という前に各自がせめて憲法の前文を個人で書いてみようという、新しい運動の提案でした。面白かったのは、いわゆるアメリカから押しつけられた憲法を断固守ることが、今やアメリカへの戦争協力を阻止する大きな力になるというパラドックスが生まれているという認識でした。天皇制は憲法で規定しない存在として位置づけるということも言っていました。
鈴木さんはしきりに感心しながら質問していました。ここが鈴木さんの良いところで、彼から学んだことは、「他者から謙虚に学ぶ」という姿勢です。
『新右翼』の話に戻りますが、17年前の刊行時のことを思い出します。初版の「あとがき」にも書かれていますが、いろんな事情があって出版が出来ず、小社にたどり着いた原稿でした。それを再び書き直してもらい刊行に漕ぎ着けたのでした。
その困難さとは何だったと思いますか?「右翼は怖い」という理由でした。テロリズムのイメージが今よりも一段と強かったのです。東販(現トーハン)、日販などの取次も怖がってほんのわずかしか書店に配本してくれませんでした。いまでこそテレビや新聞、雑誌をはじめメジャーのマスコミが鈴木さんを、何かあると登場させるようになったことを思うと、隔世の感があります。おかげさまで、少しずつ売れ続け今回の増補版で1万部を超えました。
当時、なぜ刊行したかと言いますと、「右翼」「新右翼」も区別はつかないし、「反米愛国」をスローガンにアメリカの政策に反対する右翼とは?など、よく考えてみると彼らの主張をほとんど知らなかったことに気づいたのです。知らないことをやる、というのが彩流社の創立時の考え方でもあったのです。

ここで話題を変えて、前号の続きで映画の話をちょっぴり。
『パッチギ!』の後6本の映画を見ました。中国映画『故郷の香り』、イタリア・カナダ合作『微笑みに出逢う街角』、フランス映画の『恍惚』と『ボン・ヴォヤージュ』、ウルグアイ映画『ウィスキー』、ドイツ映画の『ベルリン、ぼくらの革命』の6本です。それぞれ印象にのこる映画で、見てよかったと思いました。映画というのは一度見出すと続けて行くようになるものです。
考えてみるとその中に日本映画は一本も入っていませんが、『幸福の黄色いハンカチ』のテレビ放映をたまたま見ました。以前見たときは、武田鉄矢の演技が光っているだけで、センチメンタルな映画だなという感想しかありませんでした。ところが今回見だしたら、高倉健の演技というか、俳優としての存在感が以前受けた印象とまったく違うことに気づきました。『鉄道員(ぽっぽや)』(1999)のときの演技もなかなか良かったのですが、もっと前(1977)に撮られたこの映画でこんなに印象的な演技をしていたことに気づかなかったことを恥じ入るばかりです。年代によって見方が変わるのも映画の面白さでしょうか。

そういえば『あの子を探して』『初恋のきた道』で知られる中国のチャン・イーモウ監督の『千里走単騎』に高倉健が主演で出るとのこと。すでに中国雲南省でのロケが終わり、日本では来年公開されるとのことです。日本からは中井貴一と寺島しのぶも出演するようです。楽しみです。
最後になりましたが、小社でも映画の関連書を出しました。戦後すぐの頃、日本映画界を席巻した「母ものシリーズ」の主役だった三益愛子に焦点を当てた水口紀勢子著『映画の母性─三益愛子を巡る母親像の日米比較』です。著者は日本に初めて「ラマーズ法」という夫婦協力の出産を導入した人です。ほかに関連書として、今泉容子著の『映画の文法』などがあり、また好調な売れ行きの浅田直亮、仲村みなみ著『「懐かしドラマ」が教えてくれるシナリオの書き方』も出ています。(K.S)

JR大惨事の危険性は、この本が指摘していた!!

2005 年 5 月 2 日 月曜日

4月25日に発生した、兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)の脱線事故、あまりの悲惨さに言葉を失います。事故の報道が進むにつれ、事故原因についてもさまざまなことが伝えられています。「JR西日本での事故」ということで、02年に出した本を思い出していました。そのなかに、大事故の発生を危惧する記述があったはずだと思ったのです。

その本とは、JR総連の委員長・小田裕司氏が書いた『反グローバリズム労働運動宣言』のことです。
この本は、「グローバリズム」の名のもとに、働く者の生きる権利を圧迫するさまざまな動向に対し異議を唱え、21世紀型の労働運動を模索しようというものです。なので、現在労働者(著者の立場上、とくにJRの労働者)が、どんな目に遭っているが詳しく描かれています。
◆テレビでもさかんに報道されていますが、50秒電車を遅らせたがために、ほとんどいじめといっていい「日勤」という「再教育」を強要され、自殺に追い込まれた尼崎電車区(JR西日本!)の運転士についても詳説されています。自殺の背景には、労働者とくに組合運動をするような労働者を、人間扱いしないJRの体質があります。
管理のもの凄さはこれだけではありません。たとえばJR東海では、運転士の控え室に監視カメラが据えられているそうなのです。
そして、オーバーランや遅延が起こった場合は、原因究明ではなく、徹底的な個人への「責任追及」=処罰が行なわれるのです。この処罰をおそれるがために、小さなミスが隠蔽され、大惨事につながった可能性がある、といっていいのではないでしょうか。
個人への必要以上な責任追及は、結局のところシステム全体の責任を覆い隠し、そこには「恐怖」による支配だけが残ります。
◆なぜ必要以上な責任追及がなされるのか。それは「そうしないと競争に勝てない」という大義名分があるからです。「グローバリズム」の名のもと、市場原理を至上のものとし、競争による効率を追求するには、そのような過酷な管理体制が必要とされる、と言い換えてもいいでしょう。だから労働者は、生身の人間ではなく、数値にすぎないのですね。
そんなところに労働の倫理がなくったって、ちっとも不思議ではありません。モラルの崩壊(「悪いことはわかっているが、仕方ない」という心性)が起こっても、当然といえるでしょう。

◆ついでなのでいっておきますが、会社は株主のものだと言っている人は、会社の現場=職場での「やるき」だとか職業倫理といったものをどのように考えているんでしょうか。「株主様のために働け」といわれて「やるき」がでると考えているのでしょうか。昨今見受けられる、常軌を逸したようなミスやモラルハザードは、そんなところに淵源しているのかもしれません。
経済学の教科書や学者が何といおうとも、働いている者にとって、その職場は自分(たち)のものです。この場合の「もの」とは「所有」を意味しませんが、自分たちの意思がいくぶんなりとも反映しうるもの、くらいの意味はあります。ほとんどの働く者は、1日の多くの部分を仕事に費やします。それを「豊か」にしよう(働いている時間を当事者にとって親和的なものにすること)という意図がない思想は、グローバリズムだろうが地域主義だろうが、全部クソだといっていいと思います。
◆いずれにしても、惨事の責任が、現場の特定の個人だけに押し付けられないように見守っていく必要があると思います。『反グローバリズム労働運動宣言』には、安全に関する取り組みについても多くを割いています。参照していただけたらと思います。

【オフサイド通信05.5.2杉山】