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空爆

 3月10日は東京大空襲があった日。今年はそれから65年目だ。
 私たちにとって昔のことだったり、現在のことでもはるか遠い地での戦争を学ぶとは、どんなことなのだろう。
 毎年8月になると、「きょうは子どもたちがお年寄りから戦争の体験談を聞き、平和について学びました」のようなニュースが流れるが、そのたび大きな違和感を感じてしまう。「戦争の体験を聞き」、それを「わかる」ことと、「平和を学ぶ」ことの間には、あまりにも大きないくつかのステップがあると思うから。しかし安易に「平和を学んだ」と言ってしまうほどに、戦争を学ぶことがマンネリ化しているのかもしれないとも言える。
 

 今年も3月10日に、浅草のギャラリーエフで、「10万人のことば」というダンス公演が催された。1868年に建てられた土蔵を再生したこのギャラリーは、関東大震災も東京大空襲も奇跡的に生き残った。30人も入れば一杯になるその蔵を真っ暗にして、空襲の体験談の録音がひたすら流されると、わずかな明かりがともされてダンサー・鈴木一琥氏による体の表現が展開される。
 すると65年前に「その時」を観ていた土蔵に、当時の人びとの魂たちが集まってきたかのような鬼気迫る雰囲気に包まれる。私たちはそのなかで、ひざを抱えながら、少しだけ「その時」を感じようとしたんだと思う。
 
 空襲のどんな点が非道徳なのかなど、考えたこともなかった、『反空爆の思想』(吉田敏浩、NHK出版)を読むまでは。
 長年人類は、「鳥のように空を自由に飛びたい」と夢見てきたというとなんともステキな話だが、やっとのことで1783年、フランスで熱気球を飛ばすことに成功したとたん、ヨーロッパ各国では気球の軍事利用が検討されるようになったという。その後発明された飛行船も、ライト兄弟によって成功した動力飛行も、長距離飛行が可能となったとたんに軍事利用(空爆)された。
 空からの攻撃に、地上の人びとは応戦することができない。空爆する側とされる側には、圧倒的なちからの差があり、一方的な殺人、破壊と言える。
 地上の戦場で人を殺す状況では、殺す相手の表情が見えたり、声が聞こえたり、自分の撃った銃弾で流血する姿を目にする(時には返り血を浴びることもある)だろう。機上で爆弾投下のボタンを押すだけの場合とは違った心の動きが生じるのではないかと、吉田氏は想像する。
 
 「広島・長崎では原爆で死ぬべき者は死んでしまい、放射能で苦しんでいる者はいない」。昭和20年9月6日、米軍はこのような発表をしたと、『八月九日のサンタクロース』(西岡由香、凱風社)にある。長崎市生まれの著者は、長崎原爆をテーマにした『夏の残像』の著書もある漫画家。

 この言葉は、たくさんの被爆者がその後も苦しみ続けてきたことを葬り去っているだけでなく、2つの都市で命を奪われた20万人以上の人びとを「死ぬべき人々」と言ってしまった恐ろしさがある。
 
 吉田氏の本によると、第二次大戦中、アメリカ陸軍航空軍の幹部のなかには、「善と公正と正義を救うためには悪しき国民を攻撃する必要がある」という意見が多数を占めていたという。
 国家総力戦(国民総動員戦)というのは、市民が戦場に招集されるだけでなく、戦闘員と非戦闘員の区別がなくなり、「国民」という総体(もしくはその時その国にいたというだけのかたまり)で攻撃対象になるという状態なのだ。
 日中戦争において日本は1938年から5年間の重慶だけをとっても218回にもおよぶ空襲を行い、多数の死亡者を出している。被害者だけであるはずがないことは言うまでもない。
 
 体験していない者が戦争を学ぶというのは、たとえば空襲ひとつをとっても、史実を<つまびらかに>知ることからまず一歩ずつ始まっていく。その「複数の傷と痛みを照らし合わせる」(吉田)ことこそ、歴史から学ぶということなのだろう。
 今回はやたら長くなって失礼しました。(出口)