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物語を語ること、言葉を残すこと

こんにちは。ダーシーです。今年もよろしくお願いします。
入社して丸二年になるまで、あと2か月弱! 時が過ぎるのは早いですね。
去年末に私が初めて企画して出した本が、先月重版になりました。少しずつ、自分の成長を自覚するとともに、増してくる責任も背中に感じて、毎日を過ごしています。
最近、自分の出来ることが増えて、仕事がやや忙しくなりました。しかし目の前にある仕事とは別に、未来何かに繋がるかもしれないというアンテナは張っておきたいという思いがあります。

そこで1月29日は知人の誘いもあって、台北駐日経済文化代表処 台湾文化センターで開かれたシンポジウム、「北投/東京 ヘテロトピアが交わる場所」に行ってきました。
三日間行われていたシンポジウムの最終日。進行役の高山明さんはPortB(ポルトビー)という創作ユニットの主催で、パフォーマー兼演出家のような方です。今回のシンポジウムは、そのPortBが企画し、演劇イベント「F/T(フェスティバル・トーキョー)」のなかで2013年から行われている「東京ヘテロトピア」というパフォーミングアーツを、台湾で開催した時の様子について、関係者が語り合うというものでした。
「東京ヘテロトピア」とは、観客が東京の街に設置されたポイントを移動し、そのポイントごとに用意されている物語を朗読で聞く、というパフォーミングアーツ。ポイントに用意された物語には、そのポイントが設置されている場所で過去に起こったであろう出来事が描かれています。ヘテロトピアとはフーコーの言葉で、ユートピアの対義語。つまり、「現実の中の異郷」という意味で使われています。現実にある場所に直接行き、過去を描いた物語に触れることで、観客が現実にいながらにして「異郷」へ行くということです。
今回の話の中心になっていた「北投ヘテロトピア」は、場所を台湾(北投)に移したもの。北投は日露戦争の際、日本の療養所がたくさん作られた場所。台湾有数の湯治場として知られます。日本人によって最初の温泉旅館が開業されました。北投には、その温泉地開拓と同時に生まれた、タクシーのような役割をするバイクのサービスがあるようで、パフォーマンス参加者はそのバイクに乗って各地点を回ったということです。
シンポジウムでは、この「北投ヘテロトピア」で実際に読まれた物語が、その作品を書いた作家によって朗読されました。ワリス・ノカンさん、チェン・ユーチンさん、菅啓次郎さん、温又柔さんによって読まれていく物語。例えば、温さんが書いた『汚れてなどいません』は、北投で駅構内のお手洗いの掃除婦をしている女性を主人公に、彼女が売春をやってきた過去を描いた物語。物語なので、そうした人物が実際にいるということではなく、作家の想像力によって書かれています。
このシンポジウムは、テーマを「うつす(写す/映す/移す)」としており、確かにこのパフォーミングアーツは演劇や文学の可能性について多くの問題を含んでいたように思います。「劇場から観客を解放すること、移動させること」。寺山修司の『ノック』をはじめとする市街中劇を彷彿させます(「移す」の問題)。「過去あった出来事をドキュメンタリーではなく、物語にすること」(「写す」の問題)。「観客が自らをそこに投影すること」「(「映す」の問題)。あるいは「国を横断してパフォーマンスを広げていくこと」(「移す」の問題)。そしてもう一つ、「こうしたパフォーミングアーツの体験を通し、観客が自らの体験を別の人物へ、あるいは物語が口承として伝わっていくこと」(「伝染」す)の問題。
過去をそのまま描いたドキュメンタリーではなく、物語。朗読者は実在の人物ではなく、役者(あるいは作家)。ここに、大いに意味を感じました。観客がある種のカタルシスを起こすには、物語が「現実の中の現実」ではなく、「現実の中の異郷」であることが重要です。物語という作家の想像力を通して描かれた過去や記憶を辿り、役者という媒介を通すことで、観客が自己投影し、物語に寄り添い、現在のものとして受け止めることが出来ます。直接その場に行き、フィクションを聞くことで、「今、ここで起きている」自分事として、その地に染み付いた記憶を捉えることが出来るのではないかと思うのです。
そして、何より、物語は死にません。時代を選ばず、語り継がれていくはずです。
もちろん、ノンフィクションが土台にあるからこそ出来ることであり、また「現実の中の現実」を見せることも重要で、どちらかの優劣ということではありません。しかし、「異郷」へ観客を誘い、時を横断させることが出来る力をもつ文学・演劇の意味を、改めて考えさせられました。
きっと、物語というのは一つに、その地や一時の時間にこびりついた記憶を、殺さないためのものです。読者や、あるいは役者によって、いつでも現実に蘇らせることができるものです。だからこそ、一回性が特徴とされる演劇の言葉も含め、物語の言葉は、紙に焼き付けられた文字として残す必要があると感じました。

とても長いレポートになってしまいました(汗)
しかし、せっかく編集のお仕事をさせていただいているので、どうしても、言葉を残すことに対して再確認できたこの時間を、書いておきたかったのです。
さて! これからもたくさんの「言葉」を残せますように!

(ダーシー)