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正しい答えは……?

先日、電車の中で、運動部とおぼしき男の子三人組(高校生?)が「田んぼと畑の違いは?」をしごく真面目に話していました。

「えーと……。あっ、そうだ。田んぼは水があって、畑は水がない」
「だからさー、田んぼを埋めたのが畑なんだよ。いい年してそんなこともわかってないなんてダメだなあ」
「そうそう、そうだった。そう言おうと思ってたんだよ」

たしかに間違いではない。けれど、一般的にまず頭に浮かびそうな、というか言及してほしかった「稲作」「米」というキーワードが一切出てこなかったし、念頭にも全くなさそうだったのが、なんだかなあ。そりゃあ、田んぼ=お米ばっかりではないかもしれないけれど。それにしても、彼らの「正答」にはもしかして減反政策が色濃く影響しているのかも……。

「食育」ということが言われ始めた頃、「自分たちの食べているものがどのようにでき、どういう過程を経てここにあるのかを知ることは大切かもしれないけれど、たとえば落花生が根っこにできるかどうかなんて、昔の人だって、その生産農家の人でもない限り知らなかったかもしれないよなあ。いつの時代でも、人それぞれに知っていることと知らないことがあって当然で、ちょっと過剰に言い立てている面もあるんじゃない?」とどこか思っていたところがありました。京都の人なんて大半が、海を「知らない」けれどサバを食べてたでしょうし。が、先の会話を聞いて、今はあえて食育ということを言わねばならない状況なのかもなあと考えた次第です。「田んぼか畑か」なんて、都市に暮らしているとか、親類縁者に農家の人がいないとか、そういうこととは関係なく認知されていくものだと思っていたのですが……。

江戸時代を舞台にした小説の翻訳などを担当していると、生活様式、考え方、言葉など今の私たちには理解しにくいところや、もはや「知らない」ことも多いのにあらためて気づかされ、その断絶というかに唖然とします。江戸時代と言わずとも、たとえば祖母の「普通」でも、私がもはや知らない、今に継承されていないことがどれだけあることか。こういうことは歴史の必然なのでしょう。けれど……いやはや。

今の日本人は、自ら「ジャポニズム」を導入し、逆輸入したものをオリジナルと信じて疑わず、きれいに単純化してその枠内で「日本」を理解しようとしているのではないか、そんなことを最近頻繁に感じるわけですが、そういう姿勢は、共有されてしかるべきと思われるもの(それだって幻想にすぎないかもしれませんが)が共有されない、その焦りから実は来ているのではないかとも感じます。そして、田んぼと畑の件もこれにつながっているかもしれない、と拡散していく思考。

とくにオチもなく、まとまりもつけられず、雑に考え続ける日々です。

 

(マルタケ牧場)