イケ彩ダメ彩

最新の記事5件

このコーナー内を検索

月別一覧

年末、最後なので、また趣味でお茶を・・

今年も、正規には出勤日が本日で終わりです。とは言うものの、明日から、汚い字なので、「もらってもうれしくない」(嫌がらせ?)年賀状?を、書けるだけ書いて出すのが待っています。話は変わって、この間の勉強会の後の飲み会で、自分で言っておいて後から、思うに「分かってなかった」ことを、とりあえず分かるところだけ確認して、また来年「分かっていければ」と、会社に全く関係ないものの、年末最後だし早く帰りたいからいいやということで、書いてみます。「(フロイト~ラカン系の)精神分析は心理学批判である」というもので、前読んだ向井雅明さんの書評文では「デカルト、カント、フッサールがやろうとして不十分だった「批判」を徹底したのがラカン」ということだったが、「哲学」読んだことないため、やはり理解が不十分で、だいぶ以前に、初めて会った人に、「分かってないのに説明しよう」として、でっち上げたのが・・・「心理学は「心」の「理由」を探し、見つかったものへ「共感」でもって寄り添う。その理由を、少し別の理由へ移して、症状が無くなって「治療」とする。精神分析は「心」の「原因」を探し、しかし、あらゆる原因は、それが原因であると確証することが不可能だから、共感不可能で、「共感」でもなく「寄り添う」でもなく、その患者が「主体的」に、ひたすら心を彷徨わせることを繰り返し、今ある思考を突き崩す「思考」を推し進め(「症状」は、「ある思考」を覆い隠すことに役立っているため)秘書として就いて行くことで、これでもないあれでもないと進んでいって「最終的につまずいたところ」で・・・もう前に一歩も進めないところの岩盤に対して「この辺が「私の症状」」とそれそのものを引き受ける。要は「心理学」は「異常」から「正常」への移行(治療)があるが、「精神分析」は、精神分析さえも「症状」である以上、「異常」から「普遍的異常」に移行はしても「症状」は消えてなくならないから、それを引き受けるしかない。ある集団内の異常が、別の集団内での正常に移っても、その別の集団そのものが「正常」である根拠はないから「症状」は永久にという?と書いてきたところで、やはり「心理」と「分析」の違いは、なんだか良く分からない。ドゥルーズさんは、「分析「心理学」」のユングを評価して、フロイト(「精神分析」)~デカルト~カントの「分析的」系、とユング~スピノザ~フィヒテの「総合的」系と分けて、より「全体」の「象徴」から見る?神経症の「良い部分」を発見して伸ばすべきという?後者に株を上げているらしかったり、「進化心理学」に可能性を見出しているディラン・エヴァンスは「ラカンは間違っている」という本を書き、今度「学樹書院」から翻訳が出るらしかったり、「心理」が正しいのか「分析」が正しいのか、どちらもうろ覚えで、分からないので、来年は、もう少し分かればいいと思います。(玉崎)