イケ彩ダメ彩

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前からのウーロン割の味

近所のコンビニのペットボトル版のウーロン割りは、当たりと外れがあり、「外れ」ると、飲んだ途端、溶液側の焼酎とウーロン茶がペットボトルの内側のプラスチックと化学反応したような「匂い」とも「味」とも言えない、殺伐とした味、で当然まずく、すぐに買った先からすぐ捨ててしまうといったことをやっているが、会社の近くのコンビニでは、今までそういったことは無い。シェア争いで、L には、偶には「殺伐味」、M には、偶に「ボトル割れ滲み少し」とか提供して、やり手営業マンが、「操作」でもしているのではないかととも思わないが、大量生産→大量流通→大量売上(消費、捨てる場合は「売れても、消費すら無い消費」)の輪廻の世界(資本主義?)のシステムが稼動し始めると「やめられないとまらない(カッパえびセン)」というわけで、「不良品」でも「売上」立てばいい世界というのは、私含め人間自体に蔓延してしまって、「良」「質」などとは、もはや「不自然」なこととなってしまっている感じだ。「道徳系」の人は、恫喝攻撃?でガマンできないだろうし、その下位概念?の「倫理系」の人も光り輝く忍耐で、耐えて疲れている感じ?ただ、とあるツィッターでは、中国の道教の荘子が、「倫理すらない、単に関係しているんだか、していないんだかな関係、生成変化の肯定性(残酷性?)」というようなことをスケッチしていて「在るが儘」の「ヘビィーさ」(信仰の排除(放棄)?)という生き方も2000~3000年前にやっていた人もいたか、と感心したが、それを今やって、毎年自殺者3万人の日本(もう世界の?)で、意味があるかどうかとも思ったが・・・というよりジョンケージも好きだったらしい「キノコの魂=完徳(儒教的道徳ではない徳=あるがまま)」を情知意にわかることの方が「意味/無意味」を問うより先なのかもしれない・・などと書くことが無かったのでとりとめもなく今回終わります(玉崎)。