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二項対立について

私めは、大学生の四年間、予備校時代の一風変わった先生の家に行って、他の大学の先輩たちとともに読書会を開き、いろいろな本を読みました。
まあ、そこでドストエフスキーや真木悠介を知ったのは、以後の私めの人生を豊かにしてくれている(?)ので、すごくよかったと思っています。

色川大吉の『明治の文化』なんて、この読書会に出ていなかったら知らなかっただろうし。
そんななか、
山口昌男の『文化と両義性』を読む機会があった。これには脱帽するし、真木悠介や、赤坂憲雄、小松和彦の仕事などにも通底するようにも感じましたが、
文学や日常の物事を見るとき、二項対立から見る癖がついてしまったことも事実。

なんでもかんでも二項対立にする危険性をいろいろなところで指摘されましたが、特に卒論のときは、
「文明と野蛮」という二項を立ててD.H.ロレンスを扱うという、なんとも分かり易いことをしていたものだ。
大学院に進んで、レイモンド・ウィリアムズを読んだときには、「田園と都会」という二項対立に飛びついちゃったなあ…。

当然、二項対立ではくくりきればいものがこの世には多々存在し、だからこそ、マージナルな存在が溢れているのだと思うのです。
でも、まずは二項対立を物事のスタートにしないと、物事まったく整理がつかないことも多いことも事実ではないでしょうか?

日常会話でもそうなのですが、いったいこの方は、現在行われている議論について、
正でも非でもよいのですが、どちらに与しているのか分からない人っていませんか?

まずは、現実的に、どの軸にたっての発言なのか、行動なのかを分かった上で、そこからこぼれることは何なのか?
そんなことが必要なんだよなあ…。
(小鳥遊)