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いよいよ球春到来なのでR!

いつもお世話になっております「図書新聞」編集長・須藤氏より、出版されたばかりの佐々木健一『神は背番号に宿る』(新潮社)のレビューを依頼された。愚生はプロ野球選手の「背番号」より実際の「顔」に魅かれるほうなので、そのへんを軸に書評を書いたのであった(「図書新聞(3292号)」掲載)。

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日曜日はほぼ毎週、都内のグラウンドにて野球をし、「野球」をめぐって愚考している。

本書を手にしたとたん記憶の底に眠っていた野球関連書の文言が脳内を木霊した。「プロ野球選手に必要とされる第一の資質は、ユニフォームに対して戦いを挑む肉体的な覇気である」(草野進『世紀末のプロ野球』)「俺はこのいとしいユニフォームを、そう、このいとしき背番号7を脱いださ。もう二度とプレーはせんよ、あの世で野球をやってない限りはな!」(R・クーヴァー『ユニヴァーサル野球協会』)。

今ではイチローの「51」や大谷投手の「11」が子どもたちにとって人気の背番号ということになるのだろう。本書に登場した主な選手は、江夏豊「28」、村山実「11」、眞鍋勝巳「20」、池山隆寛「36」、谷沢健一「41」、黒沢俊夫「4」、沢村栄治「14」、藤井将雄「15」、鈴木啓示「1」である。実際にプレイする姿を見たことがある選手もいれば、伝説を知るのみの選手もいる。これら選手の背番号をどれだけの人が記憶しているだろう。もちろんNPB史上のスパースター、長嶋(N)と王(O)も登場。背番号「3」と「1」は巨人軍の永久欠番である。

昭和四十三(一九六八)年生まれの私にとって、「68年革命」というべき江夏投手の年間最多奪三振四〇一個(世界記録)は永久不滅。そしてMLB史上、不滅の大記録で(今後も恐らく破られることはないであろう)、奇しくも一九四一年に達成されたジョー・ディマジオ(ヤンキース)の五六試合連続安打とテッド・ウィリアムズ(レッドソックス)の打率四割六厘。彼らの背番号「5」と「9」も永久欠番である。

現在、MLB全球団での永久欠番は「42」。一九四七年、ブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)は黒人選手ジャッキー・ロビンソンをメジャーに昇格させた。開幕戦の四月十五日、エベッツ・フィールドに詰めかけた観客の半数は黒人だったという。彼は黒人のメジャーリーガーとしては一八八四年のモーゼス・フリート・ウォーカー以来、六十三年ぶりにメジャーデビューを果たした。彼のメジャーデビューから五十年目の一九九七年四月十五日、背番号「42」が全球団の欠番となった。今年(二〇一七年)は彼のデビューから七十周年である。

まったく逆の現象として、背番号のことなど意識にのぼることなく、グラウンドで躍動する選手たちの個性的な「顔」が意識されるということもある。かつてのパ・リーグ、悲運の闘将、わが先輩、西本(幸雄)監督が率いた近鉄バファローズの選手たちである(メディア露出ではいまのパ・リーグの選手とは状況がまったく違う)。

脳裡に焼き付いた七〇年代後半のバファローズのオーダーは、1番・ガッツマン平野(CF)、2番・コイサンマン小川(1B)、3番・能面の佐々木(RF)、4番・赤鬼マニエル(DH)、5番・ヘラクレス栗橋(LF)、6番・コンニャク打法の梨田(C)、7番・被鉄拳制裁の羽田(3B)、8番・スナイパー石渡(SS)、9番・今では娘が有名な吹石(2B)。投手陣は、投げたらアカンで三百勝の鈴木、元祖甲子園のアイドル太田、パンチパーマが素敵な井本、クネクネ投法の柳田、そしてドラキュラ山口など。

当時のパ・リーグでは前期・後期の二期制で、阪急ブレーブスとの死闘もあって優勝への道は険しかったが、一九七九年、ファンのあいだで語り草の平野による「執念のバックホーム」もあって、ついに悲願のリーグ優勝を達成した。しかし好事魔多し。のちに「江夏の二十一球」として永遠に記憶されることになった日本シリーズでは敗者となる。

「野球には、問答無用の境界線がそよともせず引かれている。越境するためには、バットを腕の一部とし、グラブを手の一部とするまでの月日が必要である。いかなるものであれ、それを欠いたところで発せられる言説は、ただの雑談にすぎない」(『稲川方人詩集』)

今週もまた私はバットとグラブを手にグラウンドへ向かう。すでに日曜日が待ち遠しい。

[筆・南葵亭樂鈷]