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『赤紙と徴兵』を読んで

2011年に出版した『赤紙と徴兵――105歳 最後の兵事係の証言から』(吉田敏浩・著)の感想文を、愛葉由依さんがまた書いてくださいました。
敗戦後73年を明日迎えるにあたり、朝日新聞(8/14)では、この本の西邑仁平さんが大きく紹介されています。
(愛葉由依さんは以前に『戦場体験キャラバン』の感想も書いてくださった、広島で戦争中に被爆されたお祖父様の体験とライフヒストリーの聞き取りを続けておられる方です。)
本とあわせてお読みください(出口綾子)
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まず、徴兵制について関心はあったものの、なかなか深く知ることができなかったので、本書に出会えて、知識を深める機会を得ることができたことに感謝しています。

はじめに描かれていた、汽車に乗って配属先へ向かうとき、窓から外は見えないようになっていたという体験は、祖父から聞いた語りとも重なりました。p.260あたりで、室さんが他の兵隊とは淡々とした関係で身の上話はしないと語っていますが、祖父も同じようなこと語っていたのを思い出しました。p.42あたりからの中国の戦地での話は、直前に読んでいた『戦場体験キャラバン』のなかで出てきた話ともリンクしました。上海事変のときの赤紙についての記述もありましたが、大学院生になってから上海へ訪れたとき、上海の友達に「どうしてそんなにこだわるの?有名な観光地の公園行きなよ」と言われながらも、上海淞滬抗戦記念館 へ行ったときのことを思い出しました。特に罵声を浴びせられたり嫌な思いをしたりすることは決してありませんでしたが、日本人の私がここにいていいのだろうか…と思ってしまうなんとも言えない空気感に緊張したのを覚えています。こうした私自身が様々な経験をするなかで得たものとも少しずつつながりを持っていくことを、本書を通して実感しました。

『戦場体験キャラバン』を読んだときにも「捕虜」というレッテルと「被爆者」というレッテルは似ている部分があるのではないかと気になっていました。本書を読むと、双方は似ているようで、死への追い込み方という点で異なる部分があることにも気づきました。「被爆者」のなかにも死のうと思った、と語る人はもちろんいますが、そういう気持ちに至らせた要因は「捕虜」とは少し異なると私は感じています。「捕虜」も「被爆者」もそのレッテル上、生きづらく、精神的に追い込まれているのは共通するのかもしれませんが、「捕虜」の場合は、(ある種の洗脳やそうせざるを得ない暗黙の了解によって?)表面上は、ある程度自らの行動を反省する意識を記しつつ、死を選んでいる傾向が見えますが、「被爆者」の場合は、なにも悪いことをしていないのにも関わらず「被爆者」になってしまったのに、なぜ風評被害にあわないといけないのだろうという苦しさから死を選ぼうとしているようにも見えます。そういう意味では、「被爆者」は被害者意識みたいなものが強いと言えてしまうのかもしれません。ただ、これらのことから、その背後には双方を生きづらくさせてしまう空気感、全体主義の教え込みのようなものがあったということがより浮き彫りになってくるのではないかと思います。

“兵隊に取られる”という受け身表現への著者の解釈が面白かっただけでなく、天皇の名のもとに兵士として召し出されるという点を召集令状がつくられる過程を追いながら説明されていた点に納得がいきました。制度としても、「天皇のため」という意識を植え付ける根拠を持たせていた抜かりなさに、驚くとともに、正直恐怖を感じました。p.65あたりから、残された記録からわかる召集令状送付までの細かいやりとりが描かれていましたが、それらはとても貴重な資料だと思います。赤紙を受け取る人もいれば、もちろん、それを配る人もいるわけですが、私はどうしても受け取る人に注目しがちで、配る側の視点まで十分に視野を広げることができていませんでした。赤紙を配る側は、もっと硬派な態度で配っていたのかと勝手に思っていましたが、兵事係は板挟みとなり苦しい思いをしながらも西邑さんのように細かな配慮をするような方もいらしたのですね。どんな立場の人も、「お国のため」という使命感を持ち必死に当時を生きていた一方で、心の奥には苦しさを持ち合わせており、思考統制と洗脳のおそろしさがヒシヒシと伝わってきました。 p.125やp.244にあるような歌も思想統制の一部なのでしょうね。本書は、例えばp.133やp.220,221あたりのように、残された日記や資料からわかること、そして語りから見えてくる複雑な心情の双方が補い合って、分厚い資料になっていくこと体現しているようでした。

(海軍の場合の召集令状については、レアケースなのだと思いますが、個人的にはもう少し深く知りたかったです。)

祖父も戦後70年経って、「今は言える、自由に」 と語りましたが、それは暴露というような意味ではなく、素直な感情の表出ができるという意味なのだと私は捉えています。本書も、西邑さんの今だから語りたい、伝えたいという強い思いがしっかり届いてくるものでした。
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