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『沖縄戦546日を歩く』を読んで

今年も沖縄慰霊の日が近づいてきました。この5月に増補新版を出した、カベルナリア吉田さんの『沖縄戦546日を歩く』の感想文が読者の方より届きましたので、以下にご紹介します。本とあわせてお読み下さい。(出口綾子)
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『沖縄戦546日を歩く』を読んで

目次をさらっと見て、少し身構えてから読み始めましたが、最初の掴みから面白く、とっつきやすかったので、リラックスした状態で読むことができました。

くだけた語り口ですが、細かい描写やとりまく環境がしっかり書かれており、知識が深くない私でも沖縄の歴史をわかりやすく理解することができました。また、当時の体験者の話にはあえて焦点を当てず、著者が辿ったときの記録に重点を置く記述方法により、著者が沖縄を歩いたときの視点がよくわかりました。どこでどんな出会いがあるかわからないフィールドワークの醍醐味が本書の至る所にあらわれていて、わくわくしながら読むことができました。全体的にサラッと読みやすく書かれていますが、p.19のような日常に響く米軍機の音についても何気なく触れていることで、生々しさも際立っていました。本書の至る所に散りばめられた戦跡とはかけ離れた日常のちぐはぐ感が、今のリアルな沖縄をうまく表していると思いました。

本書を読み始めて、ハッとしたのが、著者が沖縄で出会った人に投げかけられていた「お兄さんは内地なの?」(p.19)という言葉です。そういう何気ない言葉にも、沖縄の歴史が隠されていることがわかりました。私は同じ日本という意識の方が強かったので、今でも内外で表現していることに少し驚きました。

また、能天気な学生に苛立つ著者の心情が垣間見えましたが、私も以前は能天気な学生に近く、むしろ大半の人々がそうなのではないかと思い返しました。私は中学生のとき、市の代表で広島の式典に派遣される機会がありましたが、今みたいな意識は全く持っていませんでした。なにか強く感じ取って帰ってきたのか?と聞かれたら、答えはNoだったと思います。そんな安易な気持ちで派遣されたことは本当に恥ずかしいことだと今では思います。ただ、もともと関心があったわけではなく、むしろ意識が低かった頃の私に近い、「一般的な」若者の感覚や視点についても否定することなく、受け止め、そこにどう投げかけていくか考えていきたいと本書を通して思いました。

沖縄へ行っても、よほど意識して見ようとしない限り、著者が訪れていたような戦跡には触れずに終わっていくのだろうなとは思いつつも、少し息抜きしたり、気楽な気持ちも持っていたりしないと、気が滅入ってしまうのも、戦跡めぐりなのだと思います。朝から晩まで100パーセント向き合おうとするのではなく(本来はそうあるべきなのかもしれませんが)、少し脇道に逸れた心持ちがどこかにあってもいいのではないかと思います。それくらいでないと、出来ないことなのかもしれないと思いました。

話は逸れますが、先日耳にした「平和を学んできます」という言葉に、少し違和感を持ってしまいました。安易に平和を学ぶと言うけど、そもそも平和を学ぶってどういうこと…?そんな簡単に学ぶことができるものなのだろうか…?と。うまく言葉にできませんが、平和を学ぶというのは、目的ではなく、その先にある、ついてくる結果のひとつなのではないかと思ったりもしています。

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