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「フィールウェア」という発想を撒種せよ!

過日、冷静に考えれば不思議なパーティに出席した。著者の還暦祝いだったのだが、出版を祝う会でもあった。しかし「本」(仮題「かわいい」のわざが世界を変える)がない。

「20世紀は、心を置き去りにして、モノだけが独り歩きをしていた。21世紀は、心を取り戻す時代だ」(ソニー創業者・井深大)

1982年、ソニーに女性修士エンジニア第1号として入社した著者・下川眞季さんが、この言葉を聞いたのは21世紀を迎えるまえのこと。そして「フィールウェア」という発想の種が撒かれたのが2001年12月、ソニーでのことだった。

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ところが2006年9月、下川さんは瀕死の事故に遭う。そのとき、声が聞こえた。

「君にはまだやることが残っている」

企業戦士の下川さんは、成果をあげなくては人間として価値がないと思い込んでいた。しかし、寝たきり状態になって初めて、人間は存在することだけで価値があると思い知らされた。

厳しいリハビリを経て2008年、ソニーに復職。

「やり残したことは何か……このままソニーにいて意味があるのか……」

2009年、衆議院選挙への出馬オファーがあった。事故前であれば断ったが、「これかも知れない」と思ってしまった。

そして東京4区で出馬。会社人間だった下川さんには地盤も看板もない。もっとも重要な地域との結びつきの薄さを思い知らされ落選。しかし選挙活動中、それまで気づくことのなかったある事実を知った。

大田区は約4300社の中小企業がひしめく町工場の地域。その約8割が従業員10人以下の小規模経営。選挙中に見たこととは、工場の稼働率が3~4割になっていたという事実。原因は2008年のリーマンショック。大企業が下請けへの発注を控えための厳しい現実だった。ソニーも同様。下川さんは愕然とした。

しかし同時に、大企業ソニーを辞めて選挙に出馬したほんとうの理由は、この現状を肌身で感じるためだったのだということを痛感した。そして、周囲の反対を押し切って準備ゼロで起業してしまった。

「中小企業のキラリと光る技術をビジネスに変える」という使命を実現するために。

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そして、のちに「フィールウェア・プロジェクト」を始動するきっかけとなる。もちろん当時は、夢にも思わなかった「パラダイム・チェンジ」の始まりだった。

[筆・南葵亭樂鈷]