イケ彩ダメ彩

最新の記事5件

このコーナー内を検索

月別一覧

『赤紙と徴兵』を読んで

2018 年 8 月 14 日 火曜日

2011年に出版した『赤紙と徴兵――105歳 最後の兵事係の証言から』(吉田敏浩・著)の感想文を、愛葉由依さんがまた書いてくださいました。
敗戦後73年を明日迎えるにあたり、朝日新聞(8/14)では、この本の西邑仁平さんが大きく紹介されています。
(愛葉由依さんは以前に『戦場体験キャラバン』の感想も書いてくださった、広島で戦争中に被爆されたお祖父様の体験とライフヒストリーの聞き取りを続けておられる方です。)
本とあわせてお読みください(出口綾子)
====
まず、徴兵制について関心はあったものの、なかなか深く知ることができなかったので、本書に出会えて、知識を深める機会を得ることができたことに感謝しています。

はじめに描かれていた、汽車に乗って配属先へ向かうとき、窓から外は見えないようになっていたという体験は、祖父から聞いた語りとも重なりました。p.260あたりで、室さんが他の兵隊とは淡々とした関係で身の上話はしないと語っていますが、祖父も同じようなこと語っていたのを思い出しました。p.42あたりからの中国の戦地での話は、直前に読んでいた『戦場体験キャラバン』のなかで出てきた話ともリンクしました。上海事変のときの赤紙についての記述もありましたが、大学院生になってから上海へ訪れたとき、上海の友達に「どうしてそんなにこだわるの?有名な観光地の公園行きなよ」と言われながらも、上海淞滬抗戦記念館 へ行ったときのことを思い出しました。特に罵声を浴びせられたり嫌な思いをしたりすることは決してありませんでしたが、日本人の私がここにいていいのだろうか…と思ってしまうなんとも言えない空気感に緊張したのを覚えています。こうした私自身が様々な経験をするなかで得たものとも少しずつつながりを持っていくことを、本書を通して実感しました。
(続きを読む…)

『沖縄戦546日を歩く』を読んで

2018 年 6 月 20 日 水曜日

今年も沖縄慰霊の日が近づいてきました。この5月に増補新版を出した、カベルナリア吉田さんの『沖縄戦546日を歩く』の感想文が読者の方より届きましたので、以下にご紹介します。本とあわせてお読み下さい。(出口綾子)
==
『沖縄戦546日を歩く』を読んで

目次をさらっと見て、少し身構えてから読み始めましたが、最初の掴みから面白く、とっつきやすかったので、リラックスした状態で読むことができました。
(続きを読む…)

『上智英文90年』刊行イベント

2018 年 6 月 17 日 日曜日

6月16日(土)は、「上智大学英文学科同窓会」が上智大学で行われ、『上智英文90年』を編集したこともあり、
我が彩流社から刊行された上智英文関係の著者の本を一堂にそろえて販売にかけつけました!
とても充実したシンポジウムで、いかに上智大学英文学科が我が国の英米文学、英語学研究の中心的役割を果たして来たのかが立体化されて実感できました。
祝賀会の間も販売ブースを開いており、メインとなった『上智英文90年』をはじめ、
出来たばかりの巽孝之先生の英文著書『Young Americans in Literature』なども売れました。
みなさまのソフィア愛を実感しました。
あ、僕の卒業したの、ソフィアじゃなく、セント・ポールだけれど(笑)。
(小鳥遊)

DSC_0506.jpgDSC_0501_1.jpg

 

映画『わたしはあなたのニグロではない』

2018 年 6 月 7 日 木曜日

過日、編集部の後輩と一緒に、映画『わたしはあなたのニグロではない』を観てきました。観賞後、二人でいろいろ話し合いましたが、黒人差別についてはお互いなかなか結論づけることができません。しかしながら、こうして話し合う契機になったことでも映画を観た意義は大きいです。というのも、我が彩流社は黒人や公民権運動、先住民関連のアメリカの研究書を多々出している版元ですので、この映画を観ることは、編集、営業問わず避けてはならないと思ったぐらいですから。
当の後輩が編集担当した『ただの黒人であることの重み ニール・ホール詩集』(大森一輝訳)は、映画との関連もあり、上映館を軸にとてもよく動いており、少々品薄状態なのがもったいないですが、ぜひとも、この詩集はお手に取ってもらいたい。
映画の元となったボールドウィンをうたった詩「ジェームズ・ボールドウィンのように」も収められています。

(小鳥遊)

9784779123849.jpg

危機管理と広報とは…?

2018 年 5 月 28 日 月曜日

某密林にて、数年前に作った『危機管理と広報』という本が動いている……。
なんでだろうかな…、と思うまでもなく、危機管理学部という希有な学部を擁する
某日本の大学の危機管理のまずさ、そして、広報のまずさが連日ニュースで流れているからですね。

(続きを読む…)

『戦場体験キャラバン』を読んで

2018 年 5 月 22 日 火曜日

2014年に出版した『戦場体験キャラバン――元兵士2500人の証言から』(戦場体験放映保存の会/中田順子・田所智子編著)の読書感想文が届きました。
書いてくださったのは、愛葉由依さんです。愛葉さんは、広島で戦争中に被爆されたお祖父様の体験とライフヒストリーの聞き取りを続けておられる若者です。愛葉さんのライフワークはお祖父様のお話の聞き取りから始まり、大学院入学後は、広島・長崎で被爆後、愛知県で暮らす人々との対話へと広がっています。
ご自身の聞き取り体験と重ね合わせた感想文になっていて読み応えがありますので、ご本人のご許可を頂き、彩流社のウェブサイトで公開することにいたしました。ぜひ、本とあわせてお読みください(編集部・出口綾子)

==
『戦場体験キャラバン』を読んで

全体として、数え切れないほどの人が命を落とす場面、遺体がゴロゴロと転がっている場面の描写を、どの人も淡々と語っていることが印象的でした。そういった語り口は、極限状態にある戦場を経験した人々が、人の生死を語ることを可能にするある種の手段になっているのではないかと思いました。数え切れないほどの人の生と死に直面した人々の感情の麻痺は、私がこれまでに対話をしてきた広島・長崎で被爆した人々との共通性を感じました。一方で、p.38,39にあるような歓迎パーティー等の側面についても切り捨てることなく、戦場体験の一部とすることで、戦場の暗く、悲惨で、血なまぐさい部分だけを強調していないところに好印象を持ちました。

また、私自身も、生の語りにこだわるなかで、方言をどう記述したらその土地以外に暮らす読者にも伝わるのか、ということに悩んできましたが、まず本書を読んで、ほとんど方言のまま記述してあることに驚きました。私が暮らす地域に近い方の語りを読んでいると親近感を覚える部分もあり、馴染みのない地方の方の語りでも、方言の難しさというものを超えて伝わってくるリアリティがありました。そして、あえて方言のまま記述することで、日本全国に戦場体験者が暮らしていることが読者にも伝わっているのではないかと思います。どの地域に暮らす人々に対しても、誰かしらの語り口に親しみを感じさせ、ひとりひとりに訴えかける構成になっていると私は解釈しました。

そして、戦場体験といっても幅広く、私自身のそれらに対する知識不足を痛感しました。ナショナルな視点だけでなく、グローバルな、各国の横のつながりを意識した知識を持って見ることの重要性も感じました。「取材メモ」という形で、個々の小文字の歴史以前に大文字の歴史を振り返りつつ、大文字の歴史に小文字の歴史を組み込んでいく構成により、私は個人の語りのなかへすんなり入っていくことができました。

読み始めたときは、聞き手の存在が見えず、戦場体験者の一人語りになっている点が少し気になっていましたが、最後まで読み進めていくと、それは聞き手のバイアスを外すための工夫だったということがわかりました。ただ、聞き手の対談を読んでいると、それぞれの人柄が伝わってきて、その人にだからこそ特別に話すということはなかったとしても、それぞれが持つ雰囲気や関心等が、語り手の語りに与える影響は少なからずあり、そういった人との対話のなかで語りが再構成される部分もあると思います。私個人の考えとしては、そういった点も記述の対象にしてもいいのではないかとも思います。

その他、個人的におもしろく読むことができた部分や、私が被爆した人々から聞いた語りと重なった部分もありました。例えば、p.161あたりにあるような、「捕虜」という立場になってしまったことは、家族には言えず、烙印にもなってしまっていたことについての語りは興味深かったです。これは、被爆した人々が「被爆者」であることを隠そうとしてきたこととも少し共通性があると思いました。p.187あたりに話題に出てきた東邦高校は、愛知県民の私にとっては、よく知っている高校でしたが、その高校で戦時中に行われていた教育や先生の話は、はじめて聞く話でした。p.134あたりにあるような、人を殺したときの話では、オノマトペを使って状況を説明する語りが印象的でしたが、被爆した人々もオノマトペを使う方が多いこととの共通性を感じました。一般的に使われる動詞や名詞、形容詞などでは表現できないことがオノマトペに込められているのではないかと私は解釈しています。

沖縄での戦場体験の話もありましたが、私が対話をしてきた人のなかにも、通信兵で沖縄戦の電報を受け取っていた方がいました。そういった方の語りと、本書に出てきた沖縄での戦場体験の語りがどんどん繋がっていき、聞き書きで得られる語りの貴重さ改めて感じました。恥ずかしながら、まだ私は沖縄には行ったことがありません。沖縄というと、やはり今では綺麗な海がある観光地という印象が強いですが、昨年グアムに行ったときに、家族に我儘を言って戦争の跡が残る場所へも足を運んで目にした光景と近いものが、今の沖縄にも残っているのだろうかと想像します。若いうちに、沖縄にも足を運んで、肌で感じてきたいと思いました。

対談の部分のp.290あたりに書かれていたような、聞き手がマスコミから取材を受ける中で、マスコミから一定の答えを求められているようになんとなく感じてしまう気持ちには、共感しながら読んでいました。私自身も、マスコミからの取材時に、流されそうになったり、うまく乗せられたりして、マスコミが欲しい言葉を言ってしまった経験があります。それは自分自身の力不足であったにもかかわらず、一時期、マスコミ嫌いになっていた時期もありました。しかし修士2年になってからは、しっかりマスコミともコミュニケーションをとって向き合い、自分の考えを伝えることの大切さを学びました。研究を学問の世界にとどめるのではなく、マスコミ等ともうまくバランスをとりながら積極的に交流して、社会へ発信していくことも一研究者の重要な役割だと今は考えております。

最後に、p.295あたりの、3.11の津波のあとの光景と戦時中の焼け野原がリンクしてしまうことについてですが、私が対話した人々のなかにも、3.11の津波の映像と原爆投下直後の煙の様子が重なり、錯乱状態になった方はいました。その方は長崎で被爆した方です。このようなことは、まだあまり知られていないことなのかもしれません。また、戦場体験とは言えないのかもしれませんが、被爆した人々のなかにも、兵隊としての経験がある方もいますし、必ずしも、一般的に抱かれるような被害者意識ばかりが強いわけではありません。そういった点についても、被爆した人々からお話を聞かせてもらった私がしっかり記述していかなければいけないと感じました。

2018.5.8 愛葉由依

9784779119965.jpg

散歩

2018 年 5 月 21 日 月曜日

先日の夕方、日も暮れてだいぶ涼しくなった頃、買い物帰りに商店街を通っていると、ペット?と散歩している女性を見かけました。

 

その人は対面から歩いて来ていたのですが、右側になにかモコモコしたものが載っているのが視界の端に映り『なんだろう?』とよく見てみるとフクロウ(…もしかしたらコミミズクだったかも)でした。

 

モコモコ。ふわふわの体にまん丸の目はとても魅力的ですよね。

 

風の抵抗があるのに、どうしてフクロウの顔は正面から見ると丸いのだろう?

と不思議だったのですが、ちゃんと本に書いてありました。

 

978_4_7791_2310_8.jpg

 

 

八ヶ岳の「ふくろう保護活動」や自然保護活動へも参加する写真家のフクロウの写真集です。

 

下はフクロウだけにとどまらず、北海道の動たちの姿を収めた写真集です。

978-4-7791-2444-0_2.jpg

 

 

(事務員3号)

原民喜の初期幻想傑作集が出来て…。

2018 年 5 月 12 日 土曜日

すでに、発売になっておりますが…、見本が出来た日の朝のこと。
今日は、ちょっと特別な日。
自分の編集担当本が出来るときはいつも特別なのですが、本日見本が届いたのは原民喜のアンソロジーです。
(続きを読む…)

いま、「講談」が熱い!?

2018 年 4 月 17 日 火曜日

今年2月に出版した『おやこで楽しむ講談入門』 (続きを読む…)

シンポジウム「21世紀に求められる 人文科学と大学教育ー大学改革と人間形成」

2018 年 4 月 15 日 日曜日

昨日は、国際メディア・女性文化研究所の設立記念シンポジウムを拝聴しに日本女子大学まで行ってきました。
題目は「21世紀に求められる 人文科学と大学教育ーー大学改革と人間形成」でした。
濃密な4時間でした。パネリストとして最初にお話になった巽孝之先生の発表「人文学の通義ーその生命・自由・幸福の探究」では、人文学がそもそもなんのためにあるのかを根本から問い直すもので、知識の再分配や言葉の意義、そう、言葉ひとつで物事が立ち上がったり、そうでなかったり、つまりは、レトリックをどう身につけるのかだということだと思うのです。そもそも「実学」の意味は「真実を探求する」というもので、現在大学教育に期待される「実学教育」とは本来の意味からかけ離れているなど、大変意義深い発表で、巽先生のこの発表が昨日のシンポジウムのまさに基調になっていたようで、その後の発表者や、最後の討議の場面でも、巽先生のはなされた内容がなんどか言及されていました。
続く作家の芦辺拓氏の「仕事をサボってツイッターをやってて見えてきたこと」も興味深く、「知の共有」とは何かをその危うさを独特な表現力で話してくださいました。「印象操作」「悪魔の証明」「推定無罪」などどどのように起きるのかが非常によく伝わってきました。
岡山大学前副学長の荒木勝氏の提言は、大学の経営者からみた社会に役立つ人材とは何か。鍵語は「リベラルアーツ」でした。
そして、極めつけは上野千鶴子先生の「人文科学はなぜ必要か?」です。上野先生のマルチチャンネル、世界を複眼で見る、前提(予件)を疑う=問い続ける、専門知と人文知、メタ知識、システムとシステムの境界の間でノイズは生まれ、ノイズの一部が情報になるなど非常に簡潔に分かりやすく話してくださいました。改めて、上野先生、頭がきれると実感しました。
中沢けい先生の「フェイクニュースの時代を考える」、阿木津英先生の「無用無益のゆたかさと近代精神」も興味ひかれました。
その後の、質疑応答の時間は、正直、もっと、パネリストたちの言葉を聴きたかったし、フロアの声ももっと積極的に拾うべきだったと思いますが……。
お忙しい巽先生は別の学会のため最後の質疑応答時にはいらっしゃらなかったのですが、上野先生などと丁々発止やってほしかったなと思います(笑)。でも、お二人の考えは、なんのために人文学があるのかでとても通底しているように感じました。
久しぶりに、とても意義あるシンポジウムを拝聴したなと、充実感を噛み締めながら帰路につきました。
(小鳥遊)