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第45回 『ヨーロッパ人』の装幀
──藤野早苗(ヘンリー・ジェイムズ『ヨーロッパ人』訳者)

 出版から5か月、友人、知人からの本書に対する反応もほぼ出尽くした感がある。90%の人の最初のコメントが「なんてきれいな本」とか、「いかにもヨーロッパ的な雰囲気ですてき」等々、装幀をほめてくれる言葉であった。訳者としては内容よりもまず装幀をほめられたことに戸惑いがなくもないが、まあ、内容についてはゆっくり読んでからだろうとあわてず、それよりも装幀をほめられたことに大いなる喜びを感じたのである。と言うのも私はカバーへのこだわりが非常に強い。著書の場合は自分の主張が伝わるようなカバーを……とこだわるが、今回は訳書であるから、何よりも原書の雰囲気を伝えられるようなものでなければならない。ジェイムズがこの作品に託したもの──1840年代のボストン近郊の人々のモラル・暮らしぶり、そして、その人々がヨーロッパから訪れた親戚の姉弟をとおして受け止めたヨーロッパの印象──をいかにカバーに表現できるのか……翻訳の作業中から私はしばしばキーボードを打つ手を休めて考えた。

 印象を表現したいのだから、具象ではない。とすればやはり色が重要になる。絵心のあるフェリックスは何度もニューイングランドの夕日の美しさに感動してスケッチに余念がない。「これは確かに夕日の国だ」と言い、「燃えるような輝きの深み」に想像力を刺激され、希望を見出しさえするのだ。私はその描写に魅了され、赤々とした夕日のイメージをカバーにできないだろうか……と何度も考えた。燃えるような夕日は確かに古めかしいヨーロッパとの対照として、感じやすいフェリックスに強く訴えかけたことだろう。当時はまだ開拓されていない自然が多く残っていて、夕日はさえぎられることなく空いっぱいに広がり、未知の世界の輝きと映ったに違いない。夕日だ!  何とか夕日のイメージを出したい!  しかしカバーに燃えるような夕日が描かれたとしたら、それが『ヨーロッパ人』の表題のイメージを表わすものとは考えにくい。いろいろ考えを進めるうちに、ヨーロッパのイメージは夕日の赤ではなくボルドーだろうと思いついた。深みのあるボルドーなら、それだけでヨーロッパをイメージできる。しかも10章で、夕日に魅了されるフェリックスは西の窓に相対した壁に、夕日が濃いピンクの輝きとなって広がっているのを見ているのである。そうだ! ボルドーでデザインしてもらえば、「ヨーロッパ」を表出できるばかりでなく、微妙な色合いの組み合わせで夕日のイメージまで含められるかもしれない……と欲張りなことを考えて、編集者のMさんに相談すると、即座に「私もボルドーがいいと思います」という言葉が返ってきた。Mさんには長い間お世話になっているので、すぐに意を解してもらえ、本当にありがたい。考えが一致したので安心して、ボルドーの色調で考えていただくように、デザイナーさんにお願いしてもらうことにした。

 こうしてまずは全体の色調が決まって、あとはデザインを楽しみに待つことになった。次にMさんから「ほかに入れたい色はありませんか」との問いかけがあった。それに対し、私は「白とか、鳩色」と答えた。白はボルドーの地に表題の文字をくっきりと浮かび上がらせるのに効果的であろうと漠然と考えたのだが、「鳩色」についてはこだわりがあった。4章で、ユージニアが叔父のウェントワース氏の招きで、彼の離れの小さな白い家に移り住むようになったときのこと、彼女のウェントワース家についての感想が次のように述べられている。「ウェントワース家の家庭はその類では完璧だった──とても和やかだったし、清潔だった。彼女がクエーカー教徒の慣習とみなすところの落ち着きと情け深さのある、鳩の色のような清新さがすべてにみなぎっていた」(70-71頁)。なんというすばらしい叙述だろう。「和やか」「清潔」「落ち着き」「情け深さ」これらの特色はまさにウェントワース家の人々を総じて表現する言葉だし、ひいては当時のニューイングランド社会の雰囲気をも的確に表現していると思われる。そしてこれらを表現している色が「鳩色」だというのである。私はジェイムズの感性に改めて敬服し、「鳩色」は心に深く残る言葉となった。だが、鳩色を装幀に入れるイメージはまったく浮かばなかった。

 出来上がった本が送られてきて、私は歓声をあげた。深みのあるボルドーに、いくつかの色合いが組み合わされ、ヨーロッパの落ち着きと、華やかさがある。そしてさらに私を感動させたのは何と帯の色がすてきな鳩色であることだった。それにより、カバーはヨーロッパのイメージを強く打ち出したばかりでなく、ニューイングランドをもしっかりと存在させているのだ。私の願望をこのような形で見事に実現させてくれたMさんとデザイナーさんに深く感謝するばかりである。

◉『ヨーロッパ人